「ガッキイファイター」は今何処に

令和7年2月27日
「そして殺人者は野に放たれる」「買ってはいけないは嘘である」「脳梗塞日誌」などの著者でギャンブラー、日垣隆氏のメルマガ「ガッキイファイター」を購読していた。氏の本質を見抜く鋭い発言や文章が面白く、何年にもわたって愛読していた。
氏の主催する英語講座にも参加して2カ月間毎日何時間も費やしていた。さらに3か月の追加講座も行ったが、残念ながら毎日使わないとできないことが分かった。いい経験になったが、メルマガはずっと愛読していた。氏は2,015年、グアム島でのゴルフ合宿中に脳梗塞を発症し、再起不能かと思われたが、信じられないくらいのリハビリに励み、不自由ながらメルマガを続け、世界中を単独で回りカジノで大金を稼ぎ、再婚していた妻と子供を大切にして日々を送っていた。2,019年にメルマガの日本版は止めると宣言し、今から1年間は無料で会員に届けるが、それを過ぎれば海外版だけにすると言った。最後のメルマガは2,020年7月21日号で、以来日本での配信は終わった。世界では50ヵ国に配信しているというが、以後どうなっているのか全く分からない。
先日、当時のメルマガを読み返してみたがやはり面白く、コロナ騒動の始まった2,020年の初めから、「マスクは意味ないし、インフルの方がより怖い、三密を避ける意味がない、関係者の事なかれ主義が騒ぎを大きくしているだけだ」と言っていたが4年経った今では氏の言ったとおりになっている。世界中を回り貴重な知見や意見を教えてくれた氏は、今どうしているのか知りたいと思う。

料理の話

令和7年2月20日
学生時代は簡単な自炊をしていたけれど今は全く料理をしなくなっている。でも、やはり料理をすることも必要だと思って土井善晴「土井家の一生もん2品献立」を買って作り始めた。初めは「豚肉の生姜焼きと落とし卵の味噌汁」で、材料の買い出しから始めて何とか作ることができた。次はビーフステーキ、いんげんとキャベツの蒸しサラダを添えて、マグロのカルパッチョ、ピザ、スパークリングワイン、次は親子丼とわかめの味噌汁、初めてにしてはまあまあだったが、料理を作るのは結構面白いことに気付いた。しばらくはいろいろ作ってみようと思っている。以前、近藤文夫の天ぷらの本を買って天ぷらに挑戦したことがあったが、面倒なうえに揚げてすぐ食べないと美味しくないのに自分が食べられないのがイヤでやめてしまったことがある。それらも含めて改めて始めてみようと思っているが果たしてどうなるか。結構ハマったりして。

「人生を変えたコント」

令和7年2月13日
表題は霜降り明星せいやの著作である。本屋で見かけた時には手に取ることもなかったのだが、週刊新潮の書評欄で内容を紹介していたので読んでみる気になった。
霜降り明星は2,017年ABCグランプリで優勝、2,018年R-1グランプリで史上初のコンビ揃って決勝出場を果たす。2,018年末のM-1グランプリでは番組史上最年少で優勝を果たし、テレビ・ラジオなど活動の場を広げている。相方の粗品が突っ込み、せいやがボケの漫才グループである。
中学時代は生徒会長で屈託のないお笑い少年だったせいやが、高校入学してすぐにいじめにあい、ストレスで頭も眉毛もハゲになりながらも学校に通った。突破口は全クラスで行う「文芸祭」だった。1学年8組全校で24組が親や関係者も出席する舞台で出し物をする。すべて生徒が考えて行うこの会で、せいやは日ごろから考えているギャグをふんだんに取り入れて作り、クラスでプレゼンを行い、いじめグループからの反発を乗り越えて自分の劇を行うことになった。その後も様々な陰湿ないじめがあったが、クラスの大半はせいやを支持してくれて熱心に練習して本番が始まった。せいやのクラスの出し物はうけにうけ、ドッカンドッカンの笑いが続き大歓声のうちに終わった。毎年3組が表彰されるのだが、なんと1年のせいやの組が最優秀賞に輝いたのだった。いじめグループも分裂してすっかり影をひそめてしまい、せいやはその後楽しい高校生活を送ることができた。その経験をいつか皆に伝えたいと思い、今回の出版になったのである。それにしても半端ないいじめをよく跳ね返したものだと思う。

