緊急事態宣言

令和3年5月19日
ついに広島県に緊急事態宣言が出た。5月16日から月末まで飲食店でのアルコール禁止、時短営業、生活必需品以外は時短営業など閉塞した生活が強いられることになった。これまでの経過と過去の感染の教訓からウイルスを防ぐことはできないことがわかっているにもかかわらず、国民に無理を押し付けている政府の無策ぶりはどうだろう。近藤誠氏の「新型コロナワクチンのひみつ」にどのように対処していくか的確に示しているが、適正な食事、入浴に気を付ける(年間入浴中に2万人亡くなっている)、適度な運動、ストレスフリーな生活をするなど、抵抗力をつけるような生活を心がけることを説いている。ウイルス感染を防ぐことは不可能なのだから、各自が感染したときに重症化しないように日ごろから心がけて生活するしかない。国の経済や生活を維持しながらソフトランディングしていくしかないではないか。ウイルスは変異を繰り返していくからワクチンもそれほど期待できない。オリンピックどころではないのに中止せず、ひたすら国民に無理を押し付けている。心底ダメな国になってしまったと思う。

「新型コロナとワクチンのひみつ」

令和3年5月13日
表題は近藤誠医師による近著である。新型コロナが世界中に広がってからこの感染症について様々な書籍が発売された。感染症の専門家によるものから社会・経済専門家からのものまで多くの著書を読んでみた。医療専門誌にもいろんな記事・論文が出ている。この1年半にわたって行われていることは、「マスクをして3密を避けること」と「早くワクチンを打つ」ということだけだ。それでも感染をおさえることは難しく、簡単に終息させることは無理のように思える。
近藤医師の著書は一般向けに分かりやすく書いているが、多くの論文に基づいた的確な説明で、新型コロナとは何か、免疫とは何か、過去のパンデミック・スペイン風邪との比較、ワクチンの話など余すところなく解説していてタイムリーな著作である。語っている内容にはすべて引用文献の記載があり、わからないことはわからないとはっきり述べている。今後の予測についても納得できるもので、いい本を著してくれたものだと思う。

徒歩通勤

令和3年5月7日
行動自粛を受けたゴールデンウイークも終わり診療再開であるが、このところ運動不足で体重増加と腹囲増大が顕著になってきた。何かスポーツをと思っても腰痛持ちもあって適当なものがない。そこで、毎日できて負担の少ないものは何かと考えたら、徒歩通勤しかないことになった。フルートレッスンのある日を除いて片道3kmを歩いて通勤することにした。普通に歩いてほぼ40分かかるが、何かをやってる感があるのがいい。同じコースだと飽きると思うのでいくつか変えてもいいだろう。実際に歩いてみると今までは気づかなかった街の風景が見えて結構面白い。しばらく続けてみるつもりである。

「死という最後の未来」

令和3年4月30日
表題は石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談で、令和2年6月発行の本である。二人は今年89歳と90歳になるようだが、今までにたくさんの仕事をして我が国では最も知られた作家である。自分は二人のファンで、特に石原氏の作品は高校時代からずっと熱心に読んでいて、大学に入学してヨット部に入ったのも、氏の作品「星と舵」にいたく感動し刺激されたからだった。曽野氏は亡くなられた夫君、三浦朱門氏の「妻をめとらば曽野綾子」という言葉にふさわしい「見目麗しく才長けた」人である。そして心根の強さもそれ以上だと思われる。この二人の対談となれば読んでみたくなるのは必然である。
予想した通りお二人の意見は共感し合いながら底の部分ではそれぞれ異なっていて、今まで描いていた二人の像がそのまま反映されていて面白く読ませてもらった。ほぼ50年、半世紀にわたって愛読してきた二人の作家の今の会話は含蓄深いものがあり、いろいろ考えさせられる。死はあらゆる人に平等にやってくるものであり、じたばたするのも平然と受け入れるのも結局は同じだと思ったことであった。

取り寄せ

令和3年4月22日
コロナの感染の終息が困難になっているため、外食ができにくくなっている。そこで、取り寄せで旨いものがないかと調べてみた。「いかの塩辛」はいろいろ試してみたがこれだ、とも思うものがなかった。最近、宮城県・山内鮮魚店の「無添加いかの塩辛」を試したところ、絶品だった。再度注文したところであるが楽しみである。鮎なら栃木県・林家の「六つ目籠入り焼きあゆ」は炭火で焼いた鮎が香ばしい。ふぐなら山口県・大小早川商店の「ふぐ刺し」は冷蔵で送られてくるのですぐに食べなければならないが、絶品である。これを味わうと店でふぐ刺しを注文する気がしなくなるほどだ。これらはいずれも日本酒に合うので、家飲みにはまさにぴったりでコロナ禍の「けがの功名」というべきだろうか。他にもいろいろ試してみたいと思っている。

