月別記事一覧 2004年7月

医療事故の多い産婦人科

平成16年7月31日(土)
医療事故が多い科は産婦人科であるという。実数では内科、外科、整形外科なども多いようだが、割合でいうと産婦人科が多いのである。そしてその多くは妊娠、出産時の母と子に関することである。
当院はお産をしてないので、事故の起こる可能性は低いのであるが、お産をしている医療機関は万全の注意を払っているにもかかわらずいろんな事がおこる可能性があるのである。これはそもそもお産がそういうものだからだ。妊娠ー出産のどの時でも、何が起こってもおかしくないという危険を秘めている。これは産科に携わった者であれば肝に銘じていることと思う。ところが多くの場合、なにもしなくても無事に生まれる。だから、世間ではお産は無事に生まれてあたりまえと思っていることだろう。そのために、何かが起こった時に産科医の責任といわれるのである。
実際はどれだけ注意していてもどうしようもない、不可抗力によるものも多いのがお産である。産科は妊娠ー出産というめでたいことを扱う科であるが、24時間待機しておかなければならない科でもある。これらの所為なのだろうか、産婦人科医はじりじりと減っている。もっと増えていかないとお産ができなくなってしまわないだろうか。

エアコンの故障

平成16年7月29日(木)
暑い日が続き、エアコンがなければ一日も過ごせそうにない。以前クリニックのエアコンが故障したことがあり、困ったことがあった。クリニックのエアコンは全部で7台あり、2系統に分かれているのだが、そのうちの1系統が故障したのである。幸い待合室の方の系統は大丈夫だったのだが、かなり不便であった。それにしても今年の夏の暑さは異常である。これが天変地異や政情不安の前触れでなければよいが。
言葉の問題。以前この日誌に「正鵠を得る」と書いたことがある。あとで、「?」と思って辞書を調べてみたら「正鵠を射る」が正しく、「正鵠を得る」も併記 してあった。とりあえず誤用ではないらしいが、汗顔の至りであった。言葉は難しいが、私は昔の漢文調の言葉が次第に好きになっている。年の所為か。

字が下手で困る

平成16年7月27日(火)
最近の紹介状や返事はワープロによるものが多くなった。確かに読みやすく、バックアップもし易い。ただ、診察中に書くのはどうしても時間がかかり手書きになってしまう。手書きだと字の拙さがわかってしまう上に読み取りにくい個所もあるかもしれない。
以前病院に勤めていた頃は、他の医療機関からのたくさんの紹介状とともに院内の他科からの紹介状もあり、またワープロの紹介状は少なくほとんどが手書き だったこともあって、色々な字を見ることができた。ある先生はうまくはないが丁寧だったり、ある先生はまさに達筆で日頃の印象が5割方アップするように感 じたり、あの優雅な先生がこんな字をと思ったりさまざまであった。
あるえらい先生はとんでもない悪筆で、紹介状の内容がほとんど読めないのである。縦にしたり横にしたり、ためつすがめつ眺めてみるがさっぱりわからない。仕方がないので患者さんに全部くわしく聞いてみるのだが、肝腎の検査の結果などは本人もよくわかってないし、第一どんな検査をしたかがとぎれとぎれにしかわからない。その先生は開業医であったが、院内のスタッフはカルテの字が読めたのだろうかと思っていた。同僚の医師に聞いてもやはりその先生の紹介状は読めないようで、困っている様子だった。
このようなこともあり、字は下手でも読めるのが一番と思っているが、礼状などを書く時はさすがに字の練習をしておけばよかったと後悔するが、いざ練習をするとなると面倒でやらない。かくして何時までたっても字が下手なままなのである。

今日も一日お疲れ様

平成16年7月24日(土)
もう1週間が終わろうとしている。なんと早いことか。光陰矢のごとし。盛年重ねては来たらず、一日再びあした成り難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず。
小学生時代の1日は今の1週間以上の感覚である。このままぼやっとしているうちに年老いてしまうのだろうか。それもいいか、無理してもしょうがないし、という気持ちと、なにをいってるのだ、これからではないかという気持ちが半々である。後者の気持ちが強いのが若い時で、前者の気持ちが強いのが老いた時だろうか。なにはともあれ今日も一日お疲れ様でした。

