英語の特訓

平成26年12月18日(木)
英語を使うことがなくなってずいぶん久しい。たまには文献を読むこともあるが、辞書を引きながら何とか読めるくらいでヒアリングはできないししゃべるのはさらに困難である。かつて学会発表をしていた頃は、まだ少しはそれらしくしゃべっていたが、今はまったくダメである。
そこで、今回30日間スパルタ講座を受けることにした。毎日課題が与えられ、まがりなりにも解答を出さなければならない。課題は3つ、英作文と聞き書きと和訳である。実際にやってみて、いかに英語力がないか思い知らされている。なにしろこれだけ英語から離れた生活をしているのだから、すぐに慣れろといっても無理である。結構ストレスがかかっているが、なんとかやり遂げたいものである。

袋町東地区忘年会

平成26年12月11日(木)
先日、医師会中区第4支部(袋町東)忘年会が「かねまさ別館」で行われた。特別なことでもなければまず行かない天然とらふぐの店なので楽しみにしていた。近くにいても日頃顔を合わせることが少ない先生方と久しぶりに話をして盛り上がったが、新たな開業も複数あることがわかり、この地区は中四国最大の医療施設密集地だと改めて思った。
本通りに沿って東西500メートル、八丁堀をはさんで南北1キロメートルの狭い地域になんと!45の医療施設があり、企業の診療室も3か所ある。個人のクリニックもあれば病院もある。当院もこの地に開業して17年になり中堅どころとになったが、いくつもの施設が廃業しそれを上回る新たな施設ができるのを見てきた。
この地区は人が最も集まってくる本通りがあり店舗も密集、袋町の美容院密度は日本一といわれているが、活力のある面白い場所だとしみじみ思う。

太田和彦著「居酒屋を極める」

平成26年12月4日(木)
著者は資生堂宣伝制作部を経て独立したグラフィックデザイナーであるが、居酒屋好きが高じて居酒屋評論家としての著書を多数あらわし、全国居酒屋百選のDVDまでも出して、「酒場放浪記」の吉田類の向こうを張るような人である。表題の新書は著者の来し方を簡潔に記し、居酒屋との付き合い方ひいては人生の処し方を上から目線でなくひとりの庶民的酒飲み目線で語っている。
私自身はアルコールは弱いけれど旨いものには目がなく、おいしく食べるにはアルコールが必須であると思うので、料理に合わせてビール、日本酒、ワイン、ウイスキーを自分の適量飲むことにしている。ワイン以外はほぼ毎日飲んでいるが、少量で満足できるので強くなくてよかったのかもしれない。
著者の居酒屋でのふるまいを読むと、こういう人と偶然居酒屋で同席しても気持ちよく飲むことができると思う。まことに酒席の達人、人生の達人ともいうべき人で、私の周辺にもこういう人がいるが、他愛のない話をしながら飲んでいるうちに知らぬ間に時が過ぎて行くのが快い。

産婦人科の新しい診療領域

平成26年11月28日(金)
弘前大学産婦人科の水沼英樹教授による表題の講演があった。少子高齢化による女性の疾病構成の変化に伴って、従来の更年期を中心にした産婦人科医のかかわりをもっとトータルに広げる必要がある、という内容である。
わが国の女性の総患者数では圧倒的に多いのが高血圧で、ずっと離れて脂質異常である。そして妊娠時の高血圧は将来の高血圧症になるリスクがあり、PCOタイプの卵巣は将来の脂質異常のリスクがあるので、妊娠にかかわっている産婦人科医が予測しフォローするのが理にかなっている。また、骨粗鬆症は骨折につながり、高齢者の骨折は死亡リスクを上昇させる。骨量の減少は更年期に入った時から始まり急激に進行し、更年期が過ぎたところで緩やかな減少へと移行する。つまり、更年期をホルモン補充療法でうまくやり過ごせば骨がもろくなるのを防ぐことができ、高齢になってからの骨折も防ぐことができる。
このように女性の一生にトータルにかかわることが産婦人科医のこれからの方向である、という興味深い話であった。