同門会報

令和3年4月15日
毎年この時期になると同門会報が送られてくる。我々の時代は医師になったらほとんどの人は大学の医局に籍を置いて研修し、先輩医師にいろいろ教えてもらい技能を習得していくのが当たり前だった。そしていろんな病院に年単位で派遣され経験を積むことになっていた。幸い出身の岡山大学は中四国ほぼすべてに関連病院があり、たくさん経験することができた。
同門会報には31の関連病院の報告記事と9つの同門会支部だよりが載っていて、各地の様子が開業して医局人事から外れた今でもわかるのがうれしい。ただ、教えを受けた先生方の中には亡くなられた方も多く、自分も歳をとったものだと感じる。昨年の新入医局員は8人で、その紹介記事は楽しい。これからいろいろなことがあるだろうが、頑張ってほしいと思う。
同門会報を読むと新米医師だったころを思い出してなつかしい。

朧月夜

令和3年4月9日
4月になって日が長くなり、日中は暑さを感じるようになった。夕方散歩していると、周りの風景に小学校の時に習った「朧月夜」を思い出させるような風情を感じた。ほとんどの家が農家だった田舎では、学校に通うときに田んぼの畦道を通ることもあって、まさに「朧月夜」の歌詞と同じだった。菜の花も暮れ行く山の端の風景も、霞がかかったような夕暮れの生暖かさも、まるで自分たちの村の風景を歌っているように思っていた。歌詞は文語調で韻を踏んでいて曲もぴったり合っている。ただ、文語調なので言葉を正確に理解していなかったことを、ずいぶん後になって知った。「夕月かかりてにほひ淡し」の「にほひ」は匂いではなく「目に立つ色合い」という意味で、「さながら霞める」の「さながら」は「のこらず、すべて」ということである。小学校の時には習わなかったような気がするのだが…。やはり文語の詩は風情がある。絶えてほしくないものである。

菜の花畠に 入日薄れ、見渡す山の端 霞ふかし。
春風そよふく 空を見れば、夕月かかりて にほひ淡し。

里わの火影も、森の色も、田中の小路を たどる人も、
蛙のなくねも、鐘の音も、さながら霞める 朧月夜。

エイプリルフール

令和3年4月1日
朝の通勤時に新しいスーツで初出勤と思われる多くの若者とすれ違った。希望に燃えて社会へ踏み出す彼・彼女たちに「これからいろんなことがあるだろうが頑張ってな」という思いと同時に「若いっていいなあ」の思いが交錯した。
今日は4月1日、こんなニュースがあったらどうだろう。
①武漢コロナウイルスは人為的に作られたことが確認された。
②東京オリンピックは中止することになった。
③北方領土・尖閣諸島・竹島は正式に日本の領土になった。
④職場での健診は義務でなく任意とする。
⑤がん・老化を穏やかにソフトランディングできる医療体制が整う。
⑥反重力装置が発明された。
まだまだいくらでもありそうだが1つや2つは本当になったりして?

聖火リレー

令和3年3月26日
いよいよ東京オリンピックの聖火リレーが福島から始まった。テレビで一斉に報道しているが、多くの人は醒めた目で見ているように感じる。何しろ国内でもコロナが終息していないのに海外から多くの選手・関係者が大挙して入国するのである。世界中のコロナ異変種が入ってくる可能性があるし、もし選手村や関係者の間でクラスターが起きたら、医療をはじめちゃんとした対応が本当にできるのだろうか。
我が国では第3波がおさまりかけているが、実際はどうなるかわからない。海外からの観客は受け入れないそうだが、チケットの払い戻し額も半端ではないし国内の観客をどうするのかもわからない。とにかく日本には大きな損失しかないことは間違いない。海外の反応は多くは開催反対と言われている。結局、IOCとそれに伴う放映権などの利権(海外の利権である)で開催することにしたのではないか。さらに、来年の北京での冬季オリンピックは、中国が「コロナを克服した」と世界に向けて宣伝するので、もし今年日本がオリンピックを中止したら、世界から馬鹿にされると思っているのではないか。こんな時こそ「オリンピックは中止する」という決断をすれば後世に残る偉業になるのではないか。

ハイブリッド研修会(2回目)

令和3年3月22日
「周産期トピックスープレコンセプショナルケアとメンタルヘルスを中心に」と題して川崎医科大学産婦人科・下屋浩一郎教授の講演が行われた。ただし会場とWEBのハイブリッドでの開催で、今回はWEB参加にさせてもらった。会場で直接聞くのは臨場感があっていいのだが、スライドなどの文字が細かい場合読み取れないこともあり、その点パソコンの画面なら隅々まで確認できるので快適である。WEB参加の講演会はこれで3度目であるが、初めて行われたのは去年の春の産婦人科学会で、非常に快適なことがわかりコロナが落ち着いてもWEBは残してほしいと思ったことであったが、今回も一層そのように思った。
コロナ以前とコロナ以後では世界の状態は変わってしまうだろう。様々なことがより合理的でより快適な方向に行くのは自然である。オリンピックもこれからはどうなるかわからない。まさに世界が変わっていくのである。