令和7年11月27日
表題は歴史学者の磯田道史氏が読売新聞に連載した「古今をちこち」をまとめたもので、歴史オタクを自認する氏が新たに見つけた古文書を紹介したり、地震・コロナ騒動などその時々に起きたこともふまえて、かつて同じことが起きた時、人々はどう対処していたかなど記していて、面白く読ませてもらった。
広島に講演に来た時に終了後「お好み焼きでも食べようか」と思って平和公園から本通りの方に歩いていた時に見つけた骨董屋で、店番の奥さんが出してきた古い文書はなんと「浅野内匠頭長矩」の出した年賀状だった。頂いたばかりの講演料で買い求め、赤穂市に問い合わせ本人の筆跡と一致したという。思わぬところで貴重な史料が見つかったのである。
他にも吉良上野介の首を打ち取った四十七士が、墓前で行った儀式の様子が新たに発見された史料から初めて分かった。今後は忠臣蔵のドラマの最後も変わることになるだろう。さらに「孝明天皇の病床記録」の古文書を手に入れた。孝明天皇は1,867年に疱瘡で亡くなられたというが、毒殺説もささやかれていた。もし孝明天皇が生きていれば大政奉還はなかったと言われているためである。史料によると天皇がお召しになった食べ物のすべてと、排泄物すべてが克明に書かれていて、それによれば症状は山を越えて快方に向かう様子が見て取れる。それが突然おかしくなりそのまま崩御された様子が書いてある。これも新たな発見である。
興味深い記述が多く、充分楽しませてもらった。
「日本史を暴く」
「昭和の夢は夜ひらく」
令和7年11月21日
表題は五木寛之氏の新刊である。氏は昭和7年生まれで現在93歳、週刊新潮にエッセイを連載しているが、毎回よくタネが尽きないと思う。内容は読者を飽きさせない人生の達人をおもわせる文章である。この度の新潮新書は連載中の「生き抜くヒント」から抜粋したもので、「昭和」について言及した文章を集めたものである。氏は平壌で終戦を迎えた。父親が平壌師範学校の教師をしていたからであるが、その後日本へ引き上げるのは大変だったようで、母親はその時に亡くなり、父と弟妹の4人で命からがらの帰国だったようだ。父親の実家でしばらく暮らし、苦労もあったようだが、それらを含めて氏のその後の作家としての立ち位置が決まったのではないか。それにしても今も現役で文章を連載しているとは凄いことである。田舎の風呂が五右衛門風呂で鉄の窯に直接入ると熱いので、丸い板を湯船に浮かべてその上に乗って湯船に入ったというくだりは、自分も経験しているのでそうだったなと思い出した。それらを含めて面白く読ませてもらった。
国宝
令和7年11月13日
朝夕冷え込むようになり、冬が近づいている気配がある。10月の前半までは真夏日もあったというのに、今年も短い秋になりそうだ。
先日クリニックから家まで早歩きで帰ってみたら、3kmを35分で帰れた。自転車通勤を止めたが、たまには歩きもいいかもしれない。
午後休診の水曜日、八丁座で「国宝」を観た。興行収入170億円の大ヒット作で、平日の午後だったが客席は7~8割がた埋まっていた。約3時間の長丁場だったが、客はほとんど動かず、映像に引き込まれていたようだ。なんといっても吉沢亮の演技が光っていたし、横浜流星もいい味を出していた。歌舞伎の世界の伝統の奥深さを垣間見たような気持がしたが、役者さんの演技はすごいものだと改めて思った。たまには映画を見るのもいいものだ。
「犬と自然は生涯の友」
令和7年11月8日
表題は内科医院を営む傍ら、愛犬を愛し、自然を愛し、人生を深く楽しんで生きてきた永山巌医師が80歳を迎え、医院を息子に譲り(週1回の診察もやめて)完全隠居となったのを期に、自分の来し方をふり返った自伝である。偶然本屋で見つけ、面白そうなので購入して読んでみた。
著者は6人兄弟の5番目で、弟が1人と兄が3人、姉が1人いて弟と特に仲が良く兄も弟も優秀で羨ましく思っていた。著者が高校2年生の時、公務員の父が居眠りトラックにはねられて亡くなった。1浪して東北大学法学部に入学したが肺結核になり2年間休学、治ってから復学したあとは特別奨学金と家庭教師で仕送りなしの学生生活を送った。この時が人生で最も苦しかったそうだが、卒業後全日空に就職して仕事が面白くなった頃、知人の紹介で見合いをして最愛の妻を得る。子供たちも生まれ順風だったころ、医学生だった妻の兄が病気になり回復の難しい状態になった。栃木県で内科医院を営んでいる妻の親は、跡継ぎになってほしいと頼んできた。一度は断ったものの、熱意に負けて医学部に入学して医師になり、学位を取り義父と一緒に仕事を始めた。このころ養子になって永山家を継承することにした。
結婚して大好きだった犬を飼い始め、全日空時代に誘われて始めた山登りも再開した。また結核で入院していたころに本で始めた囲碁も頑張った。休日は渓流釣りに情熱を燃やし、山小屋を建てて渓流釣りの拠点にしたり、アウトドアと囲碁でバランスよく楽しんだ。猛禽類を撮影することにも情熱を傾けた。
75歳の時、永山医院を次男に継承して週1回だけ診察していたが、80歳になり完全引退、山登りと渓流釣りと囲碁は現役で続けている。素晴らしい人生で読んでいるだけで楽しい。まさに人生の達人である。
「石原家の兄弟」
令和7年10月31日
