平成19年2月23日(金)
最近の知見によれば、50歳以上の女性のコレステロールは280mg/mlまでは治療の必要はないという。これは米国の研究と日本のきちんとしたデータに基づいたもので、信頼できる報告である。さらに、特別な場合を除いて35歳未満の男性と45歳未満の女性にはコレステロールの検査そのものが必要ないとのことである。
以前からコレステロールの正常値が下げられたのを不思議に思っていたが、やはり意味のないことだったかと改めて思ったが、それまで高コレステロールはよくないからと恐れさせられて、高価なスタチン製剤を服用させられていた人はどうなるのだろうか。本来、このような結果がでるだろうということはプロである医師であれば予測がついて、世間・マスコミ・権威者がなんと言おうと患者さんを無駄な検査・治療から守るべきものなのに、その医師が率先して検査しまくり薬を出してどうするのか。スタチン製剤は高価なだけでそれほど副作用はないことが救いだが、エイズの時の血液製剤はとりかえしのつかない損害を与えてしまっている。
健康診断・ドックが意味がないことがわかってきたのなら広く知らせて、その膨大な費用を介護にまわせばどれほどいいことか。検査と違って介護はお金をかければそれだけよくなるのだから。
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正しいコレステロール値は?
ケタラールが麻薬だって?
平成18年12月20日(火)
以前にも書いたが、麻酔剤のケタラールがいよいよ来月の1日から麻薬指定になる。
なんという愚かな決定であろうか。一説によると、一応お上は医師と獣医師に麻薬指定にしてもかまわないかと訊ねたが、格別反対はなかったとのことだそうで あるが、本当だろうか。少なくとも私の周辺の医師で賛成するものはいない。猛反対ばかりである。お上は誰に訊いたのかを明らかにすべきである。今回の意味 のない麻薬指定措置のために日本中の医師、獣医師が多大の迷惑を被っている。金銭的にも書類の煩雑さも時間の無駄も加えればその損害たるや膨大である。
たかが一不良外人が国外から違法の薬を持ち込んで、粉末ケタラールも含めいろんな薬を使いすぎて亡くなったからといってなぜこんなバカなことをするのか。 過去30年ケタラールが悪用されたとは寡聞にして知らないし、そもそも中毒になるような薬ではない。欧州あたりで不法なドラッグに指定されたからといっ て、我が国に適用するのは行き過ぎだろう。
世の中には理不尽なことが多いが、この件もその一つである。
新入医局員の少ない産婦人科
平静18年11月29日(水)
11月ももう終わりだというのにいっこうに寒くならない。朝夕は晩秋の気候ではあるが昼間は暖かい日が続く。
昨日、某所で産婦人科同門会広島支部総会がおこなわれた。教授が来広し色々お話をされたが、産婦人科はじつにきびしい状態になっている。とにかく産婦人科 を選ぶ新卒の医師が少ないので、大学病院での仕事・診療もままならず現在いる医師の負担が増えており、医師を派遣していた関連病院をどんどん減らさざるを 得ない状況になっている。ここ広島でも同門の名簿27人中私はなんと17番目である。卒業年度順になっていて17番目ということは私より若い医師はたった 10人しかいないということである。若い人が来ない科は滅びるというが実に大変なことである。産婦人科を選んでいても、激務と訴訟に嫌気がさして別の科に 替わって行った同僚や後輩も多く、特に産科は現在のところ苦労しても報われない科という評価が定着してしまっている。この評価は自然に現在の医学生に伝わ り、かくして新入医局員はいなくなるというわけである。現在のところ有効な打開策はない。きっと行きつくところまで行くのだろう。
医局制度をなくしてはダメだ
平成18年11月22日(水)
毎年この時期になると母校の産婦人科同門会から会員名簿が送られてくる。眺めるたびに最近の新入医局員の少ないことを改めて感じる。
我々のころは毎年平均10数人は入局しており、県内県外を含め様々な病院に赴任を命じられた。それがどんなに僻地であろうと過酷な労働環境であろうと、教 授の命令は絶対であり泣く泣く赴任したものである。後で考えるといやだと思うようなところほど得られるものが多かったように思う。
