広島市長公室

令和6年11月29日
先日、市役所の市長公室で広島市公衆衛生事業功労者の表彰式が行われ、どういうわけか私も選ばれて出席した。広島市の医師7名、歯科医師3名、薬剤師2名の12人(欠席2名)が集まった。市長公室は秘書室に続く広い部屋で調度もしっかりしていて、思わずスマホに写したがさすがだと思った。松井市長の挨拶に続いて一人一人に表彰状と記念品が授与され、市議会の母谷議長より祝辞があり閉会、記念撮影が行われて表彰式は終了した。
医師会の仕事で市役所に通ったことはあったが、市長公室のある階に行ったのは初めてだし公室も初めてで、さすがに政令指定市は立派なものだと思った。松井市長には毎年、平和祈念式典であいさつをされる姿をテレビで伺っているが直にお会いするのは初めてで、人をそらさぬ優れた人物だと感じた。いずれにしてもこのような機会は二度とないだろうから、貴重な体験をさせてもらったと思ったことだった。

久しぶりのWEB講演会

令和6年11月22日
愛知医大産婦人科の篠原康一特任教授による講演があった。広島市臨床産婦人科医会の講演会は今回で306回になる。年に5回として60年近く続く講演会である。コロナ禍までは20年くらい世話係をさせていただいていたが、コロナ感染を機会に役職を引かせてもらったので気楽に講演だけを聴けるようになった。
今回は、「子宮筋腫・内膜症患者の術前・術後におけるレルゴリスクの立ち位置」と題して、手術前後の薬の使い分けについて、篠原氏が治療した症例を基にしての講演だった。興味深い話が次々に出て、退屈することなく聞けて良かった。篠原氏は高知出身で高知医大に40歳までいて、愛知に行き今活躍しているそうだが、高知と言えば初めて一人医長で県立安芸病院に赴任したころを思い出す。研修病院ではたくさんの手術は行っていたが、必ず上級医師がいたが単独で帝王切開をしたことはなかった。
高知県の安芸市にある県立病院は産婦人科の定員は3人なのに一人で行かされた。前医と引継ぎが済み、前医が岡山へ帰った翌日の日曜日、病棟へ行ったら妊婦さんの胎児心音が下がっている。帝王切開するしかないが、知り合いの医師はいない。たまたま居合わせた他科の若い医師に前立ち頼み、自分で脊椎麻酔をして無事に帝王切開を終えることができたが、非常に緊張していたことを思い出す。お産の多い病院で、年間480のお産があったが産婦人科医師は自分ひとり、おまけに小児科はなく、週1回だけ高知県立中央病院から小児科医師が健診に来るだけという状況だった。1年半勤務したが前置胎盤を含め無事に勤めることができたことは、その後の大きな宝になったと思う。高知というとそのことを思い出す。

現地同門会

令和6年11月15日
昨日、岡山大学医学部産婦人科広島支部現地同門会(長い名称だ)が開かれた。30数年前に中電病院に赴任してきて以来、毎年参加しているが顔ぶれも年齢構成も変わってきた。以前は岡山から医師を派遣していた病院(ジッツという)は、広島市民病院・赤十字原爆病院・中電病院・逓信病院だったが、今では広島市民病院だけになっている。それに伴って部長クラスの医師がいなくなって、退職したり高齢で出席しなくなった人たちが増えてきて市民病院の若い医師たちと、我々年寄の2極の年齢構成になってしまった。会員数は28名、出席者は18名、最長年齢医師は97歳でお元気、乾杯の音頭をとられた。
自分は名簿の10番目(卒業年度で決まるので本当は7番目くらいであるが)なので、まだまだ上の人がいる。出席者は皆元気で、そうでなければ出席できないだろうがたいしたものである。これからもこの会は続いていくだろうが、縮小していくのは免れないだろう。そう思わせられるひと時であった。

