平成24年10月6日(土)
広島県医師協だよりに西区で内科を開業されているO先生(直接の面識はない)が、上記の題で2回にわたって記事を掲載しておられるがなかなか濃い内容なので紹介してみたい。O先生は毎日いかに楽しく暮らすかを第一目標におき、実践しておられるようで、特に食と酒はまさに命がけで追及しているように見受けられる。広島はもとより東京・大阪に足をのばし、フランスにも毎年訪れて三ツ星レストランなどに行かれるそうである。
私自身は広島のそれもごく狭い範囲しか知らないけれど、O先生のお勧めの広島の店なら少しは知っていて、好みが重なっていると思った次第である。
広島一おしゃれな焼き鳥屋として「BACARO DUE(アロマグリル)」を、天ぷらでは「荒谷」「天甲」、鮨では「吉鮨」「とくみ鮨」「なかもと」、そばは高橋名人の弟子の店「はっぴ」を薦めておられるが、そのとおりであると思う。ただ「吉鮨」は値段が高すぎるので行かない。他にも好みの店はあるが、あまり知られてしまうとかえって行きづらくなるのでこのぐらいにしておく。
カテゴリー 日誌
広島で食べられるおいしいもの
四季の味
平成24年9月28日(金)
季刊誌「四季の味」は食の奥深さを教えてくれるので、春夏秋冬、それぞれの号を買ってクリニックに置いている。毎号面白い記事が満載であるが、その中で金沢の料理屋「銭屋」の主人のエッセイ「銭屋の勝手口」は軽妙かつ深みのある文章で、毎回楽しみにしている。
今回の話題は、28年前にパリの大学で日本文化を学んでいたパリゼンヌが「銭屋」に1カ月ホームステイしたところから始まる。日本酒の旨さに驚き、日本文化を知れば知るほどすっかり日本を好きになった彼女は、大学卒業後は日本企業で仕事を始め日本に定住してしまい、グラフィックデザイナーの岡達也氏と結婚して会社を立ち上げ、実業家として活躍しているそうである。和服にもはまって、とうとう「パリゼンヌの着物はじめ」という本まで出しているという。
その彼女が毎年「金沢おどり」の時期に、見事に和服を着こなして銭屋のカウンターで食事する姿を見るのが楽しみだという。人と人との縁というものの面白さを表した文章を読むにつけ、「銭屋」を訪れてみたいと思うようになっている。以前、金沢を訪れた時は「みつ川」「つる屋」に行ったが、次に行く機会があればぜひ「銭屋」のカウンターに座ってみたい。
琵琶湖・彦根城・天橋立
平成24年9月21日(金)
16・17日の連休は京都まで新幹線で行き、レンタカーを借りて琵琶湖東岸をドライブして天橋立に泊まった。予定では彦根城を皮切りに歴史探訪しつつ北上し、夕方宿に着くことにしていた。あいにく台風が九州の西を通過していたが、こちらは天気も良くほとんど台風の影響がなかったのはありがたかった。京都から彦根城まで名神高速道に乗ったのが誤算で、交通渋滞のため予定の時間より1時間30分あまり余計にかかったため、彦根城を見た後は直接天橋立に行くしかなかった。
わが国には国宝になっている城は4つしかなく、彦根城はそのうちの1つである。周囲の堀は3重になり石垣も重厚で、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が豊臣家と西国の大名を監視する務めを井伊直政に命じ、早世した直政の子直継の代に築城されたものである。天守閣内部の階段は急峻で隠し部屋もあり、戦国時代の名残を感じさせるつくりであった。
天橋立は文殊荘「松露亭」に泊まった。天橋立を正面に臨む松林の中に建つ平屋・数寄屋造りの静かな宿で、早朝、正面の海から昇る太陽には思わず手を合わせたくなる神々しさが感じられた。宿の隣にある智恩寺に朝のお参りをする地元の人が散見され、信仰が生活と密接につながっている様子が見えた。
帰りは琵琶湖の西岸を通って比叡山延暦寺へ。琵琶湖を一望するロテル・ド・比叡のテラスで昼食、京都駅の混雑にはうんざりして新幹線で仮眠しつつ帰広、駅ビルの居酒屋で一杯やって帰宅、こんな旅もまた楽しい。
うつ病の回復とは
平成24年9月14日(金)
