月別記事一覧 2007年7月

父親へのレクイエム

平成19年7月26日(木)
久しぶりに中島みゆきのCDを聞いてみた。初期のアルバム「臨月」の中に「雪」というとても美しい曲がある。「雪 気がつけばいつしか/なぜこんな夜に降るの/いまあのひとの命が/永い別れ私に告げました…」これは彼女が24歳のときに亡くなった父親へのレクイエムだということを最近知ったので、もう一度聞いてみようと思ったのである。ちなみに中島みゆきの父親は北海道帯広の産婦人科開業医であった。発表した当時この曲を聴いた時には、慕っていた恋人を想って作った空想の中の作品だとばかり思っていたが、父親へのレクイエムとわかって聞くと改めてしみじみといい。
昔、ラジオの深夜放送を聴いていた頃、吉田拓郎がパーソナリティをしていた番組で「昨日親父が亡くなりました。歌を作ったので聞いてください」と言ってギターを弾きながら唄ったのが「おやじの唄」で、感動的であった。同じ頃、森本レオの「親父にさようなら」というモノローグの曲も、父親に対する深い愛情が感じられてよかった。津村信夫の詩集「父のいる庭」も読みかえしてみると本人が35歳で亡くなっていることを考えると、いっそうなんともいえないあじわいがある。

山口瞳著「行きつけの店」

平成19年7月18日(水)
作家の山口瞳氏が亡くなって10年以上経つが依然として根強い人気がある。彼の著書で最も好きなのは「行きつけの店」で、贔屓の店を中心にして氏の人間関係、付き合いをエッセイ風に書いて味わい深い作品である。高倉健が主演した「居酒屋兆次」のモデルになった店もこの中にあった。「縁」を大切にする作者の心意気があらわれていて、どれも一度は行ってみたいと思う店ばかりである。
先ごろ金沢に行った時も作品の中にあった「つる幸」をまず予約し、その後代替わりしているとの情報から先代の弟子の「つる屋」に予約を変更した経緯がある。倉敷、長崎にも作品に書かれた店があり機会があれば行ってみたいものである。
最近、山口瞳夫人が「瞳さん」という本を出した。これは最も身近な妻の立場から見た作家の姿が描かれており興味深い。そういえば壇一雄夫人の話を聞いて沢木耕太郎が書いた「壇」という作品もあった。いずれも作家の等身大の姿をありのままに表していて魅力的であるが、生きているときには書けないのだろうと思う。

健診大国日本!

平成19年7月10日(火)
日本は定期健康診断大国で、職場健診は5千万人、住民健診は1千万人、人間ドックも2百万人以上の人が毎年健診を受けている。問題なのは定期健診を受けていても健康になったり寿命が延びるデータ的根拠がないことである。定期健診が有効かどうか確かめるためにはくじ引き試験が必要だが、残念ながら日本では行っていない。そこで、他国の試験を参考にしたらどうなるだろうか。
米国で1万人以上の35~54歳の男女を集め、無作為に二つのグループに分け、一方は日本の人間ドックとほぼ同じ健診を毎年受けるようにし、他方は何もせず放置したところ、7年間の両者の死亡数に統計的有意差はなかった。英国でも7千人規模で同様の試験を9年間行ったが、健診群と放置群の死亡数に差がなかった。その結果、健康診断には有効性がないと結論され、英国では日本のような定期健診は行われていない。
さらに、ライフスタイルを改善すると長生きできるのかというくじ引き試験がフィンランドで行われた。40~55歳の会社の管理職の男性で、みたところ健康だがコレステロール値が高いとか血圧がやや高いとかタバコを吸うとか何らかの問題のある1200人を選び、くじを引いて2つのグループに分け一方は何もせず放置するが、他方は医者がライフスタイルに介入した。介入グループには4ヶ月ごとに医者が面談し、食事指導、運動量を増やすためのプログラムをわたす、禁煙の指導をする、必要あれば降圧剤などの薬を出すなど、5年間にわたってフォローし、さらに10年間両グループの生死を調査した。その結果、心臓死は介入群の方が多く、がん死は介入群が少なく、総死亡数では統計的有意差はないものの介入群!の方が多かった。
これらの結果をみると、医師は健診などは極力ひかえ、症状のある人の治療に全力をあげるべきである。医師の本来の役目は病んでいる人を癒すことである。病む前に見つけた方がよいのではないかという予測で始まった健診が、実は意味がないことが次第に明らかになってきた以上、その事実を広く知らせて健診などにまわす人手があるのなら今病気で苦しんでいる人に集中する方がいい。行政や企業も健診に出すお金を介護に回せば今よりもはるかに人のためになるのである。

小学校から和楽器を

平成19年7月6日(金)
尺八を始めるまでは、この伝統芸能にいろいろな流派がありその流派がまた細かく分かれているなどとはつゆ思わなかった。細かく分かれているわりには全体の人数は少なく、それでは発展のためには不利だと思うのだがそうなる理由があるのだろう。
尺八自体はすばらしい楽器であり歴史を経た芸能であるのにどういうわけか人気がない。西洋楽器と比べると手軽でないことと、音が出しにくいことがあるが、なんといっても明治の初めに教育音楽から和楽器・和楽(民謡を含む)をなくして、西洋音楽を取り入れたために親しみがないことが大きいだろう。かくいう私も和楽のよさがわかったのは最近のことで、小さい頃から西洋音楽一辺倒だったから和楽のどこがいいのだろうと思う気持ちはよくわかる。小さい頃から親しんでないととわからないのは当然で、やはり初等教育に取り入れるべきだと思う。