「美しい日本の言霊」

令和6年6月14日
表題は数学者藤原正彦氏の著作である。氏は日本人にとって日本語は最も大切なもので、情緒を育てるのも優しさやあわれを感じるのも、美しい日本語あってのものだと以前から述べている。そのなかで、氏の好きな日本の歌を紹介しながら自らの生い立ち、体験を織り交ぜて解説している。私にとって氏は自分より9歳年上なので、共通する好きな歌は一部しかないけれど、どれも気持ちが伝わってきて共感させられる。
「ぞうさん」「たきび」など自身の幼少の頃の思い出と共にその歌を味わっている。「花の街」江間章子作詞・團伊玖磨作曲の歌は私が高1の時、音楽の時間に習った曲で、非常に好きな歌であるが藤原氏もお好きなようである。さらに「琵琶湖周航の歌」「別れの一本杉」「22才の別れ」「なごり雪」「ふれあい」「踊子」「月の砂漠」「秋桜」「学生街の喫茶店」なども共通の好きな歌である。これらは歌詞を見るだけで当時を思い出して懐かしくなる歌たちである。

指定医研修会

令和6年6月7日
先日、広島県医師会館で母体保護法指定医研修会があった。県医師会が主催する指定医には必須の研修会で、出席しないと指定医を外される研修会である。4人の講師(一人は教授)が講演したがどれも興味深いものだった。とりわけ大阪大学医学部から医師になり、弁護士の免許もとって弁護士事務所を開きながら医師も続けている、長谷部佳司氏の講演は面白かった。「産婦人科領域における医療倫理と法令順守」と題して1時間の講演で、法律に疎い自分には新鮮であった。医師の応召義務も令和元年12月に変更になり、以前は「診察治療の求めがあった場合には、正統な事由がなければ、これを拒んではならない」とあり、それは今もそのままなのだが「正当な事由」がかなり限定されていた。それがだいぶ緩和され、時間外の診療も断ることができるようになった(すべてではないが)。また信頼関係の喪失した場合も新たな診療を行わないことが正当化された。
その前に行われた産婦人科医会の理事会・総会と合わせるとほぼ1日かかり疲れたが、役員はもっと大変だったと思う。お疲れさまでした。

「俺は100歳まで生きると決めた」

令和6年5月31日
表題は歌手で俳優の加山雄三氏の著作である。現代の健康ブームにまさにぴったりの作品で、思わず手に取ってみた。氏はもうすぐ87歳になるというが心身ともに健康で意欲も充分あり、やりたいこと(作曲・ラジオ出演・油絵・飛鳥の名誉船長など)もたくさんあるそうだ。自前の歯も27本あり毎朝スクワットをしているという。タバコは52歳で止め、酒は63歳で止めた。奥さんの松本めぐみと「エレキの若大将」で共演し結婚、ずっとおしどり夫婦を続けている。80歳になった時に脳梗塞で入院、幸い後遺症なく退院したがその後小脳出血も経験、それでも生活に不自由はない。また、80歳の時に持ち船の「光進丸」が原因不明の炎上し、沈没させたが「船の維持に相当な費用がかかるのでかえって良かった」と気持ちを切り替えている。
加山氏のすごさは身体が丈夫なこともあるが気持ちが常に前向きでへこたれないことだと思う。33歳の時におじが経営していたパシフィックホテル茅ケ崎が倒産、おじは姿をくらましたので、書類上の共同経営者の加山氏が23億円の負債を抱えてしまった。それでも気を取り直して返していこうと決め、コツコツ頑張っていたらホテルが17億円で売れてずいぶん楽になったという。気の持ちようが一番大切なことを教えてくれる著作である。

