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頭の固い看護協会

平成19年4月4日(水)
看護協会の会長が全国の協会支部に、「助産師以外は内診をしてはならない」との通達をあらためて出したそうである。保助看法に基づいた通達だと思うが、全国でお産がどうなるかわからない時になんという視野の狭い、かたくなな姿勢であろうか。医師が責任をもって指導している看護師の内診・介助は戦後60年にわたって行われてきており、安全性に問題がないことは明らかになっている。米国では病院でのお産はほぼすべて産科専門の看護師が内診・介助しており、わが国と同様うまくいっている。さらに、医師法という上位の法律では看護師の内診はなんら問題ないのに、である。
看護師と助産師の地位向上をはかるためとしか思えないこのやり方は、ナイチンゲールの精神から遠く離れた我執としか思えないことである。彼女達は目の前に苦しんでいる患者さんがいても、「私の仕事はここまでです」と言って自分達で決めた看護の仕事以外は何もしないのであろうか。そうではあるまい。やはりどうしたら患者さんのためになるのかと考え、そのためなら何でもできることはしようとするのではないだろうか。私が今まで接してきた看護師さんたちは皆、患者さんのために一生懸命頑張っていて、こんなややこしいことをいう人はいなかった。
看護協会のえらい人たちは感覚が違うのだろうか。現状を見ていると、自分達の権利のみ主張して戦後60年営々と築きあげてきたお産のシステムをぶち壊そうとしているとしか思えない。困るのはお産をする患者さんなのである。

何のための健康診断

平成19年3月31日(土)
先日も当院にかかっている患者さんが、健康診断で尿の潜血反応が陽性だったので医療機関を受診するようにいわれたと来院された。健康診断が行われたのはなんと!去年の11月である。いったい何のための健康診断なのだろうか。法律で健康診断を義務付けているために、各企業は仕方なしに行っているわけだが、健康診断そのものが無意味であるとわかった以上法律を変えてやめるべきである。なるほどドックも含め健康診断そのものを始めた頃は有用だと思っていたし、それはそれでよかったかもしれないが、有用性が否定されたのだからやめるべきである。なにより対象となる人が気の毒である。何の役にも立たないことを義務として検査され、異常が見つかったからといわれて医療機関を受診する。それも何ヶ月もたってからである。急を要する疾患なら遅すぎるし、そうでなければ治っているかそもそも受診する必要のない指摘が多い。二重の意味でむだな負担を強いられている。
何度でも言うが、症状もないのにこれらの検査をするのは百害あって一理もないのである。早期発見すればなんでも良くなると思っているかもしれないが、治るものは治るし治らないものは治らないのである。こんなことを言っては身も蓋もないが医師の役目は「癒し」であり意味のない検査や治療と称して苦痛を与えることではないはずだ。

岩田健太郎著「悪魔の味方」に思う

平成19年3月12日(月)
以前「米国医療の現場から」というタイトルでアメリカの病院からブログを発信していた岩田健太郎医師が帰国し、その内容をまとめた著書を著した。「悪魔の味方」というひねった題名の本であるが、さすがにロンドン、中国、アメリカ(ここが最も長い)で働いた経験に基づいて書いており、なかなか興味深かった。
その中で何度も強調していることは、日本はなんでもアメリカと比較しすぎるということであった。アメリカで認められることは世界で認められることと同義と思っている人が多いのでは、と看破している。ヨーロッパをはじめ他の国々はアメリカを含め他国をもっと冷静に見ており、なんでもアメリカがいいとは思っていない。特に医学の世界ではそれが顕著であるという。さらに、著者は日本の医療は総合的に見て世界の中でかなり良いと経験に基づいて述べている。
思うに、日本は孤立した島国のせいなのか、昔からどうしても力のある国々に認めてもらいたいという意識が強く、昔は中国一辺倒であり、今はアメリカがすべてになっているのではないか。イラク問題にしてももっと冷静に対処すべきで、アメリカの忠犬ハチ公になってどうするのだろう。そういえばヤンキースの松井選手やマリナーズのイチロー選手、今年入団した松坂選手などのアメリカでの動向が逐一伝えられるのも同じ心理的構造の所以だろう。
かつて日本の医師は「カルテ」にドイツ語の単語を書き連ね、病名はドイツ語で言い交わすことがアカデミックと考えた。今は英語がドイツ語に置き換わっただけで構造は同じである。明治以前は漢方が隆盛を極めていた。つまりいつも自国の言葉をそのまま使って「カルテ」を書いていないのである。それらの言葉を知らない一般の人には医師の言葉が何か高度なことを行っているように見えるからだろう。たいしたことがないものほど権威をつけたがる。欧米の医師は自国の言葉でわかりやすく「カルテ」を書いているというのに、わが国はそれではありがたみが少ないかのように横文字を使う。
これらの他国に対する孤立感、劣等意識をなくするのは難しいことだと思うが、もしモンゴル帝国、ローマ帝国、大英帝国、などのように我が国が他国と覇を競い勝ったことがあればもっと自信を持てたのではないだろうか。正邪はどうであれ勝つことは必要である。

