令和6年9月19日
表題は経済アナリストの森永卓郎氏の近刊(9月16日発行)である。今、我が国は新NISAなど、税府が推奨して老後のための資金を増やすような政策をしているが、森永氏は「投資の本質はギャンブルだ。必ずバブルは崩壊する。せっかく貯めた預貯金が紙くずになってはいけないから、投資に回さず、投資に回している人は早くひきあげなさい」と語っていて、17世紀から現在までの世界中のバブルがどうなったかを例に出して説明している。現在の日本を含めた世界中の株式投資はバブルになっているので手を出さないように、と説いている。
氏はすい臓がんの末期と診断され、身辺整理を済ませ本音の著作を発表してベストセラーとなり、この本が4冊目である。以前にも紹介したが「ザイム真理教」「書いてはいけない」「がん闘病日記」はいずれも面白く、こんな人にはもっと生きて我々を啓蒙してもらいたいものだと思った。
私事であるがずっと昔、勤務医だったころ一度だけ株に手を出して損をしたことがあり、自分は株式には向かないので2度と手を出すまいと決めていた。1度だけ東電の株が大下がりした時、信頼していた日垣隆氏のメルマガで「東電を買うのは今しかない」の言葉にグラッと来たが止めといた。もしあの時買っておけば…と思わないでもないが。今では何もしないでよかったと思っている。
カテゴリー 本
「投資依存症」
「隠された遺体ー日航123便墜落事件」
令和6年8月23日
表題はノンフィクション作家・青山透子氏の最新作である。氏は元日航の客室乗務員で、東京大学・大学院博士課程を修了、博士号取得、日航客室乗務員を経て関連業務の指導などを行い、各種企業・官公庁・大学等の人材プログラムに携わる。日航123便で殉職した客室乗務員のグループに所属していた経験から、大学院等研究機関で日航123便墜落の関連資料、日本及び米国公文書を精査して調査を重ねている。
以前紹介した森永卓郎氏の「書いてはいけない」の第3章、日航123便はなぜ墜落したかに、自衛隊による訓練の際の誤射による事故で、米軍はそれを知っていたが、政府の隠蔽工作に沈黙を守り、その後さまざまなお返しをするはめになったと書いていたが、青山氏の著書は客観的な記録・記載のみを記し、内容は息をのむような事実が綴られていて、森永氏の書いたことを証明しているようである。
遺族の「本当のことを知りたい」という真摯な問いに、我が国は最高裁までもが突き返すのは、この事故が国家的タブーになっているからだろう。フランスでも同様なことが起きたが、軍関係者のテレビでの発言で世論が騒ぎ、大統領がすべて明らかにするよう命令したことでフランスの正義は保たれたという。
真実はいずれ明らかになるだろうが、それがいつのことかは誰にもわからない。
「東京いい店はやる店」
令和6年8月8日
表題は日本ガストロミー協会、柏原光太郎会長の著書である。氏は東京生まれ、慶応大学卒業後文芸春秋社に入社、「東京いい店うまい店」編集長を務め、食のプロとして活躍している。偶然本屋で見つけて読んでみたら、今の食の最先端を紹介していて思わず読み込んでしまった。
鮨の名店を紹介した亡き里見真三氏の「すきやばし次郎・旬を握る」を初めて見たのは20数年前であるが、この本が鮨への興味と知識を与えてくれた。また「いい街鮨紀行」も地方の名店を紹介していて、そのうち数軒は訪れたものである。その里見氏の後輩が著者の柏原氏で、この30年間の東京~世界の食の変遷をわかりやすく教えてくれている。世界にはとんでもない食通がいて、自家用ジェット機で世界の名店を訪れたりしているという。世界中を回って食べ歩く人たちをフーディーというそうだが、誰だって程度の差はあっても美味しい店をいつも探しているのである。「すきやばし次郎」は柏原氏が30年前に初めて里見氏に連れて行ってもらったときは「柏原君、ここは当日席が空いていたら1万円で飲まして食べさせてくれるんだ。二郎さんお願いしますよ」と言っていたが、今ではビール一杯くらいでおまかせ握りを30分くらいで食べ終え、数万円払うようになっている。
東京の食文化は世界最高峰で、予約困難な名店が日本中で500軒あるとして、東京には200軒くらいあるという。いずれにしてもネットによって食の情報の世界は大いに変わってきたのである。
「藤井聡太の鬼手」
