月別記事一覧 2004年6月

流産にまつわる話

平成16年6月30日(水)
以前にも書いたが、妊娠が確認できたあとで胎芽が育ってないことがわかり、そのことを告げるのはイヤなものである。特に不妊治療後の妊娠の時は、患者さんのつらさがひとしおで本当に気が重い。流産は一定の確率で起こり(最近は妊娠の20%といわれている)、どうしようもない。まさに運である。これが同じ人に続けておきると一層つらさが増すようで、私も実につらいのである。最近も続けての流産があり、本人は「なぜ自分だけが」と納得できない様子である。妊娠にまつわる女性の感じる重圧は、男性の想像を越えるものがあると思う。ところが一方では中絶を希望する人もまた必ず一定の率でいて、我々は両方の真実をみるのである。

達磨 雪花山房

6月28日(月)
うっとうしい雨がやっとあがっていい天気になってきた。このまま梅雨が明けて欲しいものだ。
昨日は高橋名人のそばを食べようと、豊平まで行ったのだがどうしても場所がわからず結局あきらめた。実は昨年の9月に一度行ったことがあり、そのそばのう まさに大いに満足していたのだ。基本的にはもりそばのみで、一人前700円。おいしいので最低2~3枚は食べることになる。問題なのは営業日が不定で(ホームページに毎月営業日を載せる)月に5~6日しか営業していないことである。他の日は全国各地へそば打ちを教えに行っているのである。元は東京で 「翁」という店をはじめて、そば好きの人たちから注目されていたのだが、もっとうまいそばを作りたいと考えて、自分でそばを栽培できて水もいい山梨に移り全国からそば好きが集まっていた。その店で修行して店を開いた弟子も多いとのことだが、高橋名人はそれでもあきたらず、いいそばが採れて水もいい豊平に店を開いたのである。
前回行った時は地図を調べて行ったのだが、今回は一度行っているしカーナビに電話番号を入れると場所を表示してくれるのでそれを頼りに行った所、全然違う場所であった。電話しても応答が無いし(実はこの電話番号は高橋名人の自宅だったのだ。だれも出ないわけである)、豊平の役場で場所を聞いたら教えてくれたのだが、微妙に間違えていてどうしても行けなかったのである。後で調べたらどこで間違えたかわかったが、残念だった。おいしいものを食べるのはかくも難しいことなのか。ちなみに店の名前は「達磨 雪花山房」である。

尺八を習いに来たアルゼンチン人のサックス奏者

平成16年6月24日(木)
日誌ではなく週誌になりつつある今日この頃である。台風が過ぎていったら今度は雨だ。実にうっとうしい。はやく梅雨明けしないものか。
午後から尺八を習いに行ったら師匠の所に、アルゼンチン人で今スペインに住んでいるサックス奏者が来ていた。以前一度彼の尺八の演奏を聞いたことがあるが素晴らしいものだった。時々日本に来て尺八を勉強しているらしい。彼は数年前にインドで尺八の音色を聞き、それが日本の楽器で日本へ行けばわかると聞いてやってきたとのことである。外国人で尺八にはまっている人は少なからずいるようだが、肝心の日本人はほとんど関心を示さないのはなぜだろうか。明治以来、西洋のものなら何でも素晴らしいと思って、西洋音楽ばかり教えてきた学校教育のせいだろうか。
最近では和太鼓なども見直されているようだし、雅楽の奏者も人気が出ているので尺八も復活するかもしれない。

初めての妊娠は心配が多い

平成16年6月21日(月)
台風は四国から北陸へ抜けていったようだ。広島はほとんど雨も降らず風も無し。台風の影響はあまり実感できず。台風や地震などの災害の時にはいつも、瀬戸内地方はなんと気候に恵まれた所だろうと思う。昨日はフェーン現象で暑い中、テニスをしていたので顔と腕が赤く焼け、ヒリヒリしている。
Gさんは6年前に高齢初産で第一子を授かった。初めての妊娠で色々な不安もあり、よく時間外に電話をしてこられた。その都度、話を聞いてアドバイスしていたが結局無事に生まれた。3年前に二人目を妊娠した時は、かなり落ち着いておられた。今回3人目の妊娠がわかったが、全くリラックスしている。初めの時の心配がうそのようである。考えてみれば、初めの時に心配するのはあたりまえのことで、お産は昔から命と引き換えと言われるぐらい危険なことだったのだ。今でこそ妊産婦死亡率は低くなったが(各県で年に一人位)近代まではお産で死ぬ人は本当に多かったのである。源氏物語をはじめ昔の書物には、お産の時にうまくいかなかったり産後回復が悪かったりして母体が死ぬ話が実に多い。現代の日本では医療が進んでおり帝王切開も安全にできるので良いのだが、発展途上国ではまだまだ危険なことが多いようである。初めての妊娠で心配するのは本能的にあたりまえのことなのだろう。

電子カルテより紙カルテ

平成16年6月18日(金)
今週も後半となったが最近では金曜日にピークが来るようだ。土曜日はむしろゆったりとしている。
私はカルテはできるだけたくさん書くようにしているので、右手が結構疲れてくる。でも電子カルテになって、キーボードで打ち込むようになるのは正直いやで ある。第一患者さんの顔を見ながら話がしづらくなる。微妙な所見が記載しにくくなる。欄外に簡単なメモ(最近彼と別れた、主人が単身赴任した、姑とうまくいかない、その他)をとりにくくなる。私は悪筆なうえにこれらのメモは小さい字で書くので、自分以外にはまず読めない、時には自分にも読めないので丁度いいのである。
電子カルテなぞ便利かもしれないが、機械がなければどうしようもないし紙の方がわかりやすいではないか。よほどのことがない限りカルテは紙を使っていきたい。

