カテゴリー 本

「免疫学夜話」

令和6年3月1日
表題は大阪公立大学の橋本求教授の著書で、自己免疫疾患がなぜ起きるようになったかを考察したものである。語り口がなめらかでわかりやすく、そうだったんだと納得することが満載で、近年稀な名著である。
帯に養老孟司氏の「人類はウイルス、細菌、寄生虫との戦いと共生の歴史。読むとやめられなくなる」とあるが、まさにその通りでこれほど的確な推薦文はない。
紀元10万年前に南アフリカで類人猿からヒトに移った「マラリア」は人類史上最も古い感染症で、現代でも年間2億人が罹患し、60万人が亡くなっている現在進行形の病である。マラリアはマラリア原虫という寄生虫を持つハマダラ蚊に刺されることによって起きる。マラリア原虫はかつて光合成をしていた藻類から葉緑素が失われて寄生虫になったことがわかってきたが、ヒトの赤血球はマラリア原虫が生きるのに最適な環境のためにそこで増殖し、赤血球を破壊して次の赤血球に移ることを繰り返して行く。
マラリアから逃れるために遺伝子変化して鎌状赤血球になったヒトは、マラリアにかかりにくい。また、マラリアに強い遺伝子変化をしたヒトはSLEに罹患しやすくなっているという事実があり、SLEはマラリヤと同じ症状の自己免疫疾患である。自己免疫疾患は感染症から逃れるために遺伝子変化してきた人類の宿痾のようなものではないだろうか。アレルギーもそのような一面があり、ヒトと感染症のかかわりはどこまでも続くのである。
シマウマの縞はなぜあるのか、など面白い話題満載のこの著書は座右の1冊にしたいと思う。

「沢田研二」

令和6年2月22日
表題は音楽などの著書が多数ある作家・中川右介氏の著作である。522ページもある朝日新書からの労作で、本屋で偶然目に留まり購入した。沢田研二がグループサウンズ「タイガース」のリード・ヴォーカルとして活躍を始めたのは私の中学時代で、他にも様々なグループが活動していてまさにグループサウンズ全盛期だったが、あっという間にフォークグループに取って代わられ、さらにニューミュージックが主力になるなど音楽界の変遷があった。その中で沢田研二を中心にして当時の音楽事情を詳細に調べ、記述しているが、当時の歌手や作詞家・作曲家の名前が懐かしいものばかりで、あっという間にあの頃に戻ってしまった。
思春期から青年期にかけての多感な頃に聞いた曲たちは今でも鮮明に心に残っている。当時はレコード大賞があり紅白歌合戦は今では信じられない高視聴率の番組で、大みそかは家族全員が炬燵で見るのが普通だった。大学時代にアルバイトをしていた店に沢田研二が関係者に連れられてきたことがあったが、知らずに部屋に飲み物を運んだらそこにあのジュリーがいたのでびっくりしたものである。
この著書は資料としても一級品で、当時のことを知りたければこの本を紐解けばいい。久しぶりに懐かしい頃をふり返ることができた。

「不妊治療を考えたら読む本」

令和6年2月2日
表題は不妊治療専門の浅田レディースクリニックの浅田義正理事長と出産ジャーナリスト河合蘭女史の共著で、不妊治療についてわかりやすく解説すると同時に、最先端の技術について丁寧に説明していて、一般の人はもとより不妊を専門にしていない医師にとっても、世界の「今」の流れのわかる優れた著作である。
不妊症の治療として体外受精、顕微授精が行われるようになって、この分野はどんどん新しい技術が開発されてきた。さらに体外受精して胚になった状態を凍結保存する方法としてガラス化法が生まれ、凍結保存した胚の妊娠率が新鮮胚移植による率を上回ってきている。
我が国のARTによって生まれてきた子供の数は6万人を超え、13~14人に一人になっている。一方、興味深いことに体外受精の件数はアメリカより多いのに、採卵1回あたりの出産率は最低だという。これは世界のARTをモニタリングしている組織ICMARTによる60ヵ国の調査で報告され、日本の技術は決して低くないのに成功率が際立って低い事実がわかった。原因はARTを行う女性の年齢が他の国に比べて高いことだという。
これからもARTの技術は進んでいくだろうが、年齢についてはどうしようもないと思う。妊娠を希望したらできるだけ早く取り掛かることが大切である。

