平成18年9月26日(火)
朝夕は冷えるが日中は汗ばむほどで、今日は何を着て行こうかと迷う気候である。それでも確実に秋は深まっているようで、空の青さが深いと感じる。秋につい ての詩歌は他の季節より多いようで、やはりこの季節はこころの琴線に触れる事象が多いのだろう。秋の初めと中ごろ、晩秋はそれぞれ違ったおもむきがあり、 それぞれに味わい深いものがある。合唱曲にもなっている堀口大学の「秋のピエロ」はそもそも我が国にはいないピエロを主人公にして、その道化の奥にある悲 しみを晩秋のもの悲しさに重ねて表現している。
泣き笑いしてわがピエロ/秋じゃ!秋じゃ!と歌うなり。/O(オー)の形の口をして/秋じゃ!秋じゃ!と歌うなり。/月のようなる白粉(おしろい)の/顔 が涙をながすなり。/身すぎ世すぎの是非もなく/おどけたれどもわがピエロ、/秋はしみじみ身にしみて/真実涙をながすなり。
カテゴリー 好きなもの
堀口大学「秋のピエロ」
藤沢周平と鮨
平成18年8月19日(土)
時代小説には秀逸なものが多く、最近は藤沢周平の作品を読んでいる。文章は簡潔でリズムがよくすっきりしている。たとえれば、「とくみ鮨」の鮨を食べたよ うな味わいがある。「とくみ鮨」はクリニックの近くにある小さな鮨屋であるが、透明でいて芳醇な鮨を食べさせてくれる店である。時代小説も鮨も日本独特の 文化であるが、いずれもすばらしいもので日本に生まれたことを感謝しながら味わって行きたいものである。
草野心平「さくら散る」
平成18年4月4日(火)
昨日から暖かくなってやっと桜が咲いた。先週の土曜日からこの日曜日にかけて天気がよくなかったので、桜の開花宣言が出たのはだいぶ前だったがなかなか咲 かず、花見をしようと思っていた人たちにとっては残念な週末だったのではないだろうか。私自身、桜は満開の時よりも散り始めた頃の方が好きである。一瞬の生の歓喜とそのはかなさが感じられるからである。
草野心平という詩人に「さくら散る」という作品がある。「はながちる/はながちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる/光と影がいりまじり/雪よりも死よりもしずかにまいおちる/光と夢といりまじり/ガスライト色のちらちら影が/生まれては消え/はながちる/はながちる/東洋の時間のなかで/夢をおこし/夢をちらし/はながちる/はながちる/はながちるちる/ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる」今週末には桜吹雪に出会えるだろうか。
「甃のうへ」に寄せて
平成18年1月17日(火)
ここしばらく暖かい日が続いている。私自身もいつものペースに戻ってきた。
年末に文春新書から「わたしの詩歌」という本が発刊された。作家や評論家、俳優などが心に残る詩や歌を挙げてエッセイ風に書いたもので、中には私の好きな詩もあってなかなか面白かった。自分では三好達治の「甃のうへ」という詩が好きであった。高校の教科書に載っていた詩であるが、青春の息吹をまぶしく感じながら孤独な自分を見つめている、それでもなお春の明るさはかなさを味わっているところにひかれたものだ。あまりに気に入ったので、曲をつけて一緒に音楽をしていた同級生や音楽部の顧問に披露したことを思い出す。その後、多田武彦という作曲家が男声合唱曲にしていることを知り、聞いてみると実に快くさすがにプロはすばらしい(多田氏は本業は銀行家、作曲は余技であるが根強い人気がある)と思ったものである。
ジャズライブ
平成17年11月5日(土)
昨夜はジャズのライブを聴きに行った。午後8時から軽く飲みながら聴くピアノ、ドラム、ベースのセッションである。久しぶりでなかなかよかったが、音楽の好みは尺八から演歌、クラシック、ジャズと我ながら実に節操がないと思うが、どれもいいのだからしょうがない。
今日は朝からいい天気で空が澄みわたっている。まさに秋だ。こんな日は自然の中で憩いたくなるのではないだろうか。奥深い山中に寝転んで空を見上げると高いところを渡り鳥が飛んでいく。想像しただけでも心が安らぐではないか。北原白秋の「水墨集」に「渡り鳥」という作品がある。「あの影は 渡り鳥、/ あの耀きは 雲、/ 遠ければ遠いほど 空は青うて / 高ければ高いほど 脈立つ山よ。/ ああ、乗鞍岳、/ あの影は 渡り鳥。」
気分転換に歩く
平成17年6月15日(水)
