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うつ病の回復とは

平成24年9月14日(金)
最近読んだうつ病に関する最も納得できた論文を紹介する。著者は沖縄協同病院心療内科部長の蟻塚亮二医師で、弘前大学を卒業し青森県で精神科医を務めていたが、加重労働からうつ病が再発し2004年から沖縄に移住し診療・講演を行っている。氏によれば「うつ病が治る」ということは、病気になる前の自分に戻ることではないという。
うつ病の回復戦略とは①環境要因に無理があったらそれを是正すること、②環境要因にどうしても適応できなければ環境を変えること、③本人の価値観の相対化・対人スキルアップをはかることであるという。さらに従来の内因性うつ病とは異なる「適応障害に伴ううつ病(特に若者のうつ病)」については発達課題への支援が必要だと説く。
「治る」とは病気になる前の自分に戻ることではない。病気になる前の自分に戻るなら、また病気になる。生きることのどこかに無理があったから病気になったのだ。だから「治る」とはもっと楽な生き方に変わることである。仮に生きることを惑星の軌道にたとえるなら、「生きる軌道を変えること」こそがうつ病の回復目標である。
また、「この世に絶対的な価値があるとすればそれは生きることだけであり、その他の価値は相対的なものでしかない」と伝えて、世間で良しとされる価値観の相対化を繰り返すことにしているという。
他にも色々書いてあったが、うつ病に関する腑に落ちるわかりやすい論文だった。

開院15周年

平成24年9月6日(木)
当院は平成9年9月10日に開院したのであと数日で15周年を迎え、16年目に入ることになる。15年といえばずいぶん長いようだが、開院した日のことを昨日のように思い出すのが不思議である。開院した時のコンセプトは今と変わらず、患者さんの傾向も同じで変わったことといえば、ピルを求める人が増えていることだろうか。
この15年で産婦人科もずいぶん変わってきた。女性医師が増えたこと、お産をする病院・医師が減ってきたこと、産婦人科を志望する医学生が減ったこと、入院設備のないクリニックが増えたこと、産婦人科自体が斜陽になっていることなどいずれも開業前に予想した通りの状況になっている。それでも当院が、ほぼ自分のやりたいことだけをやって存続できているのは本当にありがたいことである。これからも、検査は必要なものだけ・薬は必要最小限・通院回数はできるだけ少なくてすむように・医療は癒し・のコンセプトを守っていきたいと思う。

水と遊ぶ

平成24年8月31日(金)
3月末の腰痛以来、スポーツはおろかジョギングもできなくなってしまったが、時にむしょうに体を動かしたくなる時がある。アシストチャリによる通勤はあいかわらずやっているが運動とは言えず、散歩ぐらいしかできないのがつらいところである。
最近、思い立って近くのプールで泳いでみたら腰痛も起きず快適である。元来、水で遊ぶのは大好きで小さい頃から近くの川や池でよく泳いでいた。久しぶりに水につかるのは気持ちがいい。初めは25メートル泳いではひと休みしてまた泳ぐのを繰り返していたが、結構休まずに往復できるようになった。もっともスタイルは平泳ぎ・横のし・手を使わない背泳・たまにクロールと超省エネの泳ぎというより水と遊ぶやり方であるが。
家から2キロのところにあるプールまではアシストチャリで行き、480円払って好きなだけ泳げばいい。温水プールなので1年中OKである。しばらくは通ってみようと思う。

診療再開

平成24年8月18日(土)
盆休みが終わり17日から診療を再開。さすがに患者さんは多かったが、比較的長い休みでなまっていた体にはいいリハビリになった。
今年の盆休みは遠くへは行かずもっぱら孫たちの相手をしたが、このようになふるまいを自分がするようになるとは想像の埒外であった。以前は盆には家族旅行をするか、墓参りに生家に帰るのが通常だったのが、いつの頃からか巣立った子供たちが我が家へ帰るのを迎えるようになっているのは、時の流れを感じさせられることである。13日は孫3人を含め総勢8人で宮島の水族館みやじマリンへ。15日は以前にも紹介したことのある島根県との県境近くにある「ファームノラ」へ行き、石窯ピザ・パスタなど食べ、森の中の手作りブランコなど自然を満喫した。
盆休みが過ぎ子や孫たちも帰ってしまい、もとの静かな生活に戻り始めている。