母里啓子著「もうワクチンはやめなさい」

平成26年11月21日(金)
表題の著書は以前にも紹介した「インフルエンザワクチンはいらない」を著しており、その続編ともいうべきものである。氏は元国立公衆衛生院疫学部感染症室長であり、わが国のワクチン行政にかかわってきた疫学のプロである。氏は一貫して現在のわが国のワクチン制度に対してきちんとデータを示したうえで疑問を呈している。
有効なワクチンは少数存在するが、最近乳幼児に打つことを奨励するようになったワクチンの数はとんでもなく増えていて、乳児死亡率が世界で最も少ないわが国で本当に必要なのだろうかと思わざるを得ない。副作用による死亡にはだれが責任をとるのだろうか。WHOのバックにいるビッグファーマによるワクチン販売の世界戦略に乗せられているとしか思えないわが国のワクチン政策は、最終的にわが国のお金をこれらの巨大製薬会社に吸い上げられることになる。以前大騒ぎしてわが国に備蓄した「タミフル」も効果はほとんどないことがわかってきたが、海外製薬会社に支払われた数百億円のお金(われわれの税金)はなんだったのだろう。
これらのさまざまな矛盾は簡単には解けそうにないので、実際に患者さんに接している我々が、徒にワクチンを勧めないことで食い止めるしかない。

ぶさいく犬がやってきた

平成26年11月13日(木)
田舎の父親が加齢のため入院し、飼っていた犬の面倒をみることができなくなった。推定13(14?)才の老犬「福太郎」である。顔が可愛くないうえに躾ができてないので(お手・お座り・待てができないというか教えていない)飼ってやろうという奇特な人がいるわけもない。今は保健所も簡単には引き取ってくれない。以前うちで飼っていた愛犬「まろ」を看取ってくれた動物病院の先生に相談したら、「噛み犬ならどうしようもないが、とりあえず散歩させてみてください。」とのことで散歩させてみると、意外にもちゃんと散歩できた。こんなぶさいくな犬でも13年にわたって父親を癒してくれていたのかと思うと、うちで飼うしかないかと腹をくくった。
日曜日、生まれて一度も体を洗ってもらったことのない「福太郎」を洗ってやり(思い切りイヤがった)、ビニールシート・バスタオル・ダンボール箱などを敷き詰めた車に乗せ、ブルブル震える体を抱いて撫でてやりながら2時間かけて我が家に連れて帰った。「まろ」の定位置だった玄関につないで朝晩散歩することにした。環境の激変にどうなることかと思ったが、周囲に吠えることもなく結構まったりしている。「まろ」の時に使っていた犬小屋は処分していたので、新しく買ってきたが中に入らず外で寝ているようである。「ぶさいく犬」ではなく「福太郎」の「福」がやってきたと思うことにした。

「マッサン」と「軍師官兵衛」

平成26年11月7日(金)
NHKのドラマは久しく見ていなかったが、表題のドラマは実に面白く一度見たら引き込まれてしまった。特に「軍師官兵衛」は官兵衛役の岡田准一の雰囲気が話にピッタリはまっていて、老いて次第に常軌を逸するようになる秀吉役の竹中直人の名演技とあいまって次はどうなるかと一週間が待ち遠しい。はまり役はあるもので、秀吉役には緒方拳と竹中直人が、伊達正宗には渡辺謙がピッタリ合っているように思う。大河ドラマは戦国時代を中心にさまざまの角度から手を変え品を変え放送されてきたが、今回のドラマはうまくできていて録画して見逃さないようにしている。
「マッサン」は竹原出身の竹鶴政孝がスコットランドにウイスキーの勉強に行き、当地の女性リタと結婚し一緒に帰国、紆余曲折を経て北海道余市で独自のウイスキーを完成させるという実話をもとにした朝の連ドラで、始まったばかりであるが人気が出ていてウイスキーの売り上げが増えているそうだ。竹原にある竹鶴酒造には多くの観光客が訪れているという。かくいう私も見学に行き、近くの「遊山」というミシュラン掲載のそば屋でうまいそばを食べてきた。

