「人はどうして老いるのか」

平成29年1月20日(金)
表題は京都大学教授などを歴任された動物行動学者、日高敏隆氏の著書である。副題が「遺伝子のたくらみ」でヒトがなぜ老いるのか、老いとはどういうことなのかを遺伝子を基にして考察している。氏は以前から興味深い著作を多数出されているが、どれも面白いものばかりである。「チョウはなぜ飛ぶか」、ローレンツ著「ソロモンの指輪」の翻訳など、すでに古典的名著となっているものも多い。
動物たちはそれぞれの個体が自分の遺伝子を持った個体を多く残すことを「目指して」生きている。ヒトも例外ではなく適応度が高いほど多くの子孫を残せるが、適応度が高いことは「多産」であっても長生きできることとは別であるという。遺伝子集団は自分たちが生き残れるように、進化の途上で周到なプログラムを組み立ててきた。それぞれの個体はプログラムどおりに成長し、子孫を残して死んでいくが、このプログラムは固定的なものではなく「選択」によって変化するため最終到達点までいかないこともある。これについて氏はロールプレイングゲームを例にとってわかりやすく説明している。ゲームはすべてプログラミングされていて、個々のプレーヤーの選択によっては最後まで進めないことがしばしばみられるが、遺伝子のプログラミングもこれと同じだという。
実にわかりやすい説明で、すべて遺伝子集団のプログラムどおりなら「老い」はどうしようもないことである。もっとも、難しく考えなくても昔から皆あたりまえのことと思っていることではあるが。

恩師の通夜

平成29年1月13日(金)
私が産婦人科の医師として一人前になるよう指導していただいた大恩ある岡山大学名誉教授のS先生が亡くなられ、お通夜に行ってきた。会場には懐かしい顔が多数みられ、長いこと医局に無沙汰していることをあらためて思った。
S先生は私が医学生の時に教授に就任され、卒業後医局に入った時には名実ともに名教授でおられた。手術の腕は超一流で、国内はもとより他国からも見学に来るほどであった。医局制度は充実しており、皆が公平に修練できるように配慮されていた。教授回診は週に2回あり、ちょうどドラマ「白い巨塔」と同じで主治医は受け持ちの患者さんの回診が終わるとほっとしたものである。当時は中国・四国のほぼすべての県に関連病院があり、そこへ医局員を派遣していた。それぞれの県の主要な病院はたいてい関連病院だったので、私も四国は徳島県以外はすべて赴任したし、中国地方は鳥取・島根以外は在職した経験がある。S先生は研究もされたが臨床を最も大切にされていたように思う。だから、私のように研究にはあまり興味がなく臨床が一番と思っている医局員にもやさしく接してくださったのだと思う。いずれにせよ今があるのはS先生と岡大医局のおかげであり、そのことを一層感じさせられたひと時であった。最後にS先生のご尊顔を拝見したが本当にきれいだった。享年92。合掌。

謹賀新年

平成29年1月6日(金)
明けましておめでとうございます。
早いもので平成9年にこの地でクリニックを開いて20年目を迎えた。20年というと長いようだが、実感では本当にあっという間だった。時間は矢のように過ぎてゆくので、この調子でいくと瞬きする間に人生の終わりが来るのだろう。元旦、初詣の護国神社でひいたおみくじは小吉。そういえば去年某所で凶のおみくじを引いて、珍しいのでかえって喜んだことを思い出した。何はともあれ健康で毎日過ごせることが一番ありがたいことである。今年も一日一日を大切にして一期一会の気持ちで診療していきたいと思っている。
今年もよろしくお願いします。

平成28年をふり返って

平成28年12月29日(木)
今日で今年の診療は終了である。この地に開院して19年になるが安定して患者さんが来院してくれるのはありがたいことだ。さらに、ここ数年は新患の来院数がいっそう増えているようである。自分のモットーである、①的確な診療②わかりやすい説明③本当に必要な検査以外はしない④来院回数をできるだけ少なくする⑤意味のない薬は出さない⑥来院してよかったと思ってもらえるように努める、などはかなりの程度かなえられていると感じられる。これもわがスタッフとクリニックを信頼して来てくれる患者さんのおかげである。これほどうれしいことはないし、本当にありがたいと思っている。
来年は20周年という一つの節目を迎えるが、やはり今までどおり初心を忘れず患者さんに寄り添うような診療をしていきたい。皆さん、良いお年を!

