カテゴリー 尺八

「夕顔」の稽古

平成25年2月21日(木)
琴古流尺八宗家が生田流白秋会の人たちと共に東京から来広され、尺八の演奏指導をしていただいた。今回は地唄「夕顔」を宗家の前で吹いたが、あとで録音したのを聞いてみて「進歩がない」と思ったことであった。
言い訳すると、前夜新年会で飲みすぎたせいか朝から唇が腫れていて、いつものような音が出ないので力みがあった。もっとも技能があればそのようなことは関係ないのだろうが。肩に力を入れないで自然にのびのびと演奏しないとダメである。
それでもプロの伴奏で尺八を吹くのはなんと気持ちのいいことか。日本の伝統音楽には汲めども尽きせぬ味があり、奥が深いものだと思ったことである。今は宗家の演奏をくりかえし聞いて、音の出し方や指使いなどをマネようとしているが、聞けば聞くほどすごい技術である。もっと練習しよう。

1万時間

平成25年1月24日(木)
どんなことでも1万時間かけて努力すると一人前になるという。特別な能力を必要としない分野ではそうだと思う。でもスポーツや音楽、芸能の分野では、1万時間かければある程度はできるようになるだろうが、プロにはなれないと思う。
尺八を始めて10年になるが、上手い人の音を聞くたびに自分には才能がないのだろうかと思う。師匠は「いい音を出すための努力はずっと続けないといけない。指使いは訓練であり、筋肉が覚えるまで反復練習あるのみ。音楽性は持って生まれたもので変わらない」とおっしゃる。音楽性が生まれつきのもので変わらないのなら、音を出す能力も筋肉を上手く動かす能力も生まれつきのものではないかとつい、思ってしまう。ある人は「プロになっているような人は一時期、血を吐くような努力をしています」というが、確かにそうだとは思うがそのような心境になるのは、すでに高いレベルに達しているからではないか。そうでなければそのような心境になるはずがない。
いずれにせよこんなことを考えている間はレベルが上がるはずがない。1万時間かけてから考えよう。

邦楽演奏会

平成24年6月2日(土)
4月、5月は腰痛のためあまり活動できなかったが、尺八の演奏会だけは2回聞きに行くことができた。もっとも1回は会場のイスに座ったとたんに腰痛が再発し、ロビーで横になって休みながら合計30分ぐらいしか聞けなかったが。
先週行われた藤原道山のコンサートは前半はイスに座って聞いたが、イスの座面の角度が腰に合わないのか腰に不快感が起きてきたので、後半は会場の後ろに立って聞いた。人間国宝・山本邦山の弟子の藤原道山は現在、最も人気のある若手尺八演奏家で、広島でも年に1回は演奏に来る。さすがに音も、指使いもすばらしいものを持っていて、非の打ちどころのない演奏に聞きほれてしまった。今回の曲目の中に、今ちょうど練習している尺八独奏曲「甲乙(かんおつ)」があり、よりいっそう興味深く聞いた。この曲は彼の師匠の山本邦山が作曲し演奏したもので、昨年三原市で邦山自身の演奏を聞いた。高齢とはいえさすが人間国宝である。演奏はすばらしく、今でもその時の音色が耳に残っている。藤原道山の演奏は師とは異なったもので、これはこれで味があるものだった。
演奏会の後は「とくあん」でうまいおでんに舌鼓を打ち、ビール日本酒。

尺八の稽古

平成23年8月23日(火)
先日、久しぶりに尺八の稽古をしていただいた。さすがに師匠は音の広がり、音程とリズムの正確さ、表現の豊かさなどすばらしい技を持っておられる。今回も、なるほどと思ったことがいくつかあった。自分の欠点や弱点はなかなかわからないものである。その点、師匠に率直に指摘されると腑に落ちて修正できる。いい音を出すのは難しいけれど楽しいものである。
尺八の流派は大きく二つに分かれており、伝統を守って本曲・地唄を主に演奏する琴古流と、明治時代に興った都山流があり現在ではこちらが最大の組織になっている。都山流では本曲はもとより現代曲、さらにはポピュラー、ジャズなどの曲も演奏するので魅力的である。さらに都山流から分かれた上田流、その他小さな流派はいくつもある。伝統を守る琴古流はそれはそれで味わい深く、現在自分が属している流派であるがまだまだわからないことが多い。それでも要は気持ちよく吹ければいいので、現代曲をはじめ色々な曲に挑戦している。

