平成30年12月28日
今年ももうあとわずかになった。平成の年は今年で終わり、来年の5月からは新たな年号になっていることだろう。平成9年に開業して21年、ほぼ平成の時代と共に診療してきたが、今上天皇の即位が少し高齢だったので平成の時代は短いだろうと思っていたが、結局は長く続いたのは喜ばしいことである。
明治・大正・昭和の時代は海外との戦争があった。特に昭和時代はアメリカに徹底的にやられて、米国の従者になり下がってしまったが、本来の勤勉さと努力で経済的には安定した国になった。近隣諸国との軋轢はあいかわらずあるが、「戦争」状態にはならずにすんでいる。歴史的にはこのような時代は珍しいことなので、次の元号になったらどうなるかわからない。我々はその覚悟をしつつ日々の仕事や生活をしていかなければならない。
今年一年も多くの患者さんに支持していただき、従来通りの診療ができたのは幸運だった。いろいろなことはあったが、来年も細心の注意を払ってやっていきたいと思う。
今年の仕事納めは12月30日(広島市当番医)です。良い年を!
月別記事一覧 2018年12月
平成30年を振り返って
日本語と英語
平成30年12月21日(金)
以前、英語ができるようになりたいと思って30日特訓、45日特訓というのをやってみたが全くダメだった。やはり日常的に英語を使う環境にいなければできるはずもない。世界の言語の中では日本語と英語は最も離れた言葉だそうである。
米国の国務省が海外に駐在員を派遣する時に事前にその国の言語を習得させるが、難しさに応じて4つにグループ分けられるという。第1グループ(フランス語、ドイツ語、スペイン語など)は英語に一番近いので習得時間が最も短く設定してある。第2グループ(ギリシャ語、ヒンズー語、インドネシア語)がその次で、第3グループ(ロシア語、ヘブライ語、トルコ語)と難易度が増してくる。最も習得時間を多く設定しているのが第4グループ(日本語、中国語、朝鮮語、アラビア語)で、第1グループの480時間に対して2400~2760時間もかかる。その中でも最も時間がかかるのが日本語だという。逆に言えば日本語圏の我々にとっては英語を習得するのは最も難しいということになる。
英語の文章を読むことはなんとかできても、聞くことと話すことはその環境にいなければ無理だと思った次第である。
わが意を得たり
平成30年12月14日
広島保険医新聞の会員訪問欄に福山市で内科を開業している医師のインタビュー記事が載っていた。阪大の工学部を出て就職したが工学は合わないと感じて医学部に再入学し、医師になったそうだ。その後内科に入局し研鑽を積んでいる頃から東洋医学に傾倒して行き、漢方医学専門のクリニックを立ち上げ現在に至っているとのこと。医療に対する考えは、との質問に対して「医療とは検査することではなくて治すこと。人間ドック、特定健診、会社健診の過熱ぶりはおかしい、診療報酬点の設定にも責任がある。中学高校の頃に健康な体とは何かを教育してほしい」との意見であった。
現在の漢方薬に対しては疑問があるが、健康な体作りから始めることは必須で実に納得できる。そして検査のし過ぎに対する批判、ドックや健診に対する考え方には大いに賛同するものである。ただし自分の場合はドックや健診は有用でないという観点からであるが。現代のガイドライン偏重の金太郎飴みたいな医療への警鐘だと感じた。
タバコについて
平成30年12月7日
禁煙して18年にもなるとタバコを吸いたいと思うことはない。ただ街角の喫煙コーナーに集まって煙草を吸っている人たちを見るとさらし者みたいで気の毒になる。かつてはアルコールとタバコは大人になったしるしであり、一人前の男として認められた気がして嗜むのがあたりまえだと思っていた。昔は今ほどタバコの害毒が言われていなかったし、値段も安かった。ハイライトが80円、マイルドセブンが150円の時代があり、徐々に値上げをしてタバコをやめた時が確か230円だったと思う。それが今では430円(メビウス)になった上に喫煙者は吸う場所がなくなっている。かつては駅のホーム、新幹線車内、航空機内、病院の待合、どこでもタバコが吸えた。タバコを吸いながら診察する医者もいた。それが今ではタバコの煙は健康な人に害毒になると言って罪人あつかいである。吸わない人にとっては不快なだけなので場所をわきまえて喫煙するぶんには問題ない。今のタバコ排斥の風潮はちょっとやり過ぎのように感じる。
吸っていた頃を振り返るとなんといっても旨いのは食後の一服だった。銘柄もハイライト、ピース(缶入り)を経てマイルドセブンに落ち着いた。キセルやパイプ、葉巻も試したことがあるがすぐに飽きた。タバコはアルコールとも相性が良かったし、若い頃は麻雀・パチンコの時の必需品だった。考えてみれば体にいいことは一つもないし、周囲の人にずいぶん迷惑をかけたことだろう。今となっては止めてよかったと思うけれど。