カテゴリー 日誌

日々是好日

平成25年11月15日(金)
今年は秋が短くもう冬支度が始まったかのようである。先週の連休には名古屋に行き、熱田神社、名古屋城、徳川美術館を巡った。名古屋観光ははじめてだったが、圧巻はトヨタ博物館とトヨタテクノミュージアムで、その規模と内容に圧倒された。結構歩き回ったせいか休み明けの朝、イスから立ち上がろうとしたら腰に違和感を覚えたので大事を取り、テニスも2週連続休んでいる。
先日、市内主要病院の外科部長の大腸がんについての講演があった。術後、抗がん剤を使うとのことであったので、いい機会だと思い「巷では抗がん剤は効かないという本が売れていて、読んでみると実に説得力があると思うが見解はどうなのか、また、間違っているならなぜ反論しないのか」質問してみた。それについての回答は、現在、抗がん剤を使うのは標準治療になっている、20人に1人は延命効果があるので、本人に決めてもらっている、とのことだった。答えにくそうだったので懇親会の時に話してみたら、「抗がん剤は効かない」という近藤誠医師への共感ともいえる本音などが聞けて有意義であった。
寒くなればお酒がいっそうおいしくなる。おでん、鍋、燗酒がたまらない季節になってうれしい。

どんな病気でも後悔しない死に方

平成25年11月8日(金)
表題は緩和医療医、大津秀一氏の著書である。氏は千人を超える人たちの緩和医療に携わってきた経験から、終末の医療について述べている。人は必ず死ぬので、最期を迎える時にどうしたら後悔しなくてすむのか、病気ごとにわかりやすく説いている。一貫した主張は「ほとんどの病気には治療が効かない段階が来る、そこからの苦しいだけの延命治療は控えて、自分のため家族のための最後の時間は大切にすべき」と説く。
氏はやすらかな最期が迎えられるように本人、家族と真剣に話し合い方法を探る。一人ひとり状態が異なるわけだから、それぞれの解決策は異なるわけである。じつに考えさせられる内容である。確かに自分たちもいずれ必ず死ぬのだから、日頃からどのようにするか考えておくことは必須である。そのための参考書としてすぐれた本だと思う。尤も氏の本音だと思われるが、「自分の理想とする死に方は、平均年齢まで生きて普段から皆に、ありがとうな、おじいちゃんはそのうち死ぬから後は頼むな、と言い含めある夜心疾患で寝ている間に苦しまず亡くなる」というものだが、これは宝くじに当たるぐらい難しいだろう。

ホルモン補充療法の勧め

平成25年11月1日(金)
東京歯科大学市川総合病院産婦人科教授、高松潔氏のホルモン補充療法(HRT)についての講演があった。氏はわが国のHRTガイドライン作成の責任者である。更年期を過ぎると女性ホルモンが出なくなり、自覚することは少ないかもしれないが全身さまざまな部位で老化が進む。これを防ぎQOLを高めるために、以前より女性ホルモンを補うHRTが欧米を中心に行われており、アメリカでは20世紀後半には600万人の女性が使っていた。
ところが、WHIなどの検定でその効果が疑問視され、一時使用が控えられていた。それでも更年期障害の治療には最適であり、骨粗鬆症を防ぐにも有効なので世界中で様々な大規模検定が行われその結果、使用開始時のきちんとした検査とフォローがあれば、QOLを高めるためにも使用を勧めるとの結論が出た。氏は大学の関係で歯科の医師たちともつながりがあり、HRTは顎骨の骨密度を増やし歯が抜けるのを防ぐという。
20年以上前からHRTは理にかなったすばらしい方法だと思い勧めてきたが、上記の流れで一時控えていた。これからは意を強くして大いにHRTを勧めていきたいと思う。