令和6年7月19日
表題は今を時めく藤井聡太棋士の令和元年から5年までの棋譜から、プロの棋士も驚くような指し手を特集した本である。令和元年から2年までと、3年から5年までとの2冊に分かれ、日本棋士連盟・書籍編集部編である。
彗星のごとく現れてあっという間に八段に上り詰め、タイトル全冠制覇を果たした若き天才棋士・藤井聡太氏の「鬼手」を解説付きで紹介している。終盤の詰めを読むスピードと正確さはぴか一で、途中の指し手の発想もすごいものがある。最近はコンピュータによる形勢判断がある意味でプロの棋士よりも的確になっていて、プロの棋士も参考にしているというが、その読みをさらに上回った発想を示した1局もある。
一時、プロ棋士がコンピュータの将棋ソフトと対戦して負け越したことが話題になったが、藤井聡太棋士のような天才が現れると「まだまだ人間はすばらしいな」と思わずにはいられない。願わくばこのままずっと第一人者で進んでいってもらいたいものである。
「がん闘病日記」森永卓郎著
令和6年7月5日
表題は経済アナリスト森永卓郎氏の新刊で、近刊の「ザイム真理教」「書いてはいけない」に続く3部作である。現在氏は原発不明のがんを患っていて、抗がん剤の副作用で死にかけ、要介護3の状態になっているが「死んではいいと思ってはいないものの、延命にはこだわっていない」という。それは、いつ死んでも悔いのないように生きてきたし、今もそうして生きているからだ。それを伝えることをメインテーマにしている。
東大の経済学部を出てJTに入社、財務省の奴隷だった経験をもとに書いたのが「ザイム真理教」でベストセラーになった。職場はいくつか変わったが、いずれも面白くて頑張ってやりたいことをやっているうちにコメンテイターとしてテレビに出るようになり、いつのまにかテレビ・ラジオで番組を持つようになった。経済関係の本も多数出版し、獨協大学経済学部教授、農業の経験、60年近く集めてきたおもちゃなどのコレクションを展示する「B宝館」という私設博物館をオープンするなど、やりたいことをやってきた。童話作家にもなりたくて書いた童話もこの本に載せている。
肩ひじ張らず思うままに生きてきた氏の来し方が語られていて、興味深く読ませてもらった。
「検証・コロナワクチン」
令和6年6月28日
表題は名古屋大学名誉教授、名古屋小児がん基金理事長の小島勢二氏の著作である。副題は「実際の効果、副反応、そして超過死亡」で、先端医療の最前線を行くがん専門委である著者が、リアルタイムで追い続けたコロナワクチンの詳細を時系列で語っている。
コロナワクチンの接種を目前に控えた2,021年2月に医療系雑誌に「私がコロナワクチンの接種に慎重な理由」という論文を載せたのを皮切りに、「コロナワクチンにおける情報公開」「コロナ禍が我が国にもたらした財政負担」「コロナワクチンの効果」「子どもへのワクチン接種」「コロナワクチン接種後の死亡事例の報告と救済制度」「コロナワクチン接種による中・長期副反応」「超過死亡」などの論文を2,023年まで相次いで発表している。
すべて公的に発表された資料をもとに、国内・国外のデータ、論文を読み、さまざまな提言をしてきた経過が記されている。
一冊にまとまった著作を丸善で見つけ、早速購入し読んでみた。小島氏は常に真摯に偏ることなくコロナワクチンの功罪を綴り、是は是、非は非と実際のデータをもとに詳細に分析して提言している。実に説得力のある論文で、実にまっとうな内容である。
今になって我が国のコロナに対する対処がいかに間違っていて、当時から的を射た提言をしていたまじめな学者を無視してコロナワクチン(遺伝子治療薬)を打ちまくっていたかがはっきりしてきている。
当時、ワクチンを薦めまくって莫大な金額の損失を出し、多くの超過死亡をを出したというワクチン行政の総括を、政治家も専門家(と称する人々)もマスコミもせず、知らん顔を決め込んでいる。恥を知れ!と言いたい。
「美しい日本の言霊」
令和6年6月14日
表題は数学者藤原正彦氏の著作である。氏は日本人にとって日本語は最も大切なもので、情緒を育てるのも優しさやあわれを感じるのも、美しい日本語あってのものだと以前から述べている。そのなかで、氏の好きな日本の歌を紹介しながら自らの生い立ち、体験を織り交ぜて解説している。私にとって氏は自分より9歳年上なので、共通する好きな歌は一部しかないけれど、どれも気持ちが伝わってきて共感させられる。
