月別記事一覧 2023年10月

「泥酔文士」

令和5年10月27日
表題は元文芸春秋社副社長、西川清史氏の著作である。私と同い年の氏は上智大学フランス語学科を卒業後、文芸春秋社に入り作家たちの生態を知り尽くして定年退職し、その頃の日々や先輩たちから聞いたかつての文士たちの行状を書き記している。かつては(今も?)文壇なるものがあり、文士たちは文学に対する思いと矜持があり、それらが酒の席での行状につながり、語り継がれるようなエピソードを残しているのである。
中原中也は質の悪い酒飲みで、酔うとすぐ人に絡む。悪口雑言で辟易した太宰治は逃げ出したという。酔って檀一雄と取っ組み合いの喧嘩をして店のガラス戸を木っ端みじんにした草野心平も酒豪で、居酒屋「火の車」を開いて毎晩飲んでいた。小林秀雄も仲間たちと飲んで他人の家へ上がり込んで酒を出させた。伊藤整、井上靖、山田風太郎も若い頃からとんでもない飲み方をしていた。伊藤静雄と立原正秋はほのぼのとした酒飲みで、若山牧水は一人静かに飲む派だった。「昨今私は毎晩三合ずつの晩酌をとっているが、どうかするとそれで足りぬ時がある。さればとて、独りで五合を過ごすとなると、翌朝まで持ち越す。」と書いている。
いずれにせよ皆酒ばっかり飲んでいたのだと面白く読ませてもらった。

元安会

令和5年10月20日
中電病院OB会の名称を「元安会」といって、元院長のM先生が20数年前に始めた会である。現会長は2代目のF先生であるが、世話人のひとりに指名されたため毎年1回開かれる会合に出席していた。コロナのために3年間会が開かれなかったが、今年からまず人数制限して始めることになった。結局、OBが世話人を含めて20人、病院から6人が参加するこじんまりとした会になった。
久しぶりに会うOBの先生方は初めは老けて見えたけれど話しているうちに昔の若々しさが戻ってきて、懐かしく当時の思い出を語り合うことができた。なにしろ中電病院を辞めて開業したのは26年以上前である。自分を含め皆も年を取るはずである。現院長の話では7年先には中電病院は駅北にできる県病院を中心にした新基幹病院に吸収されることになるそうである。手術件数が減ったことや分娩を辞めたことなどで収入が減ったことも原因とのことで、OBとしては非常に残念なことである。かつて勤めていた時は年間600から700件のお産をしていたが、ある時からお産をやめてしまったのである。安全で安定したお産ができる施設を作るまでには先輩たちの大変な時間と努力が必要だったはずである。それを失くしてしまうとは…
「元安会」がいつまで続くかわからないが発展性はないかもしれない。寂しいことであるが。

「世にも危険な医療の世界史」

令和5年10月13日
表題はアメリカの内科医リディア・ケインとジャーナリストのネイト・ピーターセンの共著で、昔から世界で行われた医療で今では信じられないような間違ったものをとりあげている。
秦の始皇帝にも使われた「水銀」これはずいぶん長い間使われていて、リンカーンも常用していたという。「ヒ素」も太古の昔から皮膚の潰瘍やいぼなどの治療に使われてきた。毒薬なので毒殺のためにも使われてきたが。「瀉血」は血液を抜く治療法で欧米では日常的に行われていた。あのモーツアルトは死ぬ前の1週間で2リットルもの血液を抜かれたという。マリー・アントワネットやジョージ・ワシントンも瀉血されたそうである。医師たちは大まじめにその治療を行い、死期を早めたのである。
翻って現代の医療にも後世では間違っていたとされるものもあるのではないか。抗がん剤は毒薬であり、白血病など1割ぐらいの病気に有効なだけであるという。それでも他に方法がないということで、高価な抗がん剤が競って作られている。そのことに警鐘を鳴らし続けた近藤誠医師も今はいない。いずれ真実は明らかになるだろうが、歴史を見るといろいろなことがわかってくる。あとになって間違ったとわかるようなことだけはしたくないと思う。

休日に訪れる店

令和5年10月6日
月日の経つのは早いものでもう10月、今年も残すところあと3か月である。
休日・午後休診の日にドライブを兼ねていく店はいくつかあるが、最近の定番は「手打ちそばながお」「リトルセイロン」「サカナヤ」「宮島達磨」「饂飩屋幸兵衛」ごくたまに「豚笑」などにも行くが、どの店もそれぞれ特徴があって飽きない。すべて予約なしでふらっと行ける気軽な店である。以前は「蕎麦切り吟」によく行っていたが水曜が休みなので行けなくなった。昔のブログを読み返してみるとずいぶんいろんな店に行っているが、最近は少し食べただけで体重が増えてしまうので重いものはなるべく控えるようにしている。
それにしてもいろんな店で食べたものである。生きることは食べることであるとの名言があるが、まさにその通りでいくつになっても変わらないし、食欲がなくなるのは命が絶えるときだろう。コロナで重症化していた時は全く食欲がなかったことを思い出すと、今の状態は本当にありがたいと思う。次はどの店に行こうかな。