「自分は死なないと思っているヒトへ」

令和6年1月26日
表題は養老孟司氏が1994年から2,000年にかけておこなった7題の講演をまとめて掲載したものである。氏の物事の本質を捉え、わかりやすい言葉で伝える力は素晴らしく、いつも感心しながら読んでいる。
なぜ解剖学を選んだかから始まって、物事を深く考える習慣ができ、引っかかったことがあれば徹底的に考え続け、それまでの膨大な知識を使って納得する答えを出す。氏の書いたものを読むといつも納得させられることが多く、新しい本が出ればすぐ買って読むことにしている。
氏は考えるだけでなく身体を動かすことも同じように大切で、自然に触れることをいつもおこなっている。東南アジアに虫捕りに行くのも趣味であり氏にとっては大切な時間だろう。小学生たちと虫捕りに行って、子供たちに自然と触れ合う経験をさせることもしている。
世界の宗教の成り立ちとその意味についての考察では、都市化が進んだから宗教が必要になったのだいうが、なるほどと大いに納得した。
氏の名前は孟子から採ったそうだが、まさに多くの人々を啓蒙した孟子のように現代人に大いに影響を与える偉大な思想家だと思う。

「南海トラフ地震の真実」

令和6年1月12日
表題は中日新聞社の記者、小沢慧一氏の著書で昨年本書で菊池寛賞を受賞した。静岡県から九州沖にかけてマグニチュード8~9の巨大地震が30年以内に80~90%の確率で起きるとされている「南海トラフ地震」、実はこの地震の発生する確率の根拠がいい加減なものであることを、綿密な調査と検証で突き止めたのがこの著作である。
昔から政府は防災の観点から地震予知の研究に予算をかけ続けてきたし、世界中の研究者も研究を続けてきたが、残念ながらはっきりしているのは現時点で予知は出来ないことである。「南海トラフ地震」については、確立が高いという方が防災の予算もおりるから行政はそのように考え、それを忖度した地震学者は黙ってしまう。そもそも時間軸モデル自体が仮説であるし、土地の隆起の値があやふやなのにそれを基に計算しているために正しい予測とは言えないという。時間軸モデルを使っても20~80%と幅があり、答申ではそれを出そうとしたけれど行政側に止められた?経緯がある。
実際は寺田寅彦の「天災は忘れたころにやって来る」が正しいのである。

「がんの消滅」

令和5年11月2日
表題は芹澤健介著、小林久隆監修の著作で「天才医師が挑む光免疫療法」のサブタイトルがついた新潮新書の近刊である。「免疫」とか「がん消滅」などの文字を見るとなにやら胡散臭いと思っていたが、だまされたと思って購入、一読してこれは本物だと思った。たとえればペニシリンの発見やラジウムの発見をしのぐ治療法ではないだろうか。
小林医師は京都大学を卒業した後、米国国立衛生研究所(NIH)で研究をするようになり、現在終身の主任研究員である。そもそもはがん細胞に特異的なたんぱくに結合して光に反応する物質を使うことによる「がんのイメージング」の研究をしていたが、ある物質の場合、光(近赤外線)を当てるとがん細胞膜が壊れてしまうことがわかった。それがフタロシアニンを水溶化したIR700で正常細胞には侵襲を与えず壊れた細胞膜の中身を周囲のリンパ球などが攻撃し、がん細胞そのものも攻撃するようになることも確認した。実験を繰り返し論文をいくつも書き評価を受けていたが、臨床応用にはいくつもの関門があった。
それをかなえさせる力になったのが楽天グループの三木谷浩史をはじめとする様々な人たちで、光免疫療法は世界に先駆けて日本で承認された。FDAでは承認待ちであるがいずれ承認されるだろう。がん細胞の細胞膜だけが近赤外線を当てて壊れるという治療法は、まさにコロンブスの卵であり現在は頭頚部のがんのみの適応だが、一刻も早く他のがんにも適応されることを望む。再度言うが素晴らしい発見だと思う。

