何のための健康診断

平成19年3月31日(土)
先日も当院にかかっている患者さんが、健康診断で尿の潜血反応が陽性だったので医療機関を受診するようにいわれたと来院された。健康診断が行われたのはなんと!去年の11月である。いったい何のための健康診断なのだろうか。法律で健康診断を義務付けているために、各企業は仕方なしに行っているわけだが、健康診断そのものが無意味であるとわかった以上法律を変えてやめるべきである。なるほどドックも含め健康診断そのものを始めた頃は有用だと思っていたし、それはそれでよかったかもしれないが、有用性が否定されたのだからやめるべきである。なにより対象となる人が気の毒である。何の役にも立たないことを義務として検査され、異常が見つかったからといわれて医療機関を受診する。それも何ヶ月もたってからである。急を要する疾患なら遅すぎるし、そうでなければ治っているかそもそも受診する必要のない指摘が多い。二重の意味でむだな負担を強いられている。
何度でも言うが、症状もないのにこれらの検査をするのは百害あって一理もないのである。早期発見すればなんでも良くなると思っているかもしれないが、治るものは治るし治らないものは治らないのである。こんなことを言っては身も蓋もないが医師の役目は「癒し」であり意味のない検査や治療と称して苦痛を与えることではないはずだ。

「はる」

平成19年3月28日(水)
暖かい日が続く。桜も咲き始め、今週末は満開となることだろう。例年ならもう一度寒くなるのだが今年はこのまま春爛漫となるに違いない。春といえば田舎のレンゲ畑に寝ころんで空を見上げていた頃を思い出す。暖かさと草の香り、空の青さで思わず眠ってしまいそうだった。谷川俊太郎の「はる」はその時の情景にまさにぴったりの詩であった。
「はなをこえて/しろいくもが/くもをこえて/ふかいそらが/はなをこえ/くもをこえ/そらをこえ/わたしはいつまでものぼってゆける/はるのひととき/わたしはかみさまと/しずかなはなしをした」

遠視

平成19年3月24日(土)
今から10年近く前開業した頃、視力は良かったのだがストレスのせいだろうか、近いところが少し見えにくく感じることがあった。「老眼?」と愕然としたがそのうち元どおり見えるようになって今に至っている。その間、同期の連中とたまに話をすると結構老眼になっているのがいて自分はまだまだ大丈夫だとひそかに優越感にひたっていた。
60歳で現役日航機のパイロットの小林宏之さんによると、毎日遠くを3秒、近くを3秒交互に見る訓練を5分以上続ければ、一旦見えなくなっていた近くのものが見えるようになるという。なるほど遠視は遠近を調節する眼の筋肉の老化によるものだから鍛えればよいわけだ。自分もいつまで近くの細かいものがみえるのかわからないが、もし見えにくくなったらぜひこの訓練をやってみようと思う。

広島県の産科医療

平成19年3月19日(月)
中国新聞で「いいお産(考)」と題してお産がどうなっていくのかを考える記事をシリーズで特集している。タイムリーな企画だと思う。現在のお産の状況と、産科医が減っている現実、将来の展望などかなりきめ細かく調べて記事にしている。
最近広島県では福山市民病院の産科が閉鎖された。福山市とその周辺の産科救急患者は倉敷か岡山、場合によっては呉か広島に移送されることになる。もっとも国立福山病院が救急受け入れの準備をしているので、そうなれば大丈夫であるが。もっと困るのは備北地区である。この広大なエリアには産科救急を受け入れるのは三次中央病院しかない。産科の救急はまさに時間との戦いであり、近くに救急受け入れの施設があるかどうかの違いは大きい。これほど産科の救急受け入れ施設がなくなった原因は産科医の不足であり、産科医不足の原因はその労働条件の過酷さにある。産科は医療の中で唯一「赤ちゃんの誕生」という、病気とは対極にある生命の躍動に携わる科である。非常にやりがいがあるが、なにしろ人が少ないので寝るヒマがない。結果で判断されるからいくら適切な医療をしていても、何かあれば結果責任を問われる。報酬は他科と変わらない。これでは産科医療にかかわる医師がいなくなるのもうなづける。まずやることは、病院勤務の産科医の報酬を上げることだと思うのだが。