柳原和子著「がん患者学Ⅱ・Ⅲ」

平成16年7月22日(木)
「がん患者学Ⅱ・Ⅲ」を読了。作者の柳原和子氏は医療にも深い関心を持ってきたジャーナリストであるが、自ら母親が発症したのと同じ年(47歳)に母親と同じ卵巣がんになり、それも腹水や胸水がたまりほとんど絶望的な状態からよみがえり、渾身の力をこめて書き上げた作品である。
がんと宣告された時の気持ち、治療を始めてその苦しさと治療効果に一喜一憂する時、また医師との気持ちのつながり、代替医療にはしる思い、他の患者との交流、アメリカではどうなのかなど克明に記している。そしてその時々の心の動きを包み隠さず書いていて、読んでいると患者さんの思いは自分が想像していたのとは違うと感じることが多かった。みんな死と実際に向き合うまでは、そのことを考えずに生きていてそれが自然で健康なのであるが、一旦死が現実のものとなるとうろたえじたばたする。でも、死はすべての人に例外なく訪れる。今までに死んでいったすべての人は、一人一人さまざまな思いを抱えながら逝ったのだろう。
人は病気になった時に治してもらおうと医師にかかる。でも治らない病気もいっぱいある。特にがんは人を絶望的にする病気である。治らない、治る可能性がきわめて低いとわかった時、我々はどうしたらいいのだろうか。この著書で思ったことは、人は希望無しには生きられないということである。たとえ明日死ぬとわかっていても希望がなければならない。絶望的な病気の人に対して、おざなりでない希望を示すことができるのは、強さと深い人間愛がなければならないだろう。本当に難しいことである。著者は最近がんが再発したとあとがきに書いていた。私はただ祈るだけである。

横浜へ行ってきた

平成16年7月20日(火)
18.19日と連休だったので横浜へ行ってきた。こういう時でないとなかなか出かけられない。実は土曜日に妊婦健診をしていた患者さんが中期で破水したという連絡が救急よりあり、急遽市民病院にお願いして入院治療をしてもらうようにしたので、行くのを中止しようかと思っていたのである。夕方外来が終わって様子を見るために病院に行ってみたが、今回はもう難しいようで病院におまかせするしかないようだった。前回診察した時は異常なかったのに、感染によるもの らしい。こういう時は前回の診察に見逃しはなかっただろうかと考えて、もう一度内容をカルテを見ながら検討する。どう考えても見逃しはない。では事前に予 想する方法があっただろうかと思ってみるが、なかなか難しい。結局、気が重かったが予定通り出かけることにしたのである。ちょうど山下公園で花火大会があり、どこからあらわれたのかと思うぐらいの人の波であった。すべての予定を終えて日曜の夜新幹線で帰宅。4時間でも座りっぱなしは結構疲れる。
今日は非常に暑い日だったようだが、新患が多かった。また一週間が始まる。

クリニックの設計

平成16年7月16日(金)
暑くなってきた。特に昨日の午後などはむし風呂状態であった。サウナに入っている気分だ。こういう日はのどがかわいていてもがまんして、我慢に我慢を重ねた後に飲むビールは最高である。特に最初の一杯がうまゐ。あとは惰性であるが。
カルテの置き場所に苦労する。クリニックの設計の段階で諸先輩から「カルテ置き場は広く取ったほうが良い」とは聞いていてそうしたつもりであったが、導線の関係上今の大きさになってやはり苦労している。待合室をもっと小さくしてその分カルテ庫兼控え室を広くすれば良かった。医院をいくつも手がけた設計士の当院への最初の設計では、待合室は今よりもっと広く、受付カウンターは今より1,5倍は広かった。しかもオープンカウンターである。この部分に関してはいまだに失敗したと思っている。銀行ではあるまいし医院では受付けはセミ・オープンの方がいいと思う。あとはほぼ満足している。家を建てるときでも、3軒目でやっと満足のいくものができるという。クリニックでも同じなのだろうが、最低10年は改装する気はないので、今のところは直す所をしっかりイメージして いるのである。

