保険証の使いまわし

平成17年8月5日(金)
先日来院された患者さんで、初診なのでカルテをつくろうとしたらすでに6年前に住所氏名生年月日が同じカルテがすでに存在していた。そのことを本人に問いただすと、その頃保険証を持たない友人に自分の保険証を貸したからだろうと、全く悪びれずに言うので驚いた。これは犯罪なのだと厳重に注意しておいたが、初診で来た人の保険証が本当に本人のものかどうかを判別するのは難しいと改めて思った。初診の人に運転免許証を見せろと言うわけにもいかないし、全員が免許証を持っているわけでもない。保険証の使いまわしはしないだろうとの善意の解釈で信用しているのだが、使いまわしをされていても調べることが難しい。少数の不心得の人間のために多数のまともな人が身分証明をしなければならないようにはなって欲しくないが、これに類したことはいっぱいあるだろうからある意味社会のコストと考えなければならないのだろうか。

四季を愛でる

平成17年8月1日(月)
もう8月になった。暦の上では晩夏、立秋となる月であるが実際は盛夏といってもいい暑さである。この暑さもお盆の頃になると峠を越して秋の気配が感じられるようになる。日本の季節の変化はダイナミックかつ繊細なので、季節の変化を表す言葉は多彩でありこれぞ日本文化だと感じられる。手紙に書く定型語の豊富さは世界一ではなかろうか。もっともこれらの言葉は最近では中元・歳暮の礼状に使うぐらいであるが。
日本は実に緑の多い国だと思うのは、以前スペイン、モロッコに行った時に実感したことである。思うに東南アジアから日本にかけての地域が世界で最も人が生きていきやすい場所ではないだろうか。豊富な水、温暖な気候など人が生きていく上で一番必要なものがそろっている。人が多いと争いがふえてくるが、日本は島国で他の国からは隔絶していたために独特の文化が生まれたのだと思う。緑が多いのは水が多いわけで気候も温暖、実に恵まれた地域だと思う。この恵まれた地域に住んでいられるがゆえに、四季を愛でずにはいられないのである。

セカンドオピニオンについての考え

平成17年7月29日(金)
当院にもセカンドオピニオンを求めて来院される患者さんがおられるが、ほとんどの場合初めの医療機関の診断・治療方針と同じ意見である。むしろそれとは関係なく来院されて問診の際に以前の診断と治療に?を感じることの方が多いように思う。診断に関しては診断した時期が異なれば微妙に違うこともあるし見立て違いもあるだろうが、一旦診断が確定し治療を始めれば内容によっては患者さんになんらかのストレスを与えることになる。
子宮内膜症などはこういう事が起こりやすい典型的な疾患で、いろいろな問題を含んでいる。まず診断そのものが初期のばあいは難しい。つぎに、たとえ正確に診断できてもなかなかいい治療法がないということもある。そのために高額な薬や長期にわたるフォローをするようになり、場合によってはよりストレスを与えてしまうこともあるかもしれない。したがってこういう疾患はなによりもまず正確な診断が必要であり、治療も長期にわたる可能性があるのでできるだけ患者さんの負担が少ないようにする必要がある。それぞれの治療法の利点と欠点を説明して選んでもらうようにしているが、どうしても自分がいいと思っている方法をよりくわしく説明してしまうようだ。
誘導は良くないとは思うが、みすみすあまりよくないと思っている治療法を選ばれるのは気の毒である。そのあたりのことが難しいのである。

ピル普及のためのセミナー

平成17年7月26日(火)
先日医療従事者を対象にしたピル普及のためのセミナーに参加してみた。ピルの会社がスポンサーになっていて、産婦人科の医師とスタッフをターゲットにしてピルを普及させるように啓蒙する試みで、全国各地で何回か行われているようである。会場には結構参加者がいたが、惜しむらくは医師の参加が少なくその大部分はすでにピルを積極的に処方している人ばかりで、頼まれて参加している人たちがほとんどのようであった。私はピルの会社からはいっさい頼まれていなかったが、興味があったので参加したのである。そこで思ったことは、ピルの有効性を認めて処方している医師ばかり集めてもあまり意味はなく、処方していない医師に話をしないとセミナーの目的は果たせないだろうが、興味のない医師はそもそも集まらないから難しいということだ。またいくらピルがいいからとすすめてもユーザーが必要を感じなければこれまた意味がない。なんでも日本は先進国のなかではピルの普及率が最も低く、1,8%で(ちなみに欧米では20~40%だそうである)もっと普及させようということである。
広島で多くのピルを処方している医療機関の一つである当院の感触では、日本でのピルの普及はそのメンタリティゆえに難しいだろうと感じる。最近は若い世代が結構使うようになっているが、ピルは自然に反するとの気持ちの強い世代には論外のようだ。私としては、必要な人には勧めているがこちらから大々的に宣伝してまで出そうとは思わない。

アスベストによる中皮腫

平成17年7月23日(土)
暑い日が続く。午前中は患者さんが多くフル回転で診療する。でも午後は結構ヒマだった。
アスベストによる中皮腫の被害が毎日報道されている。恥ずかしながらここまで危険なこととは知らなかった。学生時代に内科で「アスベストーシス」については習った覚えはあるのだが、塵肺などと同じようなものとしか認識していなかった。アスベストを吸って20年以上経って腫瘍が発生するとは大変なことである。現在は大丈夫と思われていても将来禁止されるものはきっとあるだろう。昔は肝細胞がんの原因の多くがC型肝炎ウイルスであることや、HPVウイルスが子宮がんの原因だとはわからなかった。だから予防接種の注射器の使い回しはあたりまえのことだったのである。小学時代に日本脳炎の予防注射をクラスでならんでうけていたが、一本の注射器で4~5人ぶんの量があった。今は注射針の使いまわしはなくなったが、これに類したことはいつおきるかわからない。

