カテゴリー 日誌

「やはり死ぬのは、がんでよかった」

令和3年8月19日
表題は以前にも紹介したベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者、中村仁一医師の近著である。氏は老人ホーム附属診療所所長を務め、100名以上のがんで死亡した人を診て、がんになっても何もしなければ痛みもなく大往生できることを実感し、上記の本を書いたのである。動物(人間)には自然死の仕組みが備わっているので、下手に治療しなければ安らかに逝けるのに、がんだからといって手術、抗がん剤、放射線治療などを行うとかえって苦しんで死ぬことが多くなる。
氏の考えに大いに共感していたが、氏は昨年の6月ごろから息切れ・咳などが起きてきて、胸部レントゲン(片肺が完全に潰れている)と腫瘍マーカーなどから肺がんⅣ期と診断された。9月に退職して訪問診療でかかりつけ医に診てもらいながら「死ぬならがんに限る」に加筆したものである。主張してきた通り一切治療はせず、今年の3月には近藤誠医師と中村氏の自宅で対談を行っている。それから3か月、食事も排泄も自力で行って6月あの世へ旅立たれたという。穏やかな大往生だったそうである。言行一致を貫いた上医というべき人だと思う。

全員集合(2)

令和3年8月11日
長女一家がアメリカから帰国し、2週間の待期が開けるのに合わせて信州から次女と孫たちが帰省し我が家は賑やかになった。隣市に住む長男夫婦も来て、久しぶりに全員集合になった。先週末から3日連続の夕食宴会である。毎日の参加人数は微妙に異なるけれど、ほぼ全員がいろいろな話をしながら食卓を囲むのは楽しいものだ。特に留学のために一家で米国に渡った後でコロナ禍に遭遇した長女一家が無事帰国できたことは、本当にありがたいことだと思う。5人の孫たちも元気いっぱいで、静かだった我が家は一変していた。信州から車で迎えに来てくれていた夫と共に昨日、次女一家は帰っていったので、今日からは今までの静かな日常に戻ったわけである。
こうして全員集合できることは今後そんなにはないだろう。それだけに今回の全員集合には感謝の気持ちで一杯である。

猛暑

令和3年8月6日
連日猛暑が続く。オリンピックもあとわずかになったけれど、昼間炎天下で競技する選手は本当に大変だろう。日本の夏、特にこの時期は一番暑いので秋に行うのならいいが、夏ならやるべきではなかったと思う。アトランタ五輪をルポした沢木耕太郎著「オリンピア1996冠コロナ(廃墟の光)」は2008年に出版された作品であるが、今読んでみると氏が予感したことが現実になって来ているのがわかる。氏はオリンピック発祥の地オリンピアにアテネからバスで訪れ、スタディオンと呼ばれる古代の競技場跡に立つ。氏のオリンピックへの思いはそこから始まるのである。古代オリンピックが1200年続いた後、一旦失われ近代オリンピックが1896年クーベルタン男爵の尽力によりアテネで始まったが、さまざまな問題が起きてくる。1984年のロサンゼルス大会がターニングポイントではないかと氏は語る。入場料、放送権料、スポンサード収入などにより利益を生むようになったからである。現在のオリンピックは開催時期も選手のためではなく欧米の放送権などで決められている。暑い日本の夏、しかもコロナ禍で開かれているのはどう考えてもおかしいのである。古代オリンピックが滅びたように近代オリンピックも滅びるのではないか。

金メダルラッシュ

令和3年7月30日
東京オリンピックが始まって1週間、柔道を中心にした金メダルラッシュが続く。選手たちの笑顔を見ると本当に良かったと思う。でも無観客の会場は選手にとって寂しい限りだろうし、我々も心から喜べない。無観客にしているのに東京ではコロナPCR陽性者が過去最多だという。重症者数はそれほど増えていないようであるが、また他の県にも緊急事態宣言を出すという。まったくムダなことはもうわかっているのに相変わらず○○の一つ覚えの対応しかしない。コロナは日本人にとって高齢者や基礎疾患のある人以外には「ただの風邪」なのだから、インフルエンザと同じようにすればいいのである。
まるで「健康診断・人間ドックをすれば長生きできる」「がん検診をすればがんが克服できる」と同じで、無理なことを言っても仕方ないだろう。マスコミも冷静に本質を踏まえた報道をしてほしいものである。

「コケちゃいました」

令和3年7月21日
毎日快適な自転車通勤をしているが一昨日の夕方、車道から歩道へ上がる際、段差が思ったよりあったうえに進入角度が浅かったので、自転車は車道に残り自身はそのまま歩道に飛んで行った。何しろスピードがそこそこ出ていたので、受け身をしたけれどそのまま滑って大きなゴミ箱の側面に頭から突っ込んで止まった。ズボンは膝のところがが大きく破れ肘は擦りむき頭にはコブができた。でもこれくらいで済んでよかったと思う。
実はアシスト自転車でコケたのはこれが3度目である。一度は雨の日の下り坂で対向してきた自転車をよけようとして滑って転倒。相手の自転車の前輪の向きを見ながら反対側をすれ違うのだが、急に前輪の向きが変わったので、思わず反対方向へハンドルを切って滑ったわけである。二度目は酔っていたにもかかわらず急坂を登ろうとして転倒、自業自得であるが、あとで耳石がはがれたことによるめまいが起こり、治るのに一週間かかった。考えてみれば本当にアホである。若い頃のように体が動いて反応すると考えているから平気で運転するのだろう。年なのだからスピードは抑えて安全運転をすると決めた…

