患者さんの要求

平成16年4月23日(金)
医者は患者の要求をどこまで聞くべきなのだろうか。神戸の不妊治療の病院での男女産み分けのことで新聞報道があった件である。膣内をアルカリ性にしたり、排卵日にセックスをするなどの方法ならどこからも文句は出ないようであるが、妊卵を調べると問題らしい。こういうことはだれが決めるのか、だれの許しを得て決めるのか、その決定は正しいのか、本当に難しい問題である。これらのことは、昔からキリスト教をはじめ宗教による規制、歯止めがあった。今の日本ではマスコミを中心とした集団のコンセンサスが大きいようである。医者は科学者の面もあり、科学的な真実を知っていると思われているので、その立場から発言しているようであるがかなりあやしい部分もある。
私自身は患者さんの要求を全部かなえてあげたいが、一方ではそこまではやりすぎだという思いもある。今回の件とは違うが、たとえば進行がんで手術しても直る見込みはきわめて低いと思われる時に、患者さんが手術を要求してきた場合どうするかである。手術しても治る可能性は低く、手術による負担でかえってよくないと話しても納得しない場合どうするか。美容整形で患者さんの要求どおりにしたら、医学的に良くない時には、あるいは民間療法に過大なお金を使っていて、どうみてもだまされているとしか思えない場合にはどうするか。また、いくら思いをかなえてあげたくても、医学ではどうしようもないこともある。
今日は以上の事を考えさせられるようなことがあった。また機会があれば具体的に書いていきたい。