「十一月にふる雨は」

平成28年12月22日(木)
表題は明治生まれで大正から昭和時代に活躍した詩人、堀口大學の詩である。この詩に男声合唱で有名な多田武彦氏が曲を付け、合唱組曲「雨」の中におさめられており、初めて聴いた時からいい曲だと思ったし、学生時代に定期演奏会のための練習を重ねる度に詩の味わいを感じて気に入っていた。同じように思っている人は多いと見えて、ネットでもこの詩についての記載も多数みられる。YouTubeでいくつかの合唱団の演奏が聴けるのはうれしい。ところがある時からこの曲は公式には組曲から外され、代わりの曲が入りCDでも「十一月にふる雨は」はなくなってしまった。原因は詩の中に「コジキ・ヒニン」という言葉があるため、作曲者がこれを演奏する学生たちに迷惑が掛かってはいけないと考えてなくしたのではないかと思われる。
文学作品の中の言葉が、現代では使えないとはなんという不便なことであろうか。曽野綾子氏はエッセイの中で、これらの言葉狩りに対して反対されており、特にマスコミの自主規制に不快感を表明しておられる。かつては学生時代に買ったLPレコードで何度も聴いたこの曲をもう聴くことができないのかと思っていたが、YouTubeで聴けるとはありがたいことである。
「十一月にふる雨は」
十一月はうら悲し 世界を濡らし雨がふる!
十一月にふる雨は あかつき来れどなお止まず!
初冬の皮膚にふる雨の 真実冷たい悲しさよ!
されば木の葉の堪えもせで 鶫(つぐみ)、鶉(うずら)も身ぶるひす!
十一月にふる雨は 夕暮れ来れどなお止まず!
されば乞食のいこふ可き ベンチもあらぬ哀れさよ!
十一月にふる雨に 世界一列ぬれにけり!
王の宮殿(みやゐ)もぬれにけり 非人の小屋もぬれにけり!
十一月にふる雨は 夜来れどもなお止まず!
逢引のみやび男(をとこ)もぬれにけり、みやび女(をんな)もぬれそぼちけり 

不妊治療の不都合な真実

平成28年12月16日(金)
表題の本は、こまえクリニック院長である内科医、放生勲氏の著書で、氏は自らの内科クリニックに「不妊ルーム」なるものを設け、16年間に8300人の不妊女性の相談を受けてきたそうである。氏は自分たち夫婦が不妊で悩んだ経験から、婦人科は専門ではなかったが猛勉強をして、不妊に悩む女性の側に立ったアドバイスをしてきたという。その中で、体外受精の数が世界で一番増えている我が国の現状とその問題点を述べているが、解決はなかなか難しいことが読み取れる。
不妊の最大の原因は、働く女性の増加と晩婚化とセックスレスだというが、今の社会情勢からこの流れを簡単に変えることは難しい。そうなると不妊治療の充実ということになるのだろうが、現在の体外受精の治療費は高額すぎて払える人が限られてくる。だからすべてを保険医療にしてしまえば、他の保険医療費と同じようにどんどん値段を下げてくるだろうから、最終的には法外に高くないリーゾナブルな値段になり治療を受けやすくなると思われる。最後のは自分の意見だが、専門とは少し離れた医師の視点も参考になることである。

麻雀ゲーム

平成28年12月9日
毎朝、新聞のテレビ番組欄をチェックして面白そうなものを録画予約するようにしている。夕食後、寝る前にそれらの番組を見ながらパソコンで麻雀ゲームをするのが最近の定番になっている。今、はまっているネットゲームは実によくできていて、本当に麻雀しているような流れを感じさせてくれる上に、オンラインで対戦もできる優れものである。オンライン対戦にすると途中で抜けるわけにいかないので単独でプレイするが、実践と同じように悪い流れの時は3面待ちでもあがれないし、逆の時はラス牌をツモったりするので結構真剣になる。録画していた番組を斜めに見ながらゲームをしていると、熱中してしまっていい場面を見逃すこともある。この場合はもう一度さかのぼって再生するのでかえって時間がかかるが、このテレビを見ながらゲームをしている時間が最も頭をカラッポにできるのである。たいがいはすぐに眠くなるので寝つきにもいい。以前は好きな棋士の碁を並べていたこともあったが、実際に棋譜を見ながら並べるのは煩雑なので今の麻雀ゲームが一番気に入っている。