全員集合

平成24年8月10日(金)
今週になって関東から次女が、県内から長女が、それぞれ子供たちを連れて帰ってきた。近畿からは大学生の長男も帰ってきて久しぶりに全員が我が家に集まった。明日はそれぞれの連れ合いも来るのでまさに全員集合である。こんなことは珍しいことで、恥ずかしながら私の還暦を祝うということで集まってくれる(集まるように強いる?)のである。子供たちも一旦家を出てしまうと、それぞれが別々に帰ってくることはあっても全員そろうことはなく、たいてい誰かが欠けている。冠婚葬祭でもなければ万障繰り合わせて集まることはないだろうから、昔からの儀式はそれなりに意味があるということだ。
今までカミさんと二人の生活だったが一挙に大人5人と孫3人になって、狭い我が家が賑やかなことである。玄関先にビニールのプール(空気まで入れてもらって998円!だったらしい)を出して水遊びをさせようと準備したが、あまり遊んでくれないという。そこで子供たちが小さい頃良く連れて行っていた川に行き、水遊びをしてやった。ひざ上までズボンをまくって川に入り、手を引いてやったらそれなりに喜んでいた。ならば次は水着を着て本格的に遊んでやろうと思ったところなんと!また腰痛が…
今回はたいしたことはなさそうだが、それにしても情けないことである。今日はコルセットをつけて診療することになってしまった。

夏に増える中絶

平成24年8月3日(金)
例年、夏になるとなぜか妊娠中絶の依頼が増える。6月から8月にかけて増えるようである。女性はだれだって中絶などしたくないであろうが、やむにやまれぬ事情があって仕方なしに来院されるのだと思う。だから努めて事務的に手順などの説明をすることにしている。
昔、大学病院にいたころ、市内某病院に夏休みをとった医師の応援で診療の手伝いに行ったことがある。その時中絶を希望して来られた人を、外来の婦長さんが別室に呼んで、中絶を考え直すように説得しているのを見て驚いたことがある。まさにいらぬお節介である。考えた末に勇気を出してやっとの思いで来られているのに、初対面の婦長が説得しようという、説得できるというその思いあがりが不快であった。一時の応援という立場なので黙っていたが、いい年をしていろんな人がいるものだと思ったことである。
処置が終わって1週間後に来院してもらうようにしているが、その際さりげなくピルを勧めるようにしている。ピルは避妊方法としては最も有効だし、他にも生理痛の緩和などいいことが多いからである。中絶を期にピルを飲み始める人は2~3割といったところである。

インフルエンザワクチンはいらない

平成24年7月27日(金)
表題は元国立公衆衛生院疫学部感症室長の母里啓子氏の著書の題名である。氏は医学部卒業後ウイルス学を修め、感染症の対策に一貫して携わってきた人である。現在B型肝炎の垂直感染を防ぐことができるようになったのは、母里氏たちの功績によるところが大きい。いわばワクチンのプロである。
氏によると、インフルエンザウイルスは変異が激しく流行に合わせたワクチンをつくることが難しいそうである。そもそも不活化ワクチンの外部に通ずる粘膜感染予防の効果は疑問視されているが、インフルエンザワクチンは不活化ワクチンである。一方、インフルエンザは高熱が出るとはいえただの「風邪」である。暖かくして安静にしておけば治る。一度かかると強力な抗体ができ、少々違う型のウイルスにも効果があり、流行があってもブースター効果でかえって抗体価が高くなる。インフルエンザのワクチンを打つ意味はない。まして副作用があるのである。母里氏は専門家として正しいことを発言しないのはよくないとの信念のもとに、逆風覚悟で発言しておられる。
日ごろからインフルエンザワクチンについて思っていたことと一致して、わが意を得たりという気持である。さらに氏は子宮頸がんワクチンについても、このワクチンは不活化ワクチンであり粘膜感染予防効果には疑問が残るとしている。もともとHPVは感染してもほとんどは消えてしまうウイルスであり、たとえ感染が持続して異形成となってもなんら害はなく、その後がん化しても早期発見すれば治療できるものなので、わざわざ高価なワクチンを打つ意味があるのかと述べられている。まさに的を射た提言で、医療者は傾聴すべきである。

