健康診断の(功)罪

平成21年1月17日(土)
先日の新聞の読者欄に、健康診断で大腸の精密検査をするようにいわれ、大いに心配し、さんざん痛い思いをしたあげく「異常なし」の診断で割り切れない思いをした、という投書があった。それに対して今日の新聞に、これらの検査に携わっている医師より、検査したら早期発見治療ができていいのだから大いに検査しなさい、という投書があった。
この医師は、精密検査を指示された患者さんがどんなに不安になり、辛い思いをしているのかを本当にわかっているのだろうか。それよりもまず、早期発見し治療した集団と、健康診断はせずに症状があってはじめて検査治療をした集団との比較で、両者の間に死亡数の差がなかったという数多くの欧米のデータをどう説明するのか。百歩ゆずって、早期発見早期治療が少しでも有効だとしても、1000人の疑いのある人の中から1人のガンの患者さんを見つけるために残りの999人の人に投書したような負担を強いることがよいことなのか疑問である。では100人に1人の割合だったらどうか、10人に1人ならどうか…。
いつも思うのは、どの比率のリスクなら異常のない人にも検査することが許されるか、ということである。保険診療でも、その線引きをいつも意識している。少なくともストレスを与えたあげく「異常ありませんでした」と心の痛みなしに言うことはしたくない。

ネプチューン海山の尺八

平成21年1月10日(土)
急に冷えてきた。全国的に雪のようだ。今まで暖かい日が続いていたので、バランス的にはちょうどいい。
昨日、ジョン・海山・ネプチューンというアメリカ人の尺八演奏を聴きに行った。ジャズを中心に日本の曲も織り交ぜて、じつにすばらしい演奏であった。自由な精神で、文字通り音を楽しもうとする姿勢が共感を呼ぶ。ともすれば形にとらわれてそこから脱却できず、発展性のない曲ばかり演奏している流派もあるこの世界ではかなり異色であるが、そこが魅力的である。それにしてもいい音を出していた。あんな音が出せれば楽しいだろう。
休み明けの週が終わったと思ったらもう連休である。政府はこんなに休日ばかり作っていいのか。

謹賀新年(平成21年)

平成21年1月5日(月)
謹賀新年。天気の良い日が続いた正月だった。今日から診療スタートである。
元旦はお屠蘇と雑煮で祝い、初詣は比治山神社で皆の健康を祈願し、甘酒(一杯200円!)を飲む。以前は破魔矢を買ったりしていたが、次の年に返しに行くのが面倒なので賽銭のみ。いつもお世話になっている、同じブロックの先生夫妻もお参りされていた。今年の目標といっても特別なものはなく、今までどおり淡々とやっていくだけである。尺八だけはもう少し上達したいが、なかなか思うようにいかないだろう。
なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。

平成20年をふり返って

平成20年12月26日(金)
今年ももう残りわずかである。ふり返ってみれば色々なことがあったが、いい年だったと思う。初孫も生まれたし、なにより家族全員が健康で気持ちよく毎日が過ごせたことが一番だったと思う。人生には「流れ」「潮時」などがあり、良いときは大概のことがうまく行き、悪いときは何をやってもうまく行かないものだ。だから、いいときはそれをじっくり味わい、悪いときはじたばたせずひたすら身を低くして耐えて潮時が変わるのを待つのがいい。
時代の大きな流れと寿命は個人の力ではどうしようもないと思うが、日々の生活をできるだけ充実させて、身の丈に合わせて生きていけば大きな間違いはないだろう。「人生わずか五十年…」という言葉があるが、まことにそのとおりで、自分では50歳を過ぎたら余生だと思っていた。今もその考えは変わらないが、余生のほうが充実することもあって、そこが人生のなんともいえないテイストであろうか。

広島の行政の誤り

平成20年12月20日(土)
広島大学の跡地が使い道がなくて宙ぶらりんになっている。一部はなんと!マンションになり、残りは先ごろつぶれたアーバンコーポレーションが何かを計画していたようだが、だめになってしまった。後を引き受ける企業がないという。
以前にも書いたが、広島市から広大を遠い東広島に移転するという、きわめつけの愚挙を行った責任者および賛同して利益を得た人たちは責任を取るべきである。まったく何を考えてこんなことをしたのだろう。子供が考えてもわかるほどの無意味な、有害な箱物行政である。せっかく最もふさわしい場所にあった広島の知の中心を、わざわざ大金を使って遠くの地に移してしまった。
広島はすでに空港移転という世紀の愚挙を行っているからいまさら驚かないが、広島を大事に思わない政治家や企業家でなければできないことばかりである。何十年か後になってこれらの負の評価が明らかになるだろうが、その頃には責任者達はもういないのである。

