医者の匙加減

平成18年7月15日(土)
患者さんの状態に対して医者によってずいぶん対処の仕方が違うものである。
最近セカンドオピニオンを求めてきた患者さんが二人おられたが、二人ともまったく同じことを言われて意見を聞きに来られたのである。自分ならそこまでの検査と治療をしないだろうと思われるケースだが、それ自体は間違いではない。たとえて言えば、街中は危ないからきちんとした服装とついでに傘も持って出かけ るか、そこまでせずふつうの服装でいいのかということである(あまり良いたとえではないが)。本当に必要なら重装備も良いが毎回ではたまらないだろう。色々考えさせられたことであった。

英国発のテニスとサッカー

平成18年7月10日(月)
ウインブルドンのテニスが終わった。自分としてはW杯よりもテニスの方が見ていて面白かった。なにより華麗な技がわかりやすくショーとしても楽しい。男子 は大方の予想通りフェデラー、女子はモーレスモが優勝した。男子優勝戦は世界ランキング1位のフェデラー対2位のナダルのすばらしい戦いであった。トップ レベルの選手の技術、運動能力はまさに芸術である。
サッカーは戦いを前面に出して全身で戦う格闘技ともいえるゲームだがテニスは華麗な技術を楽しむスポーツである。一方が荒々しい男の闘争なら他方は上品な 紳士淑女のスポーツである。異説はあるがサッカーもテニスも英国が起源らしいが、異なった二種類を同時に生み出したのは興味深いことである。

北朝鮮のミサイル

平成18年7月5日(水)
朝から北朝鮮によるミサイル発射のニュースが飛びかっている。はじめは4発と言っていたのが最終的には7発発射したそうである。
近隣にぶっそうな国があるのはかなわないが、人間は太古よりいつも争ってきた。今も世界中のどこかで争いがおこっている。きっと人間を含め生き物は自分の テリトリーを守ったり広げたりする本能があり、そのために争わなければならない宿命があるのだろう。わが国は昔から他国と隔絶しており他国との争いは少な かったので、国内でどうしたらうまくやっていけるかが最も大切なことであった。そしてそれをうまくやってきた歴史がある。でもこのやり方は日本という独特 の社会があってはじめて成立したことで、国同士では絶対に無理だろう。いざとなれば我々も戦わなければならないだろうが、争いは大きな犠牲を生むだけであ る。どうすればよいのかわからないというのが正直なところだ。

激しい雨

平成18年7月1日(土)
なんと!もう7月(文月)である。朝から激しい雨で道路に水溜りができて川のようになり、横断歩道を足をぬらしながら渡っている人もいた。まことに迷惑な雨である。
尺八を吹いていると呼吸法がいかに大切かを感じるが、ジャズと尺八の名演奏家である中村明一氏が「密息」という呼吸法について紹介していた。西洋人と異な り日本人の昔からの呼吸法で、実に理にかなっている。機会があればここでも紹介してみたいが、しばらくはこの呼吸法を実践してみようと思う。

磯田道史著「殿様の通信簿」

平成18年6月27日(火)
磯田道史著「殿様の通信簿」という本がある。ベストセラーとなった「武士の家計簿」の著者の作品であるが前作と同様に古文書をもとに江戸時代の各地の「お殿様」に対する幕府の評価と実際のところはどうだったのかなどを記していて面白い。
時代劇などで大奥で寝泊りして昼はあまりすることがないのでボーっとして過ごしている「バカ殿様」が描かれているが、それは事実だったらしい。無論全部の 殿様がそうではなく一部ではあったようだが、実際お家を存続させるためには「殿様」はお家の象徴であり、なまじ政治に口出したりせずそういうことは優秀な 部下たちにまかせて子作りに励んで習い事でもしておいたほうがよかったのである。だから「能」好きな殿様が実に多かったそうである。
考えてみれば「殿様」はあまり面白くなかったのではないだろうか。お家を創るまでは実力も運も必要で、うまく「お家」ができるのはまさに僥倖でありそれだ けに喜びも大きかっただろう。しかしひとたび「お家」が確立してしまえば「お家の存続」だけが必須となり、前記のようなことになるのである。これは武士の 世界に限らず商人の世界でも同じようで、「船場」のことを描いた山崎豊子の小説を読めば、戦前までの「老舗」の存続のさせ方は武家の「お家」の存続のさせ 方と実によく似ていると思うのである。

薬害C型肝炎

平成18年6月24日(土)
先日フィブリノーゲンによるC型肝炎の判決が出た。被害者救済はなによりも迅速に行わなければならないが、血液製剤による感染の問題は将来も起こり得ると思う。
エイズにしてもC型肝炎にしてもウイルスの存在そのものがわからない時期があった。その後それらのウイルスの存在と血液を介して感染することがわかったと きには遅かったのである。厚労省や製薬会社の対応が遅かったのは問題であるが、どんなに早く対応しても100%は防げなかっただろう。むろんエイズウイル スの感染をひきおこした非加熱製剤の問題は決して許されるべきでなく、慾と金のからんだ犯罪と同等であるがそうではなく誠心誠意治療していて知らずに感染 させていることがあるかもしれないのえある。たとえば私が小学生の頃はツベルクリンテストで一本の注射器を何人もの生徒に使いまわしていた。確率は低くて もウイルスの感染が起こっていたかもしれないが、当時はその可能性を考えたこともなかっただろう。
今我々ができることは、歴史に耐えていない薬や血液製剤を使うときはその製剤について常に新しい情報を取り入れ、絶対必要でないかぎり軽々しく使わないようにすることである。

