カテゴリー 好きなもの

広島の書店

平成29年3月31日(金)
アマゾンが普及して小さな書店はほとんどなくなってしまった。その替わりであろうかコンビニが雑誌や漫画を置いていて、この売り上げは馬鹿にならないようである。ここ20年で本通りとその周辺の書店もいくつかの変化があった。アンデルセンの向かいにあった丸善はなくなったが、その後八丁堀天満屋の跡に7,8階の2フロアを使って大型書店として再開した。廣文館も丸善の隣にあった店はなくなり本通り1丁目のビルで規模を大きくして営業している。フタバ図書は前からの福屋の向かいの店は今までどおりであるが、エディオンの隣の店が新たに本通りの西、平和公園に近い大手町に移転営業している。そごうセンター街6階の紀伊国屋書店は長く1フロアの大型書店として盛業している。
このように恵まれた書店環境であるが、新聞の書評欄や医学誌の推薦欄などで興味をそそられた本を手に入れようと思ったらとりあえずアマゾンで注文することにしている。書店で探す手間が省けるし、確実に早く手に入る。絶版になっている本もアマゾンで調べれば見つかるし、古書として簡単に買えるシステムになっているので大いに利用している。
ただ、本というものは実物を手に取ってパラパラとめくって買うかどうか決める方がいいのは確かで、こうして手に入れた本は後で買うんじゃなかったと思うことは少ない。また、実際に新刊などが並んでいるのを見ていると思わず興味を惹かれる本も見つかり、旧刊でも読んでみたくなる本を再発見することもあり書店に行くのは絶対に必要であるし楽しい。大型書店でよく行くのは八丁堀丸善、そごうセンター街紀伊国屋書店、エールエール10階にあるジュンク堂であるが、それぞれの店が在庫の本の種類・陳列の仕方・立ち読みスペースの有無など工夫していてそれぞれに特徴があって面白い。当分本屋巡りは続きそうである。

きたやまおさむ著「コブのない駱駝」

平成29年2月10日(金)
上記の著者は伝説のグループ、ザ・フォーク・クルセダーズで一世を風靡し、その後精神科医となり診療所を開業、九州大学の教授も務めた北山修氏が、専門の精神分析を駆使して著した自伝である。京都駅前の開業医の長男として生まれた著者の心の軌跡を余すところなく述べていて、フォーク全盛だった当時の空気を思い出して懐かしく、共感できる部分も多かったがそれ以上に北山氏の懐の深さに尊敬の念を覚えた。
自分より6歳年上の北山氏が大学生の時に結成したグループによる「帰って来たヨッパライ」が深夜放送を中心に若者に受け大ヒットしたのは自分が中学から高校生になる多感な頃であった。当時はラジオの深夜放送「ヤンリク」「ヤンタン」「パックインミュージック」などを聴くのが日常生活の一部になるほどで、自分たちの音楽を自分たちで作り演奏することが最高だと思っていた。北山氏の詩集は共感する内容が多く、いくつかの詩に勝手に曲を付けて歌っていた記憶がある。
北山氏と加藤氏は2002年に期間限定でフォークルを再結成、坂崎幸之助氏を加えて演奏会を開いたが、大阪での演奏会のチケットを手に入れることができ実に懐かしく十分楽しませてもらった。会場で売っていた二度と手に入れることができないこの演奏会のCD「新結成記念・解散音楽會」は私の宝物である。

「十一月にふる雨は」

平成28年12月22日(木)
表題は明治生まれで大正から昭和時代に活躍した詩人、堀口大學の詩である。この詩に男声合唱で有名な多田武彦氏が曲を付け、合唱組曲「雨」の中におさめられており、初めて聴いた時からいい曲だと思ったし、学生時代に定期演奏会のための練習を重ねる度に詩の味わいを感じて気に入っていた。同じように思っている人は多いと見えて、ネットでもこの詩についての記載も多数みられる。YouTubeでいくつかの合唱団の演奏が聴けるのはうれしい。ところがある時からこの曲は公式には組曲から外され、代わりの曲が入りCDでも「十一月にふる雨は」はなくなってしまった。原因は詩の中に「コジキ・ヒニン」という言葉があるため、作曲者がこれを演奏する学生たちに迷惑が掛かってはいけないと考えてなくしたのではないかと思われる。
文学作品の中の言葉が、現代では使えないとはなんという不便なことであろうか。曽野綾子氏はエッセイの中で、これらの言葉狩りに対して反対されており、特にマスコミの自主規制に不快感を表明しておられる。かつては学生時代に買ったLPレコードで何度も聴いたこの曲をもう聴くことができないのかと思っていたが、YouTubeで聴けるとはありがたいことである。
「十一月にふる雨は」
十一月はうら悲し 世界を濡らし雨がふる!
十一月にふる雨は あかつき来れどなお止まず!
初冬の皮膚にふる雨の 真実冷たい悲しさよ!
されば木の葉の堪えもせで 鶫(つぐみ)、鶉(うずら)も身ぶるひす!
十一月にふる雨は 夕暮れ来れどなお止まず!
されば乞食のいこふ可き ベンチもあらぬ哀れさよ!
十一月にふる雨に 世界一列ぬれにけり!
王の宮殿(みやゐ)もぬれにけり 非人の小屋もぬれにけり!
十一月にふる雨は 夜来れどもなお止まず!
逢引のみやび男(をとこ)もぬれにけり、みやび女(をんな)もぬれそぼちけり 

