ChatGPTの応用

令和5年11月24日
様々な情報をインプットして学習させておいた記憶媒体を利用して、的確な答えを出してくれるChatGPTが話題を呼んでいるが、この仕組みを応用し小型化が進んでいけば、様々な分野で応用できるのではないだろうか。
例えば高齢になって配偶者に先立たれた人の悲しみは深いものがある。相方のいない寂しさは計り知れないことだろう。そこで、会話ができるように進化したChatGPTに生前の配偶者の情報をインプットしておけば、日常会話ができる。さらにその会話もインプットされるので、いつも新鮮な内容の会話ができる。これは残された人には大きな慰めになるだろう。なにしろインプットする情報が多いほど、生前の配偶者(あるいは大切な人)と今までと同じ会話ができるのだから。
AIは今後進化を続けて今では考えられないようなことができるようになるだろう。何しろ我々が子供の頃、現在のようなスマホを一人一人が持って、世界中とつながることができるようになるなんて、思いもよらないことだったから。未来がどうなっていくのか知りたいものだ。

中区4支部忘年会

令和5年11月18日
コロナ禍のため会合がほとんどなくなっていたけれど、4年ぶりに地区忘年会が開かれた。中区第4支部は医療施設が50あまり狭い地域にひしめきあっているが、普段はほとんど顔を合わせることがない。久しぶりに会うと懐かしい気持ちになる。クリニックを始めて27年目になるが、若い人が増えて自分より年上の先生は少なくなってしまった。クリニックをやめたり世代交代を計る先生など、時代は変わって行くのだなと思った次第である。
出席者は20数人だったが、一人一人が近況などスピーチしてなかなか面白かった。中には「初めて参加した時は先輩ばかりで何をしゃべっていいかわからず、小さくなっていたけれど、10年経ってみると自分が中堅どころになっているのがうれしい」という人もいて、まさに自分も同じだったと思った次第である。やはりこういった会合がないとつまらない。コロナが5類感染症に移行してよかった。もっと早く移行すべきだったと思う。

主要ながん検診に寿命延長効果はない

令和5年11月10日
オスロ大学(ノルウエー)健康社会研究所のMichael Bretthauer氏らは、マンモグラフィや大腸内視鏡検査などの代表的ながんスクリーニング検査(以下、がん検診)を受けても、大部分は寿命の延長に寄与しないとするメタアナリシスの結果を報告した。
Bretthauer氏らはMEDLINEとコクランライブラリーからがん検診に関する追跡期間が9年以上のRCTを18件(対象者211万人余り)抽出し検討した。がん検診は、乳がんのマンモグラフィ、大腸がんの全内視鏡検査・S状結腸内視鏡検査・便潜血検査、前立腺がんのPSA検査、現喫煙者または元喫煙者を対象とした肺がんの胸部CT検査の6種類についておこなった。
解析の結果、6種類のがん検診の中でS状結腸内視鏡検査以外のがん検診では、検診を受けた人と受けなかった人との間で寿命の延長に有意差が認められないことが明らかになった。また、有意差の認められたS状結腸内視鏡検査でも、その延長期間はわずか3か月程度に過ぎないことも示された。
こんな報告を見ると、がん検診が果たして有用なのだろうか思ってしまう。まさに故近藤誠医師の主張と重なる。やはり氏は素晴らしい人だった。

