平成21年9月3日(木)
今日は、久しぶりにゆっくり尺八を吹くことができた。11月に演奏会が予定されていても、なかなかじっくり吹く余裕がなかったが、気持ちよく音を出すことができた。
最近、人間国宝の尺八演奏家、山本邦山の自伝を読んで啓発されたことも、吹きたくなった理由である。この楽器は上達すればおそらく、声を出すのと同じように自在に音質・リズム・強弱・高低などが変えられ、表現できるようになるのだと思う。もちろん自分の技術は初心者並みだけれど、なんとなくそのように感じられる。吹いていると、ときおりしみじみと音の味を感じる瞬間があり、これぞ尺八の醍醐味だと思うのである。
カテゴリー 尺八
尺八の醍醐味
風の歌
平成21年3月30日(月)
このところ尺八の演奏会に行っていなかったので、やや演奏会飢餓状態になったので、知り合いの人に頼んでチケットを手配してもらい早速行ってみた。
島原帆山先生の系列の会なのでなかなか良かった。何人かプロをゲストとして招いており、そのなかの「風の歌」という曲を聞いた時は鳥肌が立つぐらい素晴らしいと思った。これはあの琴の名手沢井忠夫作曲の琴と尺八の曲で、初めて聞いた時からいつの日か自分も吹けるようになりたいと思っていた曲である。音も表現もすばらしく、プロのすごさに感じ入った次第である。この日はこの演奏を聴けただけでも充分だと思ったぐらいであった。
6月には藤原道山が広島に来るそうなのでこちらもぜひ行ってみたい。
ネプチューン海山の尺八
平成21年1月10日(土)
急に冷えてきた。全国的に雪のようだ。今まで暖かい日が続いていたので、バランス的にはちょうどいい。
昨日、ジョン・海山・ネプチューンというアメリカ人の尺八演奏を聴きに行った。ジャズを中心に日本の曲も織り交ぜて、じつにすばらしい演奏であった。自由な精神で、文字通り音を楽しもうとする姿勢が共感を呼ぶ。ともすれば形にとらわれてそこから脱却できず、発展性のない曲ばかり演奏している流派もあるこの世界ではかなり異色であるが、そこが魅力的である。それにしてもいい音を出していた。あんな音が出せれば楽しいだろう。
休み明けの週が終わったと思ったらもう連休である。政府はこんなに休日ばかり作っていいのか。
尺八演奏会が近づく
平成20年10月20日(月)
尺八の演奏会の日が迫ってきた。昨年、初めて参加した演奏会であるが、なにしろ人前で吹けるほどの技量もないのにプロの筝、三弦との演奏である。どういう結果になるかは想像できるだろう。まさに冷汗三斗の状態であったが、こういうものは場数を踏まなければ上達もないので、今年も性懲りもなく出るつもりである。合奏していただくプロの演奏家の方々と、義理で来場される人たちには気の毒なことだが我慢してもらうしかない。
昨日、チケットを頂いたので呉まで尺八の演奏会に行ってきた。これはプロの演奏家三人によるもので、なかなかよかった。会場にはざっと300人ぐらい入っていて、結構尺八を聞きに来る人がいるものだと妙に感心したことである。斯く言う私も自分が始めるまでは興味はほとんどなく、そういう世界があることは関心外だったからわかるのである。どの世界もそうであるが、一旦入ってみると結構面白く汲めども尽くせぬ味があるものである。特に歴史に裏打ちされた伝統芸能は、知れば知るほど奥が深い。しばらくはこの世界を探求してみたいと思う。
リハーサル
平成20年10月10日(金)
先日、11月に予定されている尺八演奏会のリハーサル替わりの稽古が某所で行われた。琴、三弦、地唄の先生方が東京から来られ、それぞれの曲を尺八と合わせて演奏するのである。自分の演奏を録音してあとで聴いてみると、プロの人たちがいかにすばらしいかということがはっきりとわかる。私の拙い演奏にも手を抜かず、きっちりと音を出していただいているのはありがたいことであるが、自分の演奏との内容の落差に愕然とする。
優れた演奏家は一つひとつのの音に細心の注意を払い、音のつながりを正確に、それでいて豊な表現を心がけているのだと思うが、自分のレベルでははるかに遠い目標である。まあ、あせらずにやっていこうと思っている。
魅力的な音
平成20年4月14日(月)
尺八を吹いていていつも思うのは、「魅力的な音」を出すことがいかに難しいかということである。「魅力的な音」とは、なんと言っていいか難しいが、きれいに抜けていてほんの少し高めに響く音、とでもいうか、とにかく聞いて耳に快い音のことである。楽器も声もすべてそうであるが、魅力的な音を出すことがいかに難しいことか。
声がいいのはほぼ生まれつきで、歌がうまい人は初めから上手で天性のものである。楽器は修練によっては声を使う歌唱よりは上達すると思われるがやはり天性のものが大きく、才能のある人がたゆまぬ努力をしてやっと人に聞かせられるようになるのである。自分は才能がないが、少しでもうまくなりたいと思っているのだが…
