平成23年9月12日(月)
久しぶりにロバート・ショウ合唱団のCDを聞いてみた。曲は黒人霊歌、フォスターの作品、シーシャンテなどであるが実にいい。ロバート・ショウ合唱団は、1949年アメリカで設立され、またたく間に全米屈指の合唱団として評判になり、その演奏のすばらしさをトスカニーニに認められたそうである。活動期間は短かったが、その時に録音した音源はいまでもCDとして売られ、根強い人気がある。
大学時代にこの合唱団のレコードを聞いてそのすばらしさにしびれていたが、その後も折に触れて聞くたびに、上記の曲をこれほどすばらしく演奏できる合唱団はもう二度と出ないのではないかと思ってしまう。人間の声ほど魅力のある楽器はないと思うが、その声を使ってこれほどすばらしい演奏を行ったのは奇跡に近いことだと思うのである。
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ロバート・ショウ合唱団
桂枝雀の医者噺
平成23年4月25日(月)
今は亡き桂枝雀は、「夏の医者」「ちしゃ医者」など医者もの落語の「まくら」で権威ぶった医者や上から目線の医者、「どこが悪いの?診てやろう」などが大嫌いで、病気になった者の損だといつも言っていた。かつて医師免許のない時代には、誰でも医者ができたそうで、色々やってみたがどれもうまくいかなくて「それなら医者でもやってみるか」という「でも医者」、「やぶ医者」、「葛根湯医者」、「手遅れ医者」などがいたという。
「やぶ医者」というのは、平生は流行っていないが「風邪」が蔓延すると人気の医者は引っ張りだこなので診てもらえず、仕方なく人気のない医者でも人が診てもらいに来る、「風邪(風)で動くからやぶ」という説が有力だそうである。「葛根湯医者」、葛の根を煎じて飲むと、発汗作用があり熱が下がるので使われていた葛根湯は、手軽に使えるのでどんな病気にでもこれを処方する医者がいたところから来ているそうだ。
また「なんでもっと早く連れてこないのだ、手遅れじゃ」という言い訳を面白おかしく非難しているが、なるほど一理あるのでアハハと笑えて面白い。桂枝雀はまことに得難い、正統派の落語家だったと思うのである。
チェロリサイタル
平成22年12月2日(木)
もう師走である。時間が矢のように過ぎて行く。
昨夜は知人の奥様のチェロリサイタルに招待されてカミさんと行ってきた。会場が満席で座る場所を探すのに苦労するぐらいであることに驚いたが、演奏を聴いてそのすごさに一層驚き納得した。すべての曲を暗譜で演奏されたが、音の美しさ、なめらかさ、抑揚、どれをとっても完璧な演奏であった。プログラムが終わってもだれ一人席を立とうとせず、アンコールを何曲も演奏することになったが、すごい人がいるものだと思ったことである。
いい音楽は誰が聴いても心を惹かれる。以前音楽をされていたとは聞いていたが、知人の主婦という認識しかなかったことを恥じた次第である。世界は広い。
枝雀の落語
平成22年3月30日(火)
最近、桂枝雀にはまっている。折々に買いためていたCDを暇さえあればとっかえひっかえ聞いている。小米時代から枝雀になったばかりの頃の噺もあれば晩年に近い頃の噺もある。ある頃からマクラに「一生懸命のおしゃべりでございます」というようになったが、なるほど面白さの中に懸命さがちらちら感じられて、そこまでしなくてもと思わせるようなところがあった。
思いつめる性質のようで、そのことが早すぎる一生になってしまったのだろう。そういえば加藤和彦も同じぐらいの年の一生である。男性の還暦の頃は心が萎えやすいのだろうか。やはり枝雀にはもっともっと生きてすばらしい話芸を楽しませてほしかった。
サイモンとガーファンクル
平成21年6月10日(水)
サイモンとガーファンクルが来日して大阪でコンサートをするそうだ。同世代の友人知人が何人も行くそうである。高校時代にはじめて聞いた「サウンドオブサイレンス」は衝撃的であった。以来、彼らの創り出すメッセージを含めた高い音楽性の曲たちは、我々を魅了し続けた。そういう人たちでコンサート会場は埋め尽くされることだろう。
青春期に影響を受けた音楽は、いつまでもその人にとって魅力を持ち続けるものである。最近よしだたくろうが復活しているし、矢沢栄吉も健在である。一方、かつてファンだった歌手が年をとって衰え、声が思うように出なくなったのにテレビのリバイバル番組で歌うのを見るのは無残である。大切にしていた思い出が壊されるようで、きっとその歌手も自分の衰えがわかっていると思われ、お互いにつらいことだ。サイモンとガーファンクルはどうなのだろうか。
田中一村展
平成20年11月29日(土)
