緊張の尺八演奏会

平成19年11月15日(木)
アステールプラザでの尺八演奏会が近づいてきた。あんな大きなホールで人前で演奏するのは初めてなので今から緊張している。まだ人前で吹けるほどうまくないのに、上達するためにも出なさいというお達しにより覚悟を決めたわけである。
問題点その1。当日、ちゃんと音が出るかどうかが心配である。なにしろ尺八は本当に音が出にくい楽器で、初心者の大半はこの時点でやめてしまう。さらに緊張すれば唇が渇いていっそう音が出なくなる。問題点その2は紋付袴を着て演奏しなければならないことである。着物を着ること自体、日常生活にないのに、慣れないことをするのは気が重い。正座するので足がしびれることだろう。問題点その3。楽譜を見るための譜面台を使うことは伝統的に禁じられており、床に広げるので実に見にくいのである。尺八の楽譜はカタカナのロツレチハが縦に書いてあり、字が小さく読みにくい上に、最近は視力も落ちていていっそう見えないと思われる。
これらのことを考えていると、やるぞという気持ちがなかなか起きてこないが、昨日一緒に出演される大先輩に偶然街中ですれ違った時、何十年もやっておられるのに、演奏のことが頭から離れず緊張しているとのお言葉を聞き、少しだけほっとしたことである。きっと緊張しているだろう初心者の気持ちをほぐしてやろうという、やさしい心遣いをしてくださったのではなかろうか。

混合診療の是非

平成19年11月9日(金)
混合診療は違法だとの厚労省の判断に対して違法ではないという司法の判断がでた。
混合診療禁止というのは、保険診療しているときに健康保険で認められていない検査や薬を使ったら、それまで行ってきた診療の費用がすべて保険外になり全額負担しなければならない、という従来の厚労省の解釈である。今回訴えた男性は、がんの治療のため保険診療に加えてほんの少しだけ保険外の薬を使ったために、すべてを自己負担とされてしまった。そこで弁護士に相談したところ国に勝てるはずがないと断られ、自分だけで書類を作成して訴えて勝訴したものである。これはすばらしいことだ。
国民皆保険制度は世界に誇れる制度で、わが国の医療がWHOで世界一と評価される大きな要因である。だからルールは必要であり厚労省と医師会の混合診療禁止の考えはわかるが、制度を守ろうとするあまり硬直化してはダメである。国民の健康を守るための制度が、逆に国民に過度の負担を与えてどうするのか。ものごとはシンプルに考えればよい。その人の健康を守るためにいちばん良いことは何かと考えて、もし混合診療が必要ならそうすればいい。そして、それを悪用する者に対してはきびしく対処すればいいのである。
どんなに完璧な制度を作っても、制度を悪用するの者はかならずあらわれる。今の制度でも、保険上認められているからとの理由で、必要以上の検査や投薬をしているケースもあるのだ。

根津医師のヒューマニズム

平成19年11月5日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津八紘医師は、病気などで子宮を失った女性の借り腹出産の手助けをしたと公表した。それに対して、産婦人科学会と弁護士会から非難の決議が出された。その理由は生まれてくる子供の福祉に責任が持てないことと、替わりに産む女性の健康不安があるからだという。
笑止の沙汰である。
医師の使命は目の前の苦しんでいる人を癒すことである。病気などで子宮を失ったが本人の卵子はあり、替わりに出産してもいいという女性がいて医学的にその技術があるなら、いったい誰がその希望を止められるというのか。今も生まれている子供たちすべての福祉を保証できる人などいないし、妊婦さんが100%安全などとだれも保証できないけれど、日々出産は行われている。医療はなべて個人的なことであり、犯罪でない限り納得しあって良識に基づいて行うべきである。当事者でもないのにえらそうに非難の決議を出すべきではない。その点、根津医師の真のヒューマニズムに裏打ちされた勇気ある行動には、心から敬意を表するし、こういう人がいるということはまだまだ人間も捨てたものではないという意を強くする。
無論、産まないという選択をするのも自由であるが、産みたいと思う人の希望を妨げるべきでない。もし、その過程でなんらかの不備がおこったらその時点で検討すればよいのである。親子関係にしてもDNAによる親子鑑定ができる世の中になったのだから、法律もそれに合わせて変えるべきでいつまでも過去の判例にしがみついてはいけない。司法の目的は人々の幸福のためではなかったのか。