アンケート(仕事と育児)

平成18年6月19日(月)
ここ数日は夏を思わせるような日差しである。梅雨明け宣言が出てもいいような天気が続いている。今年は季節の変わり目が短いように感じる。
最近、出身の医局から産婦人科の女性医師が増えているが仕事と育児の両立についてどう思うかとのアンケートを求める書簡が来た。男性医師に対して行われた もので、夫婦の間で育児をどのように分担しているか、家事その他はどうか、お産で夜呼ばれた場合どうするのか、などていねいな調査である。この問題は医師 に限らず全世界の女性にかかわる問題であり、育児の負担をいかに仕事に及ばないようにするかということである。基本的には子供が乳幼児のときは母親がより 必要だし、思春期以降の男の子には独立心をうながす意味でも父親の存在はより大切だろう。かつて一般的だった祖父母、両親、子供が同居していた時代には、 昼間はおばあちゃんが孫の面倒をみてその間母親は農業などで働き夜になると育児をした。おそらくこれがいちばん自然で無理のない方法だと思うが、今の核家 族では難しいだろう。なかなかうまい方法がないというのが現実ではなかろうか。

大敗のW杯第1戦

平成18年6月14日(水)
残念ながらと言うかやはりと言うべきかW杯第1戦は大負けだった。次回からなんとか頑張って欲しいが、サッカーの時だけ応援してもパワーが出ないのは当然 である。竹島問題、尖閣列島問題、基地の問題、北方領土問題など国民が本来憤るべきことに何の関心も示さないでスポーツだけ頑張れなどできるはずがない。 これらの問題に対して他国はどれほど激しい反応を示すか。かつて英国がフォークランド紛争に対してどれほど反撃したか。まさに国を挙げて戦う姿勢を見せ た。これが本来の国のあるべき姿だろう。もちろん日本は「和」を大切にする国だからそれを掲げて独自の道を進めばいいが「強さ」は絶対に必要である。なん とか少しでも本来の国の姿に近づいて欲しいと思う人も多いと思うのだが。

W杯は代理戦争

平成18年6月10日(土)
W杯が始まった。こういった世界の大会の時になるといつも日本と他の国の違いを感じてしまう。
オリンピックにしても「参加することに意義がある」などの言葉を半分以上まじめに考えているのは日本ぐらいなものではないだろうか。そもそもオリンピック が、国家間の争いがあまりにも多いので少しでも緩和させようとして創られたいわば国家間のガス抜きであることは常識である。だからお祭り的な要素は大きい が同時に国家間の代理戦争の面があるのも否めない。かつてのソ連をはじめ東欧諸国はメダルを多く取るために国家を挙げてあらゆることをした。代理戦争の面 があるのだから勝たねばならないから当然のことである。今でも世界の国々や選手はそういう意識で戦っているのではないだろうか。ドーピングチェックがあれ ほどきびしいのもそれだけどんなことをしても勝とうとする選手、コーチが多いということである。
わが国ではおそらく親睦第一でメダルがとれたらうれしいが頑張ったんだからいいぐらいの意識ではないだろうか。W杯にしても他国の応援のすごさはまさに代理戦争であることを感じさせる。「和をもって貴しとなす」わが国としてはどうしても代理戦争であると意識できないのは当然である。

病気になった時に

平成18年6月7日(水)
人は病気になったとき、それが悪いものや治りにくい場合は特に、いい医師に見てもらいたいと思うのは当然である。たとえ信頼している医師からその病気につ いてのエキスパートを紹介されてもその医師の腕は本当にいいのか、人柄はどうか、自分のことをきちんと診てくれて過不足のない最良の治療をしてくれるのか など、不安はつきない。さらにその病気の予後はどうなのか、一般的には5年生存率は○○%というが自分についてはどうなのか、手術をすることになったら失 敗しないだろうかなど、不安は雲のように広がる。
私自身も以前手術を受けたことがありその時にいろいろ考えることがあったから、その気持ちはよくわかる。でも医師の側から見ると誰に対しても全力で治療をするし、紹介状があるから、付け届けがあったから、知り合いにたのまれたから、などの理由で差をつけることは絶対にない。医師は人の体を診るプロであり、 職人的な要素を持っていて、職人の部分では特に目の前の仕事は絶対に手を抜かずに全力でいい仕事をしようとする性(さが)があるので、相手がたとえ犯罪者であったとしても同じように手を尽くしてしまうのである。私の知る限り、まともな医師は全員そうだと思う。
ところが、日頃からそう思っている自分がいざ手術される立場になると、前記のような不安を感じるのであるから普通の人が不安を抱くのは当然のことだろう。だからこそ強調しておきたい、まともな医師は情実で差をつけないしつけられるはずもないことを。