麻雀ゲーム

平成28年12月9日
毎朝、新聞のテレビ番組欄をチェックして面白そうなものを録画予約するようにしている。夕食後、寝る前にそれらの番組を見ながらパソコンで麻雀ゲームをするのが最近の定番になっている。今、はまっているネットゲームは実によくできていて、本当に麻雀しているような流れを感じさせてくれる上に、オンラインで対戦もできる優れものである。オンライン対戦にすると途中で抜けるわけにいかないので単独でプレイするが、実践と同じように悪い流れの時は3面待ちでもあがれないし、逆の時はラス牌をツモったりするので結構真剣になる。録画していた番組を斜めに見ながらゲームをしていると、熱中してしまっていい場面を見逃すこともある。この場合はもう一度さかのぼって再生するのでかえって時間がかかるが、このテレビを見ながらゲームをしている時間が最も頭をカラッポにできるのである。たいがいはすぐに眠くなるので寝つきにもいい。以前は好きな棋士の碁を並べていたこともあったが、実際に棋譜を見ながら並べるのは煩雑なので今の麻雀ゲームが一番気に入っている。

将棋界の危機

平成28年10月27日(木)
プロの将棋棋士が公式対局の際、将棋ソフトを使って勝ったという疑惑が持ち上がり、疑惑の棋士は今年いっぱい出場停止になり、その真偽が問われることになった。最近の将棋ソフトのレベルはプロの棋士を超えているそうで、プロ棋士との公式対戦でも勝ち越している。だから難しい局面になったらそれをソフトに打ち込み、出てきた答えを実際の対戦に使うことも可能である。疑惑の棋士は対戦中何度も席をはずし、ソフトを使って調べていたのではないかと疑われたのである。
将棋というゲームは頭脳だけではなく気力・体力など全人的な力がないと勝てない。特にプロ同士の力の差は紙一重なので、対局には人間力が試されそこにドラマが生まれ我々ファンが注目し贔屓の棋士に声援を送る。勝負事はどんなものでも人と人が全力を尽くして戦うから面白いのである。そもそもヒトが機械と戦って勝てるわけがないのだ。疑惑が本当だとは信じたくないが、棋士として人間として絶対やってほしくないことである。

「トーテム」大阪公演

平成28年9月23日(金)
久しぶりの自由に動ける連休を利用してシルク・ド・ソレイユの大阪公演を見に行った。人間の優れた運動能力を駆使したこのサーカス集団は、そのすばらしいパフォーマンスで世界中にファンが多い。1992年に日本で初めて「ファシナシオン」と銘打った公演が行われたが、広島でたまたま行われたのを偶然見に行ってすっかりファンになってしまった。以後何年かおきに日本で公演が行われるようになったが、東京・大阪・名古屋・福岡が中心で、広島にはこの時以来一度も来ていない。だから大阪か福岡で公演があるときはいつも見に行くようにしている。今回のテーマは「不可能を可能にする人類の進化」でこのサーカス集団が見せるアクロバットにはいつもながら感嘆の言葉しかない。
真田丸の特別展が大阪市立博物館で開かれているので、はじめての大阪城散策の流れで行ってみたがさすがに大河ドラマ人気で人が多かった。夕食は三ツ星レストラン日本料理「太庵」、翌日の昼はスマホで検索して「うな次郎」でリーゾナブルなうなぎ、夜は広島駅ビルの「千代乃春」でおでん、気持ちのいい骨休めになった。