雪の朝

令和7年2月6日
日本列島に寒波が押し寄せて各地で降雪の被害が出ているという。幸いなことに瀬戸内海沿岸は降雪もほとんどなくありがたいと思っていた。それでも今朝は雪が降った跡があり、大事をとってバスで出勤した。
私は岡山県小田郡北川村(現笠岡市)出身なので雪が降るのは珍しく、子供の頃はうっすらと雪が積もっただけで大喜び、竹で作ったスキーを履いて遊んだものだった。葉っぱに積もった雪をコップに入れて砂糖をかけて食べたり、サッカリン(古い!)の空き瓶に砂糖水を入れてアイスキャンディーを作ろうとしたり、つららをかじったり、冬の遊びは楽しかった。家の周りはほとんど田畑なので朝は霜柱ができている。それを踏むとジャッジャッという音がして気持ちがいい。池に張った氷をとったり、割れなければスケートのように滑ったり冬の遊びも面白い。道は舗装されていないので雨の日は靴が泥だらけになるし、学校に行っても暖房がないので寒いばっかりだったが、それなりに楽しい日々だった。
バスに乗っているときにふと当時のことを思い出して懐かしくなった。こんなことを思うようになるのは先が短いということなのかな。

ウオーキング

令和7年1月28日
令和4年2月、コロナ感染で入院した後から脚力が落ちたように感じるので、できるだけ歩くようにしている。仕事があるのでなかなか歩数が稼げないが、毎日スマホの歩数計を見て少しでも増やそうと思っている。休日は比治山を歩いたり、買い物も市内中心まで歩いたりしている。部屋に踏み台を置き、昇り降り運動もする。いろいろやっていると少しずつ脚力が回復してくるのを感じることがあり、素直にうれしい。退院してパスタの店の掘りごたつ風のテーブルで、立ち上がるのが難しかったことがあった。市内電車に乗るときに足に力が入らず転んだこともある。今は大丈夫だが回復には時間がかかるものだと思った。
休日は1万歩以上、普段は6千歩以上歩きたいと思っているが天気によっては無理なこともある。父親は92歳になる直前に亡くなったが、90歳の頃から杖を突いてそろそろとしか歩けなくなっていた。足から衰えるというが、ウオーキングは脚力維持のためにも大切なことである。

週刊新潮

令和7年1月21日
毎週買って読むのは週刊新潮である。連載しているエッセイ・コラムも面白いものが多く、一通り読んで「うまいな!」と思うことがよくある。たとえば五木寛之氏の「生き抜くヒント」であるが毎週よく話があるなと思うが、レベルが保たれていて御年を考えればすごいことだ。今回は「川柳的正月風景」と題して面白い話を展開している。最後に金沢で目にした一句を披露している。「気に入らぬ風もあろうに柳かな」確かに名作だ。
里見清一氏の「井の中の蛙」もいい。緻密な頭脳とやさしさが感じられる医学を中心としたエッセイで、考えさせられることが多い。佐藤優氏の連載もいいし、燃え殻氏のエッセイも思わず読んでしまい「うまいな」と思う。渡辺明棋士と吉原由香里棋士の「気になる一手」もいつも棋譜を目で追って考え、回答を見る。坂上忍氏の「スジ論」は氏の硬質な意志と動物への愛情が感じられて必ず読む。桜井よしこ氏の「日本ルネッサンス」高山正之氏の「変見自在」も実に面白い。週刊新潮が好きだ。毎週読むのが楽しみである。