「がんの消滅」

令和5年11月2日
表題は芹澤健介著、小林久隆監修の著作で「天才医師が挑む光免疫療法」のサブタイトルがついた新潮新書の近刊である。「免疫」とか「がん消滅」などの文字を見るとなにやら胡散臭いと思っていたが、だまされたと思って購入、一読してこれは本物だと思った。たとえればペニシリンの発見やラジウムの発見をしのぐ治療法ではないだろうか。
小林医師は京都大学を卒業した後、米国国立衛生研究所(NIH)で研究をするようになり、現在終身の主任研究員である。そもそもはがん細胞に特異的なたんぱくに結合して光に反応する物質を使うことによる「がんのイメージング」の研究をしていたが、ある物質の場合、光(近赤外線)を当てるとがん細胞膜が壊れてしまうことがわかった。それがフタロシアニンを水溶化したIR700で正常細胞には侵襲を与えず壊れた細胞膜の中身を周囲のリンパ球などが攻撃し、がん細胞そのものも攻撃するようになることも確認した。実験を繰り返し論文をいくつも書き評価を受けていたが、臨床応用にはいくつもの関門があった。
それをかなえさせる力になったのが楽天グループの三木谷浩史をはじめとする様々な人たちで、光免疫療法は世界に先駆けて日本で承認された。FDAでは承認待ちであるがいずれ承認されるだろう。がん細胞の細胞膜だけが近赤外線を当てて壊れるという治療法は、まさにコロンブスの卵であり現在は頭頚部のがんのみの適応だが、一刻も早く他のがんにも適応されることを望む。再度言うが素晴らしい発見だと思う。

「泥酔文士」

令和5年10月27日
表題は元文芸春秋社副社長、西川清史氏の著作である。私と同い年の氏は上智大学フランス語学科を卒業後、文芸春秋社に入り作家たちの生態を知り尽くして定年退職し、その頃の日々や先輩たちから聞いたかつての文士たちの行状を書き記している。かつては(今も?)文壇なるものがあり、文士たちは文学に対する思いと矜持があり、それらが酒の席での行状につながり、語り継がれるようなエピソードを残しているのである。
中原中也は質の悪い酒飲みで、酔うとすぐ人に絡む。悪口雑言で辟易した太宰治は逃げ出したという。酔って檀一雄と取っ組み合いの喧嘩をして店のガラス戸を木っ端みじんにした草野心平も酒豪で、居酒屋「火の車」を開いて毎晩飲んでいた。小林秀雄も仲間たちと飲んで他人の家へ上がり込んで酒を出させた。伊藤整、井上靖、山田風太郎も若い頃からとんでもない飲み方をしていた。伊藤静雄と立原正秋はほのぼのとした酒飲みで、若山牧水は一人静かに飲む派だった。「昨今私は毎晩三合ずつの晩酌をとっているが、どうかするとそれで足りぬ時がある。さればとて、独りで五合を過ごすとなると、翌朝まで持ち越す。」と書いている。
いずれにせよ皆酒ばっかり飲んでいたのだと面白く読ませてもらった。

元安会

令和5年10月20日
中電病院OB会の名称を「元安会」といって、元院長のM先生が20数年前に始めた会である。現会長は2代目のF先生であるが、世話人のひとりに指名されたため毎年1回開かれる会合に出席していた。コロナのために3年間会が開かれなかったが、今年からまず人数制限して始めることになった。結局、OBが世話人を含めて20人、病院から6人が参加するこじんまりとした会になった。
久しぶりに会うOBの先生方は初めは老けて見えたけれど話しているうちに昔の若々しさが戻ってきて、懐かしく当時の思い出を語り合うことができた。なにしろ中電病院を辞めて開業したのは26年以上前である。自分を含め皆も年を取るはずである。現院長の話では7年先には中電病院は駅北にできる県病院を中心にした新基幹病院に吸収されることになるそうである。手術件数が減ったことや分娩を辞めたことなどで収入が減ったことも原因とのことで、OBとしては非常に残念なことである。かつて勤めていた時は年間600から700件のお産をしていたが、ある時からお産をやめてしまったのである。安全で安定したお産ができる施設を作るまでには先輩たちの大変な時間と努力が必要だったはずである。それを失くしてしまうとは…
「元安会」がいつまで続くかわからないが発展性はないかもしれない。寂しいことであるが。