時間がとれたので、連休を利用して奈良、京都へ行ってきた。目的は、奈良明日香村の万葉文化館で開催されている「生誕百年記念 田中一村展」を見るためだったが、紅葉の季節だしついでに京都をまわってくればいいと思って、急遽計画したのだった。さすがにこの時期は宿がとれず、はじめは大阪のビジネスホテルしかあいてなかったが、出発5日前に奈良公園入り口にあるホテルがキャンセルでうまくとれて幸運だった。奈良は大混雑で、申し込んでおいた奈良観光バスツアーが大幅に遅れたが、おかげで若草山からのすばらしい奈良の夜景を見ることができた。
翌日の京都も大変な人で、清水寺などの有名なところは大混雑なので避けて、午前中に紅葉のきれいな穴場、金福寺、詩仙堂を巡ったが、ゆっくりと紅葉を堪能できた。昼前に雨が降ってきたので、少し早めに予約しておいたレストラン「おくむら」でランチ、秋を満喫できた二日間であった。
チキンガーリックステーキ
平成20年6月21日(土)
梅雨に入りうっとうしい日が続く。この時期は健康診断、ドックなどで異常を見つけられて来院する人が多い。ほとんどが取るに足りないことばかりで、心配して来られる患者さんが気の毒である。健診システムそのものの見直しと、健診の義務付けの法律改正が必要である。
「チキンガーリックステーキ」というふざけた名前の男声6人のコーラスグループのコンサートに行ってみた。マイナーなグループだがその歌唱力はすばらしく、思わず帰りにCDを2枚買ってしまった。なんでも結成18年になるそうで地道に活動を続けているらしいが、すばらしいハーモニーがあり実力充分と思われるのにメジャーにはなれないようだ。実力があるので、もっと知られるようになってほしいものである。
野田弘志展
平成19年10月3日(水)
先日、ひろしま美術館で開催されている「野田弘志展-写実の彼方に-」に行ってきた。リアリズムを追求したその作品群は、一つひとつが思わず足を止めていつまでもじっくり見たくなる作品ばかりである。まともに鑑賞したら一日ではすまなそうである。以前、田中一村の作品集を見たとき以上の驚きがあった。この作品展は全国5箇所で行われてきたそうだが、その最後の開催地が広島だったことは、野田氏の本籍が広島県でありさらに広島市立大学の教授をしていた関係だろうが、ありがたいことである。これだけの作品を一堂に集めることはなかなか難しいのではないだろうか。今度はいつ見られるかわからないので、開催最終日10月21日までにもう一度行ってみようと思っている。
父親へのレクイエム
平成19年7月26日(木)
久しぶりに中島みゆきのCDを聞いてみた。初期のアルバム「臨月」の中に「雪」というとても美しい曲がある。「雪 気がつけばいつしか/なぜこんな夜に降るの/いまあのひとの命が/永い別れ私に告げました…」これは彼女が24歳のときに亡くなった父親へのレクイエムだということを最近知ったので、もう一度聞いてみようと思ったのである。ちなみに中島みゆきの父親は北海道帯広の産婦人科開業医であった。発表した当時この曲を聴いた時には、慕っていた恋人を想って作った空想の中の作品だとばかり思っていたが、父親へのレクイエムとわかって聞くと改めてしみじみといい。
昔、ラジオの深夜放送を聴いていた頃、吉田拓郎がパーソナリティをしていた番組で「昨日親父が亡くなりました。歌を作ったので聞いてください」と言ってギターを弾きながら唄ったのが「おやじの唄」で、感動的であった。同じ頃、森本レオの「親父にさようなら」というモノローグの曲も、父親に対する深い愛情が感じられてよかった。津村信夫の詩集「父のいる庭」も読みかえしてみると本人が35歳で亡くなっていることを考えると、いっそうなんともいえないあじわいがある。
旅行は国内
平成19年2月9日(金)
若い頃は旅行といえば、まだ行ったことのない所を訪れることが第一の動機だった。だから珍しいところならどこでも行ってみたいと思っていた。子供が小さい頃は、子供の喜びそうなところを考えて旅先を決めたものだった。
今は、なんといっても「美味しいものがあること」と「歴史を感じることのできる名所・旧跡があること」さらに「時間を取られずに行けるところ」が大切である。だから、行ってみたくなるのはその条件を満たす所ということになる。そうでなければわざわざ行かなくてよいのである。だから海外にはあまり行きたいと思わない。ヨーロッパは歴史もあり条件は合っているがなにしろ遠すぎる。行きと帰りにあの狭い飛行機の中でそれぞれ半日以上費やすのは、なんともうんざりする。それだけ時間をかけて往復するのなら、ある程度長く滞在しなければもったいない。せめてアジアぐらいの距離なら行ってみたいが、まとまった休みがとれない。結局、国内旅行ということになるのである。さらに、今は和食がいちばんおいしいと思うし、世界中の食を取り入れた日本の食文化はすばらしく、いながらにしてなんでも食べられるのでわざわざ時間とお金をかけて海外へ行く必要がないのである。