久しぶりの枝雀

令和6年5月24日
このところ桂枝雀のDVDを見ている。以前、はまっていた時に集めたCD、DVDなどが沢山あるがここ5~6年は一切見ていなかった。最近、ふと枝雀を見ようと思って再見するとやはり面白い。今見ているのは「枝雀落語大全」でDVD40枚あり1枚に2席の落語が収録されているので約80席の話が鑑賞できる。どれも熱演で1席語るだけで疲れるだろうと思ってしまうが、お客さんに笑ってもらおうと必死になっているのが伝わってくる。普段の会話やマクラの部分は自然で面白いのだが、古典落語のなると制約があるのでその中で笑いをとるのは難しいのだろう。もちろん枝雀の落語は抜群に面白いのだが、先達から教わったとおりに演じたものを自分の解釈で変えていった部分も多い。いつも落語のことを考え、稽古し新作落語もつくり(これがまた面白い)まさに落語一筋だった。
枝雀は20代の時に「鬱」になりその時は短時間で回復したのだが50代後半に再び「鬱」になり回復し始めた時に不幸なことがおこりこの世を去った。師である桂米朝は50代の枝雀をほめていたというが、落ち着いてきていい感じになっていたと思う。今生きていたらどんな落語を語っていたか見てみたいものである。

本の整理

令和6年5月17日
自宅の部屋の本棚もクリニックの部屋も本が溢れて置く場所がなくなっている。本棚にはもちろん入りきらず床に積み重ねているが、どうしようもなくなってきた。先日、自宅のマンガや本を段ボール2箱に詰めてBOOK OFFへ持ち込んだら4,000円くらいになった。あと20箱くらいは整理しないと本棚がきれいにならない。昔からこれは!と思って読んだ本は残しておきたいし、少しでも心に残る部分のある本も残しておきたい。もちろんマンガもいいものは残しておきたい。今一番余っているのは(故)さいとうかをのマンガで、ゴルゴ13シリーズ、仕掛け人藤枝梅安シリーズ、雲盗り暫平シリーズで10箱ぐらいあるかも。
古い本でもその当時は琴線に触れ熱心に読んだものは捨てることができない。実際に読み返すと、その頃のことが思い出されて何とも言えない気持ちになる。やはり本とはいいものだと思うが問題は置き場所である。困ったものだ。

休日診療

令和6年5月12日
今日は広島市の休日当番医として産婦人科の診療にあたる日である。年に2~3回まわってくるが、最近は休日が増えたのと施設が減っているため回数が増えてきた。日曜日はゆっくり休みたいがそうもいかない。順番なので連休の中日に当たることもあるし、外せない用事のある日に当たることもある。何回か頼まれて替わってあげたこともあるが、替わってもらったこともある。数か月前に医師会から都合を確認する文書が届くので、予定が決まっている場合はあらかじめ連絡すれば替えてくれる。問題は急な変更で一昨年コロナで入院した時は、知り合いの医師に代わってもらって事なきを得たが、ありがたいことであった。
ただ休日当番に来院する患者さんの数は、産婦人科が最も少なく内科や耳鼻科の患者数と比べると五分の一ぐらいで、果たして必要なのだろうかと思うこともある。最も診療が必要になる妊婦さんは、お産する予定の病院にいつでも相談できるので休日診療の産婦人科には来ないからだ。結構ヒマであるが替わりに日頃できない雑用などができるので、まあいいかと思う。

連休の谷間

令和6年5月2日
今、ゴールデンウイークで長い場合は10連休だというが、当院は暦どおりで4月30日、5月1日、2日は診療している。この連休の谷間は来院者が増えているが「他院で薬を貰っているけれどそこが閉まっているから来た」という人も多い。自分は海外旅行に興味がないし、混雑する上に値段の高くなるこの時期はあまり出かけたくない。もっとも今回は娘の嫁いでいる信州へ行く予定ではあるが。
昨日とは打って変わって今日は快晴で気温も高くなり、初夏のようだ。「夏も近づく八十八夜」と歌いたくなるような日差しである。そういえば「八十八夜」は立春から数えて88日、今年は5月1日が八十八夜だったそうだ。まさに暦どおりで先達はうまいこと言ったものだと感心する。いずれにせよ明日から4日間はゆっくり(でもないか)休めるのはありがたい。このところ忙しくて疲れている。リフレッシュするぞ!