医局制度は僻地も含め医師をうまく配置させ、卒後教育も大学が責任をもって行い、困った医師の配置転換や再教育をするなど総合的に見ていい制度であったと いっていい。そしてそれが日本の医療をWHOの評価で世界最高にした原動力ではなかったか。それなのになにを血迷ったのかアメリカの真似をして研修制度の 改革、マッチングなど役人の考えそうな制度改革のための改革をやろうとしている。笑止千万である。いまの状態が世界最高ならそのままでいいではないか。む しろアメリカやヨーロッパに真似をさせてやるぐらいの気構えでいればいいのである。
すでに僻地に医師がいなくなるなどさまざまな弊害がおこっている。あきれたことに国は医師を増やせば僻地にも行くようになるだろうなどと恥の上塗りのよう な政策を発表している。役人の想像力のなさにはあきれてものも言えない。ことは簡単である。元の制度の戻せばいいのである。民間であればこんなバカなこと をやっていればつぶれてしまうのでやるわけがない。お上が主導してやることにろくなことがないと思うのは、私だけではないと思う。
タバコと飲酒と肥満の生命予後
平成18年11月15日(水)
タバコとアルコールと肥満はどれも体に良くないといわれているが実際のところはどうなのだろうか。
国立がんセンターの津金氏によると日本人の場合、タバコは1,6倍がんになりやすいそうである。ある調査によると、タバコを吸わない人100人とタバコを 吸う人100人を40歳から25年間追跡したとすると、74歳でタバコをすわない100人のうち20人ががんに、1人が肺がんになる。一方、タバコを吸う 人100人では32人ががんに、5人が肺がんになるという。タバコを吸うことにより肺がんは5倍になるということであるが、タバコを吸っても100人のう ち95人は肺がんにはならないとも言えるのである。
アルコールについては日本酒で2合、ビールでは大瓶2本までなら生命予後は変わらないようである。逆に日本人に多い脳梗塞には適量のアルコールは発生率を 減らすし、心筋梗塞のリスクも下げるそうである。アルコール好きの人にはなんともうれしい話ではないか。肥満もBMI30までならかわらないそうである。 太りすぎはよくないが、やせすぎはがんになる率が高いので問題である。
こうしてみると適度のアルコールと軽い肥満は問題ないとのお墨付き、5年前にタバコをやめた私にはなんともうれしいことである。今日もうまいつまみで晩酌をしよう。
病腎移植
平成18年11月8日(水)
このところ腎移植の問題で連日報道が行われている。宇和島の医師が病気により摘出した腎臓を透析患者に移植していたことが明るみになったからである。移植していた医師は正しいと信じて行っていたようで議論が湧き起こっている。
現在わが国では臓器移植はドナー不足のためわずかしか行われていない。一方移植を待つ人はどんどん増えている。日本移植学会に属している医師ならその倫理 規定に従わねばならず、なかなか移植できない。いま報道されている医師は学会に属しておらず、したがって会告に従う必要もないので多くの移植を手がけるこ とができたのである。グレイゾーンの移植もあったようで、どちらがよいのか難しい問題である。
手塚治の名作「ブラックジャック」はこの問題を主題にした作品である。目の前に苦しんでいる人がいる。自分はその人を助ける技術を持っていて、設備もそ ろっている。当事者同士の承諾がある。でも残念なことに彼は医師免許を持っていない。法を犯しても助けるべきなのか。作者はこの主題を単純な人道的問題だ けにせず金銭をからませたところが天才的である。
もちろん今回の問題は医師法違反などではなく倫理規定の問題であるが、永遠の課題であるのかもしれない。
セカンドオピニオン
平成18年10月30日(月)
セカンドオピニオンを求めて来院される人がおられるが、病気に対する考え方をどう説明しようかと迷うことがある。これは医療に対する一般の人の意識と我々医療者の感覚の違いだろうが、自分の場合はそれ以上に違いが大きくて困惑することがある。
たとえば子宮がんの検査で軽度の異型細胞が見られた場合、多くは放置しても正常に戻るが一部は悪性へと進む。悪性に進んだら困るので何度も検査して組織を 調べ、場合によっては円錐切除術を行うこともある。異型細胞が出ても自然に正常に戻る人にとっては意味のないことである。問題はどちらに進むか現代の医学 では見極めがつかないことである。たとえば100人に一人が悪性に進行し、そのほかの人は正常になるとしたら99人にはむだな検査と治療をすることにな る。比率がどのくらいなら許されるのだろうか。
