カテゴリー 尺八

フルートについて

令和5年8月31日
フルートを習い始めて5年になり一通り教わったので一旦レッスンをやめた。加藤克朗氏のFlute Method1,2,が終了し、フルート曲集を使ってレッスンするようになって限界を感じたからだ。教わるよりも自分で吹き込んでいく以外にはうまくならないと思ったのである。納得がいったら改めてレッスンをお願いしてみたいが、今はひたすら練習しようと思う。
尺八は10年余りやったがものにならず、フルートもそうなるかもしれないがもう少しやってみたいのである。考えてみれば楽器は小さい頃から興味があったけれど、ものになった楽器はない。ハーモニカ、リコーダー、バイオリン、ギター、とりあえず演奏できるが素人の域を出ない。バイオリンに至っては持っていただけというありさまである。尺八もフルートも指導してくれる先生は素晴らしい技術を持っていて、いつも感心しながら教わっていた。どうすればあのように演奏できるのか、才能の問題なのだろうと思うのだが仕方ない。もう少しだけやってみようと思う。

師匠の演奏会

令和元年12月20日
尺八の師匠のコンサートが平日の夜、東区民文化センターで行われた。個人コンサートは10年ぶりだそうで、古希の節目に今まで交流のあった人達に感謝の気持ちを込めてとのことで入場無料で行われた。自分は夏にめまいを起こして以来、尺八は一切吹いていないが師匠のコンサートには行かせていただいた。200人近い人で会場はほぼ満席、途中で退席する人もなく初めから終わりまで静かに耳を傾けている人がほとんどだった。師匠の人がらと尺八の音色にひかれて集まっている人ばかりのように思われた。久しぶりに聴く尺八の音は実に快く、こういう音を出せるなら尺八を再開してもいいかと思うのだが、10年以上頑張ったけれど自分には無理だと確信してしまったので、もっぱら聞くだけにするつもりである。
それにしても音楽は本当にいいものだと改めて思った。自分の中での音楽史を振り返ってみても、「こんなすごい音楽があるのか」と思ってのめり込むことが何度もあり、それは自分の記憶のなかに順を追って収まっている。そしてこれからもそのような感動が何度あるかわからないが、是非あってほしいと思う。

和洋楽器の違い

令和元年7月26日
以前にも書いたが和洋の考え方の違いは政治・経済・文化などあらゆるところで見られるが、自分の経験した楽器についての違いを考えてみる。尺八とフルートは起源が似ているが異なった改良がなされてきた楽器である。「尺八」は平安時代にはすでに演奏されていた。「フルート」は旧石器時代のヨーロッパに起源があるといわれているが、現代に近いものは、16世紀からだという。初めは7つの穴で縦型と横型の両方があったが、17世紀後半より、半音を正確に出せるように改良され現代のフルートになった。
「尺八」は正倉院に保存されているものと現代のものとほぼ同じで、唄口の形や内部の塗(ぬり)指孔の大きさなどの改良はあるものの決定的な改良はない。名人の吹く尺八の音は心にしみるものであるが、問題は演奏が難しく穴の数が5つしかないので西洋音階を正確に出すのは無理なことである。対して「フルート」は様々な工夫から正確な半音階が出せるし、音もほぼ誰でも出せるように唄口が改良された。その結果、名人でなくても音が出せるし正確な半音を出すことができる。ブラスバンドからオーケストラまで他の楽器とのコラボもできる。対して「尺八」は構造的に音を出すこと自体が難しいうえに、正確な半音階が出せない。いい演奏は名人しかできないので家元制度が生まれ弟子がついていく形にならざるを得ず、近代になって必然的にすたれてきたと思われる。
和弓と洋弓(アーチェリー)を比べればどちらが優っているか歴然としているが、我が国は道具を改良するよりも、すでにあるものを使いこなす名人芸の方を重んじてきた。「弓道」「剣道」など「道」という考え方で技術を磨いてきたけれど、道具を改良したうえで技術を磨くという西洋的な考えの方が、同じ努力をした場合優っていることは明らかだろう。合理的考えを元に研鑽することが大切だと思われる。

