平成19年6月9日(土)
高血圧がわかってから、自転車で通勤するために乗りやすそうなママチャリを買った。27インチ、3段変速、自動点灯LEDライト付で、じつに軽快に走る。季節もいいのだろうが、毎日自転車で通勤するのは気持ちがいい。なぜもっと早く自転車通勤にしなかったのか悔やまれる。片道3キロだから15~20分の走行だが、MP3で音楽を聴きながら走れば短いぐらいである。アルコールは今までと変わりないが、散歩をするようにしたら恐ろしいもので体重が2キロ減った。血圧もだいぶ下がってきたのでもうしばらくは薬を飲まずに経過を見るつもりである。いずれにせよ高血圧の指摘は生活習慣を考えるいい機会だったと思う。
カテゴリー 日誌
ママチャリ
山本七平氏について
平成19年6月4日(月)
とうかさんが終わると例年では梅雨に入る。今年はいつもより祭りが早かったので入梅はもう少しあとになりそうだ。
先日、評論家として活動していた「山本七平」という名前をグーグルに打ち込んで検索したところ、以前手に入れたいと思っていたが絶版になっていた本が古書として売られていることがわかったので、さっそく注文してみた。1984年発行の「山本七平全対話集」と氏のがんになってから死ぬまでのことを著した「七平ガンとかく闘えり」である。便利になったものだ。ネットのない時代にはこれらの古書を探すのは大変だった。今は全国ネットになっているのでたいていの本は手に入るようになった。
齢五十にもなると心情的に共感を持ってきた作家や世に出た人達の生き方の行方を見守ると同時に、死に様を知りたいと思うようになってきている。山本七平氏は「日本人とユダヤ人」という本で世に出たが、その後精力的にたくさんの本を著した。一時ほとんど全著作を読んだが、彼の本の内容の間違いを指摘し、完膚なきまでに論破した宗教学者の本もありじつに面白かった。一人の人間の評価は棺を蓋ってはじめて確定するといわれるが、何十年も経ってから再評価されることもある。山本氏の評価はほぼ固まっていると思われるが、今後再び脚光を浴びることがあるかもしれない。そういう意味で古典は歴史の試練を経て評価されているので貴重な人類の遺産というべきである。
高血圧発覚
平成19年5月28日(月)
先週、たまたま血圧を測ったらかなりの高血圧で怖くなって同じビルの循環器専門の先生に診てもらった。
診察の結果、確かに高血圧だが心臓や頸動脈にはあまり問題ないのでとりあえず1週間朝夕血圧を記録するよう言われ、早速血圧計を買って帰った。減塩、軽い運動、ストレスの緩和などを示唆されたのでアルコールは減らし、通勤は自転車にしてできるだけ散歩をすることにした。家系的には高血圧はいないと思うので、原因はストレス(自分ではあまり思わないのだが)、アルコール、肥満、運動不足だろう。特に後の3つは自分でも確実にあると思う。年を取ると無理がきかず、体の悪いところばかり増えてくるのは困ったことである。それでも朝夕血圧を測っているとその値の変化が結構面白く、血圧測定に病みつきになりそうである。
学生時代所属していた男性合唱団の合宿の食事時にはいつも全員で歌を歌ってから食事を始めるのが常であった。曲は「線路は続くよどこまでも、、」のメロディーで「ごはんだごはんだ、さあ食べよう、、」と歌うがよくハモるので気持ちよく、他の学生達や客の驚いた顔や拍手(顰蹙?)が快かった。血圧を測りながらそのことを思い出して思わず「血圧、血圧、さあ測ろう、、」と口ずさみながら測っている。
サッカーくじのテラ銭
平成19年5月21日(月)
サッカーくじで1等5億数千万円が7本出たそうである。当選した人はまことにめでたいが、お金の流れを聞くといまさらながら腹立たしい。
サッカーくじも自治体等が行う宝くじと同じで、売上金の半分はスポーツ振興などの名目でお上がとりあげてしまい、還付金は半分しかない。どこの世界に買った時点で半額になるギャンブルがあるというのか。競馬でも7割5分が還付されるというのに。主催者にとってはこんな割のいい集金システムはないだろう。なにしろ半分しか返ってこないのに皆喜んでお金を払うのだから。もっとこのからくりを広く知らしめて、せめて競馬並みに7割5分は還付するように要求しないと、庶民は搾取されるばかりである。くじの経費は競馬や競輪と比べればほとんどただみたいなものだから9割返しても大儲けである。庶民が黙っていることをいいことにしてこの不公平なくじを平然と続けていることには断固反対すべきである。
八寸管を買った
平成19年5月17日(木)
とうとう新しい八寸管を買ってしまった。自分の技術の未熟さを棚に上げ、新しい尺八を手に入れたのである。
以前から使っていた管は東京の工房まで行って手に入れたものであったが、当時はなにしろ超初心者で音の出し方もおぼつかなく、とりあえず少しでも音が出しやすそうな管を買い一生懸命吹いていたが、どうもしっくり来ないところがあり気になってはいたのである。そうだからといって自分にもっと合うように調整してもらうには、東京はちょっと遠くて簡単には行く機会がない。なにしろ連休ぐらいしか動けないし、一度や二度では調整できないだろうから難しいのである。
ありがたいことに最近、広島在住の製管師を紹介していただいたところ、これが非常に良い管を作っている人で、その人の作った管を吹いてみたところどれもよく鳴る管であることがわかった。そうなるとどうしても欲しくなる。やや不満があるとはいえ、今までなじんできた管を替えるのはいささか抵抗があったが、これも縁だと思い買うことにしたのである。結構気に入っており、喜んで吹いている。