秋深き

令和6年11月8日
このところ朝夕が冷えてきた。自転車通勤のため冷えないようにしているが、昼間は結構暖かい(暑い)ので服装選びに困っている。今年は富士山頂の積雪が観測史上最も遅いそうだが、地球温暖化の影響だろうか。いつまでも暑いと思っていたが急に寒くなって、秋を味わう暇がない。
秋深き 隣は何を する人ぞ 芭蕉の句が思わず浮かんでくるような秋の日になったが、一瞬のことだろう。すぐに冬の季節になってしまうに違いない。豊穣の秋を寿ぐ暇もないだろう。でもこの短い秋を味わい尽くしたいものである。先日、高梁市の吹矢ふるさと村に行き、広兼邸を見学した。1800年頃に小泉銅山と硫酸鉄の製造を営み、大きな富を築いた庄屋、広兼氏の邸宅は、城郭のような石垣と大きな屋敷が残っていて、当時の富裕ぶりを今に伝えている。こういうのを見るのが大好きなので、訪れたかいがあったと思った次第である。神辺のうなぎの店「竹馬」もよかった。また行ってみたいものだ。

「信じてはいけない健康診断」

令和6年11月1日
表題は雑誌「PRESIDENT」の特集記事である。冒頭に養老孟司氏と池田清彦氏の対談があり、今の医療の問題点を語り合っているが、おおむね納得できる内容である。今の健診システムを無くすと困る医療従事者が増えるし、病気になった時救えなくなることになる。でも医療費はこの30年で2倍の43兆円になっている。だから老人は健康に気を付けて病気にならないようにしなさい、ということである。
東大医学部卒の医師大脇幸志郎氏によれば、「健康診断にメリットがないエビデンス」として、2019年に過去の研究データをすべてまとめた論文が発表され、その中で、健康診断を行った人と行わなかった人で、病気による死亡率に差がつくかどうかの検証がなされ、結論は「全体的な健康チェックが有益である可能性は低い」だった。さらに「人間ドックは健康診断よりハイリスク」「メタボ健診を受けても寿命は延びない」「大腸がん検診を受けても99%以上の人には意味なし」「肺がん検診は非喫煙者なら受ける必要なし」「乳がん検診は日本人には効果が小さい」「ピロリ菌感染率の低下で胃がん健診もいまや必要なし」「子宮がんは死亡者数が少なく検査の効果が薄い」「CT検査やMRI検査は優秀とは限らない」「血圧を下げる薬を飲んでも99%の人には効果なし」など現在の医療に否定的な言葉が並んでいる。でも、今のシステムを変えることはできないのだから、一人一人が考えて納得できる医療を選ぶしかないだろう。難しいことではあるが。

多感な頃

令和6年10月25日
先日、休診の午後クリニックにいたら電話がかかってきた。年配の男性の声なので「どなたですか?」と問うと、なんと学生時代の先輩からだった。当時、男声合唱団コールロータスに所属していて、実力もないのに指揮をやらされていた。S先輩はセカンドテナーで素晴らしい声のソリストであった。先輩たちには伝説のソリストや指揮者、部長がいて、体育会系のような合唱団だった。全国コンクールで銅賞をとったこともあったらしい。
その当時、週3~4回夕方広い部室に集まり2時間くらい練習をしていた。練習の後、S先輩の下宿(4畳半)に集まり麻雀するのが楽しみだった。夜12時になると一服するために湯を沸かしてカップヌードル(当時新発売だった)を食べてコーヒーを飲む。部屋はタバコの煙が充満しているが、当時はそれが普通だった。その後は朝まで麻雀をすることもあったが、実に学生らしい日々であった。一瞬で当時の頃のことがよみがえってきて、懐かしさが溢れてきた。でも、もし当時の頃に帰るか?と聞かれたら「滅相もありません」と答えるだろう。若さはあっても恥ずかしいことばかりで二度と帰りたいとは思わないからだ。それにしてもS先輩との50年ぶりの会話は、多感な頃を思い出してありがたいことだった。

食中毒後遺症(?)