休尺八

令和元年7月5日
5月の「めまい」発症以来、尺八を吹いていない。これだけ長い間吹いていないのは初めてのことである。師匠にも「休尺八」を認めてもらい練習会もスルーさせてもらっている。それでもこれまでの演奏会や練習会などで吹いた録音を聞くと、いまさらながら自分の未熟な演奏に恥ずかしさを覚える。やはり向き不向きはあるようで、自分は尺八には向いていなかったことを再認識している。尺八を始めた時は満足に音が出なかったが「石の上にも三年」とばかり、まず3年やってダメならやめようと思っていたのだが、いろいろないきさつがあり今まで続けてきたのである。うまい人の演奏を聞くとしみじみと心に響き、このような音を出してみたいと思うのだがいまだにちゃんとした音が出せない。今までかじった楽器はどれも割合ストレスなく扱えたのだが、尺八はストレスの塊だった。原因は「音が出ない」ことに尽きると思う。今が方向転換の時だろうか。

向き不向き

平成31年2月7日(木)
何事にも向き不向きはある。スポーツでいえば概して運動神経のいい人はなんでもうまくできるけれど、どうしても苦手な分野もあるだろう。ボクシングでは国体に出られるくらいの能力があるのにゴルフは苦手な友人もいたし、他のスポーツはあまりできないのにゴルフはうまい人もいる。学問についても理数系は抜群でも人文系は苦手な人もいるしその逆もある。
楽器の演奏でも向き不向きは当然あるだろう。下手な尺八を吹いているが一向に納得する音が出ない。他の楽器はどれもこんなにとっつきにくいことはなかった。でも始めたからには「石の上にも三年」なのでもう少し頑張ろうと思いながらやってきたが、なかなか上達しない。向き不向きのせいにしたくないので努力してきたけれど最近、自分はこの楽器に向いてないのではと思い始めていることに驚いている。楽しむために始めた楽器であるが、楽しめないのは努力不足なのか向いていないのか。

フルートと尺八

平成30年6月29日
尺八を始めて10数年になるがなかなか思うように吹けない。尺八は歌口を顎と下唇でふさいで細い隙間をつくり、そこから息を吹き込んで音を出すのだが、これが難しい。向き不向きはあるようで、すぐにきれいな音の出せる人は上達するが、そうでない場合は苦闘するばかりである。口笛でもすぐにきれいな音を出せる人とそうでない人がいるようなものである。
最近、プラスチック製のフルートが手に入ったので吹いてみた。音は尺八と比べるとかなり出しやすいので普通に息を吹き込めば安定した音が出る。音程も指使いにより正確な音が出るようである。問題は複雑な指使いをスムーズにできるようになるまでの修練が大変だということである。でもそれをマスターすれば早いパッセージも吹けるし、他の楽器とも合奏できる。オーケストラが成立する所以である。
比べて尺八は音程を合わせるのが結構難しく、早いパッセージには向かないし転調なども困難で、合奏には不向きな楽器である。ただし、音を出す個人の能力による到達度は幅広く、熟達者の音色は非常に耳に快く深みがある。これはまさに日本的な修練と西洋的な考えの違いを如実に表していると思う。「和」の世界では道具をあまり変えずに技を磨くことを考えるが「洋」の世界では道具は合理的に変えていくので使いやすくなり実践的である。どちらも長所と短所があるが、現在の和洋の楽器の普及を見ると「洋」が勝っていて「和」はローカルにとどまっている。「和」を応援したい気持ちはあるがなかなか難しいところである。