運動不足の折からできるだけ歩いて帰るようにしている。
クリニックから自宅まで3キロぐらいなので、歩くにはちょうど良い距離である。季節では春と秋が一番いいが、雨さえ降らなければ今も十分気持ちがいい。その日の気分によっていくつかのコースを変えて歩く。たいていは平和大通り沿いに鶴見橋まで歩いて、そこで橋を渡らずに川沿いを下るか渡って比治山トンネルを通るか考えるのである。歩いていると季節の変化や普段は見つけられない街の姿が見えて、結構楽しい。竹屋町の果物屋の前を通る時は、おいしそうなのでつい寄って買ってしまう。今ならスイカ、びわ、桃などがいい。本来のコースではないのだが、うまい果物を発作的に食べたくなった時に少し回り道して通る。比治山トンネルを通る時はサティの近くにある酒屋でウイスキーなどを買うこともある。
天気がよくて、あまり遅くならずに帰れる時には、歩くのは実にいい気分転換になるのである。
演歌が結構好き
3月26日(土)
実は演歌が結構好きである。「別れの一本杉」「王将」「風雪流れ旅」「兄弟船」好きな曲は他にもあるが、これらはすべて船村徹という作曲家の作品である。 最近その自伝を読んだのだが、まさに巨人だ。才能もすごいが、その人間的魅力スケールの大きさなど実に面白い。歌謡界で押しも押されもせぬ地位にいるにもかかわらず、40台後半でフリーになってギター片手に全国を回ろうとしたのはすごいことだ。頂点にいるにもかかわらず、自分を振り出しに戻せる柔軟さはただものではない。そういう姿勢が数々の名曲を生み出したのだろう。才能やスケールはどうしようもないが、私もその姿勢は見習いたいものである。
春の詩
平成17年3月3日(木)
弥生三月である。ここのところ毎日の気温差が激しいようだ。それでも確実に春が近づいているという実感がある。「春はあけぼの」「千里鶯鳴いて緑紅に映ず」「春になればしがこも融けて」「春高楼の花の宴」「春風そよ吹く空を見れば」「春よ来い早く来い」「さくらさくら弥生のそらは」「やがて遠い地平から輝く春が」「みずはぬるみみずはひかり」「ふもとには桃や桜やあんず咲き」思いつくままの春を並べてみたが、長い冬が過ぎ希望に満ちた季節が春であり、我が国では卒業と入学も春である。日本人にとって春は特別なのだと思う。
今日は午後からは休みなので、今度辞めることになった受付の人の送別昼食会をした。いい人なので残念だが仕方がない。食事は愛宕のレディース鉄板焼き、要予約だがなかなか良かった。
都はるみコンサート
平成17年2月19日(土)
先日、都はるみのコンサートに行った。以前からプロの歌手の中でもピカ一のうまさがあると思っていたが、さすがにすごかった。美空ひばり亡き今では第一人者といってもいいのではないだろうか。客層は50代60代の男女(半々ぐらいか)がほとんどで、ジャズやクラシックコンサートの雰囲気とは大いに異なっていた。気取ったところがなく、心から都はるみの歌が好きだという感じが伝わってきてなかなかよかった。
元来、声(歌)が好きなので凄みのある歌唱のできる歌手は、どのジャンルでも興味があり聞いてみたいのである。歌(声)は誰でも歌えるが人を感動させる技量を持った人は稀であり、その頂点に立つプロ中のプロの歌は文句なくすばらしく、今聞いておかなければ二度と聞けないかもしれない。はるか昔、レコードで マリアン・アンダーソンの「魔王」を聞いた時震えるほどすごいと思ったが、都はるみもじつによかった。
富良野で元旦
平成17年1月4日(火)
あけましておめでとうございます。
この正月はなんと北海道でスキーをすることになった。ボーゲンでしか滑れないくせに、富良野のスキー場で新年を迎えたのである。元旦の富良野は快晴で、ゲレンデから遠く十勝岳を望むことができて最高であった。気温はマイナス26℃と低いのだが、太陽光がまぶしく、きらきらと輝くダイヤモンドダストを見ることができた。吐く息が一瞬で凍るような気温ゆえおこる現象なのだろうが、すばらしい経験であった。
今日から診療開始である。今年の目標は、情報公開をさらに進めることと、患者さんのニーズに合わせたきめこまかい診療をすることである。陳腐なようであるが、毎日の診療であるから大切なことだと思う。奇をてらうのではなく普通の診療を一つ一つ丁寧に、患者さんの気持ちを推し量りながら行うことが自分のスタイルであり、これからもやっていくことと決めている。自然体で無理せず遅れず、受診して良かったと思ってもらえるような診療をしていきたいと思う。