平成22年10月2日(日)
当院でピルを処方している患者さんが、職場の婦人科健診のために健診施設を受診したところ、異常を指摘されたと不安そうに来院された。担当の医師が「腹水がたまっているので詳しい検査が必要だ」、「あなたの卵巣は小さいから妊娠は難しいかもしれない」と言ったという。本人は驚いて「かかりつけの病院があるので」と、あわてて当院に来られたわけである。
分娩歴もあり、婦人科の異常はないことを確認していたので、おかしいと思いながら診察したところ、確かにダグラス窩に少量の腹水は認められた。でも、後屈子宮では構造的に腹水の存在がわかりやすくなるだけで、異常とはいえない。また、卵巣についてもピルを使用していると排卵が抑制されるのでやや小さくなることはあるが、ピルを中止すればすぐに元にもどる。その旨お話したら安心されたのでほっとしたが、こんなことで患者さんを不安にさせた医師に対して思うことがあった。
医療の目的は治療を含めた「癒し」だと思うが、これが本当に難しいことは日々感じることである。それでも少なくとも、患者さんが不安な気持ちになるような言葉は慎んでもらいたい、と強く思ったことである。
カテゴリー 日誌
心ない言葉
クリニックの内装
平成23年9月27日(火)
クリニックの床とクロスの張り替えを行った。一見、それほど劣化していないように見えるので一年、また一年と延ばしていたが、これ以上は無理だと思って業者と相談して日曜日に一日で強行することにした。結局7割しかできず残りは後日になったがとりあえずはこれでよし。
開業4年足らずの平成13年(2001年)3月24日土曜日午後3時27分、マグニチュード6,7の芸予地震が発生した。瀬戸内海広島沖、安芸灘直下が震源地で、県内の最大震度6弱、広島市は震度5弱だったそうである。ちょうど外来診察中で患者さんが診察台から下りたところで大きな揺れが起こり、机にしがみついたがこのまま揺れが続いたら建物が崩壊するのではないかと実に怖かった。幸い揺れはじきにおさまり患者さんにもスタッフにも怪我はなかったが、医療器具を収納している重いスチール製の戸棚が倒れ、器具は散乱しガラスは破れ、後片づけが大変だった。困ったのが壁のクロスに破れが生じたことである。少しずつ何か所もあり全面交換するほどでもないが、気になるので業者に頼んで応急処置をしてもらったけれどそこに目がいくたびに不快であった。
震度5弱でもこの被害である。あらためて東日本大震災の規模の大きさと被害の深刻さを思ったことである。
秋分の日
平成23年9月24日(土)
秋分の日の昨日、秋晴れの爽やかな一日に岡山から友人夫婦が次女の孫を見に我が家に来てくれた。友人の次男夫婦とその子供も伴って。娘たちにとっても、小さい頃から家族ぐるみで旅行に行ったりしているので親戚のようなものである。長女も娘を連れてきて大人9人、孫3人の宴会となった。
子供たちの年も同じくらいで同じ頃に結婚しているのでいっそう親しみが増すようである。友人の持参したワインを飲みながらわれわれジジババたちが談笑している間、子供たちや孫たちの笑い声が絶えなかった。一緒に旅行に行きはじめた20年前に、このような日が訪れることなど誰が予想できただろうか。うれしい一日であった。
伊勢・志摩
平成23年9月20日(火)
久しぶりの連休なので伊勢参りを兼ねて伊勢・志摩に行ってきた。伊勢参りは江戸時代より「おかげ参り」といわれ、めでたいことがあったことのお礼の意味で行われていたという。最盛期には年間450万人、当時の人口からいうと5人に1人がお参りしたほどのブームだったそうである。孫も無事に生まれたし、一度は行っておきたかったので思い立ったわけである。幸い、宿は前から泊まってみたいと思っていた志摩観光ホテルが予約できた。
伊勢神宮には外宮の豊受大神宮と内宮の皇大神宮の二つの神様が祭ってあり、御祭神は天照大神で御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。参拝者は思ったよりもはるかに多く、特に内宮の門前町を擬したおかげ横丁は人また人で、まっすぐには歩けないくらいであった。内宮は山全体が聖地になっていて、苔むした木々の間を歩いていると、聖なる霊気に触れるような思いがする。わが国は仏教も強く根付いているが、古事記にもあるように大本は神々の国である。初詣に神社にお参りして祈るのは、我々の生活の一部になっている。その大本ともいうべき伊勢の聖地を訪ねることができたのはありがたいことであった。
ロバート・ショウ合唱団
平成23年9月12日(月)
久しぶりにロバート・ショウ合唱団のCDを聞いてみた。曲は黒人霊歌、フォスターの作品、シーシャンテなどであるが実にいい。ロバート・ショウ合唱団は、1949年アメリカで設立され、またたく間に全米屈指の合唱団として評判になり、その演奏のすばらしさをトスカニーニに認められたそうである。活動期間は短かったが、その時に録音した音源はいまでもCDとして売られ、根強い人気がある。
大学時代にこの合唱団のレコードを聞いてそのすばらしさにしびれていたが、その後も折に触れて聞くたびに、上記の曲をこれほどすばらしく演奏できる合唱団はもう二度と出ないのではないかと思ってしまう。人間の声ほど魅力のある楽器はないと思うが、その声を使ってこれほどすばらしい演奏を行ったのは奇跡に近いことだと思うのである。