最近読んだうつ病に関する最も納得できた論文を紹介する。著者は沖縄協同病院心療内科部長の蟻塚亮二医師で、弘前大学を卒業し青森県で精神科医を務めていたが、加重労働からうつ病が再発し2004年から沖縄に移住し診療・講演を行っている。氏によれば「うつ病が治る」ということは、病気になる前の自分に戻ることではないという。
うつ病の回復戦略とは①環境要因に無理があったらそれを是正すること、②環境要因にどうしても適応できなければ環境を変えること、③本人の価値観の相対化・対人スキルアップをはかることであるという。さらに従来の内因性うつ病とは異なる「適応障害に伴ううつ病(特に若者のうつ病)」については発達課題への支援が必要だと説く。
「治る」とは病気になる前の自分に戻ることではない。病気になる前の自分に戻るなら、また病気になる。生きることのどこかに無理があったから病気になったのだ。だから「治る」とはもっと楽な生き方に変わることである。仮に生きることを惑星の軌道にたとえるなら、「生きる軌道を変えること」こそがうつ病の回復目標である。
また、「この世に絶対的な価値があるとすればそれは生きることだけであり、その他の価値は相対的なものでしかない」と伝えて、世間で良しとされる価値観の相対化を繰り返すことにしているという。
他にも色々書いてあったが、うつ病に関する腑に落ちるわかりやすい論文だった。
開院15周年
平成24年9月6日(木)
当院は平成9年9月10日に開院したのであと数日で15周年を迎え、16年目に入ることになる。15年といえばずいぶん長いようだが、開院した日のことを昨日のように思い出すのが不思議である。開院した時のコンセプトは今と変わらず、患者さんの傾向も同じで変わったことといえば、ピルを求める人が増えていることだろうか。
この15年で産婦人科もずいぶん変わってきた。女性医師が増えたこと、お産をする病院・医師が減ってきたこと、産婦人科を志望する医学生が減ったこと、入院設備のないクリニックが増えたこと、産婦人科自体が斜陽になっていることなどいずれも開業前に予想した通りの状況になっている。それでも当院が、ほぼ自分のやりたいことだけをやって存続できているのは本当にありがたいことである。これからも、検査は必要なものだけ・薬は必要最小限・通院回数はできるだけ少なくてすむように・医療は癒し・のコンセプトを守っていきたいと思う。
水と遊ぶ
平成24年8月31日(金)
3月末の腰痛以来、スポーツはおろかジョギングもできなくなってしまったが、時にむしょうに体を動かしたくなる時がある。アシストチャリによる通勤はあいかわらずやっているが運動とは言えず、散歩ぐらいしかできないのがつらいところである。
最近、思い立って近くのプールで泳いでみたら腰痛も起きず快適である。元来、水で遊ぶのは大好きで小さい頃から近くの川や池でよく泳いでいた。久しぶりに水につかるのは気持ちがいい。初めは25メートル泳いではひと休みしてまた泳ぐのを繰り返していたが、結構休まずに往復できるようになった。もっともスタイルは平泳ぎ・横のし・手を使わない背泳・たまにクロールと超省エネの泳ぎというより水と遊ぶやり方であるが。
家から2キロのところにあるプールまではアシストチャリで行き、480円払って好きなだけ泳げばいい。温水プールなので1年中OKである。しばらくは通ってみようと思う。
診療再開
平成24年8月18日(土)
盆休みが終わり17日から診療を再開。さすがに患者さんは多かったが、比較的長い休みでなまっていた体にはいいリハビリになった。
今年の盆休みは遠くへは行かずもっぱら孫たちの相手をしたが、このようになふるまいを自分がするようになるとは想像の埒外であった。以前は盆には家族旅行をするか、墓参りに生家に帰るのが通常だったのが、いつの頃からか巣立った子供たちが我が家へ帰るのを迎えるようになっているのは、時の流れを感じさせられることである。13日は孫3人を含め総勢8人で宮島の水族館みやじマリンへ。15日は以前にも紹介したことのある島根県との県境近くにある「ファームノラ」へ行き、石窯ピザ・パスタなど食べ、森の中の手作りブランコなど自然を満喫した。
盆休みが過ぎ子や孫たちも帰ってしまい、もとの静かな生活に戻り始めている。
全員集合
平成24年8月10日(金)
