カテゴリー 日誌

おいしい「とくみ鮨」

平成23年7月1日(金)
早いもので平成23年も後半に突入してしまった。以前にも書いたが本当に月日の経つのが早い。毎日変わりばえもせずうかうか過ごしていると、もう7月かと驚くありさまである。驚きついでに久しぶりに鮨を食べに行った。
近くにある「とくみ鮨」はじつにおいしい。特に、こはだ、たこ、あなごは絶品である。ほかのネタもよく吟味されており、ネタケースを見ているとうきうきしてくる。ちょっとした酒肴も味付けが良く、こういうのは店主のセンスだろうと思う。子持ちコンブの厚いこと。さば、とり貝、しゃこもおいしい。もう少ししたらしんこも入ってくるとか。鮨はすばらしい日本の文化だと思う。けれども歳とともにたくさん食べられなくなって、おいしいものをちょっとで良くなってきたのは喜んでいいのか悲しむべきなのか。いずれにせよ一食一食を大切に暑い夏をしのいでいかなければ。

ウインブルドン

平成23年6月24日(金)
ウインブルドンのテニスが始まった。おとといの夜はクルム伊達選手があのヴィーナス・ウイリアムスを相手に一歩も引かず、すばらしい戦いを見せてくれた。正直なところ、40歳の伊達選手がここまでやれるとは思わなかった。夜12時を過ぎて始まるので、一応録画するようにしていたのだが、つい見てしまったら目が離せなくなった。寝不足になると困るので、惜しかったけれど途中で無理にテレビのスイッチを切って寝たが、翌日録画を見て感嘆したことである。
昨夕は超音波の講演に久留米大学から来られた先生がテニスが好きで、やはり見てしまって寝不足です、とおっしゃっていた。わが国ではスポーツを始め他の分野でも、世界に通用するのは女性である。男たちはあまり冴えないのはどういうわけだろうか。でも、その優秀な女性たちを同胞と思えるのはうれしいことである。

文芸春秋7月号

平成23年6月17日(金)
文芸春秋7月号の特集は「大研究 悔いなき死」である。その中で、大津秀一医師の「ホスピスで見た1千人の死、最後の言葉はありがとう」の文章は興味深い。
人は死期を悟ったら最後は従容として従うようである。その心境にいたるまでにどんな葛藤があったかは誰にもわからない。少しでも生の望みがあればどんな苦痛にも耐えて治そうとするだろう。がんを切除する手術、抗がん剤治療を受けることなどがそうである。それらが無効だとわかると、すべてをあきらめ次第に衰えていき、最後は穏やかな死を迎えるようにみえる。でも本人の心の中はだれにもわからない。生老病死は必然であり、死ぬときは一人である。だからこそ生きている間は人とつながりあって生きたいものなのである。

すすまないワクチン

平成23年6月10日(金)
今日から子宮がん予防ワクチンの接種がOKとなった。といっても、今年高校2年生になった人と、1月から3月までにすでに接種を開始している人の2回目ないし3回目の人だけが対象であるが。初めての接種はまだ無理なようである。
震災を期にいろいろ困難なことが続出している。財政破綻ははっきりしているのだから、バラマキ政策はすべて中止しなければ仕方ないだろう。われわれ国民もバカではないのだから、今国の財政がどうなっているかぐらいはわかっている。政府はまともな政策を施行してほしいものである。

適応とがん

平成23年6月4日(土)
女性ホルモン依存腫瘍である乳がんや子宮内膜がんは、閉経後の血中女性ホルモンがほとんどない時でも増殖していく。それは、腫瘍組織内でホルモンを作っているからで、このことがわかってきたのは1980年代以降である。がん組織が生き延びるためには、本人にはお構いなく何でもやるということだ。
生物は環境に適応するためにその形や代謝を様々に変えて生きてきた。環境に合わせて変えることができた生物のみが生き延びていて、それ以外は全部滅びてしまった。飛躍するようだが、変える能力を持っているがゆえに「がん」も発生するのである。つまり、良い方に変われば「適応」として生き延びることができ、悪い方に変われば「がん」となって滅びる。「適応」と「がん」は紙一重、表裏の関係である。だから人類は「がん」を克服することはできないだろう。

