歌劇「真珠採り」

平成24年11月9日(金)
久しぶりにビゼー作曲の歌劇「真珠採り」のCDを聴いてこの曲との「出会い」を思い出した。
学生時代、ガラにもなく大学男声合唱の指揮をすることになり、自分の能力のなさゆえ悪戦苦闘していた。当時の大学生男声合唱の最高峰は慶応義塾ワグネルソサエティーであり、あこがれの的であった。その第99回定期演奏会が東京と大阪で開かれることを聞きつけ、仲間たちと大阪へ聴きに行った時の衝撃は忘れられない。
専任指揮者はなんと音楽界の重鎮の畑中良輔氏、顧問指揮者は木下保氏で、彼らの紡ぎだす音楽はとても学生の演奏とは思えないほどすばらしかった。その中で学生指揮者・秦実氏のワンステージが歌劇「真珠採り」であったのだ。ピアノ伴奏も慶応の学生で、テノールとバリトンのソリストの掛け合いも素晴らしく、何より最後に歌った有名な「耳に残るは君が歌声」は感動を通り越して、以後すっかりファンになってしまった。
それから30年、開業してしばらく経った頃偶然インターネットで「第99回定期演奏会」の復刻版CDを限定作成し関係者に実費で配っていることを知り、懐かしさゆえぜひ自分にも分けてほしいと連絡したところ、当時学生指揮者で今は会社務めをしておられる秦実氏よりメールをいただいた。「…学生指揮をしていた当時、木山さんより合唱指揮をどのようにしたらよいのかという、指揮に関する問い合わせの手紙をいただいたことを思い出しました。そういえば大阪の定期演奏会のとき花束をいただきましたね…私の所にCDはあと1セットだけ余分があるのでお送りします…出会いは何度もおきるものですね」という感動的な文章であった。確かに当時ショスタコービッチの合唱曲を練習していて行き詰っていて、この曲を演奏していたワグネルに手紙を書いたことを思い出した。
もう一度、分けていただいたCDで「真珠採り」を聴いてみたが、当時のことなどがよみがえってしみじみとしたことであった。

腰痛回復

平成24年11月2日(金)
昨日から急に寒くなった。いつもと同じ服装だと冷えるので今日は暖かくして自転車出勤。
3月の終わりに腰痛発症以来、努めて無理しないようにしてきたが、最近ではほとんど腰痛を意識しないようになった。かなり良くなったと思うので少しテニスのラリーをしてみたが問題なさそうである。もっともまだ怖いので走ったりせず打ち合うだけだが。この調子なら来年から週1回のテニスが再開できそうである。以前腰を痛めた時も回復するのにほぼ半年かかったが、今回も似たようなものなのでやはり時間が回復の最大の治療法だと思う。
以前に痛めた原因はゴルフの練習であり、今回もまた同じとは学習能力のない自分が恥ずかしい。テニスは腰を痛めないのにゴルフのスイングはよほど自分に合わないのだろう。思えば30年前に高知県安芸市の病院に勤務していた時、誘われて始めた初めてのラウンドでスコア132、バーディーがとれたのが間違だったのである。今後は2度とゴルフはしないと固く誓ったことである。

男性不妊の最近の話題

平成24年10月26日(木)
いぐち腎泌尿器クリニックの井口裕樹先生の上記表題の講演会があった。男性不妊の治療を行っている専門医は少ないので、貴重な話が聞けて興味深いことであった。内容はおおむね理解していたことであったが、実際に男性の精巣から精子を取り出す手術の手技の話など面白い話題がたくさんあった。
不妊の男性にはED(勃起不全)が多いというのはうなずける話で、その対策としてバイアグラなどの薬の詳しい説明があったが、その話になると会場の多くの医師たちの目が輝いたように見えたのは気のせいか。EDの原因は多くの場合が心因的なものだそうである。もともと性的に活発でない男性が、うまく勃起せずセックスできなかった場合いっそうひどくなるという。そういう場合にこれらの薬が有効であるが、それなしにはできなくなる男性が多いらしい。まことに男性は繊細であると思ったが、それに関連してタイミング法という排卵日に合わせてセックスをするよう指導するのは、男性にとっては難しいのではないかと思っていたが、井口氏もそのように話しておられた。アメリカではタイミング法はもうやっていなくて、2日ごとにセックスするよう指導しているそうである。その方が妊娠率が上がるという。私はかねてより3日ごとにするよう指導してきたが、実際、性的に活発でない男性にはそれでも難しいのではないかと危惧しているところである。

健康診断に替わる制度を!