岩田健太郎著「悪魔の味方」に思う

平成19年3月12日(月)
以前「米国医療の現場から」というタイトルでアメリカの病院からブログを発信していた岩田健太郎医師が帰国し、その内容をまとめた著書を著した。「悪魔の味方」というひねった題名の本であるが、さすがにロンドン、中国、アメリカ(ここが最も長い)で働いた経験に基づいて書いており、なかなか興味深かった。
その中で何度も強調していることは、日本はなんでもアメリカと比較しすぎるということであった。アメリカで認められることは世界で認められることと同義と思っている人が多いのでは、と看破している。ヨーロッパをはじめ他の国々はアメリカを含め他国をもっと冷静に見ており、なんでもアメリカがいいとは思っていない。特に医学の世界ではそれが顕著であるという。さらに、著者は日本の医療は総合的に見て世界の中でかなり良いと経験に基づいて述べている。
思うに、日本は孤立した島国のせいなのか、昔からどうしても力のある国々に認めてもらいたいという意識が強く、昔は中国一辺倒であり、今はアメリカがすべてになっているのではないか。イラク問題にしてももっと冷静に対処すべきで、アメリカの忠犬ハチ公になってどうするのだろう。そういえばヤンキースの松井選手やマリナーズのイチロー選手、今年入団した松坂選手などのアメリカでの動向が逐一伝えられるのも同じ心理的構造の所以だろう。
かつて日本の医師は「カルテ」にドイツ語の単語を書き連ね、病名はドイツ語で言い交わすことがアカデミックと考えた。今は英語がドイツ語に置き換わっただけで構造は同じである。明治以前は漢方が隆盛を極めていた。つまりいつも自国の言葉をそのまま使って「カルテ」を書いていないのである。それらの言葉を知らない一般の人には医師の言葉が何か高度なことを行っているように見えるからだろう。たいしたことがないものほど権威をつけたがる。欧米の医師は自国の言葉でわかりやすく「カルテ」を書いているというのに、わが国はそれではありがたみが少ないかのように横文字を使う。
これらの他国に対する孤立感、劣等意識をなくするのは難しいことだと思うが、もしモンゴル帝国、ローマ帝国、大英帝国、などのように我が国が他国と覇を競い勝ったことがあればもっと自信を持てたのではないだろうか。正邪はどうであれ勝つことは必要である。

なつかしい歌

平成19年3月7日(水)
小さい頃に聞いた歌や音楽は記憶にしっかり刻み込まれているようで、いつ聞いても妙になつかしく感じる。小学校時代に聞いた記憶のある「文部省唱歌」はとくに郷愁を誘う。
「蛍の光」「夕焼け小焼け」「われは海の子」「箱根八里」「荒城の月」「叱られて」他にもたくさんあるが、もしこれらの曲を今始めて聞いたらどうだろう。はたして今ほど感動するだろうか。もちろんいい曲は、国境を越え時代を越えて人を感動させるが、やはり小さい頃に習った時の思い出がこれらの曲の味付けになっていることは否めないだろう。NHKでこれらの曲のコンサートを放送することがあるが、つい見入ってしまう。映された会場を見れば観客はほとんど同年代かそれ以上ばかりで、やはり小さいときの刷り込みは大きいと思う。

桃の節句

平成19年3月3日(土)
今日は桃の節句。旧暦の3月3日は実際は今の3月27日だそうで、桃の花もそろそろ咲く頃になっていると思われる。やはり旧暦の方が使いやすいし季節とのずれがなくて風情がある。
わが国の暦は歴史のある旧暦にもどして新聞、テレビなどもそのように表現したらどうだろう。もちろん世界との一致のために西暦の併用はするけれど。度量衡の単位について言えば、フランスではメートル原器を作って世界中に広めたが、実際は伝統的な別の基準を使っている。アメリカも時速はマイルだしガソリンはガロンだ。日本だけが○○の一つ覚えみたいに律儀にメートル、キログラムを使い伝統的な単位をなくしてしまった。尺貫法が最も実用的だったのに。今でも土地の広さは坪が最もわかりやすく、平米で表されてもなかなか広さのイメージがわかないのである。