無観客の五輪開催

令和3年7月14日
いよいよ来週からオリンピックが始まるが、ほぼ無観客になるという。東京に緊急事態宣言が出されたためだというが、そんなことならオリンピックをやめるべきだ。やるのなら観客を入れないと開催する意味がない。日本よりもコロナ重症者や死者が今でも多い英国ではユーロのサッカーの試合もウインブルドンのテニス大会も、マスクなしで観客を入れ通常通りに行われた。英国のジョンソン首相はコロナ感染のため入院していたが、回復後マスクを含めすべての規制を撤廃して通常の状態に戻すと宣言した。我が国の倍の死者が今も出ているにもかかわらずである。これこそ指導者の肝の据わった決断である。それに引き換え我が国の指導者たちの情けなさはどうだろう。専門家の言葉や都知事の圧力に右往左往して、せっかく開催を決めたオリンピックも無観客だと!ワクチンにしても初めは「感染を防ぐ」と言っていたのがいつの間にか「重症化を防ぐ」に変わっていった。このままではワクチンよる死亡者が増えていくだろうが、その責任はだれがとるのか。情けない国になってしまったものである。

禁酒令

令和3年7月9日
「広島県内の飲食店は一切アルコールを提供してはならない」というかつてのアメリカの馬鹿な禁酒令ほどではないけれど、あまりにも無駄な命令もやっと「昼間はよいが午後7時以降は禁止」に緩和された。来週からは「午後8時まで」になるらしい。それにしてもくだらない「禁酒令」を出した元凶は誰だろうか。おそらく東京のトップあたりだろうが政府も反対できず容認し、広島県も当たり障りないように追随したという形だろう。
コロナ蔓延の責任を飲食店に押し付けるようなお達しがこれでもかと続く。英国はマスクをはじめすべての制限を失くして、各自の責任で通常の生活に戻すことになった。日本はもっと少ない感染者数と死亡数なのにこのありさまである。事なかれ主義と臆病すぎる日本のやり方にはうんざりである。お上が制限しなくても日本人の大半はきちんと礼節を守って対処していくことはこれまでの振る舞いから想像できる。お上には「黙れ」と言いたい。

久しぶりの研修会

令和3年7月2日
「いのちを繋ぐ女性のライフサイクルと漢方~特にこころの症状、こころからの症状に~」と題した香川大学医学部塩田敦子教授の講演があった。WEBであるが会場に行くことも可能なので今回は出席することにした。さすがに役員など世話係以外は少人数の参加者だけだったが、久しぶりの講演会出席だった。内容は漢方薬についての詳しい説明と有用なことの講演であったが、座長の工藤教授の「私は漢方薬についての知識が全くありませんので一つ聞きたいのですが…」の言葉には思わず笑ってしまった。教授も自分と同じ考えなのだなと。
更年期症候群はホルモン変動によって起きる自律神経失調なのであるが、かつては「当帰芍薬散」「加味逍遙散」などで治療することが当たり前であった。自分もその昔は「証」などを勉強して処方していたが効かないので困っていた。そこへ「ホルモン補充療法」の登場である。これは非常に効果があった。原因に対する的確な治療でなければ効果がないのは当たり前である。以後、漢方に対しては距離を置くようになった。我が国ではどういうわけか漢方薬が女性に受ける現象がある。欧米そのほかの国々では「ローカルドラッグ」という位置付けで正式な薬だとは認められていないのに。

「コロナ自粛の大罪」

令和3年6月24日
表題はジャーナリスト鳥集徹氏の著書で、コロナに対して過剰な自粛を行っていることのマイナス面を訴えている7人の医師との対談集である。それぞれの医師はウイルス研究者、大学教授、小児科医師、緩和ケア専門医、精神科医、プライマリーケア専門医、外来・訪問診療医で、2020年の1年間のコロナの状況をみずからの実践と文献から判断して、過剰自粛がいかに人々に害を与えるかを発信している。
日本は自粛のせいで死亡数は減っているが、自殺は増えている。経済は停滞し多くの業界が自滅せざるを得なくなっている。小児科医師でウイルス研究者の本間真二郎医師はコロナウイルスは怖いものではない。ただ高齢のハイリスクグループには危険なウイルスなので、未知のワクチンはそれらの人に打つだけでいいのではと。また高橋泰国際医療福祉大学教授は98%の日本人にはコロナはただの風邪で2%のハイリスクグループには重症化するウイルスであるとデータを出して説明している。マスコミも恐怖をあおるだけでなく、こういった提言を紹介して人々に正しい判断ができるようにすべきである。コロナ対策分科会にはこれらの人を入れて、政府も知事に総合的な判断をするように提言しないと状況はますます悪いほうへ行くと思う。

「大往生したけりゃ医療とかかわるな(介護編)」

令和3年6月18日
表題は老人ホーム「同和園」の医師で、以前に同名の本を書いた中村仁一氏の著書である。4年前に発刊されたものであるが、最近読み返してみて共感するところが多かったので紹介する。今回は「介護編」ということで人生の終末をどう迎えるかを「同和園」での体験をもとに記している。
生・老・病・死、は生き物には切り離せないもので特に「老」については医者にかかればなんとかなると思っている人が多いが、何ともならないのである。ヒトは子供を育てた後はいつ死んでも仕方がないと考えれば、さまざまな憂いは減ってくる。老化は今まで出来ていたことができなくなるのがあたりまえで、それを無理に戻そうとするのは笑止千万だ。むしろまだ出来ることがあると考えたほうが良い。「死」は医療が関与しなければ穏やかに苦しまずに逝けることを「同和園」での体験から確信している。介護の現場では食べたくない老人に無理やり食べさせているが、これは拷問に等しい。欧米では「食べられなくなったらもうおしまいで、無理に食べさせない」という伝統があり、これが自然に終末を迎える最善の方法であるという。まさにその通りだと思う。