「ぞうさん」「たきび」など自身の幼少の頃の思い出と共にその歌を味わっている。「花の街」江間章子作詞・團伊玖磨作曲の歌は私が高1の時、音楽の時間に習った曲で、非常に好きな歌であるが藤原氏もお好きなようである。さらに「琵琶湖周航の歌」「別れの一本杉」「22才の別れ」「なごり雪」「ふれあい」「踊子」「月の砂漠」「秋桜」「学生街の喫茶店」なども共通の好きな歌である。これらは歌詞を見るだけで当時を思い出して懐かしくなる歌たちである。
「俺は100歳まで生きると決めた」
令和6年5月31日
表題は歌手で俳優の加山雄三氏の著作である。現代の健康ブームにまさにぴったりの作品で、思わず手に取ってみた。氏はもうすぐ87歳になるというが心身ともに健康で意欲も充分あり、やりたいこと(作曲・ラジオ出演・油絵・飛鳥の名誉船長など)もたくさんあるそうだ。自前の歯も27本あり毎朝スクワットをしているという。タバコは52歳で止め、酒は63歳で止めた。奥さんの松本めぐみと「エレキの若大将」で共演し結婚、ずっとおしどり夫婦を続けている。80歳になった時に脳梗塞で入院、幸い後遺症なく退院したがその後小脳出血も経験、それでも生活に不自由はない。また、80歳の時に持ち船の「光進丸」が原因不明の炎上し、沈没させたが「船の維持に相当な費用がかかるのでかえって良かった」と気持ちを切り替えている。
加山氏のすごさは身体が丈夫なこともあるが気持ちが常に前向きでへこたれないことだと思う。33歳の時におじが経営していたパシフィックホテル茅ケ崎が倒産、おじは姿をくらましたので、書類上の共同経営者の加山氏が23億円の負債を抱えてしまった。それでも気を取り直して返していこうと決め、コツコツ頑張っていたらホテルが17億円で売れてずいぶん楽になったという。気の持ちようが一番大切なことを教えてくれる著作である。
「穏やかな死に医療はいらない」
令和6年4月19日
表題はがん専門の「緩和ケア萬田診療所」を営む萬田緑平医師の著作である。萬田氏は群馬大学医学部を卒業し17年間外科医として働き数百枚の死亡診断書を書き、その後在宅緩和ケア医になって14年間で1500枚の死亡診断書を書いたという。2,000人以上の死を見てしみじみ思うのは、生き方が死に方に出るということであると。
外科医として第一線で働いているときは、病気を治す・延命を図ることにひたすら頑張ってきたが、治せない・治らないがんを見続けているうちに、治療できなくなった患者さんの悲惨な姿を見るうちに、緩和ケア医になることにしたという。患者さんの治療(抗がん剤など)がいかに過酷で寿命を縮め、穏やかな死を迎えさせなくするかを見て今の診療所を立ち上げたのである。
萬田医師のもとで終末期を迎えた人たちの穏やかな死は、病院でチューブのつながれて苦しんで亡くなることと比べてどんなに人間らしいか。それを実際に行っている氏の著書を読むと、こういう医師が近くにいたらどんなに心強いことだろうと思う。今、日本中で同じような志を持って在宅治療をしている施設も増えているように感じる。そうなってほしいと熱望する。
宇能鴻一郎再び
令和6年4月12日
新潮文庫より復活新刊となった宇能鴻一郎の短編集「姫君を喰う話」と「アルマジロの手」は本屋で偶然見かけて読んでみたが実に面白かった。
氏は昭和9年生まれで、東大大学院在学中に発表した「鯨神(くじらがみ)」で芥川賞を受賞し作家活動に専念する。ユニークな作品を発表していったがいつのころからか「あたし濡れるんです」というエロかわいい官能小説で一世を風靡し、高額所得者の作家部門で7位になり「ポルノ宇能さん」と呼ばれるようになった。その後は氏の作品を見ることはなくなり世間から忘れられた存在だったが、この度初期の作品集が刊行されそのすばらしさに触れて他の作品も読みたくなった。
氏は満州での敗戦体験が原型にあり、食と官能を生命力の象徴として信用し、戦後の文化人が大切にした「正義」や「常識」などは一夜にして変わるものだとして信用していなかった。そして人間の奥底にある欲望、願望、妄想を抉り出す作品を生み出していった。実に味のある作品ばかりで、今後も氏の作品は残っていってほしいと思う。