「建築家のすまいぶり」

平成28年7月14日(木)
表題は主に住宅建築を手掛けている建築家、中村好文氏の著作で、6年間に24軒の建築家の住宅を訪ねて家と住まいぶりを紹介したいわば住宅見学記である。氏は幾多の住宅の設計をしてきたが、50歳を前にして学生時代に憧れた20世紀の住宅を訪ねてみたいと思っていたところ、それを聞きつけた住宅雑誌の編集者が中村氏に「住宅巡礼」と題したルポを連載したらと勧められ、6年にわたって世界各地に現存する氏の意中の住宅を訪れこの本が完成したわけである。
それぞれの家の正確でわかりやすい設計図(イラスト)と外観・内部の写真・住まいぶりがきちんとまとめられていて、活字を追っているとその家にいるような気持ちになるすぐれもので、住んでいる人の暮らしぶりも垣間見える非常に濃い内容の本である。これらの家の多くは建築家自身が設計し自分で住んでいるもので、建築家の自邸には傑作が多いことがわかる。自宅であれば依頼者の顔色をうかがうことなく自分の思い通りに設計でき、自分の全知識・思想・センスなどを表明できるからだろうとのことである。文章の中に今は亡き住宅建築の星、宮脇檀氏の名前が出てきたりして、ファンとしてはうれしいことであった。

「Jazzen」「The Circle」

平成28年4月22日(金)
表題はいずれもカリフォルニア生まれのアメリカ人尺八演奏家、ジョン・海山・ネプチューン氏のCDである。このところ様々な尺八演奏家のCDを聴いているが、さすがに名のある演奏家の音色はそれぞれ特徴はあるが快く聴くことができる。琴との演奏も多いが和楽器同士は相性が良くて和の世界を満喫できる。
ジョン・海山・ネプチューン氏の演奏はかなり前に一度だけ広島での演奏会で聴いたことがあるが、尺八という単純だけれど扱いにくい楽器を自由自在に吹き、伴奏のギターとピタリと合ったすばらしい演奏であった。尺八の弱点をこれほど感じさせない演奏も少ないと思うが、こういった傾向は外国人尺八演奏家に多いような印象がある。
上記のアルバムは前者はジャズと尺八のコラボであるが、曲想はジャズと禪の融合であり、後者は日本・インド・ジャズ、さらにはラテンの音楽を融合させた独特の世界を表現している。我が国では技術を要するものはなんでも茶道・華道・柔道など道がついて精神の鍛練を重んじる文化がある。尺八はともすれば尺八道になりがちであるが、海山氏の尺八は純粋に音楽表現の楽器として使い、演奏しているように思われて実に快い。

野風増(のふうぞ)

平成28年2月13日(土)
久しぶりにデュークエイセスのアルバムを聴いていたら、リーダーのバリトン谷道夫がメインで歌う「野風増」に惹かれた。この曲は亡き河島英五が歌って広く知られるようになっているが、元は作曲家山本寛之がリリースしたもので堀内孝雄、出門英(懐かしい)、財津一郎、橋幸夫、レオナルド熊、芹沢博文など多くの人がCDを出している。谷道夫の深みのある声と歌い方は、歌詞のちょっと気恥ずかしいところを補ってピッタリしている。
「のふうぞ」とは岡山の方言で生意気とかつっぱるという意味だそうであるが、自分はこの言葉を聞いたことがないので同じ県でも地域によって違うのだろう。「野風増の会」というのが東京と岡山にあり、母校の医学部教授も参加して毎年新年会・親睦旅行が行われているらしい。
お前が20才になったら 酒場で二人で飲みたいものだ
ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのひれ
お前が20才になったら 想い出話で飲みたいものだ
したたか飲んでダミ声上げて お前の20才を祝うのさ
いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい
いいか男は 大きな夢を持て
野風増 野風増 男は夢を持て…!

立川談春著「赤めだか」

平成27年11月19日(木)
本屋に行った時にたいてい寄るコーナーの一つに、落語関係の本が収められている棚がある。以前、上田文世著「笑わせて笑わせて桂枝雀」を見つけたのもその棚で、たまに名著・珍著に出会うので見逃せない。
「赤めだか」は、著者が高校卒業直前の17歳で立川談志に入門して、前座から二つ目になるまでのあれこれを書いた、立川談春の青春記である。昔から「青春記」が好きで、いろいろな人の著書を読んだが、この本は著者の素直な気持ちを淡々と表した文章が心地よく、一気に読み終えた。立川談志に関する書籍、落語のCD、DVDなどは多数出版されていて結構持っているが、この本は弟子の立場から書いた出色の著書である。
「赤めだか」とは、その頃談志の家で飼っていた金魚のことを、弟子たちが餌をやってもちっとも大きくならないのでそう呼んでいたところから、一人前になろうとしてもなかなかなれない自分たちになぞらえての題名だろうが、的を射た言葉である。まだ何者にもなれない、なれるかどうかもわからない世に出る前の不安と、一方では漠然とした根拠ない自信の間で揺れ動く心境こそが青春時代なのだろう。