平成24年10月20日(土)
職場などの健康診断で婦人科の異常(?)を指摘されて来院される人がおられる。これらの人たちで本当に問題のある人は少ない。これは無理もないことで、検診医は異常を見落としてあとで問題になってはいけないので、必要以上にささいなことでも異常を指摘する。もし、普通に保険証を出して診察に来られた人であれば、異常があればその場で検査・治療ができるし、そうでなければ経過を見て何か不都合なことがあれば来院するようお話ししてそれで終わるので、患者さんも無駄な受診をしなくてすむ。
今から10年前に厚労省の研究班が「健康診断の項目の大半が無意味である」との結論を出しているが、職場検診・自治体の検診はあいかわらず盛んである。むしろ新聞などでキャンペーンをやって検診を増やそうとしている。これは医療経済のパラダイムからは当然のことで、経済が縮小するようにはならないものだ。そこで、実質もよくなり経済も変わらない方法として次のように法律を改正したらどうだろう。企業の検診は中止するが、その費用を社員の医療機関の受診に充てる。もちろん受診理由がある場合のみであるが。
このようにすればすべてが良くなり、私自身のイライラも解消されると思われる。

趣味の継続

平成24年10月13日(土)
趣味というか好みは急にあらわれるものでも無理につくられるものでもない。というのは「定年になったら何か趣味を持ちましょう」などの文言を目にするが、60年間無関心であったことが急に趣味にできるはずがない。やはり小さい頃から興味があり、ある程度でき、やっていて飽きないことが趣味と言えるのではなかろうか。だから興味を感じるものがなければ何もしない方がいい。
自分の場合、小さい頃からの興味の対象は音楽とゲームと体を動かすことだった。ゲームについては囲碁将棋マージャンは一通りやった。今は雑誌やテレビの対局を見るぐらいでやってないが、プロの棋譜を見るのは楽しいのでヒマがあれば見ている。体を動かすことは好きで中学高校6年間軟式テニスをしていたが、今は硬式テニスをスポーツクラブでやるぐらい。それもゴルフを再開しようなどと不埒なことを考えた罰があたって腰痛が再発し現在中止、そのかわりできるだけ散歩するようにしている。音楽は小学校時代のリコーダーに始まり、鼓笛隊の小太鼓、中学時代にはギター、高校時代には作曲とギター、大学時代には男声合唱と順調に遊んできた。今は10年前から始めた尺八に凝っている。これは歳を取ってもできそうなのがありがたい。

広島で食べられるおいしいもの

平成24年10月6日(土)
広島県医師協だよりに西区で内科を開業されているO先生(直接の面識はない)が、上記の題で2回にわたって記事を掲載しておられるがなかなか濃い内容なので紹介してみたい。O先生は毎日いかに楽しく暮らすかを第一目標におき、実践しておられるようで、特に食と酒はまさに命がけで追及しているように見受けられる。広島はもとより東京・大阪に足をのばし、フランスにも毎年訪れて三ツ星レストランなどに行かれるそうである。
私自身は広島のそれもごく狭い範囲しか知らないけれど、O先生のお勧めの広島の店なら少しは知っていて、好みが重なっていると思った次第である。
広島一おしゃれな焼き鳥屋として「BACARO DUE(アロマグリル)」を、天ぷらでは「荒谷」「天甲」、鮨では「吉鮨」「とくみ鮨」「なかもと」、そばは高橋名人の弟子の店「はっぴ」を薦めておられるが、そのとおりであると思う。ただ「吉鮨」は値段が高すぎるので行かない。他にも好みの店はあるが、あまり知られてしまうとかえって行きづらくなるのでこのぐらいにしておく。

四季の味

平成24年9月28日(金)
季刊誌「四季の味」は食の奥深さを教えてくれるので、春夏秋冬、それぞれの号を買ってクリニックに置いている。毎号面白い記事が満載であるが、その中で金沢の料理屋「銭屋」の主人のエッセイ「銭屋の勝手口」は軽妙かつ深みのある文章で、毎回楽しみにしている。
今回の話題は、28年前にパリの大学で日本文化を学んでいたパリゼンヌが「銭屋」に1カ月ホームステイしたところから始まる。日本酒の旨さに驚き、日本文化を知れば知るほどすっかり日本を好きになった彼女は、大学卒業後は日本企業で仕事を始め日本に定住してしまい、グラフィックデザイナーの岡達也氏と結婚して会社を立ち上げ、実業家として活躍しているそうである。和服にもはまって、とうとう「パリゼンヌの着物はじめ」という本まで出しているという。
その彼女が毎年「金沢おどり」の時期に、見事に和服を着こなして銭屋のカウンターで食事する姿を見るのが楽しみだという。人と人との縁というものの面白さを表した文章を読むにつけ、「銭屋」を訪れてみたいと思うようになっている。以前、金沢を訪れた時は「みつ川」「つる屋」に行ったが、次に行く機会があればぜひ「銭屋」のカウンターに座ってみたい。

