平成19年7月26日(木)
久しぶりに中島みゆきのCDを聞いてみた。初期のアルバム「臨月」の中に「雪」というとても美しい曲がある。「雪 気がつけばいつしか/なぜこんな夜に降るの/いまあのひとの命が/永い別れ私に告げました…」これは彼女が24歳のときに亡くなった父親へのレクイエムだということを最近知ったので、もう一度聞いてみようと思ったのである。ちなみに中島みゆきの父親は北海道帯広の産婦人科開業医であった。発表した当時この曲を聴いた時には、慕っていた恋人を想って作った空想の中の作品だとばかり思っていたが、父親へのレクイエムとわかって聞くと改めてしみじみといい。
昔、ラジオの深夜放送を聴いていた頃、吉田拓郎がパーソナリティをしていた番組で「昨日親父が亡くなりました。歌を作ったので聞いてください」と言ってギターを弾きながら唄ったのが「おやじの唄」で、感動的であった。同じ頃、森本レオの「親父にさようなら」というモノローグの曲も、父親に対する深い愛情が感じられてよかった。津村信夫の詩集「父のいる庭」も読みかえしてみると本人が35歳で亡くなっていることを考えると、いっそうなんともいえないあじわいがある。
カテゴリー 好きなもの
父親へのレクイエム
旅行は国内
平成19年2月9日(金)
若い頃は旅行といえば、まだ行ったことのない所を訪れることが第一の動機だった。だから珍しいところならどこでも行ってみたいと思っていた。子供が小さい頃は、子供の喜びそうなところを考えて旅先を決めたものだった。
今は、なんといっても「美味しいものがあること」と「歴史を感じることのできる名所・旧跡があること」さらに「時間を取られずに行けるところ」が大切である。だから、行ってみたくなるのはその条件を満たす所ということになる。そうでなければわざわざ行かなくてよいのである。だから海外にはあまり行きたいと思わない。ヨーロッパは歴史もあり条件は合っているがなにしろ遠すぎる。行きと帰りにあの狭い飛行機の中でそれぞれ半日以上費やすのは、なんともうんざりする。それだけ時間をかけて往復するのなら、ある程度長く滞在しなければもったいない。せめてアジアぐらいの距離なら行ってみたいが、まとまった休みがとれない。結局、国内旅行ということになるのである。さらに、今は和食がいちばんおいしいと思うし、世界中の食を取り入れた日本の食文化はすばらしく、いながらにしてなんでも食べられるのでわざわざ時間とお金をかけて海外へ行く必要がないのである。
臥竜山の紅葉
平成18年11月4日(土)
今年は例年になく暖かいが、さすがに今月に入ってからは朝夕の冷え込みが感じられるようになった。
昨日の文化の日は県北の「臥竜山」へ紅葉を見に出かけた。これから一ヶ月ぐらいが見ごろだろう。途中一面すすきの原があってなかなか風情があった。秋は収 穫と豊穣の季節であるが、他方では紅葉に見られるように冬に向かう前の炎のゆらめきの季節でもあり、消えてゆくはかなさを感じさせられるのである。とはい えまだまだ仙人の境地にはなれず、三越の地下で仕入れた「たこつぼ」のうな重に舌づつみをうったのは愛嬌であった。
ブランデンブルグ
平成18年10月25日(水)
秋も深まってきて、東北地方ではもう紅葉が見られるという。今年は近場でもいいからぜひ紅葉を見たいものだ。紅葉というとなぜか思い出す詩のフレーズがあ る。高村光太郎の「ブランデンブルグ」の「金茶白緑雌黄の黄」という一節である。彼の日本語をざっくりと削ったような表現は強く心に残るものである。
「ブランデンブルグ」の底鳴りする/岩手の山におれは棲む。/山口山は雑木山。/雑木が一度にもみぢして、/金茶白緑雌黄の黄、/夜明けの霜から夕もや青く淀むまで、/おれは三間四方の小屋にいて、/伐木丁々の音を聞く。
堀口大学「秋のピエロ」
平成18年9月26日(火)
朝夕は冷えるが日中は汗ばむほどで、今日は何を着て行こうかと迷う気候である。それでも確実に秋は深まっているようで、空の青さが深いと感じる。秋につい ての詩歌は他の季節より多いようで、やはりこの季節はこころの琴線に触れる事象が多いのだろう。秋の初めと中ごろ、晩秋はそれぞれ違ったおもむきがあり、 それぞれに味わい深いものがある。合唱曲にもなっている堀口大学の「秋のピエロ」はそもそも我が国にはいないピエロを主人公にして、その道化の奥にある悲 しみを晩秋のもの悲しさに重ねて表現している。
泣き笑いしてわがピエロ/秋じゃ!秋じゃ!と歌うなり。/O(オー)の形の口をして/秋じゃ!秋じゃ!と歌うなり。/月のようなる白粉(おしろい)の/顔 が涙をながすなり。/身すぎ世すぎの是非もなく/おどけたれどもわがピエロ、/秋はしみじみ身にしみて/真実涙をながすなり。