赤字大国

平成23年5月27日(金)
まだ5月なのに広島も梅雨に入ったそうだ。台風も発生して沖縄から本州の南を通過するという。今年は東日本大震災をはじめ、天変地異の起こる年なのだろうか。
太平洋戦争で完膚なきまでに壊滅したわが国が、死に物狂いで頑張って復興し、世界第2位の経済大国となったことは奇跡であった。ところがある時から国は借金して予算を立てるようになり、いまや1000兆円の借金国になりさがった。今も毎年赤字国債を発行し続けている。このままでは早晩、国は借金でつぶれるだろう。こうなったのも目先の利益を与えてくれるような政治家を選んだ我々が悪かったのである。
わが国はこのたびの震災でもわかったように、決して我慢できない国民ではない。品性のある政治家が情理を尽くして説得すれば、借金を返し子や孫のために窮乏生活をする覚悟はあるはずである。地方では橋本大阪府知事や河村名古屋市市長など新しい政治のうねりが起こっている。国にもこのうねりが起きて欲しい。

児玉清氏と逸見正孝氏

平成23年5月20日(金)
パネルクイズ25の司会でおなじみの児玉清氏が亡くなった。一視聴者としてご冥福をお祈り申し上げる。
テレビや新聞の報道によると、昨年12月頃胃の不調があったが、胃カメラなどが嫌いで病院へ行かず今年の3月に胃がんの末期とわかり入院していたが、先日安らかに亡くなられたという。治療は抗がん剤を投与しかけたが副作用が強くて中止し、亡くなられる4日前まで普通に寝起きされていたそうである。
昔からこれらの死に至る病は「老衰」と言われることが多かったが、現代は検査法が充実してきたので正しい病名がわかるようになった。そして手術や抗がん剤の投与など徹底的に治療されるようになった。それでも亡くなる時は何をしてもだめなのである。その場合は病の苦しさに加えて、治療による痛みや苦しみが加わる。患者さんは治療が役に立つと思うからその苦しみに耐えて治療を受けるのである。
治らないのなら、痛みや苦しさをできるだけ緩和するようにして、やすらかに逝かせてあげるのが医療者の務めではなかろうか。そして治るか治らないかはベテランの医療者ならほぼわかるはずである。
かつてアナウンサーの逸見政孝氏が同じ胃がんで亡くなられた時の気の毒さに対しては、医療者は心底反省すべきである。入院前日まで仕事をされていたが、入院・手術・抗がん剤で苦しんだ末に一度も退院することなく亡くなられた。入院中「こんなに痛い思いをしたことは生まれて初めてだ」と言われていたそうである。

五月晴れ

平成23年5月13日(金)
久しぶりの長雨の後、一転して今日はまさに五月晴れ、気持ちのいい天気だ。人の気持ちなんてちょっとしたことで変わるが、やはり天気は大きいと思う。
北陸から山陰にかけての裏日本(失礼な言い方だと思うが)は天気の日が少ないというが、瀬戸内地方は晴れの日が多いのはありがたいことである。ただ自分は日本一晴天の日が多いという岡山で育ったので、広島に来た当初は結構曇った日が多いと感じていた。でも20年も住めばこれが当たり前で、ありがたいことだと思っている。
昔からお天道様に手を合わせて拝むという風習があったが、歳を重ねるにつれそれが当たり前のことだと思うようになった。お天道様というか何か大いなるものに対する感謝の気持ちである。

連休

平成23年5月7日(土)
当院は暦通りなので連休は3,4,5日だけだった。勤務医だった頃は、連休がゆっくり休める貴重な時だったが今は、特に予定がなければ連休が欲しいとは思わない。
今回は、一日は鳴門の大塚国際美術館、一日は孫を連れて備北丘陵公園、一日は能美島で釣りと野菜作りを趣味にしている人のところへ行ってメバルや野菜をご馳走になった。釣りを趣味にしている人がつくづく羨ましかったが、今から始めるのは難しそうだ。でも釣りに加えて晴耕雨読は魅力的ではある。弟子にしてもらおうかと思ったことであった。

自粛と社交

4月30日(土)
大型連休が始まったが、当院は暦通り。日曜・祝日以外は開院している。このような混雑が予想される時には移動が大変である。予定を決めず、臨機応変に動くつもりである。
英国ではウイリアム王子とケイトさんの結婚式が行われ、世界中で20億人が中継を見ていたそうである。わが国からは皇太子ご夫妻が招かれていたそうであるが、東北大震災のために自粛したとか。ウイリアム王子はわが国の震災に心強いお言葉を発せられたいわば数少ない味方である。婚礼には出席するのが、礼に適うあたりまえのことであろう。このような社交はわが国の国益にとってもきわめて重要なことである。自粛を決めた責任はすべて現政府にある。現政府はいったいどこまでわが国を貶めればすむのか。民主党・管政権よ1日も早く解散総選挙をして民意を問え。