カテゴリー 好きなもの

18時開演

平成29年11月2日(木)
今、手元に「18時開演 TKURO YOSHIDA」という3枚組のCDとおまけのDVD1枚のアルバムがある。平成21年に吉田拓郎が4回だけステージ活動を行った時の東京でのライブ収録盤である。最初から最後まで一切カットなしで録音されているので、まさにライブ気分を味わえる貴重なアルバムになっている。偶然手に入れて時折聞いているがその度に青春時代に拓郎の音楽に熱中していた頃のあれこれを思い出す。
高校時代に、ラジオの深夜放送で聴いた曲をすぐにギターで再現しようとしたり、テープレコーダーに録音して何度も聴いたりしたものである。「旅の宿」「結婚しようよ」などはギター譜を手に入れて同じように弾き語りができるように練習したものである。今からみれば結構ガキっぽい歌詞の曲もあったが、当時は心底傾倒していた。今回のライブ盤では会場から自分と同じ年代と思える人たちの「拓郎コール」が聞こえて、伝説の中津川フォークジャンボリーを彷彿させる雰囲気が伝わってくる。吉田拓郎の歌もしゃべりも当時とあまり変わらず、すばらしい才能の持ち主であることがうれしい。

京都・国宝展

平成29年10月13日(金)
連休を利用して久しぶりに京都に行ってきた。国立博物館で国宝展が開かれているからである。我が国で国宝に指定されている美術工芸品は現在885点あり、そのうちの4分の1にあたる200点が今回公開されるという、まさに奇跡的なことで大いに楽しみにしていたが、期待に違わず実に見ごたえがあった。中でも俵屋宗達の風神雷神図屏風の実物にはしばらく見とれてしまった。他にも縄文時代の土偶(縄文のビーナス)や土佐日記(紀貫之の自筆本を藤原為家が一字も間違えず写し取ったもの)、桃山時代の志野茶碗などよくぞこれだけの品を集められたものだと感心したことである。
開催最初の日曜日だったこともあり会場は長蛇の列で、館内に入って見学できるまで1時間以上はかかっただろうか、見終わって会場を出るときも依然として多くの人が並んでいた。夜は「御幸町田がわ」で板前料理、翌日は市バスで寺院巡り、夕方予約していた「辻留の弁当」を受け取って帰広、今回は思ったほど混んでなくて快適な京都行だった。

ER(緊急救命室)

平成29年5月19日(金)
アメリカのテレビドラマには面白いものが多く、このERも職業がらずいぶん楽しませてもらった。何年かに一度衝動的に見たくなることがあり、昨夜はブックオフで1シーズン分が3000円ぐらいで買い置きしていた中古DVDセットの第2シーズン第1話を見てしまったら次が見たくなって、結局遅くまで見る羽目になってしまった。
ドラマERはアメリカで1994年から2009年まで放映され全部で15シーズンあり、日本ではNHKなどで放送されて我々が見たわけであるが、テレビ番組をそのまま見るのは時間的に難しいことがあり当時はツタヤでビデオを借りて見ることが多かった。その後DVDになったが、一回借りると続きが見たくなって結局全部借りてしまうことになるので、ブックオフの中古DVDコーナーで安く売っているのを見つけて何シーズン分か買っておいた。あらすじはわかっていてもまた見たくなるのは内容・設定・登場人物の演技などすべてのレベルが高いからだろう。初回は廃院になった病院を使って撮影したらしいが、すぐにセットを作って長期にわたっての放映にそなえたようである。実際全米で視聴率1~3位を何年にもわたって獲得していたという。作品を通じて我が国とアメリカの医療内容や考え方の違いなどが見えてきて実に興味深い。実際にアメリカでERで仕事をしていた医師が「ほぼあの通りです」と言っているが、あんな激しい職場だったらやってられないと思うがアメリカ人はタフなものだ。また続きを見ようと思う。

「文豪の素顔」

平成29年5月12日(金)
表題の本は写真をふんだんに使って明治・大正・昭和の文豪と言われる作家たちのエピソードを紹介したもので、既刊の「文豪の家」「文豪の風景」に続くシリーズ第3作である。樋口一葉から山本周五郎まで31名の作家について掲載しているが、見たことのない写真がたくさんあり結構楽しめる。芥川龍之介自身が気に入っていた若き日の写真はテニスの錦織圭選手にそっくりだったり、宮沢賢治と妹トシの幼い頃の写真とその妹が教師になったころの写真(その後すぐに亡くなるのだが)など興味深いものが満載である。
現在では「文豪」という言葉は使われなくなったのでこの言葉に違和感のある人は多いと思う。「文豪」という言葉にふさわしい作家の筆頭は夏目漱石だろうが、確かに当時の最高の頭脳を持ったオピニオンリーダーであり、人生を深く見つめ身を削るようにして作品を発表し49歳で亡くなったがいまだに根強い人気がある。掲載されている31名の作家で長命の人は少なく、樋口一葉は24歳、石川啄木は26歳、宮沢賢治でさえ37歳で亡くなっている。当時は結核で亡くなることが多かったとはいえやはり文章を書く仕事は健康にはよくないのだろう。
自分がかつてこの本に載っている作家たちの作品を読んだ頃のことを思い出しながら写真とその解説文を見ると、何とも言えない面白さがある。

