順調な外来の流れ

平成17年2月12日(土)
二月ももう半ばになった。二月は逃げる、三月は去るというが、日がたつのは実に早いものである。今日は朝から処置を含めてちょうどいい感じの流れであった。忙しすぎず暇すぎず、ベストの状態である。いつもこうであればいいのだがなかなかそうはいかない。
当院はよろず相談所のようなところもあり、大きい病院に紹介した患者さんや妊婦さんが「病院でこんなことを言われたがどうなのでしょう」とか、ここには書 きづらいようなさまざまな相談が持ち込まれることがある。時間があるときはゆっくり対応ができるが、そうでなければ困ることもある。そういうことにも時に対応しながら、順調に進んでいくのがいいペースの外来なので今日は良かったと思う。

狂牛病騒動は何だったのか

平成17年2月8日(火)
英国狂牛病(BSE)由来のヤコブ病で日本人患者さんが一人亡くなったとのニュースがあった。非常に気の毒ではあるが、今回はそれほどの騒ぎにはなっていないようだ。以前の米国産の牛肉の輸入中止のときはすごかった。あのときの騒ぎはいったい何だったのだろうか。
そもそも狂牛病の牛が18万頭もいる英国ですら、さらに言うと脳みそを好んで食べる英国ですらそれが原因のヤコブ病は153人しかいないという。一方、狂牛病とは関係ないが同じ症状を示すクロイツフェルド・ヤコブ病では毎年日本で100人前後の人が亡くなっており、全世界では毎年1万人前後の人が亡くなっているとのことである。こちらの方がはるかに恐い。マスコミも騒ぎすぎだし、その流れにのって米国産の牛肉を輸入禁止にした政府もいったい何を考えているのだろう。こういうときこそ専門家がきちんとデータを出して、徒に恐がらせないようにするべきだろう。以前のダイオキシン騒ぎの時もそうだったが、いつも最初にマスコミが煽ってそこに政府のやることは何でも反対する声の大きいひとたちが騒いで、そのことを正しく把握している専門家の意見は無視されていくという構造は変わらないようである。

本川達雄著「ゾウの時間ネズミの時間」

平成17年2月5日(土)
「ゾウの時間ネズミの時間」という本がある。著者は東工大の教授で生物学者であるが、1992年8月が初出版で好評らしく現在52版を重ねている。発売当 時から評判になっていたと記憶しているが残念ながらまだ読んでいなかった。今回初めて読んでみたが、実に面白い。もっと早く読んでおけばよかった。語り口 もわかりやすく、斬新な視点でとらえた新しい生物学だと感心している。たとえば、哺乳類ならヒトを含めどの動物も心拍数は20億回で寿命が尽きることや、大きい動物と小さい動物は総じて時間の流れるスピードが異なるなどの説を、なぜそうなのか事実をつみ重ねて丁寧に説明している。
こういう生物学なら面白いし中学生や高校生でも興味を持つのではないだろうか。従来の生物の授業は全然面白くなかったことを思い出してしまったが、学問に限らずなんでも面白くなければだれも本気で取り組まないし、発展もないだろう。医学も同じように、いろいろな視点から自由な発想で取り組んでいく必要があると思う。

「如月」という言葉の美しさ

平成17年2月1日(火)
久しぶりの大雪である。日本列島に寒波が押し寄せているようだ。駐車場の車が雪をかぶり前面が凍っていたので水をかけて溶かして前が見えるようにしたが、 このように凍ったのはこの冬初めてのことだった。昼間もずっと雪が舞っており「タクシーに乗っていたら追突されて腰を打ったので診て欲しい」という妊婦さんが来院された。妊娠には問題なかったのでよかったが、こういう日は道路が滑るので実に危険である。
今日から月が替わって二月である。二月は如月(きさらぎ)ともいうが、一年のうちで最も寒いので着物を重ねて着るという意味の衣更着(きぬさらぎ)から起 こったという説と、木や草の芽がはり出す月という意味の木草発月(きくさはりつき)が変化したとする説があるが、いずれにしても風情のある呼び方である。実際最も寒い季節なので、衣更着の説の方を支持したくなる。英語でも二月のことをFebruaryというが一、二と数で呼ぶよりもだんぜんいい。日本の場合は四季に一致して起こったそれぞれの月の呼び方は旧暦のものであり、太陽暦とは約一ヶ月ずれているために実際の季節と異なる時期があるのでやこしい。節分(2月3日)の翌日が立春であるが、旧暦では元旦前後に立春があったという。旧暦の元旦は今の2月の初め頃に相当するから季節としては今の節分に一致する。
いずれにしても歴史に由来した呼び方や言葉はこれからも残るだろうし、残って欲しいと思う。なによりもこれらの言葉は美しいから。

