カテゴリー 日誌

肥満の原因は朝食?

平成18年12月5日(火)
師走に入りやっと寒さが感じられるようになった。今朝などは外気温は3℃である。本格的な冬である。
最近朝食を食べるようになったら、体重がいままでこれ以上になったことのない領域に入ってしまった。思うに、朝食を食べても昼夜の食事の量が今までと同じ なので朝食分だけ余分に身についたのだろう。慣れぬことはするものではない。というわけで今までどおり朝はコーヒーだけにして、昼はうどんだけにする。夜 は忘年会や飲み会があるし、家でも飲むので減らすわけにはいかない。しばらくこのペースでいくことにする。

新入医局員の少ない産婦人科

平静18年11月29日(水)
11月ももう終わりだというのにいっこうに寒くならない。朝夕は晩秋の気候ではあるが昼間は暖かい日が続く。
昨日、某所で産婦人科同門会広島支部総会がおこなわれた。教授が来広し色々お話をされたが、産婦人科はじつにきびしい状態になっている。とにかく産婦人科 を選ぶ新卒の医師が少ないので、大学病院での仕事・診療もままならず現在いる医師の負担が増えており、医師を派遣していた関連病院をどんどん減らさざるを 得ない状況になっている。ここ広島でも同門の名簿27人中私はなんと17番目である。卒業年度順になっていて17番目ということは私より若い医師はたった 10人しかいないということである。若い人が来ない科は滅びるというが実に大変なことである。産婦人科を選んでいても、激務と訴訟に嫌気がさして別の科に 替わって行った同僚や後輩も多く、特に産科は現在のところ苦労しても報われない科という評価が定着してしまっている。この評価は自然に現在の医学生に伝わ り、かくして新入医局員はいなくなるというわけである。現在のところ有効な打開策はない。きっと行きつくところまで行くのだろう。

ビルの忘年会

平成18年11月25日(土)
朝スタッフより電話あり、自転車で出勤中車と接触事故にあったとのこと。幸い打撲程度ですんだようで昼には出てくることができてよかった。でもやはり大事 をとって早退してもらうことにした。当院では今年の夏に別のスタッフが交通事故で入院する騒ぎがあったし、こうなればお払いでもした方がいいのかもしれな い。
さて、今日はビルの忘年会である。毎年11月の末に行われているが、なんと!去年の忘年会からもう1年経ったのである。現在地に開業して今回で10回目の 忘年会になる。開業したのはつい昨日のように思え、歳月の過ぎるのは「疾きこと風の如く」である。人生の残りの時間が短くなればなるほど時のたつのが速く なると思われる。速くてもいいからつつがなく過ごしていけるのが一番だと思う今日この頃である。

医局制度をなくしてはダメだ

平成18年11月22日(水)
毎年この時期になると母校の産婦人科同門会から会員名簿が送られてくる。眺めるたびに最近の新入医局員の少ないことを改めて感じる。
我々のころは毎年平均10数人は入局しており、県内県外を含め様々な病院に赴任を命じられた。それがどんなに僻地であろうと過酷な労働環境であろうと、教 授の命令は絶対であり泣く泣く赴任したものである。後で考えるといやだと思うようなところほど得られるものが多かったように思う。
医局制度は僻地も含め医師をうまく配置させ、卒後教育も大学が責任をもって行い、困った医師の配置転換や再教育をするなど総合的に見ていい制度であったと いっていい。そしてそれが日本の医療をWHOの評価で世界最高にした原動力ではなかったか。それなのになにを血迷ったのかアメリカの真似をして研修制度の 改革、マッチングなど役人の考えそうな制度改革のための改革をやろうとしている。笑止千万である。いまの状態が世界最高ならそのままでいいではないか。む しろアメリカやヨーロッパに真似をさせてやるぐらいの気構えでいればいいのである。
すでに僻地に医師がいなくなるなどさまざまな弊害がおこっている。あきれたことに国は医師を増やせば僻地にも行くようになるだろうなどと恥の上塗りのよう な政策を発表している。役人の想像力のなさにはあきれてものも言えない。ことは簡単である。元の制度の戻せばいいのである。民間であればこんなバカなこと をやっていればつぶれてしまうのでやるわけがない。お上が主導してやることにろくなことがないと思うのは、私だけではないと思う。

タバコと飲酒と肥満の生命予後

平成18年11月15日(水)
タバコとアルコールと肥満はどれも体に良くないといわれているが実際のところはどうなのだろうか。
国立がんセンターの津金氏によると日本人の場合、タバコは1,6倍がんになりやすいそうである。ある調査によると、タバコを吸わない人100人とタバコを 吸う人100人を40歳から25年間追跡したとすると、74歳でタバコをすわない100人のうち20人ががんに、1人が肺がんになる。一方、タバコを吸う 人100人では32人ががんに、5人が肺がんになるという。タバコを吸うことにより肺がんは5倍になるということであるが、タバコを吸っても100人のう ち95人は肺がんにはならないとも言えるのである。
アルコールについては日本酒で2合、ビールでは大瓶2本までなら生命予後は変わらないようである。逆に日本人に多い脳梗塞には適量のアルコールは発生率を 減らすし、心筋梗塞のリスクも下げるそうである。アルコール好きの人にはなんともうれしい話ではないか。肥満もBMI30までならかわらないそうである。 太りすぎはよくないが、やせすぎはがんになる率が高いので問題である。
こうしてみると適度のアルコールと軽い肥満は問題ないとのお墨付き、5年前にタバコをやめた私にはなんともうれしいことである。今日もうまいつまみで晩酌をしよう。