広島の書店

平成29年3月31日(金)
アマゾンが普及して小さな書店はほとんどなくなってしまった。その替わりであろうかコンビニが雑誌や漫画を置いていて、この売り上げは馬鹿にならないようである。ここ20年で本通りとその周辺の書店もいくつかの変化があった。アンデルセンの向かいにあった丸善はなくなったが、その後八丁堀天満屋の跡に7,8階の2フロアを使って大型書店として再開した。廣文館も丸善の隣にあった店はなくなり本通り1丁目のビルで規模を大きくして営業している。フタバ図書は前からの福屋の向かいの店は今までどおりであるが、エディオンの隣の店が新たに本通りの西、平和公園に近い大手町に移転営業している。そごうセンター街6階の紀伊国屋書店は長く1フロアの大型書店として盛業している。
このように恵まれた書店環境であるが、新聞の書評欄や医学誌の推薦欄などで興味をそそられた本を手に入れようと思ったらとりあえずアマゾンで注文することにしている。書店で探す手間が省けるし、確実に早く手に入る。絶版になっている本もアマゾンで調べれば見つかるし、古書として簡単に買えるシステムになっているので大いに利用している。
ただ、本というものは実物を手に取ってパラパラとめくって買うかどうか決める方がいいのは確かで、こうして手に入れた本は後で買うんじゃなかったと思うことは少ない。また、実際に新刊などが並んでいるのを見ていると思わず興味を惹かれる本も見つかり、旧刊でも読んでみたくなる本を再発見することもあり書店に行くのは絶対に必要であるし楽しい。大型書店でよく行くのは八丁堀丸善、そごうセンター街紀伊国屋書店、エールエール10階にあるジュンク堂であるが、それぞれの店が在庫の本の種類・陳列の仕方・立ち読みスペースの有無など工夫していてそれぞれに特徴があって面白い。当分本屋巡りは続きそうである。

きたやまおさむ著「コブのない駱駝」

平成29年2月10日(金)
上記の著者は伝説のグループ、ザ・フォーク・クルセダーズで一世を風靡し、その後精神科医となり診療所を開業、九州大学の教授も務めた北山修氏が、専門の精神分析を駆使して著した自伝である。京都駅前の開業医の長男として生まれた著者の心の軌跡を余すところなく述べていて、フォーク全盛だった当時の空気を思い出して懐かしく、共感できる部分も多かったがそれ以上に北山氏の懐の深さに尊敬の念を覚えた。
自分より6歳年上の北山氏が大学生の時に結成したグループによる「帰って来たヨッパライ」が深夜放送を中心に若者に受け大ヒットしたのは自分が中学から高校生になる多感な頃であった。当時はラジオの深夜放送「ヤンリク」「ヤンタン」「パックインミュージック」などを聴くのが日常生活の一部になるほどで、自分たちの音楽を自分たちで作り演奏することが最高だと思っていた。北山氏の詩集は共感する内容が多く、いくつかの詩に勝手に曲を付けて歌っていた記憶がある。
北山氏と加藤氏は2002年に期間限定でフォークルを再結成、坂崎幸之助氏を加えて演奏会を開いたが、大阪での演奏会のチケットを手に入れることができ実に懐かしく十分楽しませてもらった。会場で売っていた二度と手に入れることができないこの演奏会のCD「新結成記念・解散音楽會」は私の宝物である。