令和6年10月17日
食中毒が回復し、やれやれと思っていたら今度は便秘である。もっとも下痢のために大腸ファイバー検査の前に処置をした後のように、腸は空っぽになっていたと思われるのだけれど、気になる。今回しみじみ思ったことは、ヒトは生理的なことから離れることはできないということである。空腹なら食べないといけないし、トイレも必要、睡眠もなくてはならない。快眠・快食・快便は生きる基本であるが、それがうまくいかないと大いに困る。普段は何の心配もなかったが、今は不快である。まあ、自然に任せて経過を見ていくしかないと思う。
今年の夏は暑すぎて長引いたために紅葉が遅れているという。例年なら日光は絶好の紅葉シーズンなのにまだなので、外国から紅葉を見に来た観光客ががっかりしているというニュースを見た。確かに近年の異常気象は、この国の行方を暗示しているようで心配である。こんな時に南海トラフ地震が起きたら我が国は壊滅するだろう。そうならないことを祈るしかない。

食中毒

令和6年10月11日
生まれて初めて食中毒になった。
先週の金曜日、昼食に市内某店で「冷やし中華」を食べたところ、夕方からお腹の調子が悪くなり下痢が続いた。夜は微熱があり、はじめはウイルス性の腸炎かと思ったが、熱は収まり下痢のみ続く。土曜日は何とか外来をこなして午後から安静、食事は粥やうどんを少し、日曜日は一日安静にしていたら徐々に回復してきた。水曜日にほぼ回復、元通りになった。
発症とその後の経過からサルモネラではないかと推測するが、調べてないのでわからない。食中毒は初めての経験で、この年になってもこんなことがあるのかと驚いたわけである。よかったことは体重が2~3キロ減ったことである。最近体重が一層増えてきて、何とかせんといかんと思っていたが、ちょうどよかった。せっかく減った体重をそのまま維持しなければ、と思っている今日この頃である(桂枝雀のパクリ)。

休日当番医

令和6年10月4日
日曜日は広島市の休日当番なので、一日クリニックを開けていた。毎度のことながら産婦人科に来る患者さんは少ない。これは開業した27年前から同じで、産婦人科だけが目立って少ないのである。広島市全体で1日平均10人くらい。これでは休日がつぶれるだけでなく、何とも言えない疲労感があり「産婦人科だけは休日当番は無くてもいいのでは」と思ってしまう。必要があるのなら忙しくても、せっかくの休日をつぶしても頑張ろうと思うのだが、9月21日(日)の患者さんは6人!うち1人は当院の患者さんだった。
あまりの少なさに広島市医師会への報告に「産婦人科の当番医の患者さんの数が少なすぎるので、当番医を無くしてもいいのでは」と書いたら、医師会の事務局から電話があった。「最も急を要するのは妊婦さんだが、それはかかりつけの分娩施設が24時間対処している。必要とされているなら協力するのはやぶさかではないが、貴重な休日をつぶしてまで当番医をする必要があるのか」と言うと「当番医制度は広島市から委託されているので、その旨報告しておきます」とのことだった。
おそらくこのまま当番医制度は続くだろうし、産婦人科医は休日当番のヒマさを我慢していくことだろう。まったくかなわないと思う。

やっと秋が来た

令和6年9月27日
今年は9月になっても猛暑日が続き、昼間は35℃を超える日が多かった。秋の気配が感じられたのは秋分の日が初めてだった。山口県のときわ公園までドライブし、弁当を仕入れて園内の屋根のあるベンチで食べたが、風もあり結構快適だった。それまでは日中暑すぎて、外で食べようとは決して思わなかったから、やはり秋が来たのだろう。それにしても遅い秋である。今週も昼間は30℃以上になっているが、さすがに朝夕は涼しくなってきた。夜もクーラーなしで過ごせる。今年は春も短かったが秋も短いのではないだろうか。「豊穣の秋」「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるが、これらが死語にならないか心配である。
地球温暖化がいわれているが、自然の前には人間なんて弱いものだ。恐竜の栄えた時代や氷河期など地球の環境はどう変わるかわからない。地震、台風、洪水などには何もできないのが人間である。だからいっそう短い秋を慈しみたいものである。