令和5年1月27日
大下英治著「最後の無頼派作家 梶山季之」を偶然本屋で見つけ、かつて梶山氏の著作は結構読んでいたので懐かしくなり購入した。
梶山季之氏は1,930年に日本統治下の朝鮮・京城で生まれ敗戦後父親の故郷、広島地御前で育つ。広島高等師範学校時代に同人誌「天邪鬼」を発刊、後の美那江夫人と知り合う。肺に空洞があり(結核)上京しても定職につけなかったが、後を追って上京した美那江と結婚、喫茶店を経営しながら同人誌「新思潮」に参加して小説を書くようになる。
1,958年にフリーライターになり世紀の大スクープと呼ばれた「皇太子妃に正田美智子」をスクープしてトップ屋と呼ばれた。その後小説に専念して「黒の試走車」「赤いダイヤ」「李朝残影」など膨大な作品を書いたが激務とアルコールのために1,975年取材先の香港で客死した。肝硬変による食道静脈瘤破裂だった。
綿密な取材と体験をもとに小説の形で告発した作品も多く、「事実は小説よりも奇なり」のことわざを納得させられた。全著作は326冊、死後59点の文庫本が出版され1000万部以上売れたという。
美那江夫人は2,016年86歳で死去、世話していたクラブ「魔里」の大久保まり子は2012年「魔里」50周年を祝う会を盛大に行い、2020年12月まで店を開いていたが2021年1月死去した。梶山季之氏は風雲児のような人だったと思う。