名前のこと

平成18年11月11日(土)
来院される患者さんの名前はさまざまで、珍しものやなんと読むのかわからない姓もあって興味深い。うら若き女性の姓にはふさわしくない姓もあるし、字数の 多いものや簡単な一文字だけの姓もある。姓は先祖から受け継がれてきた歴史があるので、それぞれ愛着があると思われるが、難しくて人に読んでもらえないよ うなものは困るだろう。
私についていえば、「木山」という姓は字が単純すぎて名前にやや画数の多い文字を入れないとバランスがわるい。だからわが子に名前をつけるときには字画の やや多い字を選んでバランスをとるようにした。姓は先祖からのものでどうしようもないが、名前はその子だけが一生使うものだから①読みやすく②読み違えの ない③美しい④良い意味を持つ文字をつけてやりたいと思ったものである。
我が国の姓に使われる漢字で一番多いのは「田」で1300万人いるそうである。確かに「田」のつく姓はよく目にするが、わが国の基礎である稲作のための 「田」の文字が使われてきたのはもっともだと思われる。次に多いのは「藤」で700万人、以下「山」「野」「川」「木」「村」「大」「井」などがよく使わ れているようで、やはり我われのルーツは自然=農村であると再認識させられる。

病腎移植

平成18年11月8日(水)
このところ腎移植の問題で連日報道が行われている。宇和島の医師が病気により摘出した腎臓を透析患者に移植していたことが明るみになったからである。移植していた医師は正しいと信じて行っていたようで議論が湧き起こっている。
現在わが国では臓器移植はドナー不足のためわずかしか行われていない。一方移植を待つ人はどんどん増えている。日本移植学会に属している医師ならその倫理 規定に従わねばならず、なかなか移植できない。いま報道されている医師は学会に属しておらず、したがって会告に従う必要もないので多くの移植を手がけるこ とができたのである。グレイゾーンの移植もあったようで、どちらがよいのか難しい問題である。
手塚治の名作「ブラックジャック」はこの問題を主題にした作品である。目の前に苦しんでいる人がいる。自分はその人を助ける技術を持っていて、設備もそ ろっている。当事者同士の承諾がある。でも残念なことに彼は医師免許を持っていない。法を犯しても助けるべきなのか。作者はこの主題を単純な人道的問題だ けにせず金銭をからませたところが天才的である。
もちろん今回の問題は医師法違反などではなく倫理規定の問題であるが、永遠の課題であるのかもしれない。

臥竜山の紅葉

平成18年11月4日(土)
今年は例年になく暖かいが、さすがに今月に入ってからは朝夕の冷え込みが感じられるようになった。
昨日の文化の日は県北の「臥竜山」へ紅葉を見に出かけた。これから一ヶ月ぐらいが見ごろだろう。途中一面すすきの原があってなかなか風情があった。秋は収 穫と豊穣の季節であるが、他方では紅葉に見られるように冬に向かう前の炎のゆらめきの季節でもあり、消えてゆくはかなさを感じさせられるのである。とはい えまだまだ仙人の境地にはなれず、三越の地下で仕入れた「たこつぼ」のうな重に舌づつみをうったのは愛嬌であった。

セカンドオピニオン

平成18年10月30日(月)
セカンドオピニオンを求めて来院される人がおられるが、病気に対する考え方をどう説明しようかと迷うことがある。これは医療に対する一般の人の意識と我々医療者の感覚の違いだろうが、自分の場合はそれ以上に違いが大きくて困惑することがある。
たとえば子宮がんの検査で軽度の異型細胞が見られた場合、多くは放置しても正常に戻るが一部は悪性へと進む。悪性に進んだら困るので何度も検査して組織を 調べ、場合によっては円錐切除術を行うこともある。異型細胞が出ても自然に正常に戻る人にとっては意味のないことである。問題はどちらに進むか現代の医学 では見極めがつかないことである。たとえば100人に一人が悪性に進行し、そのほかの人は正常になるとしたら99人にはむだな検査と治療をすることにな る。比率がどのくらいなら許されるのだろうか。
このことは、がんの早期発見・早期治療が本当に生命予後を延ばすことに役立っているのかという、いまだにはっきりとは証明されていないという問題とも共通 して悩むところである。必要のない人にはむだな検査・治療で負担をかけたくないし、放置したことが原因で生命予後が短くなることは絶対にやってはならない し、その見極めのポイントが難しいのである。

ブランデンブルグ

平成18年10月25日(水)
秋も深まってきて、東北地方ではもう紅葉が見られるという。今年は近場でもいいからぜひ紅葉を見たいものだ。紅葉というとなぜか思い出す詩のフレーズがあ る。高村光太郎の「ブランデンブルグ」の「金茶白緑雌黄の黄」という一節である。彼の日本語をざっくりと削ったような表現は強く心に残るものである。
「ブランデンブルグ」の底鳴りする/岩手の山におれは棲む。/山口山は雑木山。/雑木が一度にもみぢして、/金茶白緑雌黄の黄、/夜明けの霜から夕もや青く淀むまで、/おれは三間四方の小屋にいて、/伐木丁々の音を聞く。