発想の転換

平成26年10月31日(金)
30数年前、私が母校の産婦人科に入局した頃は、一人前の医師に育てるための優れた教育制度があり、産婦人科医としての基本をしっかり教わった。母校は歴史もあり代々受け継がれてきた「レーゲル集(現在のガイドライン)」に基づいた検査・治療法を先輩医師より丁寧に教え込まれた。このことはその後の医師人生にどんなに役に立ったことか、本当に感謝している。
時代は変わり経膣超音波検査法が一般化してくると、妊娠の診断・予後に対する従来の考え方が大きく変わった。この検査法は子宮の中がクリアに観察できるので、妊娠初期の状態が的確に診断できる。流産するのか子宮外妊娠・胞状奇胎などの異常があるのかが安全にわかるようになった。そして流産は妊卵の細胞分裂の異常によるもので、一定の割合で起きることがわかり、従来の安静・止血剤・子宮収縮抑制剤の投与の効果が疑問視されるようになった。かつては切迫流産という病名で入院・安静・点滴という治療が多くの病院で行われていたが、現在はほとんど見られなくなった。
その当時、治療効果を信じて入院していた人たちは、今から考えると気の毒で仕方がないが、当時は医師も治療効果を信じて行っていたのである。現在行われている色々な病気に対する検査・治療の中にも将来、意味がなかったといわれるようなものもあるはずだ。発想の転換をすればムダと思われるものは容易に見当がつく。その最たるものは老化とがんに関するものだと思う。有害無益と思われる検査・治療をやめるのも大切なことである。

黒鉄ヒロシ著「韓中衰栄と武士道」

平成26年10月24日(金)
「赤兵衛」でおなじみの漫画家黒鉄ヒロシ氏の新刊で、平成12年9月から夕刊フジに連載したものをまとめたものである。以前にも紹介したことがあるが氏の文章は秀逸で、「毎日クローがねえ」という今は絶版になっているエッセイ集を読んで以来注目していた。最近では戦国時代から江戸・明治時代にかけての名だたる武将・著名人を様々な角度から考察した「千思万考」があるが、これも氏のユニークな視点を加味した人物像を浮かび上がらせていて面白い。
表題の著作は近年いっそうギクシャク度を増しているお隣の国との関係を、歴史的考察を中心に的確に述べている。人生の達人である氏の結論は「覚悟して一定の距離を保って隣国と付き合え、覚悟とは武士道である」、一見古臭いと思うかもしれないが、含蓄のある氏ならではの発想で、じつにそのとおりだと納得する。

一進一退

平成26年10月17日(金)
尺八を始めて10年にもなるとさすがに才能がないことがわかるが、なにしろ吹いていて気持ちいいので続けている。先月、南区民文化センターでのささやかな演奏会で2曲、独奏した。琴なしの独奏は初めてで、録画したものをいただいたので自分の演奏を客観的に見る(聞く)ことができた。自分では出来が良くなかったので見るに堪えないと思っていたが、思ったほどひどくなかったので少しほっとした次第である。その後、他の曲を吹いてみてもなんだか音がよくなったように感じて気を良くしていた。
ところが最近、自分で吹いて録音した音を聞いてみたらやはりダメで、自己評価というものは客観的評価よりも常に高く、ときおり思い出したように正しい評価をするものだと思った次第である。スポーツは勝ち負けがはっきりしているし、試験は点数で評価されるので客観性が高いが、音楽は評価が難しい。だからといって常に正しい自己評価をしていたら吹く気がなくなるだろう。これはすべての芸事だけでなく、ヒトのあらゆる行動について言えるのではないだろうか。