カテゴリー 日誌

運動不足

平成17年7月16日(土)
このところ雨のせいもあり運動不足である。しばらくじっとしていると動きたくてたまらなくなる。ただ、スポーツクラブなどにある歩く機械は好きになれない。あれはハツカネズミが水車みたいなものを回しながら動いている姿を連想してしまうのでどうもいただけない。やはり歩いたり走ったりするなら戸外だろう。テニスは気持ちよいのだが、汗をかいた後はビールをいつもよりよけいに飲んでしまうので困る。ただしビールをおいしく飲みたいために汗をかいている部分もある。
明日とあさっては久しぶりの連休である。今回は関西方面に出かけてみようと思っている。

かかりつけ医と健診

平成17年7月13日(水)
相変わらず曇天の日が続く。昼からは雨も降りまさに梅雨である。
子宮筋腫があり、他院で定期的にフォローしてもらっている患者さんが、健康診断や市の健診の子宮がん検診を希望して来院されることが少なからずある。いつも思うのだが、すでに信頼して行きつけの医療機関があるのであれば健診は必要ないのにどうしてさらに同じ検査を希望するのかということである。思うに、健診に対する信頼感と検査は何回でもした方がいいのではないかと考えているのだろう。健診はあくまで何も症状がなく、他に同じ科の医療機関に受診していない場合にはいいかもしれないが、そうでなければあまり意味がない。よく聞くと、何ヶ月か前にかかりつけの医院で子宮がん検診は異常なかったと言われるのである。健診はスクリーニングに過ぎなくて、信頼できる医療機関にかかっているのならその方が良いのだと縷々説明するのだが、いつも一定の比率でそういう人がおられる。スクリーニングが寿命の延びにどの程度寄与しているかは疑問であり、医療側も過大な幻想を抱かせないように有用性についてきちんと説明すべきであろう。

病気の受け止め方

平成17年7月9日(土)
同じことを話しても患者さんによって受けとめ方がずいぶん違う。細胞診で子宮がんが発見された患者さんに、どのように話したらいいかと思いながら告げたが、「そうなんですか、じゃあ手術が必要なんですか」とあっさりと言われた。ほっとすると同時に手術できる病院を紹介すると言うと「その日は都合が悪いので別の日にしてください」とおっしゃる。まったく気にしてない様子である。気にしてないように見えても実は頭が真っ白になったという話はずいぶん聞いたことがあるが、この場合は本当に淡々と受けとめておられる様子である。
同じ場合でも、別の人は心配でたまらない様子で、何度も今後の見通しについて質問される。どちらもその人にとっては真実なのだろうが、心配しようがしまいが結果(予後)は決まっている。結果が決まっているのであれば気楽にしている方がいいと思うがそう単純な問題でもない。無理して気楽に思おうとしても意味がないだろう。心境の問題だろうがこういう時に人間の性格と、それまでの越し方が出るのかもしれない。

お産は結果

平成17年7月6日(水)
最近は医療ミスについての新聞記事がよくみられるようになっている。増えたわけではなく、情報公開の観点から知られるようになったのだろうが、実際我々も気をつけているが何が起きるかわからないという心配は何時でもある。たとえばある薬を処方した場合、1万人には何も問題なくても1万1人目の人には重大な副作用が発生するかもしれない。こういうのを医療ミスと呼んでもいいかは疑問だが、おしなべて医療は結果を問われるので当事者には医療ミスと感じられるかもしれない。
産婦人科、特に「お産」は結果責任を問われることが最も多い分野の一つである。熟練した医師とスタッフがどんなに慎重に対処してもうまくいかないことがある。一方、何もしなくても問題なく生まれることも多い。以前修学旅行の新幹線のトイレで赤ちゃんを生んだ女子高生がいたが、妊娠は本来何もしなくても順調にいくものである。ただし、一定の比率で重大なことが起こるため昔から新生児死亡率だけでなく妊産婦死亡率も高かったのである。我が国でも昭和20年代までは「産(三)で死んでも苦しゅうない(ばくち場の言い回しー阿佐田哲也、麻雀放浪記より)」というような言葉があったぐらい、妊産婦死亡は多かったのである。経済の発達と医療環境の充実により現在は世界でも最高レベルまでよくなっているのだが、皮肉なことにお産関連の医療裁判は増えているのである。なかにはきちんとやっていたけれど結果的にうまくいかなくて訴えられている場合もあるし、逆にけっこうでたらめでも結果がよくて感謝される場合もあるようだ。前者は気の毒だが後者は今は良くてもいずれ事故をおこすだろう。
我々も日々慎重にやっていきたいと思っている。

説明疲れ

平成17年7月2日(土)
いままでの空梅雨がうそのように朝から豪雨となっている。自然はうまくしたもので、我々人間の浅知恵では計り知れない動きで季節が過ぎて行く。結局きちんと帳尻を合わせているようだ。
土曜日のせいか雨だというのに結構患者さんが来院されるので、夕方には疲れてしまった(説明疲れ、しゃべりすぎ?)。特に初めての妊娠で胎児の心拍がなくなって流産と診断した時は、時間をかけて丁寧に説明するのだがなかなか難しい。今日のような日はストレス解消のために、歩いて帰宅したいのだが天気次第だろう。雨が続くと梅雨の晴れ間が待ち遠しくなる。人間とは結構勝手なものだ。

