令和4年7月21日
連休を利用して久留米の天然田園温泉「ふかほり邸」に行った。7月1日放送の「爆買いスター恩返し」を偶然見ていたら、元チェッカーズの藤井フミヤが故郷の久留米で爆買い恩返しをするということで、泊まった宿「ふかほり邸」を案内していた。敷地4千坪の庄屋さんの家を改造して5棟の部屋を点在させ、敷地内に温泉を掘り当てて温泉旅館としたという。
すぐさま電話して予約したらラッキーなことに部屋が取れた。そんなわけでのんびり温泉につかり旨い料理を堪能できた。まことにありがたいことで、コロナで入院した時から考えると夢のようである。ちょうど九州国立博物館では琉球王国の特別展が始まっていて興味深く観覧することもできた。残念だったのは昼過ぎに小倉の「田舎庵」へうなぎを食べに行ったら店の前にも人が並んでいて1~2時間待ちだというので退散。この店は九州へ来た時には立ち寄ってうなぎを食べることが多かったが、最近は人気がいっそう出てきたようだ。
ともあれゆっくり骨休めができた小旅行だった。
カテゴリー 好きなもの
ふかほり邸
「私」という男の生涯
令和4年7月15日
表題は今年2月に亡くなった石原慎太郎氏の著書で、本人と夫人の死後に出版するように決めていたという。内容は生い立ちから両親のこと、弟裕次郎氏との関わり合い、思春期から大学時代、芥川賞受賞のいきさつ、結婚のこと、世に出てからの様々なこと、恋愛のことも包み隠さず(?)書いている。だから夫人が亡くなった後に出版することにしていたのだろう。それにしても作家、国会議員、東京都知事など実にパワフルな人生を歩んだスケールの大きい人物が晩年、その胸の内を置手紙のようにさらけ出している著書は実に興味深く、同じことを何度も繰り返している部分はあるが、面白かった。
石原氏の著書は高校時代から注目していて、特にヨットで太平洋を横断するレースを描いた「星と舵」は、大学に入ってすぐにヨット部に入る動機になった、尤もすぐに退部したが。長編小説「亀裂」も好きで思い出したころに読み返して今も手元に置いている。平凡パンチに連載していた「野蛮人のネクタイ」も当時の若者の風俗の先端を描いて面白く、野坂昭如氏や三島由紀夫氏との対談集なども含めて氏の著書はほとんど読んでいると思う。氏ほど日本を愛し公平無私に国のためになることをした人はなかなかいないだろう。文学で、行動で我々を楽しませてくれた氏に感謝である。 合掌
ムツゴロウの地球を食べる
令和3年10月20日
表題は畑正憲氏の著作で2011年発売の文春文庫本である。久しぶりに本棚から取り出して読んでみたが、世界中を歩いて様々な食材と食文化を徹底的に調べ、味わい、自分で再現することなどをエッセイ風にさらりと書いている。自分の青春期に畑正憲氏(通称ムツゴロウ)の「われら動物みな兄弟」を読んではまってしまい、以後「ムツゴロウシリーズ」の本は発売と同時にほぼすべて買った。ちょうど自分が20代から30代の頃で、氏の生きざまが実に魅力的で、次はどうするんだろうと目が離せなかった。ヒグマを飼った話「どんべえ物語」「さよならどんべえ」などは何度も読んでそのたびに胸が熱くなったものである。
氏は麻雀が好きで強く、「畑正憲の精密麻雀」「ムツゴロウの麻雀物語」の本もあり、プロの十段位も獲得している。とにかくスケールが大きい人物である。いつのころからか新しい著作も見かけなくなり自分の中でのブームが去ったのだが、ふと手に取った本で当時を思い出したわけである。
「死という最後の未来」
令和3年4月30日
表題は石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談で、令和2年6月発行の本である。二人は今年89歳と90歳になるようだが、今までにたくさんの仕事をして我が国では最も知られた作家である。自分は二人のファンで、特に石原氏の作品は高校時代からずっと熱心に読んでいて、大学に入学してヨット部に入ったのも、氏の作品「星と舵」にいたく感動し刺激されたからだった。曽野氏は亡くなられた夫君、三浦朱門氏の「妻をめとらば曽野綾子」という言葉にふさわしい「見目麗しく才長けた」人である。そして心根の強さもそれ以上だと思われる。この二人の対談となれば読んでみたくなるのは必然である。