妊娠・出産に関するアンケート

平成19年2月27日(火)
厚労省委託のアンケートに答えを書いていていろいろ考えさせられた。
妊娠・出産に関するアンケートで、不妊治療や代理出産、育児に対する考え方などたくさんの設問があり、それらに対して専門家としてどう思うのかという問いである。さらに、それらの設問に続いて「あなたが当事者ならどう思いどうするか」と問いかけており、それが前の同じ設問の答えと違っていることに気がつき複雑な思いをしたのである。
たとえば妊娠を望むカップルのうちの男性が無精子症で妊娠させる能力がない場合、他人の精子を使った人工授精は認めるか、という設問には当然「認める」と答えたが、「それではあなた自身がその立場ならどうするか」との設問にはたと考えてしまった。実際にその立場になってみないとわからないが、自分ではそこまでして子供が欲しいとは思わない。子供がいないのも一つの生き方だと思うからだ。でも、もしパートナーが強く希望していたらどうだろう、あるいは代々続く名家の唯一の跡取りだったら自分の代で途絶えるのは先祖に申し訳ないと悩むだろうし、自分だけの判断では決めかねる場合があるだろう。
専門家としての考えと自分ならどうしたいかとの齟齬を感じたことであった。

正しいコレステロール値は?

平成19年2月23日(金)
最近の知見によれば、50歳以上の女性のコレステロールは280mg/mlまでは治療の必要はないという。これは米国の研究と日本のきちんとしたデータに基づいたもので、信頼できる報告である。さらに、特別な場合を除いて35歳未満の男性と45歳未満の女性にはコレステロールの検査そのものが必要ないとのことである。
以前からコレステロールの正常値が下げられたのを不思議に思っていたが、やはり意味のないことだったかと改めて思ったが、それまで高コレステロールはよくないからと恐れさせられて、高価なスタチン製剤を服用させられていた人はどうなるのだろうか。本来、このような結果がでるだろうということはプロである医師であれば予測がついて、世間・マスコミ・権威者がなんと言おうと患者さんを無駄な検査・治療から守るべきものなのに、その医師が率先して検査しまくり薬を出してどうするのか。スタチン製剤は高価なだけでそれほど副作用はないことが救いだが、エイズの時の血液製剤はとりかえしのつかない損害を与えてしまっている。
健康診断・ドックが意味がないことがわかってきたのなら広く知らせて、その膨大な費用を介護にまわせばどれほどいいことか。検査と違って介護はお金をかければそれだけよくなるのだから。

医療崩壊

平成19年2月19日(月)
「医療崩壊」を読むと、近年病院に勤務する外科系の医師がその責任の重さと勤務の過酷さ、さらにそれに対する報酬の少なさのために辞めて開業したり、もっと楽なところへ行ってしまう傾向があるという。
他科のことはわからないが、産婦人科について言えば間違いなくそうなっているし、そもそも新人が来ない科になっている。かつては東大でも成績の良い学生が産婦人科を選択した時代もあったという。その頃は産婦人科は収入もよく、尊敬もされていてやりがいがあったようである。今は、収入は他科と変わらず勤務体制ははるかに過酷で、母子に何かあればたとえ責任がなくても非難されるご時勢である。この10年間で見ても、すべての科の医師は増えているか悪くても横ばいであるが、産婦人科だけは減っているのである。だれが産婦人科を選ぶというのか。女性医師は増えているが自身のお産や育児などクリアしなければならない問題も多く、なにより一生分娩に携わることが難しい現実がある。これからどうなっていくのかわからない、というのが実感である。