受診者にも問題あり

平成19年10月31日(水)
救急でのお産の患者さんの受け入れ病院たらいまわしが問題になっている。
報道によれば救急で受け入れを5回以上断られた妊婦さんが増えているというが、実際のところは1回だけ断られたケースは増えていない。問題にすべきなのはなぜ5回以上断られたのかである。妊婦さんの救急でいちばん大切な情報は妊娠週数である。もし妊娠週数が若くまだ10ヶ月になっていないのなら未熟児医療のできる施設(NICU)でないと新生児に対処できない。だから、妊娠週数さえはっきりしていれば受け入れる病院はもっと増えるだろう。
報道のケースは妊娠7ヶ月になっていたのに一度も産婦人科を受診していない。真夜中に市街地で遊んでいて異常がおきたため、男友達が119番に電話したのが午前2時44分で、救急車が到着したのはわずか8分後の2時52分だそうである。これはすばらしいことである。そして妊娠週数がわかっていればもっと早く受け入れ病院を探すことができたと思われる。そこのところをきちんと報道しないと有効な対策はたてられないと思う。

食品偽装問題

平成19年10月26日(金)
このところ食品の偽装問題が次々に報道されている。「ミートホープ」の社長の逮捕をはじめ、有名な「赤福もち」の製造日のごまかし、「比内地鶏」として売っていた鶏肉が実は安い排鶏(卵を産まなくなった雌鶏で一羽数十円で取引される)を使ったものであったとか、枚挙にいとまがない。こんなばれやすいインチキをしていて、次々に告発されているのにどうして改めようとしなかったのか不思議である。
どれも命に関わるような実害がなかったことはよかったが、輸入食材のなかには危ないものがかなりあると聞く。わが国の食料自給率はカロリーベースで40%であるから、信頼できるところから輸入しないとそれこそ命に関わる。安全性の検査を国だけに任せておいても難しいだろうから、民間できちんと検査して安全性、素性などを保証するようにしたら少々割高でも安心できるというものである。

地球温暖化

平成19年10月18日(木)
秋も深まってきて朝夕に肌寒さを感じるようになった。今年はいつまでも暑く、いつになったら涼しくなるのかと思っていたが、あっという間の季節の変化である。地球温暖化が進み、北極圏の氷も大幅に解けているというが、いったいどうなっていくのだろうか。
地球全体でみると温暖化の時代には恐竜が繁殖し、第四期氷河期の後で人類が誕生して地上にはびこって現在に至っているそうだが、今後どうなるかは気候次第というところである。地球温暖化を防ぐ努力をしよう!とかオゾン層の破壊をくい止めよう!とか世界中で運動が起こっているが、自然の変化の前では何をしてもどうしようもないと思われる。
わが国では昔から怖いものとして「地震、雷、火事、親父」という言葉があるが、初めの二つは自然現象であり、三つ目も一旦起きてしまえばどうしようもないこと、最後のは理不尽なことの代表というほどの意味だろう。自然現象こそ理不尽の塊である。だから人間がいかに智恵をふるって立ち向かってもむだであるという先人の思想である。じたばたせず、なるようにしかならないと思うほかはないようである。

がん検診は無効?