予想した通りお二人の意見は共感し合いながら底の部分ではそれぞれ異なっていて、今まで描いていた二人の像がそのまま反映されていて面白く読ませてもらった。ほぼ50年、半世紀にわたって愛読してきた二人の作家の今の会話は含蓄深いものがあり、いろいろ考えさせられる。死はあらゆる人に平等にやってくるものであり、じたばたするのも平然と受け入れるのも結局は同じだと思ったことであった。
Bamboleo
令和3年1月27日
表題(バンボレオ)はジプシーキングの曲であるが、初めて聴いたのはフリオ・イグレシアスがカバーしたものであった。約30年前、モロッコで世界内分泌の学会があり発表したついでに、スペイン・ポルトガルを旅したことがあったが、その時のツアーバスの運転手がずっとフリオの曲を流していてアンダルシア地方の風景とぴったり合って実に快かったのを思い出す。特にバンボレオは何度聞いてもぞくぞくするような素晴らしさで、ポルトガル人の運転手に感動を伝えるとカセットをくれたのだった。
その後、マイライフ~グレイテストヒッツという2枚組のCDを手に入れて何度も聞いているが、フリオの歌唱力は最高である。フリオはレアル・マドリードのゴールキーパーだったが交通事故で瀕死の重傷を負い、療養中に医師である父親のアシスタントからプレゼントされたギターで作った曲が歌謡祭で優勝した。法律の学位を取得すると同時にミリオンセラーを連発するトップスターとなった。全世界のレコード・CDの売り上げは3億枚を超え世界のベストテンに入っている。
フリオの声は暖かく情熱的で快い。ポルトガル人の運転手も大ファンだったようで、フリオの歌をほめられたのが本当にうれしかったのだと思う。いいものに出合うのは素晴らしいことである。
ポケモンGO
令和3年1月13日
昨年、娘が里帰りしているときに教わったポケモンを今もやっている。初めは適当にやっていたのだが、数か月後いろいろ教わって面白くなって結構やるようになってしまった。特に今はコロナで行動が制限されているので、する時間がとれるし散歩のときにもいい。去年の4月から始めて今レベル36である。このゲームはGoogleの社内で作られ、今はNIANTICという社名で独立しているようだがGoogleの位置情報を使った優れものである。カーナビより正確で細かいのがすごいところで、道に迷ってもポケモンの画面を出せば、自分の居る位置が正確にわかる。カーナビには載っていない道まである。散歩していると、ジムの近くに車を停めて中でポケモンの画面を出している人を結構見かける。
ポケモンを集めて強くして他のトレーナーのポケモンと競わせたり、ジムに出てくるポケモンを手に入れてレベルを上げるゲームだが、簡単なようで奥が深い。ヒマなときには時間つぶしになるし、やっただけレベルが上がるところが世界中に愛好者を増やしている理由なのだろう。
「氷心」
令和2年10月9日
表題は盛唐の詩人王昌齢の七言絶句の末尾にある言葉で、ひとかけらの氷のように澄みきった心という意味であるが、人と接する時には思い込みや偏見を持たずありのままの人となりを見るようにすれば世界が変わっていくだろう、という文章を読んで「これだ」と思ったことである。どうしても自分の目から見た偏見が入って、その人物を正しく判断してないことを反省することがちょくちょくあったからである。なるほどそういう目で他人を見ると少しずつ世界が変わっていくように感じた。
中国にはかつては素晴らしい人物がいて、今でも読まれている詩などの文化があった。漢詩の簡潔な表現が好きで、漢文の授業は音楽の次に好きだったが、遠い地に赴任して行く友を送る詩はことにいい。「氷心」の言葉のある詩も王昌齢が江寧(コウネイ:いまの南京)の副知事をしていた時、洛陽に旅立つ親友:辛漸への送別として作った詩
「芙蓉楼送辛漸(ふようろうにてしんぜんをおくる)」である。
寒雨連江夜入呉
寒雨(カンウ) 江(コウ)に連(つらな)って 夜 呉に入る。
冷たい雨が揚子江に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやってきた
平明送客楚山孤
平明(ヘイメイ) 客を送れば 楚山(ソザン) 孤(コ)なり。
夜明け方、君を送れば、行く手に楚山が一つさびしく聳(そび)え立つ
洛陽親友如相問
洛陽(ラクヨウ)の 親友(シンユウ) 如(も)し 相(あひ)問(と)はば、
洛陽の親友たちが、もし私のことをたずねたら、
一片氷心在玉壺
一片の 氷心 玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
玉の壺に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれたまえ。
フルートの練習
令和2年2月7日
最近フルートにはまっている。練習する時間がなかなか取れないのが難点であるが、少しでもヒマがあれば吹くようにしている。今は高音域の練習をしているが、指使いを覚えるのが大変で、さらに音楽にするにはどれだけの修練が必要だろうか。それでも少しずつでも進んでいるという手ごたえが快く、練習していても飽きない。小学時代のリコーダー、中学時代のギター、いずれもすぐにものにして飽きなかったがフルートもそうなってほしいと思う。
大学では軽音楽部に入ってフルートを吹こうと思っていたのだが、部室にいつ行っても誰もいない。きっと活動していないのだと思って友人のいた男声合唱団へ参加することになった。それはそれで面白かったし、いまだに合唱曲を聴いているが、フルートをやってみたいという思いはずっと胸の底にあったのだろう。五十の手習いで尺八をやってみたが、結局ものにならなかったのは残念であるけれど、遅ればせながらフルートを始めてよかったと思っている。
フルートの演奏会
令和2年1月24日
エリザベト音楽大学のセシリアホールでフルートの演奏会があった。フルートの演奏会に行くのは初めてである。広島を中心に活躍している16人のフルート奏者(主に女性)が中心になって演奏会を開いていることを初めて知ったのだが、今回はゲストにNHK交響楽団の首席フルート奏者で桐朋学園大学教授の神田寛明氏を招いての演奏会であった。
初めて聴いたがフルートだけでこれほど素晴らしい音を作り出すことができることに驚いた。圧巻は神田寛明氏のミニリサイタルで、一音もゆるがせにせずそれでいて流れるような演奏はただただ聞き入るのみだった。パガニーニの「カプリス第24番」は重音を駆使しての超絶技巧的な曲で、フルートで重音を使うことを初めて知った。最後のステージは16人のフルーティストと神田氏のコラボでグリーグの「ペール・ギュント第1組曲」、この曲は中学校の音楽の授業でレコード鑑賞で聴いたのが初めてで、好きな曲であったがフルートだけで(ピッコロ、バスフルートも含む)オーケストラに匹敵するような演奏ができることに感銘した。ソルヴェイグの歌のソロメロディを神田氏が吹くのを聴いていると、自分はこの歌が好きだったことを思い出して感慨深いものがあった。いい演奏会だった。
師匠の演奏会
令和元年12月20日
尺八の師匠のコンサートが平日の夜、東区民文化センターで行われた。個人コンサートは10年ぶりだそうで、古希の節目に今まで交流のあった人達に感謝の気持ちを込めてとのことで入場無料で行われた。自分は夏にめまいを起こして以来、尺八は一切吹いていないが師匠のコンサートには行かせていただいた。200人近い人で会場はほぼ満席、途中で退席する人もなく初めから終わりまで静かに耳を傾けている人がほとんどだった。師匠の人がらと尺八の音色にひかれて集まっている人ばかりのように思われた。久しぶりに聴く尺八の音は実に快く、こういう音を出せるなら尺八を再開してもいいかと思うのだが、10年以上頑張ったけれど自分には無理だと確信してしまったので、もっぱら聞くだけにするつもりである。
それにしても音楽は本当にいいものだと改めて思った。自分の中での音楽史を振り返ってみても、「こんなすごい音楽があるのか」と思ってのめり込むことが何度もあり、それは自分の記憶のなかに順を追って収まっている。そしてこれからもそのような感動が何度あるかわからないが、是非あってほしいと思う。