パワーが落ちた?

令和6年4月26日
このところいろんな店に行きたいという意欲が落ちているように思う。以前はいい店があると知ればすぐに予約して出かけていたのに、今は新しい店をあまり開拓していない。旅行でも美味しい店が予約できなければ行かなかったのに、今はあまりこだわらない。数年前までは訪れた店をすべて記録していたが、最近は時々抜けてしまうことがある。何より食べる量が減っている(体重は増えているが)。昼に行く店も量の多くないところを選ぶようにしている。何しろ昼にとんかつを食べただけで体重が500gは増える(ような気がする)。一旦増えたらもう減らない。この間、生涯最高体重になって焦った。やはり代謝が落ちているうえに身体をあまり動かしていないからだろう。
平成22年4月から平成30年8月までの訪れた店の一覧表があるが、全部で260軒、一度だけしか行ってない店から80回以上訪れた店までよくまあこんなに行ったものだと自分ながら感心する。初めの頃は鮨や和食、居酒屋が主だったが次第にパスタ、焼肉などの店が増えてきて大体半々くらいになっている。かつてよく行っていたが行かなくなった店、もうなくなった店、今も通っている店など一覧表を眺めているだけでその頃の思い出がよみがえってくる。
今でも週1~2回は出かけるが、かつてに比べて回数も意欲も落ちている。そろそろ新店開拓しなければと思う。

「穏やかな死に医療はいらない」

令和6年4月19日
表題はがん専門の「緩和ケア萬田診療所」を営む萬田緑平医師の著作である。萬田氏は群馬大学医学部を卒業し17年間外科医として働き数百枚の死亡診断書を書き、その後在宅緩和ケア医になって14年間で1500枚の死亡診断書を書いたという。2,000人以上の死を見てしみじみ思うのは、生き方が死に方に出るということであると。
外科医として第一線で働いているときは、病気を治す・延命を図ることにひたすら頑張ってきたが、治せない・治らないがんを見続けているうちに、治療できなくなった患者さんの悲惨な姿を見るうちに、緩和ケア医になることにしたという。患者さんの治療(抗がん剤など)がいかに過酷で寿命を縮め、穏やかな死を迎えさせなくするかを見て今の診療所を立ち上げたのである。
萬田医師のもとで終末期を迎えた人たちの穏やかな死は、病院でチューブのつながれて苦しんで亡くなることと比べてどんなに人間らしいか。それを実際に行っている氏の著書を読むと、こういう医師が近くにいたらどんなに心強いことだろうと思う。今、日本中で同じような志を持って在宅治療をしている施設も増えているように感じる。そうなってほしいと熱望する。

宇能鴻一郎再び

令和6年4月12日
新潮文庫より復活新刊となった宇能鴻一郎の短編集「姫君を喰う話」と「アルマジロの手」は本屋で偶然見かけて読んでみたが実に面白かった。
氏は昭和9年生まれで、東大大学院在学中に発表した「鯨神(くじらがみ)」で芥川賞を受賞し作家活動に専念する。ユニークな作品を発表していったがいつのころからか「あたし濡れるんです」というエロかわいい官能小説で一世を風靡し、高額所得者の作家部門で7位になり「ポルノ宇能さん」と呼ばれるようになった。その後は氏の作品を見ることはなくなり世間から忘れられた存在だったが、この度初期の作品集が刊行されそのすばらしさに触れて他の作品も読みたくなった。
氏は満州での敗戦体験が原型にあり、食と官能を生命力の象徴として信用し、戦後の文化人が大切にした「正義」や「常識」などは一夜にして変わるものだとして信用していなかった。そして人間の奥底にある欲望、願望、妄想を抉り出す作品を生み出していった。実に味のある作品ばかりで、今後も氏の作品は残っていってほしいと思う。