令和3年3月22日
「周産期トピックスープレコンセプショナルケアとメンタルヘルスを中心に」と題して川崎医科大学産婦人科・下屋浩一郎教授の講演が行われた。ただし会場とWEBのハイブリッドでの開催で、今回はWEB参加にさせてもらった。会場で直接聞くのは臨場感があっていいのだが、スライドなどの文字が細かい場合読み取れないこともあり、その点パソコンの画面なら隅々まで確認できるので快適である。WEB参加の講演会はこれで3度目であるが、初めて行われたのは去年の春の産婦人科学会で、非常に快適なことがわかりコロナが落ち着いてもWEBは残してほしいと思ったことであったが、今回も一層そのように思った。
コロナ以前とコロナ以後では世界の状態は変わってしまうだろう。様々なことがより合理的でより快適な方向に行くのは自然である。オリンピックもこれからはどうなるかわからない。まさに世界が変わっていくのである。
ハイブリッド研修会(2回目)
コロンファイバー検査
令和3年3月10日
今まで胃カメラはおろか健康診断なるものは一切受けたことがなかったが、大腸検査をすることになってしまって先日、大腸ファイバー検査をしてもらった。健康診断の検査をしたことがないといっても、不調なことがあればそのための検査・治療はおこなうのは当然である。今までに2回の入院・手術を受けている。
2月中旬に下血があり3日間続いた。専門のクリニックに連絡して検査できる日をおさえてもらい、半日の木曜日を休診にして準備(これが結構大変である)、まな板の上の鯉になった。O胃腸科のO先生は多数の検査を行っているベテランの先生で、まったく苦痛なく検査をしていただいた。3日間の下血後は検査までの2週間全く症状はなく何の不調もなかったので、どこからの出血か不思議だった。幸い危惧したような所見はなく、問題ないということで一安心したが、健康診断で潜血(+)のためにこの検査を勧められるヒトは多いと思われるが、一日仕事である。
以前、脳のMRI検査をしたときはうるさいのを我慢するだけでよかったが、大腸の検査はそうはいかない。年を重ねるごとに体のさまざまなところに不調が起きるのは仕方がないので、これからはもっといろんなことが起きるのだろうと思った次第である。
16年前
令和3年3月3日
今日は桃の節句、3が並んだ。16年前の診療日誌を見たら、3月3日の日誌があった。気温の差は結構あるが確実に春が近づいているというほどの内容だが、今と全く同じである。やはりヒトは季節の移り変わりに大いに影響を受けるのだと思った。我が国に四季があり緑が多く水がきれいで豊富なことが、情緒豊かな国を作ったのである。せっかく春の足音が近づいているのに、コロナの後遺症?は消えず皆外出を控えて慎重姿勢を崩さない。昨年の今頃は緊急事態で頑張って、一旦収まったのに第3波がひどかったので仕方ないのだろう。早く例年のように気分よく花見、会食、講演会、コンサートなどに自由に行けるようになりたいものである。広島市で最近行われたPCRの結果では、市中のコロナウイルスの発見数は実にわずかである。すぐには自由に動けそうにない。困ったものである。
残り梅
令和3年2月24日
春のような温かさに誘われて光市の冠山総合公園の梅の里へ行ってみた。ここには100種類、2000本の梅の木が植えられていて、赤や白、薄紅の花が咲き誇っている。盛りはやや過ぎているようだったが、少なからず人が訪れていたがそれほど密ではない程度の人出だった。山全体に梅の木が植えられていて、歩きやすい通路が頂上に向かって幾層にも連なり、ゆっくり歩きながら梅の香りを堪能する。ところどころに句が読まれた石板があって風情を誘う。以前、来た時は正面の門から入ったが、混んでいたので裏から直接冠梅園に入る道を偶然見つけて歩いて登った。結構いい運動になったが、杖をついてゆっくり登る高齢の夫婦やジョギング姿で駆け登る若者などが散見された。今まさに三寒四温で寒い日と暖かい日が交互にやってきているが、次第に暖かくなっていくのだろう。春を予感する一日だった。
「医療現場は地獄の戦場だった」
令和3年2月17日
表題はハーバード・メディカルスクール第2の教育病院、プリガム・アンド・ウイメンズ病院のERに勤務する大内啓医師の著書である。新型コロナウイルス感染で運ばれてくる患者さんを受け入れているERの様子を淡々と描いているが、そのすさまじさは驚くばかりである。酸素飽和度の下がった患者にはマスクによる酸素投与、改善しなければ挿管を行うが、一度でうまく管が気管に入らない場合は死ぬ可能性が高いという緊張の中で、どんどん送られてくる患者さんの治療にあたるのは手に汗を握る心持である。仕事を終えて全身を完全に消毒して帰宅しても、家族とは接しない生活を続けている。
後半では大内氏がなぜアメリカで医師になったかを書いているが、父親の仕事の都合で小学校卒業後にアメリカに渡って英語も中途半端、劣等生だったが23歳で一念発起、30歳まで猛勉強をして医師になった。4年間のメディカルスクールの学費26万ドルは学費ローンで賄い、部屋代と生活費は親のすねをかじったという。医師になってからは内科と救急医療の専門医資格を取り、東日本大震災の時もDIMATの一員として石巻市で3週間医療活動を行った。
日本とアメリカの医療制度の違いも的確に書いていて、実に興味深く読ませてもらった。
ハイブリッド研修会
令和3年2月10日