「世にも危険な医療の世界史」

令和5年10月13日
表題はアメリカの内科医リディア・ケインとジャーナリストのネイト・ピーターセンの共著で、昔から世界で行われた医療で今では信じられないような間違ったものをとりあげている。
秦の始皇帝にも使われた「水銀」これはずいぶん長い間使われていて、リンカーンも常用していたという。「ヒ素」も太古の昔から皮膚の潰瘍やいぼなどの治療に使われてきた。毒薬なので毒殺のためにも使われてきたが。「瀉血」は血液を抜く治療法で欧米では日常的に行われていた。あのモーツアルトは死ぬ前の1週間で2リットルもの血液を抜かれたという。マリー・アントワネットやジョージ・ワシントンも瀉血されたそうである。医師たちは大まじめにその治療を行い、死期を早めたのである。
翻って現代の医療にも後世では間違っていたとされるものもあるのではないか。抗がん剤は毒薬であり、白血病など1割ぐらいの病気に有効なだけであるという。それでも他に方法がないということで、高価な抗がん剤が競って作られている。そのことに警鐘を鳴らし続けた近藤誠医師も今はいない。いずれ真実は明らかになるだろうが、歴史を見るといろいろなことがわかってくる。あとになって間違ったとわかるようなことだけはしたくないと思う。

休日に訪れる店

令和5年10月6日
月日の経つのは早いものでもう10月、今年も残すところあと3か月である。
休日・午後休診の日にドライブを兼ねていく店はいくつかあるが、最近の定番は「手打ちそばながお」「リトルセイロン」「サカナヤ」「宮島達磨」「饂飩屋幸兵衛」ごくたまに「豚笑」などにも行くが、どの店もそれぞれ特徴があって飽きない。すべて予約なしでふらっと行ける気軽な店である。以前は「蕎麦切り吟」によく行っていたが水曜が休みなので行けなくなった。昔のブログを読み返してみるとずいぶんいろんな店に行っているが、最近は少し食べただけで体重が増えてしまうので重いものはなるべく控えるようにしている。
それにしてもいろんな店で食べたものである。生きることは食べることであるとの名言があるが、まさにその通りでいくつになっても変わらないし、食欲がなくなるのは命が絶えるときだろう。コロナで重症化していた時は全く食欲がなかったことを思い出すと、今の状態は本当にありがたいと思う。次はどの店に行こうかな。

医者が「言わない」こと

令和5年9月29日
表題は昨年亡くなった近藤誠医師の著書である。2,022年7月5日発行だからほぼ最後の著作と思われる。内容は今まで主張してきたことをさらにわかりやすく書いているので、新しい知見はないけれど実のその通りだと思って読んだ次第である。
医者だけが知っている秘匿事例として、
「医者は人間ドックを受けたがらない」「血圧を無理に下げると脳梗塞を起こしやすい」「がん検診では、転移を防止できない」「子宮がん検診を導入したら、死亡率が増えてしまった」「胸部エックス線撮影は、発がん率を上げてしまう」「抗がん剤は効かないと知っている」「CT撮影はエックス線の300倍も被爆する」「早期がんの発見は欧米に比べて多すぎる」「手術すると癌の再発リスクは激増する」「病院では安楽な最期は迎えられない」など今までの常識をひっくり返すような記述が満載である。
それにしても惜しい人を亡くしたものである。再び合掌。

N先生の閉院

令和5年9月22日
ほぼ同じ時期に開業されたN先生の診療所が今日で閉院となる。
出身大学が違うので開業してから知り合いになったが、素晴らしい人と知り合えたことを感謝している。1,997年に開業して26年余、診療上のことも含め色々お世話になった。ご一緒した飲み会は多かったが、いつも気持ちよく飲ませてくれる雰囲気があり、また一緒に飲みたくなる人柄である。
自分で決めたことは確実に遂行し、すべての責任を自分で背負う強さがあり、堅苦しいことは嫌いでお酒が大好き。
昨年コロナで重症化して入院せざるを得なくなった時もずいぶんお世話になった。患者さんをどうしようかと思っても隔離されていてどうにもならなかったが、N先生にお願い出来たので安心して療養することができた。
今後はもっと充実した人生があるようでうらやましいが、自分はもうしばらく診療を続けていくつもりである。
N先生、長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。