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だれがこんなバカなことを言うのか

平成16年9月15日(水)
最近産婦人科のメーリングリストで、内診やNSTなど分娩の監視を、医師の責任のもとで看護師や准看護師がすることを禁止される可能性が起こってきたことについての議論がおこなわれている。
法律が制定されて57年にわたって行われてきたことを、厚生労働省の役人がダメだと言ったために起こってきた議論である。よく訓練された看護師であれば、 内診もNSTの報告も問題ないし、助産師でなければならないというわけではないと思う。助産師には助産師でなければできない大切な仕事がある。難しいといえば、心電計のモニターや未熟児のモニターの方がより難しいこともあるのではないか。要は医師の裁量をどこまで認めるかであろう。お上は医師の権限をできるだけ分散させたい、言い換えればおさえたいのであろう。
いずれにせよ何十年にわたって安定して行われてきたことにケチをつけるには、それなりの理由がなければならないが、どうも納得できる説明はないようである。現場を知らないお役人が、頭だけで考えた判断のように思える。

いい本だと思ったらすぐに買う

平成16年8月25日(水)
あの時あの本を買っておけばよかったと思うことがある。本が発売されている時はいつでも買えると思っているうちに、いつのまにか絶版となりいくら探しても入手できなくなるのだ。
欲しくなるのは自分の中で再評価された本であり、発売当時はそれほどいいと思わなかったのが次第に読みたくなって探すが、もうないのである。たとえば、1980年代 に学習研究社から出版された「山本七平対話集」。全部で10巻以上あったと思うのだが、1巻だけ買ってあとはいつでも買えると思っているうちに絶版となっ た。今読んでも当時の旬の人達との対話が面白く、ひとかどの人物は時代を超えて素晴らしいと思う反面、後になって評価に値しないことがわかった人物もいて面白い。
半村良の「太陽の世界」も確か18巻まで発売ごとに第1刷本を買っていたのだが、やや冗長になった感じがありやめていたらいつのまにか絶版になっていた。もっとも調べてみたら18巻までしかなく、未完のままだそうなのでいつかは続きが出るだろうと思っていたら、作者が亡くなってしまった。もともとストー リーテラーとしてすばらしい作品を多く書いており、「太陽の世界」は全100巻の構想であったというから期待していたのだが。
1970年頃に「サラリーマン丸儲け自伝」を書いた岡部寛之の本も、見当たらない。人生を徹底的に合理的に生きて、株でひと財産つくり株指南の本など多くの著書があったがどうなったのだろう。「70歳を過ぎたらヨーロッパなどに放浪の旅に出て、そのまま野垂れ死にするつもりである」と書いていたからそうなっているのかもしれない。なにしろ生きていれば90近いはずである。
他にも欲しかった本がなくなった経験から、今は欲しいと思ったらできるだけ躊躇せずに買うようにしている。おかげで本の置き場所に苦労する。

医療事故の多い産婦人科

平成16年7月31日(土)
医療事故が多い科は産婦人科であるという。実数では内科、外科、整形外科なども多いようだが、割合でいうと産婦人科が多いのである。そしてその多くは妊娠、出産時の母と子に関することである。
当院はお産をしてないので、事故の起こる可能性は低いのであるが、お産をしている医療機関は万全の注意を払っているにもかかわらずいろんな事がおこる可能性があるのである。これはそもそもお産がそういうものだからだ。妊娠ー出産のどの時でも、何が起こってもおかしくないという危険を秘めている。これは産科に携わった者であれば肝に銘じていることと思う。ところが多くの場合、なにもしなくても無事に生まれる。だから、世間ではお産は無事に生まれてあたりまえと思っていることだろう。そのために、何かが起こった時に産科医の責任といわれるのである。
実際はどれだけ注意していてもどうしようもない、不可抗力によるものも多いのがお産である。産科は妊娠ー出産というめでたいことを扱う科であるが、24時間待機しておかなければならない科でもある。これらの所為なのだろうか、産婦人科医はじりじりと減っている。もっと増えていかないとお産ができなくなってしまわないだろうか。

銀行合併に思う

平成16年7月14日(水)
朝のニュースでUFJ銀行と東京三菱銀行が合併するとのこと。驚いた。UFJも合併してできた銀行であるが、また合併とは!この国の金融政策はどうなって いるのだろうか。そもそも0金利などという徳政令のような政策で、国や銀行の経営ミスのつけをすべて国民に負担させておいて未だに金利を元に戻そうとしない。これだけ支援を受けたにもかかわらず、UFJなどはまだ不良債権がいっぱいあるとのこと。普通の民間の会社ならとっくにつぶれているだろう。親方日の丸がかんでいる所は、税金をつぎ込んだり特例をあたえたりしてつぶれないしつぶさない。国からして1000兆円の借金があるという。ええかげんにせい!どうして一人一人は優秀なのに、もしその人が民間にいればきちんと経営できるのに、「公」になるとこのていたらくになるのだろうか。
「公」は絶対に必要であるが、すべて「公」だとソ連のように崩壊するだろうことは今の日本を見ていればわかる。でもすべて「私」だと貧富の差がつきすぎて、不安定な社会になるだろう。今の日本は「公」が大きすぎるためにさまざまな弊害が起こっていると思う。「公」は必要最小限が良い。そういう仕組みがつくれないものだろうか。