琵琶湖・彦根城・天橋立

平成24年9月21日(金)
16・17日の連休は京都まで新幹線で行き、レンタカーを借りて琵琶湖東岸をドライブして天橋立に泊まった。予定では彦根城を皮切りに歴史探訪しつつ北上し、夕方宿に着くことにしていた。あいにく台風が九州の西を通過していたが、こちらは天気も良くほとんど台風の影響がなかったのはありがたかった。京都から彦根城まで名神高速道に乗ったのが誤算で、交通渋滞のため予定の時間より1時間30分あまり余計にかかったため、彦根城を見た後は直接天橋立に行くしかなかった。
わが国には国宝になっている城は4つしかなく、彦根城はそのうちの1つである。周囲の堀は3重になり石垣も重厚で、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が豊臣家と西国の大名を監視する務めを井伊直政に命じ、早世した直政の子直継の代に築城されたものである。天守閣内部の階段は急峻で隠し部屋もあり、戦国時代の名残を感じさせるつくりであった。
天橋立は文殊荘「松露亭」に泊まった。天橋立を正面に臨む松林の中に建つ平屋・数寄屋造りの静かな宿で、早朝、正面の海から昇る太陽には思わず手を合わせたくなる神々しさが感じられた。宿の隣にある智恩寺に朝のお参りをする地元の人が散見され、信仰が生活と密接につながっている様子が見えた。
帰りは琵琶湖の西岸を通って比叡山延暦寺へ。琵琶湖を一望するロテル・ド・比叡のテラスで昼食、京都駅の混雑にはうんざりして新幹線で仮眠しつつ帰広、駅ビルの居酒屋で一杯やって帰宅、こんな旅もまた楽しい。

うつ病の回復とは

平成24年9月14日(金)
最近読んだうつ病に関する最も納得できた論文を紹介する。著者は沖縄協同病院心療内科部長の蟻塚亮二医師で、弘前大学を卒業し青森県で精神科医を務めていたが、加重労働からうつ病が再発し2004年から沖縄に移住し診療・講演を行っている。氏によれば「うつ病が治る」ということは、病気になる前の自分に戻ることではないという。
うつ病の回復戦略とは①環境要因に無理があったらそれを是正すること、②環境要因にどうしても適応できなければ環境を変えること、③本人の価値観の相対化・対人スキルアップをはかることであるという。さらに従来の内因性うつ病とは異なる「適応障害に伴ううつ病(特に若者のうつ病)」については発達課題への支援が必要だと説く。
「治る」とは病気になる前の自分に戻ることではない。病気になる前の自分に戻るなら、また病気になる。生きることのどこかに無理があったから病気になったのだ。だから「治る」とはもっと楽な生き方に変わることである。仮に生きることを惑星の軌道にたとえるなら、「生きる軌道を変えること」こそがうつ病の回復目標である。
また、「この世に絶対的な価値があるとすればそれは生きることだけであり、その他の価値は相対的なものでしかない」と伝えて、世間で良しとされる価値観の相対化を繰り返すことにしているという。
他にも色々書いてあったが、うつ病に関する腑に落ちるわかりやすい論文だった。

開院15周年

平成24年9月6日(木)
当院は平成9年9月10日に開院したのであと数日で15周年を迎え、16年目に入ることになる。15年といえばずいぶん長いようだが、開院した日のことを昨日のように思い出すのが不思議である。開院した時のコンセプトは今と変わらず、患者さんの傾向も同じで変わったことといえば、ピルを求める人が増えていることだろうか。
この15年で産婦人科もずいぶん変わってきた。女性医師が増えたこと、お産をする病院・医師が減ってきたこと、産婦人科を志望する医学生が減ったこと、入院設備のないクリニックが増えたこと、産婦人科自体が斜陽になっていることなどいずれも開業前に予想した通りの状況になっている。それでも当院が、ほぼ自分のやりたいことだけをやって存続できているのは本当にありがたいことである。これからも、検査は必要なものだけ・薬は必要最小限・通院回数はできるだけ少なくてすむように・医療は癒し・のコンセプトを守っていきたいと思う。