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休みに対する気持ちの変化

平成16年9月13日(月)
9月は休みの多い月だ。勤務医時代は休みは貴重で、休みの日は産直でなければ必ずどこかへ遊びに出かけていた。家にじっとしているのがもったいなくて、ゴルフに行ったり、家族でどこかに行ったりしていた。
ちなみに産直とは、産科の日直当直のことで、その日は24時間待機していることである。朝病棟で回診などを行い、お産が入っていれば状態を診て指示を出す。もちろんお産になれば赤ちゃんをとりあげるし、必要があれば緊急帝王切開も行う。夜中でも容赦なく呼び出される。全然寝てなくても翌日はいつもと同じ勤務である。これが2~3日ごとにある。勤務していた病院はお産が多かったので、しょっちゅう起こされていた。産科医の宿命とはいえ、さすがに40代になると起きるのがしんどくなり、このまま続けていくことに不安を感じ始めていたのである。
その後縁あって開業してからは、夜起こされることがなくなって生き返った心地であるが、反面、休日が以前のように待ち焦がれるものではなくなった。ぜいたくな話であるが、もう休みかと思ってしまう。あのしんどかった日々は忘却の彼方となっている。ありがたいことである。

男声合唱曲はすばらしい

平成16年9月6日(月)
誰でも好きな音楽があり、何回聞いても飽きない曲があると思うが、私の場合は飽きない音楽の一つに男声合唱曲がある。合唱曲などどこが面白いのかと思っていたのだが、学生時代にはまってしまった。当時(今でも)最高のレベルであった慶応大学ワグネルソサエティー、関西学院グリークラブなどのファンでもあった。その後しばらく聞く機会がなかったのが、40代になってから無性に聞きたくなり、これらの合唱団のCDを手に入れてからは何度聞いても飽きない。日本のものなら多田武彦の作品がいい。外国のものならメロディーの美しいものが好きであるが、黒人霊歌やロシア民謡も聞いていて飽きが来ない。ロバートショウ合唱団は40年ぐらい前に、ほんの短期間だけ結成され、録音が少し残っているだけであるがまさに最高の合唱団だったと思う。今でもCDが売れつづけている。惜しむらくはもっとたくさんの曲を残しておいて欲しかったことである。
これらの曲を聞く度に、こんないいものに出会えてよかったと思う。

いい本だと思ったらすぐに買う

平成16年8月25日(水)
あの時あの本を買っておけばよかったと思うことがある。本が発売されている時はいつでも買えると思っているうちに、いつのまにか絶版となりいくら探しても入手できなくなるのだ。
欲しくなるのは自分の中で再評価された本であり、発売当時はそれほどいいと思わなかったのが次第に読みたくなって探すが、もうないのである。たとえば、1980年代 に学習研究社から出版された「山本七平対話集」。全部で10巻以上あったと思うのだが、1巻だけ買ってあとはいつでも買えると思っているうちに絶版となっ た。今読んでも当時の旬の人達との対話が面白く、ひとかどの人物は時代を超えて素晴らしいと思う反面、後になって評価に値しないことがわかった人物もいて面白い。
半村良の「太陽の世界」も確か18巻まで発売ごとに第1刷本を買っていたのだが、やや冗長になった感じがありやめていたらいつのまにか絶版になっていた。もっとも調べてみたら18巻までしかなく、未完のままだそうなのでいつかは続きが出るだろうと思っていたら、作者が亡くなってしまった。もともとストー リーテラーとしてすばらしい作品を多く書いており、「太陽の世界」は全100巻の構想であったというから期待していたのだが。
1970年頃に「サラリーマン丸儲け自伝」を書いた岡部寛之の本も、見当たらない。人生を徹底的に合理的に生きて、株でひと財産つくり株指南の本など多くの著書があったがどうなったのだろう。「70歳を過ぎたらヨーロッパなどに放浪の旅に出て、そのまま野垂れ死にするつもりである」と書いていたからそうなっているのかもしれない。なにしろ生きていれば90近いはずである。
他にも欲しかった本がなくなった経験から、今は欲しいと思ったらできるだけ躊躇せずに買うようにしている。おかげで本の置き場所に苦労する。

かわいい「まろ」

平成16年8月7日(土)
我が家には「まろ」という名のラブラドールが1/4入った雑種の犬がいる。今3歳だが、人なつっこくて少し抜けているところが大いに受けていて、皆にかわいがられている。ちょっと目には怖そうだがいたって友好的で、すぐにすり寄ってきてなでてやるとゴロンと横になり前足をまげて後ろ足を開く。「おいおい、お前はメスなんだから足を開くのはやめなさい」と言っても聞く耳を持たない。なでるのをやめると前足をのばしてもっとなでてくれと要求する。甘えきっているのだ。
玄関の近くにつないでいるので、夜遅く帰って来る時はあいそをしてくれる。口からアルコールのにおいがするからか、前に座ると両前足を私の肩にかけて私を動けないようにして、顔中をペロペロと舐めまわしてくる。しっぽはちぎれるほど振っている。酔っている時は思わずこちらも舐め返してやるといやそうな顔をする。充分舐めまわしたからもういいだろうと家へ入ると、「ガブッガブッ」と水を飲む音がする。いつもそうする。きっと私の顔が塩辛いのだろう。塩分補給の意味もあるのかもしれない。
私が「まろ」をかまうのは主にこの時だけであるが、うちでは家族全員大いに「まろ」に癒されているのである。