電子カルテより紙カルテ

平成16年6月18日(金)
今週も後半となったが最近では金曜日にピークが来るようだ。土曜日はむしろゆったりとしている。
私はカルテはできるだけたくさん書くようにしているので、右手が結構疲れてくる。でも電子カルテになって、キーボードで打ち込むようになるのは正直いやで ある。第一患者さんの顔を見ながら話がしづらくなる。微妙な所見が記載しにくくなる。欄外に簡単なメモ(最近彼と別れた、主人が単身赴任した、姑とうまくいかない、その他)をとりにくくなる。私は悪筆なうえにこれらのメモは小さい字で書くので、自分以外にはまず読めない、時には自分にも読めないので丁度いいのである。
電子カルテなぞ便利かもしれないが、機械がなければどうしようもないし紙の方がわかりやすいではないか。よほどのことがない限りカルテは紙を使っていきたい。

タバコについての考え

平成16年6月16日(水)
Fさんは妊娠がわかったけれどなかなかタバコが止められない。減らしたが完全には止められないようだ。もちろんタバコの胎児に与える影響を話し、やめるように言うのだがなかなか難しいようだ。
今はタバコに対する風当たりが強く、本人だけの問題なら「自己責任だから吸う」といわれればそれ以上は何も言えないが、「副流煙が他人に迷惑をかける」と言えばこれは正義だから非難できる。
もちろん私自身はタバコを止めたし、健康をそこなうものだと思っている。ただし、である。タバコには相応の歴史と文化がある。葉巻をくわえたチャーチルの貫禄や、パイプを咥えて日本に降り立ったマッカーサーの姿などは映像で見る機会がありそれはそれで風情があった。また、江戸時代の日本でも「一服つける」という言葉あるように、一休みする時はキセルをだしてきざみタバコをいれ、ひと時の休息をとっていたのである。悪いことばかりでなくいいこともいっぱいあるのがタバコである。そうでなければこれほど世界中に広がらなかっただろう。
それが「健康」中毒のアメリカが、タバコは体に悪いし他人にも迷惑をかけるからやめようと言い出すと、なんでもアメリカのまねをする日本も同じように言い出した。その理由は「本人の体によくないし、他人に迷惑をかける」ということである。でも本人の体は自己責任であるし、他人に迷惑をかけずに生きている人がいたら見せて欲しい。そんな人は神様以外にいるものか。キリストは「汝ら罪なき者、あの女を打て」と言った。誰もみずからを省みて、罪人といわれた女に石を投げることはできなかった。
いつも「その時代に正義といわれていること」を旗印にして他人を非難することは最も簡単だしだれからも文句をいわれず、正しいことをしていると胸をはれる。戦争中は「欲しがりません勝つまでは」と言って大いに戦争を支えて、戦争反対を言う人を「非国民」とののしった。今タバコを非難しないと同じことにな るかもしれない。
くわばらくわばら。

健康診断は不要

平成16年6月1日(火)
健康診断は必要なのかという疑問がある。人間ドックは本当に寿命をのばしているのかという疑問がある。これらの検査は日本独特で、諸外国ではあまり行われていないようである。実際、がんを含め成人病(今は生活習慣病というのだが)は老化に伴う変化によるものがほとんどで、治すのではなく慣らしていくしかな いと思われる。今現在調子が悪ければ、受診すべきだがどこも悪いと思わなければ医者に近づかない方がいい。昔のテレビドラマなどを見ると医者が「もっと早 く来れば良かったのに、手遅れです」などのセリフがある。緊急を要する疾患や事故ならそうかもしれないが、がんや慢性疾患ではどれほどの違いがあるというのだろうか。生命予後はほとんど変わらないと思う。
普段はあまり病気のことなど考えずに、楽しく生きる方が得だろう。本当はこれが一番難しいのだが。

患者さんの要求

平成16年4月23日(金)
医者は患者の要求をどこまで聞くべきなのだろうか。神戸の不妊治療の病院での男女産み分けのことで新聞報道があった件である。膣内をアルカリ性にしたり、排卵日にセックスをするなどの方法ならどこからも文句は出ないようであるが、妊卵を調べると問題らしい。こういうことはだれが決めるのか、だれの許しを得て決めるのか、その決定は正しいのか、本当に難しい問題である。これらのことは、昔からキリスト教をはじめ宗教による規制、歯止めがあった。今の日本ではマスコミを中心とした集団のコンセンサスが大きいようである。医者は科学者の面もあり、科学的な真実を知っていると思われているので、その立場から発言しているようであるがかなりあやしい部分もある。
私自身は患者さんの要求を全部かなえてあげたいが、一方ではそこまではやりすぎだという思いもある。今回の件とは違うが、たとえば進行がんで手術しても直る見込みはきわめて低いと思われる時に、患者さんが手術を要求してきた場合どうするかである。手術しても治る可能性は低く、手術による負担でかえってよくないと話しても納得しない場合どうするか。美容整形で患者さんの要求どおりにしたら、医学的に良くない時には、あるいは民間療法に過大なお金を使っていて、どうみてもだまされているとしか思えない場合にはどうするか。また、いくら思いをかなえてあげたくても、医学ではどうしようもないこともある。
今日は以上の事を考えさせられるようなことがあった。また機会があれば具体的に書いていきたい。