生理不順は経過観察でいい

平成17年1月27日(金)
当クリニックは場所がらか、生理不順を訴えて来院される若い女性が多い。生理不順の原因の多くは下垂体ー卵巣にあり、卵巣が一個だけではなく複数の排卵を起こすタイプの場合によくみられる。以前はこのタイプの生理不順を治療していたし、今でも治療しているケースもあるようだが、疑問である。まず、排卵は妊娠を希望していないときは絶対に必要というわけではないし、排卵がないからといって体に悪いわけではない。次に、このタイプの生理不順は根本的には治すことはできないし、治す必要もない。排卵が不定期の場合には排卵誘発剤を使えばその時だけは排卵させることができるかもしれないが、次の月は前の状態にもどり排卵が不定期になるのである。だから妊娠の希望がないかぎり治療の必要はない。多くの女性は「生理は毎月あるものだから自分の生理が毎月ないのは異常だ」と考えているかもしれないが、心配することはない。たとえばピルを飲んでいる人は毎月生理様の出血があっても排卵は原則おこっておらず、その状態が何年続いても(ピルを何年飲んでも)特に問題があるわけではない。
人間も哺乳類なので排卵するわけだが、他の哺乳類の多くは年に数回の発情期にまとめて排卵するだけであり、その時に一度に複数の卵を排卵し、複数の仔が生まれるのである。だから、たまたまヒトが月に一個だけ排卵するように進化?しているのだとしても、複数排卵するという本来の多くの哺乳類のなごりがあってもおかしくはないだろう。実際複数の卵を排卵するタイプの生理不順の女性の多いこと。むしろそちらの方が本来の姿かと思うくらいである(ちょっと言いすぎか)。だから生理不順であってもこの場合は心配ないので、時々経過を見てもらうようにするだけでいいのである。

運動不足解消?

平成17年1月25日(火)
ここのところあまり体を動かしてないので、運動したいとの欲求が起こっている。勤務医の頃は、病院内の階段を走って上がり降りしたり結構動いていたが、ク リニック内では動く範囲は限られているし走らなければならないようなことは、まずない。したがってどうしても運動不足になる。この運動不足の解消のために、1~2年前までは、ウォーキングと称して結構歩くようにしていたのだが、それもここしばらくはやっていない。ウイークデイは特に運動する時間がないので、頑張って歩くようにしようかと考えている。自分の体重がピークを迎えているので、妊婦さんに「体重増えすぎですよ」などとは言いにくいのである。

尺八のCD

平成17年1月22日(土)
最近は暇があると尺八のCDをかけるようにしているが、いい演奏を聴いているとじつに心がなごむ。学生時代に男声合唱にはまったとき以来の新しい体験である。どの分野の音楽でもそうだろうが、いいものは実にいい。何回聞いてもあきない。なにしろ30年前に録音された合唱曲をいまだに時々聞いては、しみじみ いいなあと思っているのだから。
衣食足りて礼節を知ると言うが、音楽は余裕のあるときも苦しいときも同様に人を豊かにするゆえにすばらしい。どちらかというと、苦しい時やつらい体験をしている人々の中からいい音楽が生まれる傾向があるように思う。そして苦しいときの方が音楽も心にしみ込むような気がする。
ここのところ暖かいと思っていたら、大寒を過ぎたあたりから文字通り寒くなった。やはり暦は正しいと改めて思った。

ピル普及のフォーラム

平成17年1月20日(木)
昨日診察中に、ピルの普及に尽力している東京のK先生から、広島でピル普及のフォーラムを開くので広島代表で出てくれとの依頼があった。当院でピルの処方が多いからだろうが、外来中で詳しいことがわからないので、考えておきますと答えたら30分後にもう結構ですとのFAXが来た。なにしろ突然のことなので即答しなかった当方が悪かったのだが。
確かに今のピルは副作用が少なくて非常によいのだが、発売は1980年代であり、欧米ではどんどん新しいピルが発売されている。我が国では、今のピルが薬事審議会で認められるまでに10年以上かかったので(安全性も確認済みにもかかわらず、ピルを使う女性が増えたら性病特にエイズが増えるかもしれないので誰が責任を取るのかという、わけのわからない理由でたなざらしになっていたらしい。いらざる世話である)メーカーも新しいピルを申請しても同じようになるのではと考えて、申請を躊躇しているのではないだろうか。もっと速やかに承認できるようにシステムを変えることはできないのだろうか。

暖かい日

平成17年1月18日(火)
暮れから正月にかけての寒さが一段落して、昼間の暖かさはまさに新春という感じである。朝から流産手術などで、ばたばたしていたが午後からは落ち着いてきた。冬でも今日のような風のない天気の良い日は気持ちがいい。昔「小春日和」という言葉を春になる直前の暖かいおだやかな日のことだと思っていて、恥ずかしい思いをしたことがある。正確には「小春」は旧暦の十月のことを指し、初冬の春のように暖かく天気のいい日のことであるが、今日などはそう呼びたくなるような日和である。
またそのうち寒さがぶり返すのだろうが、こういう日があってもいい。

年賀状の遅配に思う

平成17年1月14日(金)
今年の年賀状も例年と同じく遅れて配達されたり、年末に出しているのに7日!に着いたりと結構ばらつきが目立った。新聞の投書欄にもそのことを書いている人がいて、全国的にもかなり不備があると思われる。年賀状はまとめて配達できる上に、あらかじめ出しておくのでアルバイトを使って準備できるなど一枚あたりのコストがかなり節約できるため、その儲けたるや天文学的金額だという。にもかかわらずこのいい加減さはどうしたことだ。もともと郵便番号を7桁にした時も、国民に手間を強いるお役所的なやり方だと腹立たしかったが、毎年年賀状の季節になるとあらためて思い出し不快になるのである。
クロネコヤマトなら郵便番号などユーザーに手間をかけさせるようなことはせず配達もきちんとするだろうし、客の意見を聞いて一生懸命頑張ることだろう。なぜなら「民」はサービスが悪ければ会社は存続できずにつぶれてしまうだろうし、逆にうまくいけば利益が増えるから必死になるのもあたりまえというわけだから。さらに言うと、「官」はどんなにサービスが悪くてもつぶれないが、たとえ必死になって頑張っても給料が増えるわけではない。だから誰が考えてもこのようになるのは必然である。
律令の昔からこの問題はずっと言われて来たに違いない。でも、いまだに解決していないところを見ると、錬金術や永久機関のように決して解決できない問題なのではないだろうか。