曽野綾子氏のエッセイ
平成19年5月11日(金)
「貧困の光景」という曽野綾子氏の最近のエッセイ集を読むと、自分の考えていた貧困と氏が実際に見てきたアフリカ諸国の貧困とは程度が天と地ほど違うことがわかる。氏が以前より活動してきた海外邦人宣教者活動援助後援会でのレポートともいうべきエッセイは、まさに世界は不公平であり、人は生まれる場所を選べないということを教えてくれる。氏の定義する「貧困」とは、「その日、食べるものがない状態」のことである。当然であるが明日になっても食べるものがあるかどうかはわからない。そういう意味で日本には「貧困」はない、という。
わが国は世界でも有数の豊かな国であり、安全面からも気候からもこれ以上何を望もうというくらい恵まれている。むろん勤勉な国民性と高い教育によることが大きいが、エッセイに登場する国々と比べると条件が違いすぎる。日本は気候も温暖で雨が多く植物が育ちやすい。周りの海からは食料となる魚、貝類、昆布などがたくさんとれる。他国からの侵略もほとんどなかった。そしていっそう豊かになった今がある。現代の日本に生まれたことを心から感謝する思いと同時に、恵まれない国々の人々に対して後ろめたい気持ちがするのも事実である。
金沢と京都
平成19年5月7日(月)
連休を利用して金沢、京都に行ってきた。金沢は歴史を感じさせるしっとりとした町で、さすが加賀百万石の城下町である。この地は戦災にも会わず兼六園をはじめ武家屋敷も保存されており、風情があった。ちょうどほたるいかと白えびの旬だそうで期待して行ったが、残念ながら白えびは当日の魚市場には水揚げがなく食べられなかったが、ほたるいかの沖漬けは絶品であった。
京都はなんといっても我が国の歴史の中心である。御所があり名刹が目白押しである。食事もおいしく、老舗の道具や菓子などいい物がいっぱいある。日本中で最も人気ある観光地であるが、問題は人の多さだ。実際、京都駅は言うまでもなく、河原町から錦市場あたりまで人の波である。連休なので特に人出が多いようで、時期を選ばないと人を見に行くようになってしまう。今回は下調べをして行ったので食事は満足できたし、レンタサイクルで鴨川べりを散策したのもよかった。有名料亭に行かなくても、デパートで老舗弁当を仕入れて缶ビールを買い鴨川の河原で食べれば結構な昼食になる。
この三日間は天気も良く、結構な休日であった。
フラワーフェスティバル
平成19年5月2日(水)
明日から3日間広島市ではフラワーフェスティバル(F.F.)が開催される。F.F.は昭和50年に行われた広島東洋カープ優勝のパレードに30万人の人出があり、それを恒常化できないかと考えた広島商工会などが中心となって始まったと聞く。
今では観客動員数は100万人を越えていて、わが国でも有数の祭りとなっている。歴史は浅いのにこれだけの人が集まるようになったのは関係者の努力のたまものであるが、平和記念公園と平和大通りの存在がなんといっても大きい。平和大通りは通称100メートル道路といって、両側に芝生のある遊歩道がついた広島市のシンボルといってもいい存在である。この通りがF.F.の3日間パレードの会場になる。平和大通りはわがクリニックから200メートルほど南に位置しているので、この間は人の波に囲まれることになる。今年は3日間広島から離れるつもりである。
桃源郷
平成19年4月27日(金)
さわやかな日が続く。昨日などは午後河べりを歩けば、五月のようなさわやかな風を感じて実にゆったりとした気持ちになった。一年中で今がいちばんいい季節ではないだろうか。
こんな時節には腰に酒を入れたひょうたんをぶら下げて、尺八を持って桃源郷をめざして山に分け入るのがいいだろう。周囲は静かで木々の新芽の息吹が感じられる。適当なところで腰を下ろして酒を含み、尺八を吹く。心が洗われて浮世のしがらみなどすべて忘れ去る。その場所がすなわち桃源郷である。
筍と梅
平成19年4月21日(土)
先日、田舎の父親から「たけのこがとり頃になったので帰ってこないか」という電話があった。ありがたいことである。
田舎にいた頃はこの季節になると日曜日には筍を裏山に掘りに行くのが慣わしだった。くわを持ち、ネコ車を押して山の畑のそばにある小さな竹やぶに行くと、あるわあるわ、地面からちょっとだけのぞいた竹の子がいっぱい見られた。鍬を筍より少し離れた地面に筍に向かって深く打ち込み、てこのように鍬の歯を起こすときれいに掘れる。慣れてくると一回の打ち込みで掘れるのであっという間にあたり一面筍だらけになる。筍を掘るのは楽しいが回収するのは大変である。あちらこちらにある掘ったばかりの土のついた筍を集めてまわるが、袋はすぐに一杯になるし、重い。その袋をネコ車のところまで運んでネコ車が一杯になったら山道を持ち帰るのである。持ち帰った後は米ぬかをまぜて茹でたりしていたようだが、毎日食卓には筍の料理が載っていていいかげん閉口した。
竹は繁殖力の強い植物で、油断していると周りの畑はすぐに竹やぶになってしまう。地下茎が伸びていっていつの間にか離れた畑から竹が生えてくるのである。中学時代には、竹やぶのそばに使っていない畑があったので、父親に「梅の木を植えてもいいか」と頼んで承諾してもらい、6本ばかり植えて育てたことがある。将来は梅林にして梅を収穫し、大儲けしようとたくらんだのである。幸い?うまくいかなかったが、梅の木は残った。でも今はその畑はすっかり竹やぶになってしまい、梅の木は枯れてなくなってしまっている。