タバコについての考え

平成16年6月16日(水)
Fさんは妊娠がわかったけれどなかなかタバコが止められない。減らしたが完全には止められないようだ。もちろんタバコの胎児に与える影響を話し、やめるように言うのだがなかなか難しいようだ。
今はタバコに対する風当たりが強く、本人だけの問題なら「自己責任だから吸う」といわれればそれ以上は何も言えないが、「副流煙が他人に迷惑をかける」と言えばこれは正義だから非難できる。
もちろん私自身はタバコを止めたし、健康をそこなうものだと思っている。ただし、である。タバコには相応の歴史と文化がある。葉巻をくわえたチャーチルの貫禄や、パイプを咥えて日本に降り立ったマッカーサーの姿などは映像で見る機会がありそれはそれで風情があった。また、江戸時代の日本でも「一服つける」という言葉あるように、一休みする時はキセルをだしてきざみタバコをいれ、ひと時の休息をとっていたのである。悪いことばかりでなくいいこともいっぱいあるのがタバコである。そうでなければこれほど世界中に広がらなかっただろう。
それが「健康」中毒のアメリカが、タバコは体に悪いし他人にも迷惑をかけるからやめようと言い出すと、なんでもアメリカのまねをする日本も同じように言い出した。その理由は「本人の体によくないし、他人に迷惑をかける」ということである。でも本人の体は自己責任であるし、他人に迷惑をかけずに生きている人がいたら見せて欲しい。そんな人は神様以外にいるものか。キリストは「汝ら罪なき者、あの女を打て」と言った。誰もみずからを省みて、罪人といわれた女に石を投げることはできなかった。
いつも「その時代に正義といわれていること」を旗印にして他人を非難することは最も簡単だしだれからも文句をいわれず、正しいことをしていると胸をはれる。戦争中は「欲しがりません勝つまでは」と言って大いに戦争を支えて、戦争反対を言う人を「非国民」とののしった。今タバコを非難しないと同じことにな るかもしれない。
くわばらくわばら。

検査結果を伝える

平成16年6月14日(月)
当院では、子宮がん検査をはじめほとんどの検査の結果を電話で答えるようにしている。本当は来院してもらって直接説明する方が間違いがなくてよいのだろう が、そのためにわざわざ来院してもらうのも気の毒なので電話で答えることにしている。問題なのは異常があったときで、その時は「来院してからお話します」 と言うことにしている。でもこう言われた患者さんの気持ちは本当にイヤだと思う。私も以前に内容は異なるが似たようなことがあり、その時の気持ちを思うと 察するにあまりある。私の場合は結局問題なかったのであるが、それでもかなり大変だった。
悪い結果を伝えて今後どのようにしたらいいのかを話すのにも実は二通りあり、一つは予後がよさそうな場合ときびしい場合である。これはだいたい予測がつく。前者はまだ良いのだが後者はどういう風に話そうかと思うのである。

アルコール好き遺伝子

平成16年6月11日(金)
昨夜久しぶりに胃が重苦しくなった。3日連続飲みが続くと良くないのだろう。私はアルコールは弱いけれども好きなのだ。先日新聞に、アルコール好きの遺伝子とアルコールに強い遺伝子は別だという記事があった。そうだろうな。アルコールが好きで強ければ肝臓を痛めるか、アル中になる可能性がある。アルコールが嫌いなら、人生の楽しみの一つを味わえないまま一生を終えることになる。どちらが良いか迷う所である。だから私のように好きであまり強くないのがいいのかもしれない。ちなみに私の父親と長兄は、アルコールを受けつけない体である。次兄は飲めるが嫌いだそうだ。全然うまいと思わないらしい。いとこは好きでかなり強い。
今日は休肝日。尺八でも吹いてみよう。

細胞診の結果

平成16年6月9日(水)
細胞診でクラスⅢというカテゴリーがある。子宮がん検診での異常は、このクラスⅢのことが多く、とくにそのうちのクラスⅢaであれば2~3ヵ月後に再検査 をすればよい。最近では20代の女性にもしばしば認められ、充分説明するのだがなんにも気にせず後検査にも来ず、2~3年してから別のことで来院する人がいる。かと思うと親に話したら親はがんだと驚いて、あわてて一緒に来院して説明を求める人もいる。気持ちはわかるが、ここはこちらを信頼して怖がり過ぎず、ほっときもせずでいてもらいたいと思う。
私も相手の反応を見ながら、ほっておきそうな人にはややきつめに話し、心配しそうな人には大丈夫だと強調しながら話すのであるが、相手の性格の予想が外れることもあるのだ。

英語がしゃべれない

平成16年6月7日(月)
場所がら時々外国人が受診する。少しでも日本語がしゃべれればよいのだが、全くしゃべれない人もいる。この時が最も困る。中学高校と英語を習っていて、大学でも英語の授業があり、医者になってからも英論文は読んでいるのに、さっぱりわからないししゃべれないのである。医学用語の単語だけはかろうじて使えるが、普通の会話はお手上げである。そのたびに「アビバへ行こう」と思うのだが、いざとなるとめんどうになりそのままとなる。かくしていつまでたってもしゃべれないままである。
昔、学会でモロッコへ行った時は、現地の人と身振り手振りである程度意思の疎通ができた。そこでは英語はほとんど通じず、アラビア語とフランス語しか通じないので、全くお手上げであったのだが。要は通じ合おうという気持ちが大切なのだろう。今は通じないとカッコ悪いと思っているからいっそう通じないのだと思う。なりふりかまわず頑張ればいいのだろうが、なかなか難しい。