「泥酔文士」

令和5年10月27日
表題は元文芸春秋社副社長、西川清史氏の著作である。私と同い年の氏は上智大学フランス語学科を卒業後、文芸春秋社に入り作家たちの生態を知り尽くして定年退職し、その頃の日々や先輩たちから聞いたかつての文士たちの行状を書き記している。かつては(今も?)文壇なるものがあり、文士たちは文学に対する思いと矜持があり、それらが酒の席での行状につながり、語り継がれるようなエピソードを残しているのである。
中原中也は質の悪い酒飲みで、酔うとすぐ人に絡む。悪口雑言で辟易した太宰治は逃げ出したという。酔って檀一雄と取っ組み合いの喧嘩をして店のガラス戸を木っ端みじんにした草野心平も酒豪で、居酒屋「火の車」を開いて毎晩飲んでいた。小林秀雄も仲間たちと飲んで他人の家へ上がり込んで酒を出させた。伊藤整、井上靖、山田風太郎も若い頃からとんでもない飲み方をしていた。伊藤静雄と立原正秋はほのぼのとした酒飲みで、若山牧水は一人静かに飲む派だった。「昨今私は毎晩三合ずつの晩酌をとっているが、どうかするとそれで足りぬ時がある。さればとて、独りで五合を過ごすとなると、翌朝まで持ち越す。」と書いている。
いずれにせよ皆酒ばっかり飲んでいたのだと面白く読ませてもらった。

「世にも危険な医療の世界史」

令和5年10月13日
表題はアメリカの内科医リディア・ケインとジャーナリストのネイト・ピーターセンの共著で、昔から世界で行われた医療で今では信じられないような間違ったものをとりあげている。
秦の始皇帝にも使われた「水銀」これはずいぶん長い間使われていて、リンカーンも常用していたという。「ヒ素」も太古の昔から皮膚の潰瘍やいぼなどの治療に使われてきた。毒薬なので毒殺のためにも使われてきたが。「瀉血」は血液を抜く治療法で欧米では日常的に行われていた。あのモーツアルトは死ぬ前の1週間で2リットルもの血液を抜かれたという。マリー・アントワネットやジョージ・ワシントンも瀉血されたそうである。医師たちは大まじめにその治療を行い、死期を早めたのである。
翻って現代の医療にも後世では間違っていたとされるものもあるのではないか。抗がん剤は毒薬であり、白血病など1割ぐらいの病気に有効なだけであるという。それでも他に方法がないということで、高価な抗がん剤が競って作られている。そのことに警鐘を鳴らし続けた近藤誠医師も今はいない。いずれ真実は明らかになるだろうが、歴史を見るといろいろなことがわかってくる。あとになって間違ったとわかるようなことだけはしたくないと思う。

医者が「言わない」こと

令和5年9月29日
表題は昨年亡くなった近藤誠医師の著書である。2,022年7月5日発行だからほぼ最後の著作と思われる。内容は今まで主張してきたことをさらにわかりやすく書いているので、新しい知見はないけれど実のその通りだと思って読んだ次第である。
医者だけが知っている秘匿事例として、
「医者は人間ドックを受けたがらない」「血圧を無理に下げると脳梗塞を起こしやすい」「がん検診では、転移を防止できない」「子宮がん検診を導入したら、死亡率が増えてしまった」「胸部エックス線撮影は、発がん率を上げてしまう」「抗がん剤は効かないと知っている」「CT撮影はエックス線の300倍も被爆する」「早期がんの発見は欧米に比べて多すぎる」「手術すると癌の再発リスクは激増する」「病院では安楽な最期は迎えられない」など今までの常識をひっくり返すような記述が満載である。
それにしても惜しい人を亡くしたものである。再び合掌。

「妻の肖像」

令和5年9月7日
表題はジャーナリストで作家の徳岡孝夫氏の作品である。愛妻家である氏の70歳で亡くなった妻・和子への思いが淡々と綴られていてしみじみとした感動を呼ぶ。大阪生まれの氏は京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社するが卒業前から高松に配属され、木造二階建ての古ぼけた支局に赴く。そこで働いていた事務員が和子である。徳岡25歳、和子24歳で結婚し、以後45年間男の子2人を育て仲睦まじく暮らしてきたが、和子69歳のときに腎臓がんの骨転移が見つかり70歳で亡くなったのである。
徳岡氏は妻とのなれそめから結婚生活、子育て、やっと家を持てたことなど、たくさんのエピソードを交えて綴っているが、妻に対する深い愛情が大きな河のように底を流れていて暖かい気持ちになる。
臨終の和子夫人に徳岡氏は「和子、また会おう。近いうちに」と呼びかけているが心の底からの言葉であろう。氏は山代春日さんから贈られた油絵の板絵「徳岡和子像」を眺めるたびに「生きている」と感じて帰宅すると必ず「和子、ただいま」と声をかけている(石井英夫氏の解説)。愛しき人を持つすべての人に読んでもらいたい作品である。