月別記事一覧 2019年7月

和洋楽器の違い

令和元年7月26日
以前にも書いたが和洋の考え方の違いは政治・経済・文化などあらゆるところで見られるが、自分の経験した楽器についての違いを考えてみる。尺八とフルートは起源が似ているが異なった改良がなされてきた楽器である。「尺八」は平安時代にはすでに演奏されていた。「フルート」は旧石器時代のヨーロッパに起源があるといわれているが、現代に近いものは、16世紀からだという。初めは7つの穴で縦型と横型の両方があったが、17世紀後半より、半音を正確に出せるように改良され現代のフルートになった。
「尺八」は正倉院に保存されているものと現代のものとほぼ同じで、唄口の形や内部の塗(ぬり)指孔の大きさなどの改良はあるものの決定的な改良はない。名人の吹く尺八の音は心にしみるものであるが、問題は演奏が難しく穴の数が5つしかないので西洋音階を正確に出すのは無理なことである。対して「フルート」は様々な工夫から正確な半音階が出せるし、音もほぼ誰でも出せるように唄口が改良された。その結果、名人でなくても音が出せるし正確な半音を出すことができる。ブラスバンドからオーケストラまで他の楽器とのコラボもできる。対して「尺八」は構造的に音を出すこと自体が難しいうえに、正確な半音階が出せない。いい演奏は名人しかできないので家元制度が生まれ弟子がついていく形にならざるを得ず、近代になって必然的にすたれてきたと思われる。
和弓と洋弓(アーチェリー)を比べればどちらが優っているか歴然としているが、我が国は道具を改良するよりも、すでにあるものを使いこなす名人芸の方を重んじてきた。「弓道」「剣道」など「道」という考え方で技術を磨いてきたけれど、道具を改良したうえで技術を磨くという西洋的な考えの方が、同じ努力をした場合優っていることは明らかだろう。合理的考えを元に研鑽することが大切だと思われる。

分娩を止めた病院

令和元年7月19日
非常に残念なことであるが、開業前に6年間勤めていた中電病院が今年の4月からお産を一切やめた。産科病棟もなくなり妊娠に伴う入院はできなくなった。平成3年に医局人事で中電病院に来て、お産の多いことと外来の目の回るような忙しさに驚いたことを思い出す。当時は医師は部長と自分の2人だけで、年間600人のお産とたくさんの手術をこなしていた。夜の当直(産直)は2日に1回で、土日もお産や回診でほとんどつぶれる。あまりの激務に見かねた院長が医師を1人増やしてくれたので一息ついたが、長く続けるのは無理かもしれないと思っていた。昼間忙しいのは何ともないが、夜にお産で起こされ無事に生まれるまでの緊張とそれに伴う睡眠不足、翌日もやはり忙しい日々が続くのは、歳をとるほどこたえてくる。
自分は45歳になる直前に開業してお産から離れたけれど、現場の医師たちは大変だろうと思っていたし、しんどいお産を安全確実にしてくれて本当にありがたいと思っていた。このたび産婦人科の医師が足りないためにお産を止めざるを得なくなったことは実に残念ではあるけれど、最も悔しい思いをしているのは現場の医師と助産師たちスタッフだろう。お産をする施設は簡単にできるわけでなく、中電病院のようなすばらしい施設と人的伝統を作るためには長い努力・研鑽が必要であり、ふたたびお産を始めるのは至難の業である。世の流れとはいえ諸行無常である。

「やっぱり高血圧はほっとくのが一番」

令和元年7月11日
表題はサン松本クリニック院長、松本光正氏の著書である。前から高血圧の傾向があって7~8年前に降圧剤をしばらく飲んだことがあったし、先ごろの尿管結石やめまいなどで高血圧になっていたので、「高血圧」という言葉に反応するようになったせいもあり読んでみた。氏の主張は、ヒトの体は自分で最もいい状態に調節されているものなので、現在の状態がそのヒトにとって一番よいのである、だから薬で調節しようとせず体重を減らすとか適度な運動をするとかストレスをためないようにするなどで、自然にその状態に応じた血圧、血糖、コレステロールになるようにするのがいいという。確かに体はそのヒトの状態に合わせて最も生きていきやすいように勝手に調節(ホメオスタシスという)してくれるので、化学物質にすぎない降圧剤で血圧だけ下げても何にもならないし、むしろ弊害が生じるかもしれない。
さらに良い医者、普通の医者、悪い医者について解説しているがまさにわが意を得たりであった。こういう人たちがいるのは心強いことであり、我が国の医療もまだ大丈夫だと思った次第である。

休尺八

令和元年7月5日
5月の「めまい」発症以来、尺八を吹いていない。これだけ長い間吹いていないのは初めてのことである。師匠にも「休尺八」を認めてもらい練習会もスルーさせてもらっている。それでもこれまでの演奏会や練習会などで吹いた録音を聞くと、いまさらながら自分の未熟な演奏に恥ずかしさを覚える。やはり向き不向きはあるようで、自分は尺八には向いていなかったことを再認識している。尺八を始めた時は満足に音が出なかったが「石の上にも三年」とばかり、まず3年やってダメならやめようと思っていたのだが、いろいろないきさつがあり今まで続けてきたのである。うまい人の演奏を聞くとしみじみと心に響き、このような音を出してみたいと思うのだがいまだにちゃんとした音が出せない。今までかじった楽器はどれも割合ストレスなく扱えたのだが、尺八はストレスの塊だった。原因は「音が出ない」ことに尽きると思う。今が方向転換の時だろうか。