梅雨明け

平成24年7月21日(土)
この前の連休は九州地方で豪雨があり被害甚大だったのはまことに気の毒であったが、今週は一転して日差しが強くなり梅雨明け宣言もでた。
久しぶりの連休なので阿蘇の黒川温泉に行くつもりでいたが、あの豪雨である。前日まで様子を見ていたがとても無理なようで、しかたなくキャンセルした。5月の連休は壱岐に行く予定だったがこれも腰痛のため中止したので、これで2回九州地方に振られたことになる。広島から門司までの距離は広島から岡山までの距離とあまり変わらず、岡山から大阪までの距離とほぼ同じである。新幹線を使わず車で行くなら関西よりも九州の方が行きやすい。湯布院に別荘を建てて毎週土日に車で通っている人もいるそうで、九州は広島市在住者には親しみのある所のようである。暑い夏はあまり動かないようにして、秋になったらまた旅の計画を立ててみたいものである。

フェルメール光の王国

平成24年7月13日(金)
17世紀のオランダの画家フェルメールは、現在世界中で最も人気のある画家ではないだろうか。かく言う私も本物を見たことはないが、光を巧みに表現した細部にわたって精緻な絵に惹かれていた。先年、東京で作品展が開かれたことがあったが、あまりの人気に行くのがためらわれた。作品の前でゆっくり観賞することなどできないだろうと思われた。ゆっくり見るためには作品が展示されている各国の美術館に行くしかないだろうと思っていた。フェルメールに関する本は多数出版されており、いくつかは読んでみたが内容がもう一つだと感じていた。
「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」 などの著書で知られる生物学者福岡伸一氏の近著「フェルメール光の王国」は、4年間にわたってフェルメールの作品が所蔵されている美術館を訪ねてまわり、その地の歴史と合わせて考察・観賞した力作である。旅の後半で氏が生物学者になって以来、考え方のよりどころとなっている孤独な学者シェーンハイマーの生誕の地ドイツ(ワイマール共和国)を訪ね、新築されたベルリン国立絵画館でフェルメールの絵を鑑賞し同時に生前その業績が正当に評価されたとはいえない学者に思いを馳せる。
ここでは芸術と科学と哲学は混然一体となり、切っても切り離せないものだと納得させられる。ヨーロッパの歴史にはかなわないと感じるのも、氏の深い考察と筆力の賜物であると思う。

精神科医師の本

平成24年7月6日(金)
精神科セカンドオピニオン活動に携わり、自身でもクリニックをたちあげ薬を使わない治療に努めている医師、内海聡氏の近著「精神科は今日も、やりたい放題」は、精神科についての内部告発ともいうべき話が語られていて実に興味深い。
近年、精神科のクリニックが増え抗うつ薬が大量に処方されるようになったが、本当の意味での「うつ病」「そううつ病」「統合失調症(精神分裂病)」などが、こんなに高頻度に発病するはずがないと思っていたが、やはり欧米の巨大製薬会社の抗うつ薬、抗精神病薬の販売拡大との関連があったのかと納得した。抗うつ薬SSRIが国内で承認されて以来、売り上げはうなぎ昇りで同時に副作用も増えている。内海医師によると、これらの薬は効かないうえに副作用・依存性が強く、患者のためにならず製薬会社を利するだけだという。やや過激な発言であるが腑に落ちる部分もある。
そもそも精神疾患を薬で治すことが可能なのだろうか?先ごろ亡くなった北杜夫氏は自身の「そううつ病」を公表していたが、その状態になったらどうしようもなくなることがプロの作家の筆でくわしく描かれている。私も同様の病気の人を知っているが、一旦「そう状態」あるいは「うつ状態」になったらお手上げで、ひたすら普通の状態に戻るのを待つしかないことを痛感していた。本物の病気でもそうなのである。安易に薬を使わないようにするべきであろう。