緊張の尺八演奏会
平成19年11月15日(木)
アステールプラザでの尺八演奏会が近づいてきた。あんな大きなホールで人前で演奏するのは初めてなので今から緊張している。まだ人前で吹けるほどうまくないのに、上達するためにも出なさいというお達しにより覚悟を決めたわけである。
問題点その1。当日、ちゃんと音が出るかどうかが心配である。なにしろ尺八は本当に音が出にくい楽器で、初心者の大半はこの時点でやめてしまう。さらに緊張すれば唇が渇いていっそう音が出なくなる。問題点その2は紋付袴を着て演奏しなければならないことである。着物を着ること自体、日常生活にないのに、慣れないことをするのは気が重い。正座するので足がしびれることだろう。問題点その3。楽譜を見るための譜面台を使うことは伝統的に禁じられており、床に広げるので実に見にくいのである。尺八の楽譜はカタカナのロツレチハが縦に書いてあり、字が小さく読みにくい上に、最近は視力も落ちていていっそう見えないと思われる。
これらのことを考えていると、やるぞという気持ちがなかなか起きてこないが、昨日一緒に出演される大先輩に偶然街中ですれ違った時、何十年もやっておられるのに、演奏のことが頭から離れず緊張しているとのお言葉を聞き、少しだけほっとしたことである。きっと緊張しているだろう初心者の気持ちをほぐしてやろうという、やさしい心遣いをしてくださったのではなかろうか。
小学校から和楽器を
平成19年7月6日(金)
尺八を始めるまでは、この伝統芸能にいろいろな流派がありその流派がまた細かく分かれているなどとはつゆ思わなかった。細かく分かれているわりには全体の人数は少なく、それでは発展のためには不利だと思うのだがそうなる理由があるのだろう。
尺八自体はすばらしい楽器であり歴史を経た芸能であるのにどういうわけか人気がない。西洋楽器と比べると手軽でないことと、音が出しにくいことがあるが、なんといっても明治の初めに教育音楽から和楽器・和楽(民謡を含む)をなくして、西洋音楽を取り入れたために親しみがないことが大きいだろう。かくいう私も和楽のよさがわかったのは最近のことで、小さい頃から西洋音楽一辺倒だったから和楽のどこがいいのだろうと思う気持ちはよくわかる。小さい頃から親しんでないととわからないのは当然で、やはり初等教育に取り入れるべきだと思う。
八寸管を買った
平成19年5月17日(木)
とうとう新しい八寸管を買ってしまった。自分の技術の未熟さを棚に上げ、新しい尺八を手に入れたのである。
以前から使っていた管は東京の工房まで行って手に入れたものであったが、当時はなにしろ超初心者で音の出し方もおぼつかなく、とりあえず少しでも音が出しやすそうな管を買い一生懸命吹いていたが、どうもしっくり来ないところがあり気になってはいたのである。そうだからといって自分にもっと合うように調整してもらうには、東京はちょっと遠くて簡単には行く機会がない。なにしろ連休ぐらいしか動けないし、一度や二度では調整できないだろうから難しいのである。
ありがたいことに最近、広島在住の製管師を紹介していただいたところ、これが非常に良い管を作っている人で、その人の作った管を吹いてみたところどれもよく鳴る管であることがわかった。そうなるとどうしても欲しくなる。やや不満があるとはいえ、今までなじんできた管を替えるのはいささか抵抗があったが、これも縁だと思い買うことにしたのである。結構気に入っており、喜んで吹いている。
やっと尺八が
平成18年9月5日(火)
やっと尺八を吹ける環境になったのはありがたいことである。8月は看護師さんの問題などでそれどころではなかったが、このところ落ち着いてきたのでまたぼちぼち吹き始めた。やはり音を出すのは気持ちがいい。
尺八は音を出すことそのものが難しい楽器だが、それだけに修練すればいい音が出せるのである。和楽器は西洋楽器よりも音の出し方や高さにあいまいな部分が あり、そこが難しくまた日本的で面白いところである。たとえばピアノは誰が弾いても同じ高さの音が出せるし、大きさも自在である。フルートも指使いにより 音の高さはほぼ決まっている。尺八は半音階を出すためには息の吹き込み方を変えた上に穴をふさぐ面積を微妙に変えないと出ないので、正しい高さを出すこと は至難の技である。さらに、美しい音を出すのはいっそう難しい。まさに名人芸が要求されるし、実際そういう名人が昔から何人もいるのである。デジタルとア ナログの違いといったらいいのか、そこが面白いところでもあり、若い人には受け入れられにくいところなのかと思う。