広島県で毎年行われる産婦人科研修会が、今回は関係者の尽力で会場とWEBのハイブリッドで開催された。演題は岩成治島根県産婦人科医会会長による「子宮頸がん征圧のための最適な検診」と山田秀人元神戸大学産婦人科教授による「最新の母子感染対策:トキソプラズマ、サイトメガロウイルスほか」の2題である。今回はWEBで受講したが、やはり講演そのものは分かりやすく快適だった。会場で受講する場合、後ろのほうだったらスライドの小さな文字が読めないことがあるし、前に座っている人が邪魔で見えないこともある。WEBではこれらのことはすべてクリアされるし、講演の先生も仕事場や自宅(島根県と北海道)から講演できる。普段なら広島までの往復の旅費、滞在費、講演後の接待などかなりの負担がかかるし、講師の先生も1時間の講演なのに1日以上の時間を費やさなければならない。これらがすべて必要なくなるので合理的である。問題なのは人と人とのつながりが希薄になることである。やはり実際に会って話をしたり、食事をしたりすることで共感できることが大切である。コンサートなどは臨場感がいいのであって、CDやDVDでは限界がある。でも研修会についてはコロナ終息後もWEBと半々になっていくのではないだろうか。
コロナ自粛も終わりそうか
令和3年2月2日
暮れから感染拡大してきたコロナもようやく収まりだしたようで、緊急事態宣言も延長とはいっても順次解除になっていくと思われる。欧米と比べて我が国の人々の素晴らしさが浮き彫りになっている。いざとなれば一丸となって国難に立ち向かうのは、先の大戦のときもそうだが明治維新などでも同様ですごいことだと思う。先の大戦で米国が恐れ、我が国を完膚なきまでに痛めつけ、憲法まで押し付け、マスコミを統制して戦争を起こしたのは旧軍人でそれは悪いことだったと宣撫させたのも、こういう民族だと思ったからだろう。
コロナによる飲食業の疲弊度はひどいものであるが、移動・観光業会をはじめすべてにわたって甚大な被害がある。それでもみんなはじっと耐えて頑張っている姿を見ていると、日本はなんていい国なのだろうと改めて思う。以前にも書いたがアインシュタインが来日した時に「こんな素晴らしい国があることを神に感謝する」と言ったのもお世辞だけではなさそうである。
Bamboleo
令和3年1月27日
表題(バンボレオ)はジプシーキングの曲であるが、初めて聴いたのはフリオ・イグレシアスがカバーしたものであった。約30年前、モロッコで世界内分泌の学会があり発表したついでに、スペイン・ポルトガルを旅したことがあったが、その時のツアーバスの運転手がずっとフリオの曲を流していてアンダルシア地方の風景とぴったり合って実に快かったのを思い出す。特にバンボレオは何度聞いてもぞくぞくするような素晴らしさで、ポルトガル人の運転手に感動を伝えるとカセットをくれたのだった。
その後、マイライフ~グレイテストヒッツという2枚組のCDを手に入れて何度も聞いているが、フリオの歌唱力は最高である。フリオはレアル・マドリードのゴールキーパーだったが交通事故で瀕死の重傷を負い、療養中に医師である父親のアシスタントからプレゼントされたギターで作った曲が歌謡祭で優勝した。法律の学位を取得すると同時にミリオンセラーを連発するトップスターとなった。全世界のレコード・CDの売り上げは3億枚を超え世界のベストテンに入っている。
フリオの声は暖かく情熱的で快い。ポルトガル人の運転手も大ファンだったようで、フリオの歌をほめられたのが本当にうれしかったのだと思う。いいものに出合うのは素晴らしいことである。
薬の処方の要求
令和3年1月21日
患者さんに薬を処方する際「ついでに別の科で貰っている薬も処方してもらえませんか」といわれることが稀にある。その薬についてのきちんとした知識があり、自分でも処方したことがあれば受けることもあるが、基本的には処方しない。比較的多いのは漢方薬の処方希望である。当院では漢方薬は処方していないので断るのだが、強硬に要求する患者さんもいる。断ると来院しなくなる場合もあるが、自分が効果を認めていないものを処方するわけにはいかない。
日本人は薬好きだと言われるが、患者さんの薬手帳をみると多くの種類の薬を処方されている人がいる。いろいろな科でそれぞれ薬を処方されていると結構な量になるし、ついでに処方を頼みたくもなるのだろう。自分で本当に有効だと思わない薬は処方しないし、その理由をきちんと説明するとわかってくれる患者さんもいるし、そうでない場合もある。なかなか難しいことである。
ポケモンGO
令和3年1月13日
昨年、娘が里帰りしているときに教わったポケモンを今もやっている。初めは適当にやっていたのだが、数か月後いろいろ教わって面白くなって結構やるようになってしまった。特に今はコロナで行動が制限されているので、する時間がとれるし散歩のときにもいい。去年の4月から始めて今レベル36である。このゲームはGoogleの社内で作られ、今はNIANTICという社名で独立しているようだがGoogleの位置情報を使った優れものである。カーナビより正確で細かいのがすごいところで、道に迷ってもポケモンの画面を出せば、自分の居る位置が正確にわかる。カーナビには載っていない道まである。散歩していると、ジムの近くに車を停めて中でポケモンの画面を出している人を結構見かける。
ポケモンを集めて強くして他のトレーナーのポケモンと競わせたり、ジムに出てくるポケモンを手に入れてレベルを上げるゲームだが、簡単なようで奥が深い。ヒマなときには時間つぶしになるし、やっただけレベルが上がるところが世界中に愛好者を増やしている理由なのだろう。