藤沢周平と鮨
平成18年8月19日(土)
時代小説には秀逸なものが多く、最近は藤沢周平の作品を読んでいる。文章は簡潔でリズムがよくすっきりしている。たとえれば、「とくみ鮨」の鮨を食べたよ うな味わいがある。「とくみ鮨」はクリニックの近くにある小さな鮨屋であるが、透明でいて芳醇な鮨を食べさせてくれる店である。時代小説も鮨も日本独特の 文化であるが、いずれもすばらしいもので日本に生まれたことを感謝しながら味わって行きたいものである。
草野心平「さくら散る」
平成18年4月4日(火)
昨日から暖かくなってやっと桜が咲いた。先週の土曜日からこの日曜日にかけて天気がよくなかったので、桜の開花宣言が出たのはだいぶ前だったがなかなか咲 かず、花見をしようと思っていた人たちにとっては残念な週末だったのではないだろうか。私自身、桜は満開の時よりも散り始めた頃の方が好きである。一瞬の生の歓喜とそのはかなさが感じられるからである。
草野心平という詩人に「さくら散る」という作品がある。「はながちる/はながちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる/光と影がいりまじり/雪よりも死よりもしずかにまいおちる/光と夢といりまじり/ガスライト色のちらちら影が/生まれては消え/はながちる/はながちる/東洋の時間のなかで/夢をおこし/夢をちらし/はながちる/はながちる/はながちるちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる」今週末には桜吹雪に出会えるだろうか。
「甃のうへ」に寄せて
平成18年1月17日(火)
ここしばらく暖かい日が続いている。私自身もいつものペースに戻ってきた。
年末に文春新書から「わたしの詩歌」という本が発刊された。作家や評論家、俳優などが心に残る詩や歌を挙げてエッセイ風に書いたもので、中には私の好きな詩もあってなかなか面白かった。自分では三好達治の「甃のうへ」という詩が好きであった。高校の教科書に載っていた詩であるが、青春の息吹をまぶしく感じながら孤独な自分を見つめている、それでもなお春の明るさはかなさを味わっているところにひかれたものだ。あまりに気に入ったので、曲をつけて一緒に音楽をしていた同級生や音楽部の顧問に披露したことを思い出す。その後、多田武彦という作曲家が男声合唱曲にしていることを知り、聞いてみると実に快くさすがにプロはすばらしい(多田氏は本業は銀行家、作曲は余技であるが根強い人気がある)と思ったものである。
ジャズライブ
平成17年11月5日(土)
昨夜はジャズのライブを聴きに行った。午後8時から軽く飲みながら聴くピアノ、ドラム、ベースのセッションである。久しぶりでなかなかよかったが、音楽の好みは尺八から演歌、クラシック、ジャズと我ながら実に節操がないと思うが、どれもいいのだからしょうがない。
今日は朝からいい天気で空が澄みわたっている。まさに秋だ。こんな日は自然の中で憩いたくなるのではないだろうか。奥深い山中に寝転んで空を見上げると高いところを渡り鳥が飛んでいく。想像しただけでも心が安らぐではないか。北原白秋の「水墨集」に「渡り鳥」という作品がある。「あの影は 渡り鳥、/ あの耀きは 雲、/ 遠ければ遠いほど 空は青うて / 高ければ高いほど 脈立つ山よ。/ ああ、乗鞍岳、/ あの影は 渡り鳥。」
気分転換に歩く
平成17年6月15日(水)
運動不足の折からできるだけ歩いて帰るようにしている。
クリニックから自宅まで3キロぐらいなので、歩くにはちょうど良い距離である。季節では春と秋が一番いいが、雨さえ降らなければ今も十分気持ちがいい。その日の気分によっていくつかのコースを変えて歩く。たいていは平和大通り沿いに鶴見橋まで歩いて、そこで橋を渡らずに川沿いを下るか渡って比治山トンネルを通るか考えるのである。歩いていると季節の変化や普段は見つけられない街の姿が見えて、結構楽しい。竹屋町の果物屋の前を通る時は、おいしそうなのでつい寄って買ってしまう。今ならスイカ、びわ、桃などがいい。本来のコースではないのだが、うまい果物を発作的に食べたくなった時に少し回り道して通る。比治山トンネルを通る時はサティの近くにある酒屋でウイスキーなどを買うこともある。
天気がよくて、あまり遅くならずに帰れる時には、歩くのは実にいい気分転換になるのである。