桃の節句

平成19年3月3日(土)
今日は桃の節句。旧暦の3月3日は実際は今の3月27日だそうで、桃の花もそろそろ咲く頃になっていると思われる。やはり旧暦の方が使いやすいし季節とのずれがなくて風情がある。
わが国の暦は歴史のある旧暦にもどして新聞、テレビなどもそのように表現したらどうだろう。もちろん世界との一致のために西暦の併用はするけれど。度量衡の単位について言えば、フランスではメートル原器を作って世界中に広めたが、実際は伝統的な別の基準を使っている。アメリカも時速はマイルだしガソリンはガロンだ。日本だけが○○の一つ覚えみたいに律儀にメートル、キログラムを使い伝統的な単位をなくしてしまった。尺貫法が最も実用的だったのに。今でも土地の広さは坪が最もわかりやすく、平米で表されてもなかなか広さのイメージがわかないのである。

妊娠・出産に関するアンケート

平成19年2月27日(火)
厚労省委託のアンケートに答えを書いていていろいろ考えさせられた。
妊娠・出産に関するアンケートで、不妊治療や代理出産、育児に対する考え方などたくさんの設問があり、それらに対して専門家としてどう思うのかという問いである。さらに、それらの設問に続いて「あなたが当事者ならどう思いどうするか」と問いかけており、それが前の同じ設問の答えと違っていることに気がつき複雑な思いをしたのである。
たとえば妊娠を望むカップルのうちの男性が無精子症で妊娠させる能力がない場合、他人の精子を使った人工授精は認めるか、という設問には当然「認める」と答えたが、「それではあなた自身がその立場ならどうするか」との設問にはたと考えてしまった。実際にその立場になってみないとわからないが、自分ではそこまでして子供が欲しいとは思わない。子供がいないのも一つの生き方だと思うからだ。でも、もしパートナーが強く希望していたらどうだろう、あるいは代々続く名家の唯一の跡取りだったら自分の代で途絶えるのは先祖に申し訳ないと悩むだろうし、自分だけの判断では決めかねる場合があるだろう。
専門家としての考えと自分ならどうしたいかとの齟齬を感じたことであった。

医療崩壊

平成19年2月19日(月)
「医療崩壊」を読むと、近年病院に勤務する外科系の医師がその責任の重さと勤務の過酷さ、さらにそれに対する報酬の少なさのために辞めて開業したり、もっと楽なところへ行ってしまう傾向があるという。
他科のことはわからないが、産婦人科について言えば間違いなくそうなっているし、そもそも新人が来ない科になっている。かつては東大でも成績の良い学生が産婦人科を選択した時代もあったという。その頃は産婦人科は収入もよく、尊敬もされていてやりがいがあったようである。今は、収入は他科と変わらず勤務体制ははるかに過酷で、母子に何かあればたとえ責任がなくても非難されるご時勢である。この10年間で見ても、すべての科の医師は増えているか悪くても横ばいであるが、産婦人科だけは減っているのである。だれが産婦人科を選ぶというのか。女性医師は増えているが自身のお産や育児などクリアしなければならない問題も多く、なにより一生分娩に携わることが難しい現実がある。これからどうなっていくのかわからない、というのが実感である。

茶番劇

平成19年2月6日(火)
「女性は産む機械」との柳澤大臣の発言が話題になっている。「機械」という部分だけをとりあげれば確かに問題だろうが、前後の文脈から特に女性蔑視の意図は感じられず、むしろ言葉のプロである政治家にしては発言が拙いという印象である。それに対して鬼の首でも取ったように声高に非難するマスコミ、女性議員の態度はどうもいただけない。少子化が進んでいるのは事実だし、それに対する有効な対策が立てられていないのも事実であるから、有効な対策を立てるよう精一杯の努力をして欲しいのであって、言葉尻をとらえてしつこく攻撃するのは正直言ってうんざりする。この茶番劇を醜いと思っている人は多いのではないだろうか。