裁判員制度が始まる

平成20年12月13日(土)
いよいよ来年から裁判員制度が始まる。知らない間に決まった制度だ。しかも、もし裁判員に選ばれたらほとんど拒否できないそうである。
いったい誰がこんな制度を決めたのだろう。もし国民投票したら間違いなく廃案になるだろう。裁判はプロに任せておけばよい。素人が判断するには無理があるのは、誰が考えてもわかるはずである。我が国には一般人参加の裁判はなじまないと思う。
もし自分が選ばれたら、何日かクリニックを閉めて行きたくもない裁判に行かなければならない。そんなことをしたいと望んだわけでもなく、自分が参加することによって今よりも裁判がよくなるとは思えない。経済的な損失も非常に大きい。いいことは一つもないのである。
こんな制度を作った人たちはいったい何を考えているのだろう。実に不愉快である。

その日の前に

平成20年12月5日(金)
早いものでもう師走だ。
重松清原作の映画「その日の前に」についての大林監督と作者の対談が文芸春秋に載っていた。かなり面白そうな映画なので観たいと思って調べてみたら、広島では今から2週間某映画館でロードショーで上映することになっているようだ。歳の所為か涙腺が緩んでいるので、家で「風の谷のナウシカ」を観て眼を赤くしているのを子供に見られて、ちょっと恥ずかしかったが、この映画は絶対に泣けるようである。上映時間から日曜日しか観られないのが困るが何とか観たいものである。

田中一村展

平成20年11月29日(土)
時間がとれたので、連休を利用して奈良、京都へ行ってきた。目的は、奈良明日香村の万葉文化館で開催されている「生誕百年記念 田中一村展」を見るためだったが、紅葉の季節だしついでに京都をまわってくればいいと思って、急遽計画したのだった。さすがにこの時期は宿がとれず、はじめは大阪のビジネスホテルしかあいてなかったが、出発5日前に奈良公園入り口にあるホテルがキャンセルでうまくとれて幸運だった。奈良は大混雑で、申し込んでおいた奈良観光バスツアーが大幅に遅れたが、おかげで若草山からのすばらしい奈良の夜景を見ることができた。
翌日の京都も大変な人で、清水寺などの有名なところは大混雑なので避けて、午前中に紅葉のきれいな穴場、金福寺、詩仙堂を巡ったが、ゆっくりと紅葉を堪能できた。昼前に雨が降ってきたので、少し早めに予約しておいたレストラン「おくむら」でランチ、秋を満喫できた二日間であった。

福岡伸一著「生物と無生物の間」

平成20年11月22日(土)
分子生物学者の福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」という著書は「いのち」とは何かを示唆していて興味深い。著者自身が携わってきた最先端の研究を語りながら、世界中の優れた研究者達のエピソードなどを紹介しつつ、「生命とは何か」を考察している。
「生命とは自己複製を行うシステムである」これが、20世紀の生命科学が到達したひとつの答えである。が、著者はさらに「命とは動的平衡の流れ」である」と定義付ける。
生物を生物たらしめている設計図はDNAだが、生物を維持しているたんぱく質などは分子単位で常に入れ替わっているという。昨日と今日では生物というシステムは同じでも中身は変わっているのである。ちょうど砂浜がその形を変えないけれど砂の一粒一粒は常に入れ替わっているように。
これはマクロでは都市とまったく同じではないか。都市というシステムは同じでもビルは少しずつ建て替えられるし、中の人たちも時間とともに入れ替わる。それでも広島の街は街であり続ける。戦争で壊滅しても再び街を創りあげ機能し続けている。先ほどの「生命」の定義である「複製と動的平衡の流れ」とぴったりと合う。

中野孝次著「ガン日記」に思う

平成20年11月17日(月)
中野孝次氏の「ガン日記」は、著者が食道がんになったことが判った2004年2月8日から3月18日までの日記とその後のことを奥様と編集者が記録した著書で、氏の没後出版された。初めは懇意にしている医者から余命1年であることを告げられ、治療を勧められたが、病気の性質上なにもせず経過を見ることにした。他の医者からも入院治療を勧められたが、頑として受け入れなかった。ところが日々体調が悪くなるなかでしかたなく入院することを決め、放射線治療を受けた。1ヵ月半の治療後退院したが体調は良くならず、程なく亡くなられた。
頑として治療をしなかったことは実に共感したが、日々弱っていく中で医者の言うことを聞いて仕方なく治療入院したことがなんともお気の毒であった。こういう場合、なぜ医者はステレオタイプに治療しか考えないのだろうか。中野氏が入院できたのは治療を医者の言うとおりにすることが前提であり、そうでなければ入院できなかったのである。手術、放射線、抗がん剤、どれも過酷な副作用がある。なのに治療の有無に関わらずがんによる死亡数は変わらない。そうであれば、できるだけおだやかに残った日々を過ごせるようにすることが、医師に課せられた使命ではなかろうか。それを実践している医師もいると聞く。
こういう記録を読むたびにいつも同じ事を考えてしまう。