今週になって関東から次女が、県内から長女が、それぞれ子供たちを連れて帰ってきた。近畿からは大学生の長男も帰ってきて久しぶりに全員が我が家に集まった。明日はそれぞれの連れ合いも来るのでまさに全員集合である。こんなことは珍しいことで、恥ずかしながら私の還暦を祝うということで集まってくれる(集まるように強いる?)のである。子供たちも一旦家を出てしまうと、それぞれが別々に帰ってくることはあっても全員そろうことはなく、たいてい誰かが欠けている。冠婚葬祭でもなければ万障繰り合わせて集まることはないだろうから、昔からの儀式はそれなりに意味があるということだ。
今までカミさんと二人の生活だったが一挙に大人5人と孫3人になって、狭い我が家が賑やかなことである。玄関先にビニールのプール(空気まで入れてもらって998円!だったらしい)を出して水遊びをさせようと準備したが、あまり遊んでくれないという。そこで子供たちが小さい頃良く連れて行っていた川に行き、水遊びをしてやった。ひざ上までズボンをまくって川に入り、手を引いてやったらそれなりに喜んでいた。ならば次は水着を着て本格的に遊んでやろうと思ったところなんと!また腰痛が…
今回はたいしたことはなさそうだが、それにしても情けないことである。今日はコルセットをつけて診療することになってしまった。
夏に増える中絶
平成24年8月3日(金)
例年、夏になるとなぜか妊娠中絶の依頼が増える。6月から8月にかけて増えるようである。女性はだれだって中絶などしたくないであろうが、やむにやまれぬ事情があって仕方なしに来院されるのだと思う。だから努めて事務的に手順などの説明をすることにしている。
昔、大学病院にいたころ、市内某病院に夏休みをとった医師の応援で診療の手伝いに行ったことがある。その時中絶を希望して来られた人を、外来の婦長さんが別室に呼んで、中絶を考え直すように説得しているのを見て驚いたことがある。まさにいらぬお節介である。考えた末に勇気を出してやっとの思いで来られているのに、初対面の婦長が説得しようという、説得できるというその思いあがりが不快であった。一時の応援という立場なので黙っていたが、いい年をしていろんな人がいるものだと思ったことである。
処置が終わって1週間後に来院してもらうようにしているが、その際さりげなくピルを勧めるようにしている。ピルは避妊方法としては最も有効だし、他にも生理痛の緩和などいいことが多いからである。中絶を期にピルを飲み始める人は2~3割といったところである。
インフルエンザワクチンはいらない
平成24年7月27日(金)
表題は元国立公衆衛生院疫学部感症室長の母里啓子氏の著書の題名である。氏は医学部卒業後ウイルス学を修め、感染症の対策に一貫して携わってきた人である。現在B型肝炎の垂直感染を防ぐことができるようになったのは、母里氏たちの功績によるところが大きい。いわばワクチンのプロである。
氏によると、インフルエンザウイルスは変異が激しく流行に合わせたワクチンをつくることが難しいそうである。そもそも不活化ワクチンの外部に通ずる粘膜感染予防の効果は疑問視されているが、インフルエンザワクチンは不活化ワクチンである。一方、インフルエンザは高熱が出るとはいえただの「風邪」である。暖かくして安静にしておけば治る。一度かかると強力な抗体ができ、少々違う型のウイルスにも効果があり、流行があってもブースター効果でかえって抗体価が高くなる。インフルエンザのワクチンを打つ意味はない。まして副作用があるのである。母里氏は専門家として正しいことを発言しないのはよくないとの信念のもとに、逆風覚悟で発言しておられる。
日ごろからインフルエンザワクチンについて思っていたことと一致して、わが意を得たりという気持である。さらに氏は子宮頸がんワクチンについても、このワクチンは不活化ワクチンであり粘膜感染予防効果には疑問が残るとしている。もともとHPVは感染してもほとんどは消えてしまうウイルスであり、たとえ感染が持続して異形成となってもなんら害はなく、その後がん化しても早期発見すれば治療できるものなので、わざわざ高価なワクチンを打つ意味があるのかと述べられている。まさに的を射た提言で、医療者は傾聴すべきである。