「十一月にふる雨は」

平成28年12月22日(木)
表題は明治生まれで大正から昭和時代に活躍した詩人、堀口大學の詩である。この詩に男声合唱で有名な多田武彦氏が曲を付け、合唱組曲「雨」の中におさめられており、初めて聴いた時からいい曲だと思ったし、学生時代に定期演奏会のための練習を重ねる度に詩の味わいを感じて気に入っていた。同じように思っている人は多いと見えて、ネットでもこの詩についての記載も多数みられる。YouTubeでいくつかの合唱団の演奏が聴けるのはうれしい。ところがある時からこの曲は公式には組曲から外され、代わりの曲が入りCDでも「十一月にふる雨は」はなくなってしまった。原因は詩の中に「コジキ・ヒニン」という言葉があるため、作曲者がこれを演奏する学生たちに迷惑が掛かってはいけないと考えてなくしたのではないかと思われる。
文学作品の中の言葉が、現代では使えないとはなんという不便なことであろうか。曽野綾子氏はエッセイの中で、これらの言葉狩りに対して反対されており、特にマスコミの自主規制に不快感を表明しておられる。かつては学生時代に買ったLPレコードで何度も聴いたこの曲をもう聴くことができないのかと思っていたが、YouTubeで聴けるとはありがたいことである。
「十一月にふる雨は」
十一月はうら悲し 世界を濡らし雨がふる!
十一月にふる雨は あかつき来れどなお止まず!
初冬の皮膚にふる雨の 真実冷たい悲しさよ!
されば木の葉の堪えもせで 鶫(つぐみ)、鶉(うずら)も身ぶるひす!
十一月にふる雨は 夕暮れ来れどなお止まず!
されば乞食のいこふ可き ベンチもあらぬ哀れさよ!
十一月にふる雨に 世界一列ぬれにけり!
王の宮殿(みやゐ)もぬれにけり 非人の小屋もぬれにけり!
十一月にふる雨は 夜来れどもなお止まず!
逢引のみやび男(をとこ)もぬれにけり、みやび女(をんな)もぬれそぼちけり 

麻雀ゲーム

平成28年12月9日
毎朝、新聞のテレビ番組欄をチェックして面白そうなものを録画予約するようにしている。夕食後、寝る前にそれらの番組を見ながらパソコンで麻雀ゲームをするのが最近の定番になっている。今、はまっているネットゲームは実によくできていて、本当に麻雀しているような流れを感じさせてくれる上に、オンラインで対戦もできる優れものである。オンライン対戦にすると途中で抜けるわけにいかないので単独でプレイするが、実践と同じように悪い流れの時は3面待ちでもあがれないし、逆の時はラス牌をツモったりするので結構真剣になる。録画していた番組を斜めに見ながらゲームをしていると、熱中してしまっていい場面を見逃すこともある。この場合はもう一度さかのぼって再生するのでかえって時間がかかるが、このテレビを見ながらゲームをしている時間が最も頭をカラッポにできるのである。たいがいはすぐに眠くなるので寝つきにもいい。以前は好きな棋士の碁を並べていたこともあったが、実際に棋譜を見ながら並べるのは煩雑なので今の麻雀ゲームが一番気に入っている。

将棋界の危機

平成28年10月27日(木)
プロの将棋棋士が公式対局の際、将棋ソフトを使って勝ったという疑惑が持ち上がり、疑惑の棋士は今年いっぱい出場停止になり、その真偽が問われることになった。最近の将棋ソフトのレベルはプロの棋士を超えているそうで、プロ棋士との公式対戦でも勝ち越している。だから難しい局面になったらそれをソフトに打ち込み、出てきた答えを実際の対戦に使うことも可能である。疑惑の棋士は対戦中何度も席をはずし、ソフトを使って調べていたのではないかと疑われたのである。
将棋というゲームは頭脳だけではなく気力・体力など全人的な力がないと勝てない。特にプロ同士の力の差は紙一重なので、対局には人間力が試されそこにドラマが生まれ我々ファンが注目し贔屓の棋士に声援を送る。勝負事はどんなものでも人と人が全力を尽くして戦うから面白いのである。そもそもヒトが機械と戦って勝てるわけがないのだ。疑惑が本当だとは信じたくないが、棋士として人間として絶対やってほしくないことである。

「トーテム」大阪公演

平成28年9月23日(金)
久しぶりの自由に動ける連休を利用してシルク・ド・ソレイユの大阪公演を見に行った。人間の優れた運動能力を駆使したこのサーカス集団は、そのすばらしいパフォーマンスで世界中にファンが多い。1992年に日本で初めて「ファシナシオン」と銘打った公演が行われたが、広島でたまたま行われたのを偶然見に行ってすっかりファンになってしまった。以後何年かおきに日本で公演が行われるようになったが、東京・大阪・名古屋・福岡が中心で、広島にはこの時以来一度も来ていない。だから大阪か福岡で公演があるときはいつも見に行くようにしている。今回のテーマは「不可能を可能にする人類の進化」でこのサーカス集団が見せるアクロバットにはいつもながら感嘆の言葉しかない。
真田丸の特別展が大阪市立博物館で開かれているので、はじめての大阪城散策の流れで行ってみたがさすがに大河ドラマ人気で人が多かった。夕食は三ツ星レストラン日本料理「太庵」、翌日の昼はスマホで検索して「うな次郎」でリーゾナブルなうなぎ、夜は広島駅ビルの「千代乃春」でおでん、気持ちのいい骨休めになった。