夏は元気のない「麻呂」

平成17年7月20日(水)
梅雨明け宣言が出て本格的な夏になった。毎年この時期は我が家の愛犬「麻呂」はぐったりとして元気がなくなる。今年は数日前から下痢しておりいっそうだるそうである。ビオフェルミンを飲ませてみたり、抗生物質の投与を考えたりしているがこの暑さでは仕方がないのかもしれない。室内ならクーラーが効いて快適だろうがあいにく屋外犬である。玄関脇で庇とビーチパラソルで十分日陰になるようにしているが分厚い毛皮は暑さには敵となるのだろう。打ち水をしたり水を入れたバケツをおいたり、家族は色々と気を使っているようだ。なにしろたいていの犬好きの人からは「性格のいい犬だ」といわれて喜んでいる我が家の癒し犬なのである。はやく元気になって欲しいものである。

運動不足

平成17年7月16日(土)
このところ雨のせいもあり運動不足である。しばらくじっとしていると動きたくてたまらなくなる。ただ、スポーツクラブなどにある歩く機械は好きになれない。あれはハツカネズミが水車みたいなものを回しながら動いている姿を連想してしまうのでどうもいただけない。やはり歩いたり走ったりするなら戸外だろう。テニスは気持ちよいのだが、汗をかいた後はビールをいつもよりよけいに飲んでしまうので困る。ただしビールをおいしく飲みたいために汗をかいている部分もある。
明日とあさっては久しぶりの連休である。今回は関西方面に出かけてみようと思っている。

かかりつけ医と健診

平成17年7月13日(水)
相変わらず曇天の日が続く。昼からは雨も降りまさに梅雨である。
子宮筋腫があり、他院で定期的にフォローしてもらっている患者さんが、健康診断や市の健診の子宮がん検診を希望して来院されることが少なからずある。いつも思うのだが、すでに信頼して行きつけの医療機関があるのであれば健診は必要ないのにどうしてさらに同じ検査を希望するのかということである。思うに、健診に対する信頼感と検査は何回でもした方がいいのではないかと考えているのだろう。健診はあくまで何も症状がなく、他に同じ科の医療機関に受診していない場合にはいいかもしれないが、そうでなければあまり意味がない。よく聞くと、何ヶ月か前にかかりつけの医院で子宮がん検診は異常なかったと言われるのである。健診はスクリーニングに過ぎなくて、信頼できる医療機関にかかっているのならその方が良いのだと縷々説明するのだが、いつも一定の比率でそういう人がおられる。スクリーニングが寿命の延びにどの程度寄与しているかは疑問であり、医療側も過大な幻想を抱かせないように有用性についてきちんと説明すべきであろう。

病気の受け止め方

平成17年7月9日(土)
同じことを話しても患者さんによって受けとめ方がずいぶん違う。細胞診で子宮がんが発見された患者さんに、どのように話したらいいかと思いながら告げたが、「そうなんですか、じゃあ手術が必要なんですか」とあっさりと言われた。ほっとすると同時に手術できる病院を紹介すると言うと「その日は都合が悪いので別の日にしてください」とおっしゃる。まったく気にしてない様子である。気にしてないように見えても実は頭が真っ白になったという話はずいぶん聞いたことがあるが、この場合は本当に淡々と受けとめておられる様子である。
同じ場合でも、別の人は心配でたまらない様子で、何度も今後の見通しについて質問される。どちらもその人にとっては真実なのだろうが、心配しようがしまいが結果(予後)は決まっている。結果が決まっているのであれば気楽にしている方がいいと思うがそう単純な問題でもない。無理して気楽に思おうとしても意味がないだろう。心境の問題だろうがこういう時に人間の性格と、それまでの越し方が出るのかもしれない。

お産は結果

平成17年7月6日(水)
最近は医療ミスについての新聞記事がよくみられるようになっている。増えたわけではなく、情報公開の観点から知られるようになったのだろうが、実際我々も気をつけているが何が起きるかわからないという心配は何時でもある。たとえばある薬を処方した場合、1万人には何も問題なくても1万1人目の人には重大な副作用が発生するかもしれない。こういうのを医療ミスと呼んでもいいかは疑問だが、おしなべて医療は結果を問われるので当事者には医療ミスと感じられるかもしれない。
産婦人科、特に「お産」は結果責任を問われることが最も多い分野の一つである。熟練した医師とスタッフがどんなに慎重に対処してもうまくいかないことがある。一方、何もしなくても問題なく生まれることも多い。以前修学旅行の新幹線のトイレで赤ちゃんを生んだ女子高生がいたが、妊娠は本来何もしなくても順調にいくものである。ただし、一定の比率で重大なことが起こるため昔から新生児死亡率だけでなく妊産婦死亡率も高かったのである。我が国でも昭和20年代までは「産(三)で死んでも苦しゅうない(ばくち場の言い回しー阿佐田哲也、麻雀放浪記より)」というような言葉があったぐらい、妊産婦死亡は多かったのである。経済の発達と医療環境の充実により現在は世界でも最高レベルまでよくなっているのだが、皮肉なことにお産関連の医療裁判は増えているのである。なかにはきちんとやっていたけれど結果的にうまくいかなくて訴えられている場合もあるし、逆にけっこうでたらめでも結果がよくて感謝される場合もあるようだ。前者は気の毒だが後者は今は良くてもいずれ事故をおこすだろう。
我々も日々慎重にやっていきたいと思っている。