字が下手で困る

平成16年7月27日(火)
最近の紹介状や返事はワープロによるものが多くなった。確かに読みやすく、バックアップもし易い。ただ、診察中に書くのはどうしても時間がかかり手書きになってしまう。手書きだと字の拙さがわかってしまう上に読み取りにくい個所もあるかもしれない。
以前病院に勤めていた頃は、他の医療機関からのたくさんの紹介状とともに院内の他科からの紹介状もあり、またワープロの紹介状は少なくほとんどが手書き だったこともあって、色々な字を見ることができた。ある先生はうまくはないが丁寧だったり、ある先生はまさに達筆で日頃の印象が5割方アップするように感 じたり、あの優雅な先生がこんな字をと思ったりさまざまであった。
あるえらい先生はとんでもない悪筆で、紹介状の内容がほとんど読めないのである。縦にしたり横にしたり、ためつすがめつ眺めてみるがさっぱりわからない。仕方がないので患者さんに全部くわしく聞いてみるのだが、肝腎の検査の結果などは本人もよくわかってないし、第一どんな検査をしたかがとぎれとぎれにしかわからない。その先生は開業医であったが、院内のスタッフはカルテの字が読めたのだろうかと思っていた。同僚の医師に聞いてもやはりその先生の紹介状は読めないようで、困っている様子だった。
このようなこともあり、字は下手でも読めるのが一番と思っているが、礼状などを書く時はさすがに字の練習をしておけばよかったと後悔するが、いざ練習をするとなると面倒でやらない。かくして何時までたっても字が下手なままなのである。

旧暦に風情あり

平成16年7月7日(水)
今日は七夕、と言っても季節の実感はない。旧暦の7月7日ならきっとぴったりするのだろう。私の田舎では、昔は正月といえば旧暦の方を大切にしていた。だから1月1日を新正月と言って少し祝い、1月終わりか2月初めの頃の旧暦の元旦を旧正月と言って、そちらの方がご馳走が多かったように記憶している。田舎は農業が中心であり、田植えや稲刈り畑仕事など、季節とは切っても切り離せない関係にあり、これらの仕事・行事は昔から旧暦でおこなわれていたからだ。こう言うと古い人間のようだが、わずか40年ちょっと前の話である(やはり古いか!)。
今ではあまり旧暦を口にする人はいなくなったが、日本の季節ごとの行事は旧暦でやるべきではないだろうか。その方が風情がある。花札だって今の月数とは絵柄が合わないではないか。

逆子のお産

平成16年5月15日(土)
早速昨日の日誌をパスしてしまった。忙しかったこともあるが、正直しんどくなったからだ。有名人のサイトで毎日日記を公開している人がいるが、その気力としつこさには心から敬意を表する。
久しぶりに来られた人が「先生に逆子を取り上げてもらいました。その子はもう8歳で元気に走り回っています。お産の時赤ちゃんが途中で出てこなくなって、先生が真っ青になったとおっしゃったんですよ」とのこと。思い出した。逆子の分娩の時、赤ちゃんがバンザイをしてびくともしなくなったことを。あの時は本当に血の気がひいた。小児科の先生と他の産婦人科の先生に、すぐに分娩室に来てもらうよう連絡を頼み、助産婦に子宮を押さえてもらいながら、上肢解脱、無事に生まれたが分娩まで1分はかかっただろうか。赤ちゃんが無事に泣いてピンク色になった時は心からほっとした。完全に忘れていたが、患者さんの言葉ではっきりと思い出してしまった。
今はお産をしていないのでこんな思いはしなくてすむが、妙にになつかしいのはどうしてだろうか。きっと産婦人科医の原点であるお産をしてみたい気持ちがあるのだろう。

ポケットベルの音

平成16年5月8日(土)
最近は土曜日の方がゆっくりしている。以前は逆だったのだが、なぜだかわからないが最近はこうなっているのだ。週休二日は私にとっては関係ないこと。勤務医時代は休みが貴重だった。お産がたくさんあり、夜中に起こされることが多かったので睡眠のリズムが狂い、休日はリラックスできる大切な日だったのだ。そういう生活を20年近くおくっていると、ポケットベルや電話の音に強い反応を示すようになる。たとえば夜中に病院から家に電話があると、家人が起きてしま うのでポケットベルを鳴らしてもらうようにしていた。だから深く寝込んでいてもポケットベルには反応してすぐに目覚めていたのである。開業してからはお産がないので夜に起こされることはほとんどないので反応が鈍くなっているようだ。ただ、習慣でいまも携帯電話は風呂とトイレ以外はつねにそばに置いている。産婦人科医の習性だろうか。