「透析を止めた日」

令和7年1月14日
表題は広島生まれのノンフィクション作家、広島大学特別招聘教授、堀川恵子氏の近著である。氏は当時、広島のテレビ局でディレクターとして活躍しており、その頃から夫となったNHK渋谷放送局のプロデューサー、林新氏を知っていた。番組で賞をもらうたびに林氏は1等、自分は2等のことが多く、悔しい思いをしていたが、堀川氏がフリーのディレクターとして上京し最初に書いた番組企画書「ヒロシマ・戦禍の恋文~女優森下顕子の被爆」をNHKに提案し制作することになったプロデューサーが林新氏だった。仕事を通じて林氏の能力に惹かれ、尊敬し一緒に生活することになったが、林氏は多嚢胞腎のため腎不全になりすでに血液透析をしていた。
透析は週3回、4時間ずつかかり、その間は腕を動かせないし苦痛が強く、何より施設までの往復の時間も必要だ。でも透析をしなければ生きて行けない。毎日の生活も水分制限や食物の制限もありつらい耐える日々が続く。堀川氏は夫を全身全霊で支えながら生活、作家としての執筆を行う。夫は次第に弱っていき透析を受ける力もなくなっていく。足にできた壊疽の耐えがたい痛みに苦しみながら「透析患者には緩和医療が受けられない」との言葉に絶望的になる。最期を看取ってしばらく茫然自失の日が続くが、編集者の勧めもあり我が国の腎不全の患者、透析の実態など調べていくうちに、日本には腎不全に対してよい医療を提供している施設・医師がいることがわかってきて希望を持つようになった。その一つが腹膜透析である。介護施設・医療スタッフと力を合わせ患者は自宅で安らかに逝くことができるようになった地域・施設を取材し、紹介している。素晴らしい著作に巡り合ったと思う。

新年おめでとうございます

令和7年1月6日
今年もよろしくお願いします。
1月4日から診療を開始したが、休み明けのせいか忙しい半日だった。今年も今までと同じ姿勢で診療をするつもりである。今年は院内の内装の手入れと電子カルテの導入を考えている。タイピングが指一本でしかできないので、果たして電子カルテが使えるか心配だけれど、厚労省が2,030年からは紙カルテ廃止を言っているので仕方ないことだろう。従来の保険証も使えなくなりマイナンバーカードに紐づけされた保険証になるのだから、マイナカードを導入していない医療機関は診療できなくなるのである。
今は当院は現金だけを扱っているが将来はカードやペイペイを使えるようにしないとだめなんだろうと思っている。今まで何の問題もなくおこなってきたことが変わってしまうのも時代の流れなのだろう。今はほぼ全員がスマホを持つ時代だが、こんな時代が来るなんて子供の頃は考えたこともなかった。電話、メール、カメラ、動画、ゲームなどほとんど何でもできるコンピュータを子供まで持つようになるとは!これから先どうなっていくのか予測がつかないというのが正直な気持ちである。

令和6年をふり返って

令和6年12月26日
令和6年はあっという間に過ぎた。文字通り矢のように過ぎた一年だった。年を重ねるごとに時の過ぎるのが早いとはいえ、ついこの前新年を寿(ことほ)いでいたのに、もう大晦日かと思う。
今年も今まで通りの診療ができてよかったが、周辺では閉院する施設がふえてきて、「もうやめる」という声も聴くようになった。開院して28年目に入ったが、自分ではまだまだやりたいと思っている。一貫しているのは予約診療をせず、今困っている人を診ることを第一にしていることと、検査の結果は電話で済ませることで、患者さんがわざわざ結果を聴きに来なくていいようにしていることである。薬も必要最小限にして、余計な検査はしないことも今まで通りである。この姿勢でこれからもやっていくつもりなので、来年もよろしくお願いします。

時の流れ

令和6年12月20日
今年もあとわずかになった。明日が冬至だという。ブログの「うまいもん」の所を読み返してみると、当時通っていたけれどなくなった店が多いのに気づく。それだけ年月が経ったということだろうが、時の流れを感じてしまう。
広島の軽井沢といわれた「ファーム・ノラ」も今は営業していないようだ。店主夫妻はお元気なのだろうか。休日に訪れると、バイクの集団や犬を連れた客が大勢いて、森の中の素朴なレストランを満喫できたのに。そういえば結婚式なども行われていたようで、娘の知り合いもそこで式を挙げたという。
豊平の奥にあった高橋邦弘名人のそばの店「達磨」も今はないが、その技を引き継いだ「宮島達磨」ができたのはありがたい。串焼きの店「小太郎」も閉店して5年になる。他にも「ちまき鮨」「桜梅桃杏(おうばいとうり)」「とりきん佐藤」「千代春」「若竹邑」「独楽」「中屋」「おくど」「鯛の鯛」「なかもと」「かねまさ別館」「マンハッタン」「ステーキハウス三木」「KAZUの店」「千成」など多くは高齢のため閉店したところだが他の理由もあるのだろう。
お世話になったこれらの店を思い返すと、月日の流れを感じてしまう。