暮になると増える会合

平成28年12月2日(金)
毎年のことだが暮になると忘年会を含め、研究会と称する飲み会、プライベート飲み会などが増えてくる。11月はいつもの倍以上、11件あった(うち1件は不参加)。アルコールは控えめにしているが、さすがに気分がいいとつい飲んでしまう。以前、胃の具合が悪くなって極力アルコールを控えていたのだが、最近は適量以上は飲まないようにしているので調子が良いけれど油断するとダメである。ホテルの会食など和食以外の重い料理が出される場合は結構胃もたれがするので、重い料理が予測される場合の昼はできるだけ軽いうどんなどで胃を休めておくようにしている。
元来、アルコールに弱いけれど料理をおいしく味わうにはアルコールは必須だと思うし、実際にうまいので飲むことにしている。以前は日本酒を飲んでいたが最近はもっぱらビールと焼酎の湯割りにしている。湯割りは胃にやさしく、料理の味を邪魔しないところがいい。うまい日本酒はそれだけで完結しているので、肴は味の濃いものが少しあればいいのである。それにしてもなんだかんだでよく飲んでいることである。

がんは治療か、放置か究極対決

平成28年11月25日(金)
表題の本はかねてからがん放置療法を提唱している慶応大学医学部元講師、近藤誠氏と東京女子医大がんセンター長の林和彦氏との対談をまとめたものである。近藤氏は「患者よ、がんと闘うな」を著して以来、一貫して現代のがん治療に警鐘を鳴らし続けている。世界中の文献を毎日読み込み、がんの本質からみていかに今の標準とされている治療が患者さんに負担を与えているか、医学界から孤立しても訴え続けている医師である。じつは氏の意見に賛同している医師は結構いると思われるが、立場上賛意を示していない人が大半だと思われる。
一方、林氏は食道外科の名医として知られていたが、自らの意思でメスを捨て内視鏡医、化学療法医、緩和ケア医を経て現職にいるという経歴を持つ異端ともいうべき医師である。氏はセンター内に「化学療法・緩和ケア科」を立ち上げがん治療の第一線で活躍している。
対談を読んで感じたことは、林氏の医療は抗がん剤を使わなければ近藤氏の考えに近いけれど、今の医学界では抗がん剤を使わなければその地位にいられなくなるだろうということである。無論、林氏は抗がん剤を少しは信じているようであるが、近藤氏による世界中の信頼できる文献をもとにした抗がん剤は無効・有害であるという主張を論破できない。化学療法と緩和ケアは対立する概念であり併設は無理であると思うが、氏の立場も難しいところである。
オピオイドという麻薬系の薬は緩和医療にとって奇跡の薬である。痛みだけでなく息苦しさ、けだるさなど終末期のつらい症状をほとんどすべて和らげてくれる。我が国ではこれらの薬があまり使われていない。それに対しても近藤氏や以前に紹介した新潟大学・カリフォルニア大学名誉教授の中田力氏は、すべての人の旅立ちをやすらかなものにしたいと願い、米国ほどではないにしてもせめて欧州並みに使ってもらいたいと考えている。

小児外科教授の講演

平成28年11月18日(金)
九州大学の田口智章教授による「新生児外科における出生前診断の役割と産科医の連携」と題した講演があった。小児外科専門医は外科専門医の5年以上の研修から2年間の初期臨床研修を引いた期間に加えて小児外科専従研修3年以上が必要だという。小児外科学会は、私が所属している日本産婦人科学会の68年に近い53年の歴史があるそうで、この分野のことをあまり知らなかったが、そうなのかと思った次第である。産婦人科と関連のある新生児の疾患は出生前に診断できるものも多く、胎児超音波検査のレベルが上がった現在では小児外科医と連携して、生まれる前から準備して時を移さず手術を行うこともある。
それにしても生まれると同時に手術しなければならないような異常があるとは、なんと過酷な運命を背負っていることだろう。受精して1つの細胞が分裂し60兆の細胞からなるヒトになっていく過程では、細かいことを含めれば何らかのミスが起きて当たり前である。むしろ無事に生まれてくることが奇跡だと思わなければならないのではないだろうか。
明るい話題としては、自然に抜けてしまう乳歯から幹細胞が採取できることがわかり、臨床応用に向けて研究しているということであった。臍帯血移植は実用化されているが、捨ててしまう乳歯がまさか役に立つとは驚くと同時によくぞ見つけたと思ったことである。研究成果に大いに期待したいものである。