表題は石原慎太郎氏の4人の息子が両親の思い出をテーマを決めてそれぞれが綴った新刊書である。慎太郎氏は好きな作家で、大抵の著書は読んでいる。最後まで創作意欲は衰えていなくて感心していた。氏の息子たちもそれぞれが世に出てそれなりの地位を築いている。大人物の子供であってもひとかどの人物になるのは難しいと思うが、4人ともそれぞれちゃんとしていて凄いとしか言いようがない。
作品は11章からなり「母典子によせて」「父慎太郎が逝った日」「叔父裕次郎の思い出」「家」「海」「お正月」「教育」「仕事」「結婚」「介護」「相続」これらのテーマを伸晃・良純・宏高・延啓の4人の兄弟がそれぞれ3000字の原稿を書いていて、家族の貴重な写真も載せていて興味深い。自分が想像していたとおりのように感じたのは、慎太郎氏の著書やエッセイに親しんでいたからだろう。この本をもって慎太郎氏の幕は降りたのだと思う。
短い秋
令和7年10月24日
日中は暖かい(暑い)が朝夕は肌寒い日々が続く。11月になったら暖房が必要になるかもしれない。暑い夏が長く続き、秋を味わう暇もなく冬に突入するようで、まことに味気ない季節の移り変わりである。以前は「天高く馬肥ゆる秋」「秋深き隣は何をする人ぞ」「豊穣の秋」など季節を礼賛するブログを書いていたのだが、そんな気持ちになれない。困ったものだ。自分は農家出身なので、小さい頃から畑仕事や田植え、稲刈りなど手伝いをいつもやらされていた。中学時代も稲刈りを手伝っていたが、さすがに高校時代はしなくて済むようになった。でも今から思えば良い経験だった。自分が刈り取った稲を干して、籾にし、玄米にして白米にする過程を経験することは、もう二度とできないことだろう。裏山に入れば自然そのもので、かつてはマツタケもとれたし山の畑にはサツマイモや落花生、ジャガイモなどを植えていた。家の裏の畑にはネギ、エンドウ豆、トウモロコシ、トマト、キュウリ、ナス、夏はスイカなどを収穫していたが、これらはすべて自分たち家族が食べるためなので小さな畑で充分なのである。
鶏の卵は取れたてだし、鶏肉もいつでもある。牛乳は近くの農家から買って(卵との物々交換?)毎日飲んでいた。今から思えば贅沢な日々だった。そして秋の日々を満喫していたように思う。
西田俊英「不死鳥」展
令和7年10月17日
新見(にいみ)美術館で開かれている開館35周年特別展に行ったが、その絵のすばらしさ、凄さに言葉もないほどだった。西田俊英氏は現代日本画壇を牽引する名前通りの俊英で、2,000年には広島市立大学芸術学部の教授を務めながら、数々の作品を発表している。2,012年からは武蔵野美術大学の教授を務めている。
今回の作品は、西田氏が屋久島に1年間移り住んで取材し、人間と自然の共生、生命の循環をテーマにした巨大日本画「不死鳥」を制作している途中までの成果を、ひと続きの絵の中で表している。完成すれば縦2.5メートル、長さは100メートルになる大作である。全部で六章からなる壮大な絵巻物で、今回の展示は第一章「生命の根源」第二章「太古からの森」第三章「森の慟哭」までであるが、心を鷲摑みされるような凄さに圧倒された。新見美術館は岡山県の西北部、小さな美術館なので、ありがたいことに観客も少なくじっくり鑑賞することができた。六章すべてが完成したらおそらく東京の美術館に展示されるだろうが、多数の人が押し寄せると思われる。今が絶好のチャンスである。ぜひ行ってほしい。
「アンクルトリス交遊録」
令和7年10月10日
表題は寿屋(現サントリーHD)の広告デザイナーで作家、柳原良平氏の著作である。1,976年初版で今回の文庫本はその復刻版である。半世紀以上前にはテレビコマーシャルで「赤玉ポートワイン」「トリスウイスキー」のアニメが流され、小学生だった自分はそれを見るたびに「飲んでみたい、きっとうまいんだろうな」と思っていた。あの独特なタッチのアンクルトリスの顔がウイスキーを飲むほどに赤くなっていく(カラーではないのにそう見える優れものである)様は今でも脳裏に浮かぶ。寿屋が発展していく大きな力になったのは事実である。後に直木賞作家になる山口瞳氏の「トリスを飲んでHawaiiへ行こう」のコピ-は一世を風靡した。芥川賞作家になる前の開高健氏も宣伝部で活躍していた。皆昭和ひとケタ生まれでほぼ全員が鬼籍に入ってしまったが懐かしいので思わず買ってしまった。
日本が戦後、素晴らしい勢いで回復し発展していく原動力を担った人たちの熱い思いが伝わってくる。終わりに著者と山口瞳氏の増補、サントリーHD会長の佐治信忠氏の特別寄稿文もあり、楽しく懐かしく読ませてもらった。
やっと秋になった
令和7年10月2日
連日の猛暑が去って、朝夕は過ごしやすくなった。昼間はまだ暑い日もあるが、しのぎやすくなったのはありがたいことである。それにしても今年の暑さは異常だった。クーラーがなかったら熱中症になる人が後を絶たなかっただろう。昼間は屋外に出るとそれだけで汗が噴き出すので屋内にいるしかなかった。やっと昼間野外活動ができる。運動不足を解消したいし散歩・山歩きなどもしたい。
最近アルコールが増えて、カミさんからレッドカードが出ていたので今週から控えるようにした。なんと翌日から空腹感がよみがえり、ごはんがおいしいこと。そのうえ体重の増加も止まったようなのだ。恥ずかしいことだが「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を実感している。ちょっと意味が違うかな。でもこれでいいのだ。