けんみん文化祭ひろしま’18

平成30年5月17日
先日の日曜日、アステールプラザ大ホールで表題の第5回広島市の祭典が開かれ、49組のグループの演奏・パフォーマンスが行われた。「山の会」も邦楽部門で出場し、尺八五重奏曲「世々生々(せせしょうじょう)」を8名で演奏した。1グループの持ち時間が7分厳守なので、本来演奏時間が15分かかるところを7分に収まるように省略して演奏した。尺八は音のピッチを合わせるのが難しいけれど、連休中に二度集まって練習したおかげでピッチを含めバランスが結構合っていたようである。尺八独特の低音と中高音のハモリが吹いていて快く、かつて学生時代に所属していた男声合唱団でのハモリを思い出した。今回はありがたいことに優秀賞をいただき、後に行われる表題の会での出場権を得ることになった。
今回出場のグループは洋楽、邦楽、合唱、和太鼓、日本舞踊、洋舞、芸能など多彩で年齢もまちまちだけれど、皆さん色々楽しんでいることを改めて感じた。どんな趣味でも真剣にやるから面白いのである。

西区民音楽祭

平成30年3月2日(金)
いよいよ3月になって暖かい日もちらほらあり春がそこまで来ているように感じる。この季節になると市民の文化活動の一環としての音楽会があちこちで開かれるようになる。昨年も尺八「山の会」として西区民文化センターで行われた西区民音楽祭に出演したが、今年も来る3月4日(日)に10数名で出演する予定である。
「山の会」は広島を中心に精力的に尺八の演奏・指導活動している山本観山師に指導を受けている人たちの集まりで、20代の男女(主に広島大学生)から70代以上の高齢者まで多彩なメンバーがそろっている。それぞれ真摯に技術の向上に向き合っていて、自分も頑張らねばと思う日々である。今回は尺八二重奏曲「郷音(さとね)」とメンバーの広大生が編曲した尺八三部奏曲を演奏する。当日はいくつもの合唱団やギター、胡弓、口笛、ハワイアンなど多彩な演奏が行われる予定であるが、いつも色々なサークルがあるものだと感心している。

技芸審査会

平成29年9月29日(金)
あいかわらず下手な尺八を吹いている。先日も小さな発表会で一曲吹いたが、人前で吹くのは自分の実力がわかっているだけに冷や汗ものである。師匠は人前で吹くことが上達に一番役に立つと言われるのだが、自分としてはたいしてうまくもないのに人に聞かせるのは迷惑以外にないのではないかと思うので躊躇するのである。だれでも下手なカラオケを聞かされるほど嫌なことはないだろう。そうはいっても上手くなるまで待っていたら一生人前では吹けないことになる。そのあたりが微妙に難しいのである。
11月に大阪で師匠の属する流派の審査会があり、広島からも何人も出場するらしい。自分も今回初めて出る気になったので課題曲の練習を始めたところである。審査会では出場者の出来栄えを審査し順位付けをするというが、出演者の中では技術も経験も下の方だと思うので最下位にならなければいいが。まあ、会場の雰囲気だけでも味わって来ようと思っている。

MDからICレコーダーへ

平成29年4月7日(金)
暖かくなり桜も満開となったが雨模様の日が続き、花見には困ったことである。それでも雨の前に一瞬、娘や孫たちと近くの公園の桜の下で弁当をひろげ夜桜を楽しむことができた。
最近、尺八の稽古の模様を録音した初期のものを聞いてみたが、その頃の師匠の教え方と自分の技術の未熟さ、会話などが当時の記憶をよみがえらせてくれて感慨深いものがあった。初めはMD(ミニ・ディスク)に録音していたが70分程度しか録音できないので、ディスクの枚数ばかり増えていってしまった。その後ICレコーダー(MP3)が発売されてからはレッスンも演奏会もすべてこの小さな機器で録音するようになった。ICレコーダーは優れもので、軽くて小さいので持ち運びに便利で録音可能時間も長い。モーターのような故障しやすく電気をたくさん必要とするものはついていないので、小さな充電池でくりかえし長く使える。パソコンに取り込んで整理しておけばいつでも簡単に探せて再生できる。
それに対してMD録音再生機器はもう製造されていないので、手持ちの装置が壊れたら二度と録音したMDを聞くことはできなくなる。簡単な録音にはテープレコーダーより便利で使いやすかったのだけれど短い命だった。レコードはずいぶん長い間使われていたがCDが出るとあっというまになくなってしまった。一部では根強いレコードファンもいて、今でも細々と製造されているようではあるがいずれ伝説になるだろう。面白いことである。