このことは、がんの早期発見・早期治療が本当に生命予後を延ばすことに役立っているのかという、いまだにはっきりとは証明されていないという問題とも共通 して悩むところである。必要のない人にはむだな検査・治療で負担をかけたくないし、放置したことが原因で生命予後が短くなることは絶対にやってはならない し、その見極めのポイントが難しいのである。
分娩中に脳出血で死亡
平成18年10月20日(金)
このところニュースに産婦人科の話題が多い。今度は、奈良で妊婦さんが分娩中に脳出血で亡くなられたとのことである。主治医は子癇と思ってCT検査をしな かったことと、受け入れ病院がなく8時間後にやっと病院がみつかったものの赤ちゃんは無事だったが母親は死亡したという。
ことの詳細は追ってわかってくるだろうが、お産に関して世間と我われ産婦人科医との間にある認識の違いがいつも問題になる。つまり、お産は無事に生まれて あたりまえ、何かあったら医師にミスがあったのではないかとの風潮がある。確かにお産の8割は何もしなくても、自然に生まれる。さらにいえば正常妊娠・分 娩には妊婦健診すら必要ない。なぜなら分娩は哺乳類の自然現象であり、人類発生の昔から医療の介入なしで連綿と続いてきたことであるから。問題は、正常に 生まれる8割以外のお産である。昔からお産で死亡する妊婦さんは実に多く、我が国の統計では西暦1900年(明治33年)には250のお産で1人が亡く なっていた。戦後になって減りはじめとはいえ1950年(昭和25年)で約600のお産で1人とまだ多かったが、現在では約20000のお産に1人となり 世界のトップになっている。いうまでもなくこの統計は新生児の死亡ではなく妊産婦の死亡である。
どんなに完璧に経過を診て治療しても不幸にして亡くなることは残念ながらある。それでも万一亡くなったら、ミスではないかと警察まで介入するのはやりすぎ ではないだろうか。原因がわかった後ではなんとでも言える。分娩時に異常がおきた時の主治医の心境が察せられるので、やりきれない思いがするのである。
根津医師の勇気
平成18年10月16日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津院長が、子宮を摘出して子供が生めなくなった娘の代わりに50歳を過ぎた母親が娘夫婦の受精卵を自分の子宮で育てて出産 したことを明らかにした。色々な意見はあるだろうが、すばらしいことである。根津氏の愛情に満ちた信念の行動にはいつも敬服しているが、今回もまことに理 にかなった問題提起でその勇気には頭が下がる。
根津氏は以前にも患者さんのために必要な医療を行った際、産婦人科学会から除名処分になったが、どう考えても産婦人科学会の裁定に問題があるように思え た。今回の問題提起も、かつて想像もつかないような「代理出産」が現実になったときに、従来の法整備ではだめであり変えなければならないのに、だれも変え ようとしないことが問題なのである。法は人の幸せを助けるためにあるのだから、現実にあわせて変えていかなければならない。すべてはその一点にあり、その 本質を見抜いて起こしている氏の勇気に満腔の賛意を表したい。
本末転倒の内診問題
平成18年9月12日(火)
看護協会が「内診は助産師に限ることを徹底する」との声明を出したとのことである。なぜそんなにかたくななのだろうか。看護職は医師の介助をするのではな く、看護計画に基づいた正しい看護をするのが仕事だというのだろうか、それなら看護師による血圧測定も採血もICUのモニターもできないことになる。
「内診」は特別なことではない。きちんと指導すればだれでも所見がとれる行為である。所見の判断は医師が責任を持ってすればよいのである。さらに現在の助産師の数では日本中のお産をカバーすることができないこともわかっているのに。なんのために医療を目指したのか考えてほしい。患者さんを良くしてあげた い、そのために医師も看護師も技師も薬剤師も協力し合っていくのではないのか。
看護職を専門化していってもミニドクターが増えるだけで、患者さんのそばにいて励ましたり話を聞いたり便の世話をするという最も大切なことを担う人がいな くなる。患者さんが本当に癒されるのは看護師のこれらの行為である。医療者はそれぞれの役割分担のなかでできることをやればよいのである。内診を看護師が したからといって医療の質が落ちるわけではない。はじめに戻って「患者さんのためにどうしたら一番いいのだろうか」と常に考えているなら、このようなこと にはなっていないのではないだろうか。