近藤理論への反響

平成25年10月25日(金)
近藤誠医師の「医者に殺されない47の心得」は100万部のベストセラーになり、同時期に出版された「余命3カ月のウソ」「抗がん剤だけはやめなさい」「がん放置療法のすすめ」なども合わせると今、最も影響力のある本である。近藤氏が1996年に著した「患者よ、がんと闘うな」以来、一貫して世界中の論文、データ、自身の診療からの経験を通して訴えていることは、患者さんを治そうとすることがかえって苦しめることになっている事実に警鐘を鳴らしていることである。医学界からは反論はあったが、近藤氏の緻密な理論を論破できず「無視」をきめこんでいた。
最近、新潮45、11月号に掲載された西智弘医師の「近藤誠はなぜ売れるのか」という文章を読んだ。西氏は近藤理論をほぼ否定しており、「抗がん剤は効く」と主張しておられる。問題なのはその根拠が、自分の経験では○○さんには効いたという実例をあげての理論で、近藤氏のデータと論文をきちんと分析したうえでのそれと比べると説得力がないことである。
新潟大学名誉教授岡田正彦氏の「医者とクスリの選び方」を読むと、近藤氏とほぼ同じことを述べていることがわかる。曰く、「がん検診は有効でない」「抗がん剤は効かない」「健康診断、ドックは長生きに無関係」「薬をたくさん出す医者は要注意」など、近藤氏の主張を代弁しているかのようである。真実というものは変わらないものだと思った次第である。

弥山に登る

平成25年10月18日(金)
連休に湯布院に行く予定がなくなったので、運動不足の解消の意味もあり宮島の弥山(みせん)に登った。海抜535メートルの高さで登山というには気が引けるが、海抜0メートルから歩いて登っていく結構急峻な岩山なので、甘く見ると仕返しされるそうである。
世界文化遺産になった安芸の宮島は、古来より神の宿る島として崇拝されており、厳島神社の背後にそびえる弥山は様々な歴史があり、登山道も整備され初心者にも格好の山である。いくつかのコースがあるが、最も一般的な「紅葉谷公園入り口コース」を選び山頂を目指した。以前ロープウエーで登ったことはあるが歩いたのは初めてである。息をきらして何度も休みながら登ったが、外人さんの多いこと、さすが世界遺産である。約1時間半で頂上に着いたが、あいにく展望台は工事中で視界は今一つだった。おにぎりを食べリュックに忍ばせた加茂鶴を飲んで下りは途中に仁王門のある「大聖院コース」を選んだ。このコースが最も整備されているが、これが失敗だった。ほぼすべて石段になっていて膝にこたえるので、本来は登りより早くふもとに着くはずが同じくらい時間がかかった上に疲れた。帰りは己斐駅で下車し大好きなそば屋「はっぴ」で一杯やって帰宅。ここの主人夫婦は明日から10日間店を閉めてマラソンに行くのだとか。
山登りは途中は苦しいけれど登りきった達成感は、その時はそれほど感じなかったけれど翌日、翌々日と、ふくらはぎの痛みが癒えるに従ってわいてくるものだと実感した。季節によっては山歩きもいいと思った。

適材適所

平成25年10月11日(金)
学生時代から試験管を振ったり文献を読み込んで研究することがあまり好きでなかった。とにかく臨床をやりたかったので、実際に患者さんの問診をしたり聴診器をあてたりする実習、ポリクリ(臨床修練)と呼んでいたが、これが最も楽しく真剣にやることができた。実験室にこもって研究するより患者さんと接する方が性に合っていたのだろう。また、大学に残って教授を目指そうとか大病院の部長とか院長になろうとか思ったことは一度もなく、早く技術を身につけて自分の目の前の患者さんを自分のできる範囲で対処できればいいと思っていた。だから優秀な同級生や先輩、後輩には心からエールを送り初心を貫いてほしいと思ったものである。
幸い、自分の分に応じた医院を開くことができ、自分にできる診療を行ってきて気がつけば16年、先月から17年目に入った。これは医者になって三十数年のほぼ半分である。毎日、気持ちよく診療させていただいてありがたいことだ。たぶんこの状態が一番自分に合っていたのだろう。勤務医時代の多忙な日々もやりがいはあったし面白かったが、今あの頃の状態に帰れと言われても無理である。だれでも、その人に合った仕事をその人の状態に合わせて一生懸命やるのが一番幸せなことなのだと思う。

