平成30年6月29日
尺八を始めて10数年になるがなかなか思うように吹けない。尺八は歌口を顎と下唇でふさいで細い隙間をつくり、そこから息を吹き込んで音を出すのだが、これが難しい。向き不向きはあるようで、すぐにきれいな音の出せる人は上達するが、そうでない場合は苦闘するばかりである。口笛でもすぐにきれいな音を出せる人とそうでない人がいるようなものである。
最近、プラスチック製のフルートが手に入ったので吹いてみた。音は尺八と比べるとかなり出しやすいので普通に息を吹き込めば安定した音が出る。音程も指使いにより正確な音が出るようである。問題は複雑な指使いをスムーズにできるようになるまでの修練が大変だということである。でもそれをマスターすれば早いパッセージも吹けるし、他の楽器とも合奏できる。オーケストラが成立する所以である。
比べて尺八は音程を合わせるのが結構難しく、早いパッセージには向かないし転調なども困難で、合奏には不向きな楽器である。ただし、音を出す個人の能力による到達度は幅広く、熟達者の音色は非常に耳に快く深みがある。これはまさに日本的な修練と西洋的な考えの違いを如実に表していると思う。「和」の世界では道具をあまり変えずに技を磨くことを考えるが「洋」の世界では道具は合理的に変えていくので使いやすくなり実践的である。どちらも長所と短所があるが、現在の和洋の楽器の普及を見ると「洋」が勝っていて「和」はローカルにとどまっている。「和」を応援したい気持ちはあるがなかなか難しいところである。
月別記事一覧 2018年6月
フルートと尺八
「怒りを抑えし者」
平成30年6月22日
表題は京都大学文学部から朝日新聞社を経てフリージャーナリストの稲垣武氏が平成9年に出版した著書で、サブタイトルが「評伝 山本七平」となっている。この本は「寺田寅彦覚書」と同じところで手に入れたもので、なぜか多くの古書の中からすぐに目について購入した。「日本人とユダヤ人」で鮮烈デビューした山本七平氏はその後の20年間に多くの著書・対話集を出して、当時大きな影響力のある論客として活躍した。氏の「日本教について」「ある異常体験者の偏見」「私の中の日本軍」「空気の研究」「論語の読み方」など興味深い著書は枚挙にいとまがなく、新刊が出る度に購入して楽しませてもらっていた。
この「評伝」には氏のルーツから生い立ち、下士官として従軍してフィリピンで終戦、九死に一生を得て帰国、「山本書店」の立ち上げと結婚、地道な出版の仕事から49歳でのベストセラー著書の大宅賞受賞で世に出た後の活躍、すい臓がんの闘病から69歳の終焉まで詳細に記していて興味深く読ませてもらった。死の直前、息子の良樹氏との共著「父と息子の往復書簡」をうれしそうに眺めていたというエピソードは心に残る。
袋町周辺
平成30年6月15日(金)
袋町小学校の向かいにクリニックを開いて20年になるが、周辺のビルや店の変遷は激しいものがある。今まであった建物が無くなり駐車場になったり新しいビルに建て替わったり、町全体が生きているように感じられる。この周辺は食べ物屋と美容院が多く、これらの店の興亡は特にダイナミックである。ほんのわずかの場所にも新しい店ができて商売を始めている。皆、夢を描いて頑張ろうとしている様子が伝わってくる。でも実際に見ていると、長く続いているところはそれほど多くなく、いつの間にか違う店になっているのが現実である。
戦後、長いこと親しまれていた2軒となりの食堂も閉められ、今新たなチェーン店ができている。まさに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」である。自分が生まれ育った田舎は風景がほとんど変わっていないように見えるが、よく観察すれば少しずつ変わっていることがわかる。時間の流れがゆったりしているだけで、長い目で見れば同じなのだろう。早い変化を楽しむかゆったりがいいのかは、好みの問題だろう。今のところはダイナミックの方が面白いと思うけれど。
「寺田寅彦覚書書」
平成30年6月8日
休日にシャレオの広場を通りかかったら、古書やレコードなどの展示販売をしていたのでちょっと立ち寄ってみた。大量の古書があったがその中に表題の本を見つけた。著者山田一郎氏は寺田寅彦のルーツである高知在住の寅彦親族にゆかりのある人で、昭和53年に高知新聞に連載したものを補筆・改訂したものである。寺田寅彦の生家は高知城の近くにあり、父は武士で幕末から明治時代に生きた人で、明治維新の7年前に起きた「井口事件」と呼ばれた刃傷事件に深いかかわりがあった。この「覚書」は寺田家の先祖から詳しく調べ、寅彦の3人の妻についても同様で、NHKのファミリーヒストリーを見ているようである。
著者は同郷でゆかりがあるからであろう写真もたくさんあり、わずかだけれど直接知っている(いずれも90代の女性であるが)人から話を聞いている。これほど丹念に調べて書いた書物はなかなか見つかるものではない。岩波書店からの出版は昭和56年であるが、なんだか吸い寄せられるように手に取ったのもなにかの縁だろう、すぐに購入した。魅力ある人の評伝を読むのは興味深いことである。寺田寅彦は昭和10年12月31日に東京市本郷町で転移性骨腫瘍のため57歳の生涯を終えている。
追悼
平成30年6月1日
大学入学以降、故郷を離れて何十年になるが、歳を重ねると一層懐かしいものである。そのふるさとの本家の当主である従兄が亡くなった。3年半前、父が亡くなったころに発覚した病と闘っていたが、はかなくなってしまった。小さい頃から同じ敷地内で育ち、父が分家してからも兄弟のように親しんでいた3歳年上の従兄とは色々な思い出がある。戦後の高度経済成長の時代と共に育ってきた自分としては、郷里に帰るとその頃のことがまざまざと思い出されて、その時代を共有できる従兄夫婦と話すのは楽しみだった。 病が発覚してからはできるだけ父の墓参りも兼ねて、誰も住んでいない郷里の家に帰るようにした。そして、従兄に会って色々な話をした。たいてい他愛もないことだけれど、その時間がうれしいことだった。治療の手立てのなくなった4月の末に、夫人の心づくしの御膳を囲んでの会話と食事が最後の昼餐になってしまった。従兄は最後まで弱音を吐かず、昔から全く変わらないおおらかな自由な人がらのまま逝った。故郷が少し遠のいたような気がする。 合掌