人工妊娠中絶術について
平成23年9月5日(月)
人工妊娠中絶術と流産の手術は開業後多件数行っているが、毎回特に注意力を集中して行う手術である。一番大切なのは子宮頸部と子宮腔をわん曲に合わせて拡張するところであるが、この時に注意しないと穿孔の危険がある。さらに内容を排出させる場合、組織が残ってはダメだしかといって必要以上に掃爬しても子宮内膜が薄くなるので、この加減が難しい。鈍匙の指先に伝わる感覚が大切である。麻酔薬の量も人それぞれ微妙に効き方が違うので、その時の状態に合わせて量を調節している。手術を終えたら超音波で確認して終了とするが、それでも組織の一部が遺残することがある。ほとんどの場合は自然に排出されるが、時間がかかる場合はお話して再掃爬させていただく。
この手技は産婦人科医にとっては基礎の中の基礎ともいうべきものであり、ベテランの医師にとってはありふれた手術である。だからこそ30年間この手術をやってきた自分でも、いつも初めての時と同じように気持ちを引き締めて行うのである。
セブンイレブンの撤収
平成23年8月30日(火)
昼休みに食事に出たら驚いたことに、筋向いにあったセブンイレブンの撤収作業をしていた。たしか昨日までは営業していたはずである。よく店が入れ替わること。店のあった場所はこの14年でミスタードーナッツ→スターバックス→セブンイレブンと替わってきた。クリニックを開業した頃に作ったパンフレットやホームページに、場所を示す目印として使っていたので、なんども変えるのはかなわないと思っていた。セブンなら簡単には替わらないだろうと思っていたが甘かった。次には何ができるのか知らないが、もう目印に使うのはやめよう。
もっとも、いちばん大きく変わったのはダイエーがあった場所である。ダイエーがなくなってデオデオになり、今は駐車場(グランドパーキング本通)になっていることをだれが予想できただろうか。広島の中心で最も変わりやすい場所とはいえすごいことである。
尺八の稽古
平成23年8月23日(火)
先日、久しぶりに尺八の稽古をしていただいた。さすがに師匠は音の広がり、音程とリズムの正確さ、表現の豊かさなどすばらしい技を持っておられる。今回も、なるほどと思ったことがいくつかあった。自分の欠点や弱点はなかなかわからないものである。その点、師匠に率直に指摘されると腑に落ちて修正できる。いい音を出すのは難しいけれど楽しいものである。
尺八の流派は大きく二つに分かれており、伝統を守って本曲・地唄を主に演奏する琴古流と、明治時代に興った都山流があり現在ではこちらが最大の組織になっている。都山流では本曲はもとより現代曲、さらにはポピュラー、ジャズなどの曲も演奏するので魅力的である。さらに都山流から分かれた上田流、その他小さな流派はいくつもある。伝統を守る琴古流はそれはそれで味わい深く、現在自分が属している流派であるがまだまだわからないことが多い。それでも要は気持ちよく吹ければいいので、現代曲をはじめ色々な曲に挑戦している。
孫誕生!
平成23年8月16日(火)
予定日を過ぎてもいっこうに生まれる気配がなかった次女に、無事男の子が生まれた。長女にはもう女の子がいるので、自分にとっては二人目の孫になる。本当によかった。以前にも書いたが、娘のお産はじつに心配なものである。これは自分がその立場になってみないと実感できないことで、かつて赤ちゃんを取り上げていた頃には、妊婦さんのご両親がどんなに心配しているか実感できなかった。
生まれる前日の夜、お盆休みで次女夫婦、長女とその娘、長男、久しぶりに全員がそろっての宴会も終わり、「いつになったら生まれるのかな」と言いながら片づけているときに破水、急遽入院となった。入院時には陣痛は全くなかったので皆帰宅。まだこれからと思っていたその深夜から陣痛が始り午前中に無事誕生、お世話になった先生、スタッフに感謝、これ以上望むことはない。
新しい命の誕生はうれしいことで、今日からいっそうはりきって診療できることだろう。
ホームページリニューアル②
平成23年8月10日(水)
今でこそブログはあたりまえだが、平成16年(2004年)当時の医療機関のブログは少なかった。そこで娘に頼んでホームページをブログが書きこめるようにリニューアルしてもらった。といってもブログ以外の内容はほとんど前のままで、字の間違いなどを直したぐらいだけれど。
ブログの題名は①に書いたように「開業日記」のパクリで「診療日誌」とした。初めは毎日書くことにしたがすぐに無理だとわかり、結局週一回というところに落ち着いている。これなら負担はほとんどなく快適に書ける。ブログを始めて驚いたことは、各方面からメールが来るようになったことである。中には故郷の同級生からのメールもありなつかしく励みになった。患者さんからの質問メールも増えた。そうしているうちに、なんだかんだともう7年も続いてしまった。歳と共に記憶力がおちているが、これを読み返してみれば日記のように当時の記憶がよみがえる。ありがたいことである。
今回はプロにお願いして本格的にリニューアルしてもらった。内容も現在の医療に合わせて書き変えた。何よりブログを充実できるように変えてもらったことがうれしい。いつまで続けられるかわからないが、無理をせず書いて行こうと思う。