平成19年10月12日(金)
症状のない人に行う「がん検診」の有効性についてはさまざまな議論がなされてきたが、検診によりがんは見つかっても寿命はのびないという結論になる可能性が高いようである。
平成17年のわが国の前立腺がんによる死亡数は9千人超で、男性のがんの部位別死亡死因の7番目である。このため前立腺がんの検診にPSA検査を行うようになったが、厚労省の「がん検診の適切な方法とその評価法の確立に関する研究班」は、綿密な調査と研究により「PSA検査は有効でない」と結論づけた。検診による死亡率の減少と、検診で発生する不利益とのバランスを考慮したわけである。当然のように泌尿器科学会からは強い反発が起こった。これと同じようなことは他の臓器のがんについても当てはまると思われ、それぞれの学会から反発が起こることは必至であろう。
それでもきちんとしたデータと研究による論文は、正しく受け入れねばならない。たとえその内容が、医療者や関連企業(製薬会社、医療機器の会社他)にとって不利益をもたらすことであっても否定してはならない。総合的にみて「がん検診」を含めた健診や医療行為が受診者に不利益をもたらすことが明らかになったなら、そのことを広く知らしめたうえで、それでも「がん検診」をするかどうかを一般の人たちや患者さんに決めてもらうべきである。

野田弘志展

平成19年10月3日(水)
先日、ひろしま美術館で開催されている「野田弘志展-写実の彼方に-」に行ってきた。リアリズムを追求したその作品群は、一つひとつが思わず足を止めていつまでもじっくり見たくなる作品ばかりである。まともに鑑賞したら一日ではすまなそうである。以前、田中一村の作品集を見たとき以上の驚きがあった。この作品展は全国5箇所で行われてきたそうだが、その最後の開催地が広島だったことは、野田氏の本籍が広島県でありさらに広島市立大学の教授をしていた関係だろうが、ありがたいことである。これだけの作品を一堂に集めることはなかなか難しいのではないだろうか。今度はいつ見られるかわからないので、開催最終日10月21日までにもう一度行ってみようと思っている。

酒はうまい

平成19年9月29日(土)
アルコールに弱いくせに好きで、このところ冷酒がじつにうまい。イカの塩辛や塩うに(福井市、天たつの越前雲丹は絶品である)などをさかなに飲むと、しみじみ日本に生まれてよかったと思う。元来アルコールに弱いので多くは飲めず、少ない量で満足できるのはありがたいことである。初めに飲むのは「とりあえずビール」で、特に汗をかいた暑い日に飲むと、ビールを発明した人にはノーベル賞をあげても追いつかないと思えるほどうまい。
父親はアルコールを受けつけない体質で、実家には酒というものがなかった。たまに「赤玉ポートワイン」と「養命酒」があったように記憶しているが、なにしろ酒に縁のない家だったと思う。それが我が家にはビール、発泡酒、冷酒、ワイン、ウイスキー、焼酎など一通りそろっているし、みな勝手に飲んでいるようである。特にビールと日本酒の消費が多いのは好みから当然である。いつまでおいしく飲めるかわからないが、できれば永く飲んでいたいものである。

中島義道著「うるさい日本の私」

平成19年9月24日(月)
哲学者中島義道氏の「うるさい日本の私」という著書がある。彼はウイーン大学での留学を終えて帰国した途端にさまざまな場所での放送音に悩まされるようになる。曰く、「列車が入ります、危険ですので白線の内側まで下がってください」とか、ATMの機械では「毎度ありがとうございます…操作ボタンを押してください…ありがとうございました」など、欧米では皆無のおせっかい放送が耳について仕方ないというのである。さらに、道路わきには「暴力追放宣言都市」だとか「交通安全宣言都市」などなんの意味があるのかといったポスターがべたべた貼られているの見るにつけ、これらの意味があると思えないものに違和感を覚えるのであった。
以来十数年、改善すべく孤軍奮闘してきたけれど日本ではいっこうにこれらのおせっかい放送やおせっかいポスターがなくならないのである。ついに、同様の違和感を持つ哲学者加賀野井秀一氏と共著で「うるさい日本を哲学する」という本を出すに至ったのである。