尺八の演奏

平成23年4月16日(土)
桜も満開を迎えて、もう散り始めているようだ。まことにいさぎよいことで、われわれの心の琴線に触れるから皆桜を愛でるのだろう。日ごとに暖かくなっていく。
先日、尺八の師匠がゲスト出演される「シャンソン・カンツォーネ・ポップスの夕べ」に行ってみた。熟年の女性たちと熟熟年の男性のグループで、なかなか良かった。師匠は2曲の伴奏と、2曲ソロで演奏されたが、じつにしみじみといい演奏であった。やはり尺八は世界に通用する楽器だと思った次第である。私自身はなかなかうまく吹けないのがくやしいけれど…

尺八演奏会に出場

平成22年11月13日(土)
先日の文化の日にアステールプラザで尺八の演奏会があり、出場して3曲吹いた。残念なことに30周年を迎えたこの演奏会も今回が最後になるかもしれない。琴・三弦は東京から来られた一流の演奏家なので、自分の未熟さが一層際立ったがそこはさすがにプロで、こちらのミスをうまく隠してくれるように弾いてくださった。
江戸時代から引き継がれてきた地歌は、西洋音楽で育った世代にはとっつきにくいと思われるし、実際自分にとっても初めはこれらの曲のどこがいいのだろうと思っていた。しかし、なんどもなんども吹いていると、なんともいえない味わいがでてくる。さすがに時代を超えて受け継がれてきたものは、本当の意味での魅力があるものだと思い知ったことである。
おそらく他にも自分の知らない魅力的な分野はいっぱいあるのだろう。もっと色々知りたいものである。

縮景園での邦楽鑑賞会

平成22年10月23日(土)
先日、縮景園で邦楽鑑賞会が行われ、天気も良くまことに「和」の一日を堪能した。中国の「反日デモ」の不快な映像をニュースで見た後だったので、一層その対比があざやかで、この素晴らしい伝統文化を持っているわが国が、あの野蛮な国に負けるはずがないと思ったことである。
縮景園の明月亭と清風館で篠笛・琴・三弦・尺八・琵琶の演奏が行われ、それを畳に座って聞くという趣向である。戸を開け放って演奏するので、チケットを持っていない人もふと立ち止まって聞くことができ、邦楽の普及に役立ったことだろう。年を取るにつれて「和」の世界に親しみを感じるようになってきたが、先祖帰りということなのだろうか。

中村明一のコンサート

平成22年3月2日(火)
先日、久しぶりに尺八の演奏会に行った。前から一度は聞いてみたいと思っていた演奏家「中村明一」のコンサートである。
岡山の「月の舞台」で行われた和の空間での演奏と舞踊は、限定60名の観客との間に一体感をもたらした不思議な演奏会であった。演奏の超絶的技巧は名曲「鶴の巣籠」の親子の鶴が鳴き交わす場面で、別々の鳴き方を同時に演奏するという、バイオリンの名手パガニーニもかくやという凄味があった。
終わって座談会形式で中村氏と言葉を交わすことができたのは、思いがけないプレゼントであった。

第29回吹康会演奏会

平成21年11月17日(火)
雨が続いて急に寒くなった。本格的な冬に突入しそうである。先日、尺八と筝・三弦の演奏会があり3曲も吹いてしまった。舞台ではやはり上がってしまい、ライトの熱さもあって、何より自分の技量の未熟さゆえに、同時に吹かれた先輩方に大いに迷惑をかけてしまった。
あとで聞いてみたら自分の音は力ばかり入って、実によくなかった。今回は結構練習していたつもりだったのに、本番になるといかに難しいか身にしみて感じた次第である。ただ失敗を通じて大きなヒントを得たので、これを確かめてみるつもりだ。以前上級者の人にアドバイスされたけれど、その意味が良く分からなかったことがあったが、今回「そうだったのか」と腑に落ちたことである。
結構めげたけれどまた頑張ってみようと思っている。

地唄の稽古

平成21年9月30日(水)
尺八の演奏会に向けて、東京から生田流白秋会の先生方が来られ、筝・三弦に合わせての稽古が行われた。プロの先生方の演奏は迫力があり、こんなすごい先生方に弾いていただくのは気が引けて仕方がなかったが、いいものに接している方が早く上達するはずだと思って一生懸命吹いた。
近世の地唄など、尺八を始めるまでは退屈なだけでちっともいいと思わなかったが、この頃はなかなか味わい深いと思うようになった。さすがに江戸時代から現代まで残っている曲は、あなどれないものだ。今朝の産経新聞に曽野綾子氏が、歌舞伎の「勧進帳」はいつまでも観る人の心を打つ傑作であると書いていたが、いいものはいつまでも残るのだろう。尺八の曲も、初めはあまりいいとは思わなくても、馴染んでいくうちにじっくりと味が出てくるようである。