山崎豊子氏の作品

平成25年10月4日(金)
話題作を量産した作家、山崎豊子氏が亡くなった。氏の作品を初めて読んだのは高校時代、「白い巨塔」「続・白い巨塔」で、大阪大学をモデルにしたことがすぐにわかる「浪速大学」が舞台になっていて面白かったのだが、医学部を目指していた自分としては大学病院というのは怖いところだと思ったことである。話のポイントは財前教授が癌を見逃したために患者が亡くなるというところであるが、この点には疑問符がつくが細かい点がきちんと描かれていて今読んでも新鮮である。その後盗作問題などが話題となって、この作家に対して興味を失っていた。
十数年前、ふと本屋で見つけた吉本興業の創業者「吉本せい」をモデルにした「花のれん」を読んで面白さにはまって、文庫本になっている作品はほぼすべて読んだ。大阪商人でも特権階級といわれた「船場」で生まれた作者は、さすがにこの分野は詳しく思い入れもあり実に興味深く読ませてもらった。最も面白かったのは足袋問屋の後継ぎ息子の、家つき娘だった母、祖母たちとの葛藤を芯に、その成長と放蕩を描いた「ぼんち」で、この人でなければ書けない作品だろう。それにしても力のある作家だったと思う。合掌。

見た目と実質についての考察

平成25年9月28日(金)
通勤に使っているママチャリ風のアシスト自転車の具合が悪くなったので修理に出した。その間、オシャレを重視して買った赤いアシスト自転車を使ってみた。慣れれば問題ないのだろうが、やはりママチャリと比べると乗りやすさが違う。最近流行っているハンドルが一文字でサドルの高い自転車は、ロードレースにはいいかもしれないが市内を普通に走るには快適とは思えない。信号待ちをしている様子を見ても、いちいちサドルから降りるのは面倒だろう。赤いアシスト自転車はそれよりはマシであるが結構似せて作られている。
機能的に優れたものは本来、美しいものである。サルが木から木へ飛び移るのを見ても無駄のない自然な動きで危なげがない。体操競技の鉄棒やつり輪、跳馬などは手足をピンと伸ばすことが重要であるが不自然で見ていてはらはらする。サルたちは決してそのような不自然な動きはしない。見た目の美しさを大切にするのはいいのだが、本来の機能と異なってしまうことが多いのではないか。見た目を重視するのか機能を大切にするのか悩ましいところではあるが、自分としては機能を一番大切にしたい。

初期の桂枝雀

平成25年9月19日(木)
相変わらず桂枝雀のCDを聞いているが最近、初期の頃の音源を入手したので聞き比べている。枝雀25歳から全国的に有名になった40歳までのNHKラジオアーカイブスからの音源20席である。25歳の頃はまだ前座で「小米」と呼ばれていたが、話は流暢で教科書に載せたいような完璧な落語である。習った通りに正確できちんとした、いわば楷書の落語である。わずか入門5年目とは思えない出来で、これなら真打ち昇進が早いのもうなずける。その後の語り口の変遷は周知のことであるが、やはりきちんとした基礎があってこその変化であろう。周囲の人たちは「枝雀は化ける」と言っていたそうだがその通り大化けして全国的な人気者になった。
枝雀のもう一つの魅力は「まくら」が面白いことである。「まくら」とは落語の話に入る前にする短い話で、いわば導入であるが、独特の視点と語り口で面白く、彼のまくらを楽しみにしているファンは多かったようだ。昔から名人上手は多いが、やはり枝雀の落語は何度聞いても飽きない面白さがある。

子宮内膜症にはピル!

平成25年9月12日(水)
滋賀医科大学、村上節教授の講演があった。子宮内膜症の治療が難しかった症例について、反省をまじえながら検討されていて興味深い話であった。最近では子宮内膜症を手術した後は、ピルを含めたホルモン投与が勧められるようになったが、少し前は術後にピルの投与は行われていなかった。せいぜい高価な6カ月しかつかえない月経を止める注射・点鼻薬を投与するぐらいであった。わが国でピル(低用量ピル)が解禁されて15年になるが、当院では初めから子宮内膜症にはピルが最良だと考えて処方していた。その頃からずっと病院で子宮内膜症の手術をしたのに内膜症が再発した患者さんを見るにつけ、なぜ術後にピルを勧めないか歯がゆく感じていた。やっと術後のピルが一般的になったのは喜ばしいことである。
子宮内膜症の本質から考えれば、ホルモンレベルを下げて月経の量を減らすことが大切である。それを達成するためにいくつかの方法があるが、安全・手軽・経済的負担の少ないのはピルであることはだれが考えてもわかることだと思う。わが国でなぜもっと早く奨励されなかったのか不思議である。