才能と努力

平成17年6月29日(水)
才能と努力の二つを兼ね備えた人物はどの分野にもいて、世のため人のためになり世に知られるようになる。しかし、世の中の多くの人は両方ともないか、片方 だけしかもそれほど傑出していないのが普通である。努力は才能のない我々凡人には最も大切なことで、努力しなければろくなことにならないのは世人の認める ところである。
一方、才能に関しては生まれつきのもので努力だけではどうしようもないものが多い。たとえばスポーツなどでははっきりしていて、百メートルを早く走れる人 は最初から早いのであり、練習したから16秒かかっていたのが11秒になるわけではない。せいぜい2秒早くなる程度だろう。音楽の才能もやはり天賦のもの で、楽器の演奏などはうまい人は初めからうまい上に、一層努力するからさらに技術に磨きがかかる。才能があるから努力できるわけで、もし全然なければはじ めから努力しようという発想がないだろう。
なぜこんなことを云うかというと、尺八がうまくならないからである。少し音が出るようになったと感じたのは幻想であったことに気付いてしまったのだ。師匠 の主催するおさらい会の課題曲「六段」を琴と合わせて練習したのだが、録音した音を聞いてがっくりきた。琴はすばらしいのだが、尺八のひどいこと。そもそ も音が出ていない。もともと音そのものを出すのが難しい楽器ではあるのだが、それにしてもである。こういうのは努力だけではどうしようもないのだろうか。

「相対性理論の大嘘」

平成17年6月25日(土)
暑い日が続く。先日、入梅したのに雨が降らないと書いたが、一足飛びに夏になった感がある。水不足の地域もあると聞くが、野菜は安くなっているそうでなんのこっちゃ。
最近読んで面白かったのは「相対性理論の大嘘」というなんとも夢(?)のある本である。夜空にまたたく星は本当に何万光年も前の光なのかと疑問を呈し、も しそうなら我々はいつも過去の世界しか見られないことになり夢のない話ではないかというところからの考えである。ちょうど相対性理論発表百周年とのことで それを狙った意味もあるだろうが、直感的には思わず納得させられる内容であった。主観と客観の違いも突き詰めて考えればよくわからないし、時間が一定とは どうしても思えないなど色々と考えていた昔を思い出してしまった。

ウマに食わせるほどの薬

平成17年6月22日(水)
当院をはじめて受診した患者さんの、今までに処方された薬の種類と量のあまりの多さに驚くことがある。こんなに飲んだらご飯が食べられなくなるのではと思 わず心配してしまうような。さらに、同じ種類の薬がダブル、トリプルで重なって出されていることもある。これらは院外薬局なら薬剤師のチェックが入るので 防げるかもしれないが、やはり処方する医師が気をつけないとだめだろう。日本人は薬が好きで、病院に行っても薬を出してもらえなければそこへは行かなくな るという。だから本当は薬が必要ないと思っていても、患者さんに要求されたら仕方なく出すこともあるだろう。幸い当院は薬を出す患者さん自体が2割~3割 ぐらいしかいないので、これらの葛藤がないのがありがたいことである。

田植えの頃

平成17年6月18日(土)
梅雨に入ったはずなのに雨が降らない。これでは田植えができないのではないだろうか。
私は実家が農家なので、中学までは田植えや稲刈りは必ずしなければならない仕事だった。なにしろ小学校では「農繁休暇」が年に二回、田植えの時期と稲刈り の時期にあったのだから。周囲は皆農家ばかりなので違和感はなかったが、たまに勤め人の家の子供は手伝わなくても良いので、遊んでいるのがなんともうらや ましかった。こんな純農家出身の医者は少ないようで、私自身ほとんど見たことがない。わずかに先輩に一人、実家に田があるという話を聞いたことがあるぐら いである。したがって貴重なトキのような存在ではなかろうか。もっとも今は、田植えも稲刈りも機械でするようになったので、子供が手伝うことはなくなった のだろうが。
そういえば学生時代、半農半医の先生を見たことがある。アルバイトで薬の使用のアンケートをお願いしていた関係で二ヶ月ごとに訪ねていたが、地方の大きな旧い家で、 「○○醫院」と墨書された古びた看板のある医院用の入り口と、農家用の門が別々にある土塀の屋敷であった。訪ねると先生はたいてい畑仕事の格好で、あらか じめ記入した調査用紙を渡してくれたが、患者さんの姿を見たことはほとんどなかった。今から思うとあの先生は達人の生き方をされていたのかもしれない。 もっと話を聞いておけばよかった。

気分転換に歩く

平成17年6月15日(水)
運動不足の折からできるだけ歩いて帰るようにしている。
クリニックから自宅まで3キロぐらいなので、歩くにはちょうど良い距離である。季節では春と秋が一番いいが、雨さえ降らなければ今も十分気持ちがいい。その日の気分によっていくつかのコースを変えて歩く。たいていは平和大通り沿いに鶴見橋まで歩いて、そこで橋を渡らずに川沿いを下るか渡って比治山トンネルを通るか考えるのである。歩いていると季節の変化や普段は見つけられない街の姿が見えて、結構楽しい。竹屋町の果物屋の前を通る時は、おいしそうなのでつい寄って買ってしまう。今ならスイカ、びわ、桃などがいい。本来のコースではないのだが、うまい果物を発作的に食べたくなった時に少し回り道して通る。比治山トンネルを通る時はサティの近くにある酒屋でウイスキーなどを買うこともある。
天気がよくて、あまり遅くならずに帰れる時には、歩くのは実にいい気分転換になるのである。