福島県立大野病院の事件

平成19年1月27日(土)
相変わらず暖かい日が続く。1月の終わりとは思えない毎日である。スキー場は雪が降らず営業できなくて困っているらしい。
昨日、福島県立大野病院の産婦人科医師の公判が行われた。新聞によると、医師は無罪を訴えているそうである。癒着胎盤によって亡くなられた患者さんは本当にお気の毒である。今回のケースは、通常の産婦人科医ならほとんど経験したことがないぐらい稀で困難な手術であり、その場にいても自信を持って救命できるといえる医師が何人いるだろう。さらに、救命できなかったからといって、警察が逮捕するのはおかしいと思う。それなら、全国すべての病院で癌の手術、心臓の手術、脳外科の手術をはじめいかなる手術でも、不幸にして患者さんが亡くなったらすべて逮捕しないと公平を欠くことになる。きちんと説明をして納得してもらうようにすることは不可欠であるが、警察が関与するのは筋違いで事件性があるとは思えない。
お産は安全だと思っている人が多いが、お産に深く関わってきた産婦人科医ならば、一つでも悪い方にいけば亡くなってもおかしくないぐらい危険と隣りあわせだということを実感しているのである。

ケタラールが麻薬だって?

平成18年12月20日(火)
以前にも書いたが、麻酔剤のケタラールがいよいよ来月の1日から麻薬指定になる。
なんという愚かな決定であろうか。一説によると、一応お上は医師と獣医師に麻薬指定にしてもかまわないかと訊ねたが、格別反対はなかったとのことだそうで あるが、本当だろうか。少なくとも私の周辺の医師で賛成するものはいない。猛反対ばかりである。お上は誰に訊いたのかを明らかにすべきである。今回の意味 のない麻薬指定措置のために日本中の医師、獣医師が多大の迷惑を被っている。金銭的にも書類の煩雑さも時間の無駄も加えればその損害たるや膨大である。
たかが一不良外人が国外から違法の薬を持ち込んで、粉末ケタラールも含めいろんな薬を使いすぎて亡くなったからといってなぜこんなバカなことをするのか。 過去30年ケタラールが悪用されたとは寡聞にして知らないし、そもそも中毒になるような薬ではない。欧州あたりで不法なドラッグに指定されたからといっ て、我が国に適用するのは行き過ぎだろう。
世の中には理不尽なことが多いが、この件もその一つである。

医局制度をなくしてはダメだ

平成18年11月22日(水)
毎年この時期になると母校の産婦人科同門会から会員名簿が送られてくる。眺めるたびに最近の新入医局員の少ないことを改めて感じる。
我々のころは毎年平均10数人は入局しており、県内県外を含め様々な病院に赴任を命じられた。それがどんなに僻地であろうと過酷な労働環境であろうと、教 授の命令は絶対であり泣く泣く赴任したものである。後で考えるといやだと思うようなところほど得られるものが多かったように思う。
医局制度は僻地も含め医師をうまく配置させ、卒後教育も大学が責任をもって行い、困った医師の配置転換や再教育をするなど総合的に見ていい制度であったと いっていい。そしてそれが日本の医療をWHOの評価で世界最高にした原動力ではなかったか。それなのになにを血迷ったのかアメリカの真似をして研修制度の 改革、マッチングなど役人の考えそうな制度改革のための改革をやろうとしている。笑止千万である。いまの状態が世界最高ならそのままでいいではないか。む しろアメリカやヨーロッパに真似をさせてやるぐらいの気構えでいればいいのである。
すでに僻地に医師がいなくなるなどさまざまな弊害がおこっている。あきれたことに国は医師を増やせば僻地にも行くようになるだろうなどと恥の上塗りのよう な政策を発表している。役人の想像力のなさにはあきれてものも言えない。ことは簡単である。元の制度の戻せばいいのである。民間であればこんなバカなこと をやっていればつぶれてしまうのでやるわけがない。お上が主導してやることにろくなことがないと思うのは、私だけではないと思う。