月別記事一覧 2007年11月

スキル習得には1万時間

平成19年11月27日(火)
プロといわれるようなスキルを身につけるためには、それに1万時間かけることがひとつの目安だそうだ。確かにどんなことでもそれぐらい時間をかければ一人前になれるだろう。逆にいえばそれぐらい時間をかけてやっと一人前になれる最低条件が満たされたということである。
昔から区切りの期間として3年、10年という単位がよく使われている。1日10時間そのことにたずさわるとして1年330日で3千3百時間、3年で1万時間になる。「石の上にも三年」というが、なるほどぴったりである。3年も修業すればある程度の目安ができて、そこからさらに続けるかどうか決めることができるのである。そして、10年修業すれば熟練しているといえるだろう。芸術系の場合は才能の有無が大きいからいちがいにはいえないが、それでも1万時間かければ形にはなると思う。さて自分にとっての尺八の演奏はどうなのだろうか。

胡祭り

平成19年11月21日(水)
商売繁盛を祈る胡祭りが胡町で18日から3日間行われた。平和通り恒例のライトアップも重なって、夕方から人出が多くみられた。縁起もので熊手を買って年々大きくしていくのが慣わしである。この3日間は前から決まっている会合以外は飲みに出ないようにしている。
師走になると忘年会と称して会合や飲み会が増えてくる。自分のアルコールの適量は決まっているので、遅くまで飲まない限り酔っ払うことはない。日本酒なら3合も飲めば充分でそれ以上はいらない。おいしく味わえるのだけれど、なにしろアルコールに弱いのでこれでいいのだ。実に安上がりにできているのがありがたい。

緊張の尺八演奏会

平成19年11月15日(木)
アステールプラザでの尺八演奏会が近づいてきた。あんな大きなホールで人前で演奏するのは初めてなので今から緊張している。まだ人前で吹けるほどうまくないのに、上達するためにも出なさいというお達しにより覚悟を決めたわけである。
問題点その1。当日、ちゃんと音が出るかどうかが心配である。なにしろ尺八は本当に音が出にくい楽器で、初心者の大半はこの時点でやめてしまう。さらに緊張すれば唇が渇いていっそう音が出なくなる。問題点その2は紋付袴を着て演奏しなければならないことである。着物を着ること自体、日常生活にないのに、慣れないことをするのは気が重い。正座するので足がしびれることだろう。問題点その3。楽譜を見るための譜面台を使うことは伝統的に禁じられており、床に広げるので実に見にくいのである。尺八の楽譜はカタカナのロツレチハが縦に書いてあり、字が小さく読みにくい上に、最近は視力も落ちていていっそう見えないと思われる。
これらのことを考えていると、やるぞという気持ちがなかなか起きてこないが、昨日一緒に出演される大先輩に偶然街中ですれ違った時、何十年もやっておられるのに、演奏のことが頭から離れず緊張しているとのお言葉を聞き、少しだけほっとしたことである。きっと緊張しているだろう初心者の気持ちをほぐしてやろうという、やさしい心遣いをしてくださったのではなかろうか。

混合診療の是非

平成19年11月9日(金)
混合診療は違法だとの厚労省の判断に対して違法ではないという司法の判断がでた。
混合診療禁止というのは、保険診療しているときに健康保険で認められていない検査や薬を使ったら、それまで行ってきた診療の費用がすべて保険外になり全額負担しなければならない、という従来の厚労省の解釈である。今回訴えた男性は、がんの治療のため保険診療に加えてほんの少しだけ保険外の薬を使ったために、すべてを自己負担とされてしまった。そこで弁護士に相談したところ国に勝てるはずがないと断られ、自分だけで書類を作成して訴えて勝訴したものである。これはすばらしいことだ。
国民皆保険制度は世界に誇れる制度で、わが国の医療がWHOで世界一と評価される大きな要因である。だからルールは必要であり厚労省と医師会の混合診療禁止の考えはわかるが、制度を守ろうとするあまり硬直化してはダメである。国民の健康を守るための制度が、逆に国民に過度の負担を与えてどうするのか。ものごとはシンプルに考えればよい。その人の健康を守るためにいちばん良いことは何かと考えて、もし混合診療が必要ならそうすればいい。そして、それを悪用する者に対してはきびしく対処すればいいのである。
どんなに完璧な制度を作っても、制度を悪用するの者はかならずあらわれる。今の制度でも、保険上認められているからとの理由で、必要以上の検査や投薬をしているケースもあるのだ。

根津医師のヒューマニズム

平成19年11月5日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津八紘医師は、病気などで子宮を失った女性の借り腹出産の手助けをしたと公表した。それに対して、産婦人科学会と弁護士会から非難の決議が出された。その理由は生まれてくる子供の福祉に責任が持てないことと、替わりに産む女性の健康不安があるからだという。
笑止の沙汰である。
医師の使命は目の前の苦しんでいる人を癒すことである。病気などで子宮を失ったが本人の卵子はあり、替わりに出産してもいいという女性がいて医学的にその技術があるなら、いったい誰がその希望を止められるというのか。今も生まれている子供たちすべての福祉を保証できる人などいないし、妊婦さんが100%安全などとだれも保証できないけれど、日々出産は行われている。医療はなべて個人的なことであり、犯罪でない限り納得しあって良識に基づいて行うべきである。当事者でもないのにえらそうに非難の決議を出すべきではない。その点、根津医師の真のヒューマニズムに裏打ちされた勇気ある行動には、心から敬意を表するし、こういう人がいるということはまだまだ人間も捨てたものではないという意を強くする。
無論、産まないという選択をするのも自由であるが、産みたいと思う人の希望を妨げるべきでない。もし、その過程でなんらかの不備がおこったらその時点で検討すればよいのである。親子関係にしてもDNAによる親子鑑定ができる世の中になったのだから、法律もそれに合わせて変えるべきでいつまでも過去の判例にしがみついてはいけない。司法の目的は人々の幸福のためではなかったのか。