銀行合併に思う

平成16年7月14日(水)
朝のニュースでUFJ銀行と東京三菱銀行が合併するとのこと。驚いた。UFJも合併してできた銀行であるが、また合併とは!この国の金融政策はどうなって いるのだろうか。そもそも0金利などという徳政令のような政策で、国や銀行の経営ミスのつけをすべて国民に負担させておいて未だに金利を元に戻そうとしない。これだけ支援を受けたにもかかわらず、UFJなどはまだ不良債権がいっぱいあるとのこと。普通の民間の会社ならとっくにつぶれているだろう。親方日の丸がかんでいる所は、税金をつぎ込んだり特例をあたえたりしてつぶれないしつぶさない。国からして1000兆円の借金があるという。ええかげんにせい!どうして一人一人は優秀なのに、もしその人が民間にいればきちんと経営できるのに、「公」になるとこのていたらくになるのだろうか。
「公」は絶対に必要であるが、すべて「公」だとソ連のように崩壊するだろうことは今の日本を見ていればわかる。でもすべて「私」だと貧富の差がつきすぎて、不安定な社会になるだろう。今の日本は「公」が大きすぎるためにさまざまな弊害が起こっていると思う。「公」は必要最小限が良い。そういう仕組みがつくれないものだろうか。

予定外の中絶手術

平成16年7月12日(月)
昨夜は参議院選挙の開票結果をテレビで見ていたが、田原総一郎の激論バトルが面白くてつい遅くまで見てしまった。つくづく政治はショーだと思う。魅力的な人物が最もリーダーとしてふさわしいのは、洋の東西を問わないのだろう。見た目、しゃべり方、表情やしぐさ、これらをテレビはあますところなく映すので、私も含めた一般大衆のその人物評はかなり正鵠を得ているのである。
今日は予定外の中絶手術があった。数ヶ月前に当院で手術した人だが、すぐに妊娠してしまい恥ずかしいので近くの他院で手術予定として、今日そこで手術をしようとしたが、手術をはじめた時にその先生から「難しくてできない、前にしてもらった所でしてください」と言われて当院に来ました、とのことであった。しかも紹介状もない。先生それはちょっと無責任ではありませんかいな。本人は今日は仕事も休みそのつもりで準備しているので、原則は来院当日は行わないのだが気の毒なので慎重に行う。特に問題なく終了。

耐性菌の増えた性病

平成16年7月9日(金)
腰が痛い。日曜日にテニスをした後、何年ぶりかのマージャンをしたためと思われる。一度ヘルニアになってからはすっかり腰がだめになった。ちょっと運動をすると痛くなる。情けないことである。今回はどちらかというとスジが痛いようなのでまだマシであるが。
今日は、パートナーが淋病になったので、自分も感染していないか調べて欲しいと言う人が何人か続いた。ちょうど昨夜講演会で性感染症の話があったばかりである。いま淋病は耐性菌が増えて、以前なら簡単に治っていたのが治らなくなったという話であった。これは我々開業医が日々感じていることである。実際なかなか治らない。クラミジアなら内服剤で良いが、淋病は抗生物質の静脈注射でないと治りにくいのである。
性感染症の蔓延で有名なのはコロンブスがアメリカ大陸(実は西インド諸島)から持ち帰って、あっという間にヨーロッパ中に拡がった梅毒である。この梅毒は日本にも持ち込まれ全国に拡がった。西インド諸島の風土病であった梅毒が、ヨーロッパを経て日本に拡がるまでの期間はわずか数十年である。人間の性行動はまことにすごいものがある。生殖力の強さと性病の蔓延の強さは一致するようである。生殖力が強いから人類はこれだけはびこってきたのだろう。性病の存在もある意味で仕方がないのかもしれない。