月別記事一覧 2024年8月

「プレコンセプションケアと葉酸」

令和6年8月31日
台風一過、暑い夏が戻ってきた。表題は山口県総合医療センターの佐世正勝周産期母子医療センター長の講演である。台風接近の夜に行われたが、WEB参加だったので、ゆっくり聞くことができた。佐世医師は「私は赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんをみる医師になりたいと思っていました。でも病気の赤ちゃんはつらくて見られないので産婦人科の医師になりました」と言われ、丈夫な赤ちゃんを産むためには妊娠前から準備が必要で、特に「葉酸」の大切さを強調されていた。以前から欧米では二分脊椎などの先天異常が多かったが、我が国では少なかったので、葉酸を無理に摂らなくてもいいと思っていたが、それは過去の話で、食生活が変わってきたのか近年では欧米並みに増えているという。
佐世医師は「葉酸」を自治体を通じて無料提供するよう働きかけ、山口県の半分くらいの市で葉酸を無料提供することに成功し、その運動を全国的に広げようとしている。「葉酸」のサプリの値段は僅かなので自分で買っても負担にならない。妊娠前の2~3か月から内服すればよく、妊娠3カ月まででよいとのことである。
「プレコンセプションケア」は若い世代(女性と夫)のためのヘルスケアで現在の身体の状態を把握し、将来の妊娠や体の変化に備えていくことであるが、知識があるとないとでは大いに異なるだろう。これからは葉酸を薦めたいと思った。

「隠された遺体ー日航123便墜落事件」

令和6年8月23日
表題はノンフィクション作家・青山透子氏の最新作である。氏は元日航の客室乗務員で、東京大学・大学院博士課程を修了、博士号取得、日航客室乗務員を経て関連業務の指導などを行い、各種企業・官公庁・大学等の人材プログラムに携わる。日航123便で殉職した客室乗務員のグループに所属していた経験から、大学院等研究機関で日航123便墜落の関連資料、日本及び米国公文書を精査して調査を重ねている。
以前紹介した森永卓郎氏の「書いてはいけない」の第3章、日航123便はなぜ墜落したかに、自衛隊による訓練の際の誤射による事故で、米軍はそれを知っていたが、政府の隠蔽工作に沈黙を守り、その後さまざまなお返しをするはめになったと書いていたが、青山氏の著書は客観的な記録・記載のみを記し、内容は息をのむような事実が綴られていて、森永氏の書いたことを証明しているようである。
遺族の「本当のことを知りたい」という真摯な問いに、我が国は最高裁までもが突き返すのは、この事故が国家的タブーになっているからだろう。フランスでも同様なことが起きたが、軍関係者のテレビでの発言で世論が騒ぎ、大統領がすべて明らかにするよう命令したことでフランスの正義は保たれたという。
真実はいずれ明らかになるだろうが、それがいつのことかは誰にもわからない。

「虫展」「ホキ美術館」

令和6年8月16日
週刊新潮のグラビアに昆虫を拡大してきれいに写した写真が載っていて、8月の後半まで大分県立美術館で「虫展」として開催されていること知った。主催者はファンの養老孟司氏と小檜山賢二氏である。これは行かねばならぬと思い、湯布院に宿を探し、せっかくだから武雄温泉にも宿をとり車で出かけた。
昼過ぎに美術館に着いたのでゆっくり見ることができた。虫にあらゆる角度から焦点を当てた画像をコンピュータで合成して拡大した写真が多数展示されていて、その多様さと美しさに驚きを禁じ得なかった。その時、写実絵画専門の「ホキ美術館」のコレクションの一部が今、県立熊本美術館で展示されていることを知った。その日は湯布院の宿でのんびり温泉につかり翌日は佐賀県の武雄温泉へ。
そのまま帰るつもりだったが、以前広島でも写実主義の絵画展があり、その精緻な絵に魅了されていたので熊本に寄って帰ることにした。千葉市に設立された「ホキ美術館」は保木将夫氏が2,010年に開設したもので、氏が感銘を受けた細密画的な写実絵画を世に知らしめたいことと、日本の写実絵画を世界に通用する絵にしたいこと、またこの写実絵画が日本で発展していくよう、優秀な新人を育成していくとのコンセプトで造られたという。県立熊本美術館内は空いていてじっくり見て回ることができた。写真と見紛うばかりの精密な美しい絵が作者ごとに展示されていて、好きな野田弘志氏の作品もあった。ホキ美術館10周年記念図録を手に入れて帰路についた。充実した小旅行になった。

「東京いい店はやる店」

令和6年8月8日
表題は日本ガストロミー協会、柏原光太郎会長の著書である。氏は東京生まれ、慶応大学卒業後文芸春秋社に入社、「東京いい店うまい店」編集長を務め、食のプロとして活躍している。偶然本屋で見つけて読んでみたら、今の食の最先端を紹介していて思わず読み込んでしまった。
鮨の名店を紹介した亡き里見真三氏の「すきやばし次郎・旬を握る」を初めて見たのは20数年前であるが、この本が鮨への興味と知識を与えてくれた。また「いい街鮨紀行」も地方の名店を紹介していて、そのうち数軒は訪れたものである。その里見氏の後輩が著者の柏原氏で、この30年間の東京~世界の食の変遷をわかりやすく教えてくれている。世界にはとんでもない食通がいて、自家用ジェット機で世界の名店を訪れたりしているという。世界中を回って食べ歩く人たちをフーディーというそうだが、誰だって程度の差はあっても美味しい店をいつも探しているのである。「すきやばし次郎」は柏原氏が30年前に初めて里見氏に連れて行ってもらったときは「柏原君、ここは当日席が空いていたら1万円で飲まして食べさせてくれるんだ。二郎さんお願いしますよ」と言っていたが、今ではビール一杯くらいでおまかせ握りを30分くらいで食べ終え、数万円払うようになっている。
東京の食文化は世界最高峰で、予約困難な名店が日本中で500軒あるとして、東京には200軒くらいあるという。いずれにしてもネットによって食の情報の世界は大いに変わってきたのである。

月光とピエロ

令和6年8月2日
猛暑が続くが相変わらず自転車通勤をしている。尤もアシスト自転車なので楽であるが。片道15分の間、大抵はその時に浮かんだ曲が脳内を流れている。今日は「月光とピエロ」が流れていた。この曲は、フランス文学者で詩人の堀口大学の処女詩集で、ギョーム・アポリネールと婚約者マリー・ローランサンの悲恋をえがいた詩を、作曲者・清水修が合唱曲にしたものである。「秋のピエロ」は第1回全日本合唱コンクールの課題曲に採用され、後に全5曲の男声合唱組曲として演奏されるようになった。
学生時代に一時所属していた合唱団でこれらの曲を知り、歌っていたので知らずに出てきたのだろう。
「月夜」
月の光の照る辻に ピエロさびしく立ちにけり
ピエロの姿白ければ 月の光に濡れにけり
あたりしみじみ見まはせど コロンビイヌの影もなし
あまりに事のかなしさに ピエロは涙ながしけり
この曲を東京混声合唱団のレコード(古い!)で聞いたときは、その音の重厚さにしびれた。それが頭の中で鳴っていたわけである。
コロナで入院していた時は太田裕美の「木綿のハンカチーフ」がずっと頭の中で鳴っていたから、自分はそういう体質なのだろう。その日によって変わるけれど大抵は何かの曲が鳴っているのである。