平成25年2月21日(木)
琴古流尺八宗家が生田流白秋会の人たちと共に東京から来広され、尺八の演奏指導をしていただいた。今回は地唄「夕顔」を宗家の前で吹いたが、あとで録音したのを聞いてみて「進歩がない」と思ったことであった。
言い訳すると、前夜新年会で飲みすぎたせいか朝から唇が腫れていて、いつものような音が出ないので力みがあった。もっとも技能があればそのようなことは関係ないのだろうが。肩に力を入れないで自然にのびのびと演奏しないとダメである。
それでもプロの伴奏で尺八を吹くのはなんと気持ちのいいことか。日本の伝統音楽には汲めども尽きせぬ味があり、奥が深いものだと思ったことである。今は宗家の演奏をくりかえし聞いて、音の出し方や指使いなどをマネようとしているが、聞けば聞くほどすごい技術である。もっと練習しよう。
カテゴリー 日誌
「夕顔」の稽古
城下町へ行こう!
平成25年2月14日(木)
BS朝日に「歴史発見 城下町へ行こう!」という番組がある。全国に100以上ある城下町を俳優のピエール瀧が案内人となって紹介するという、歴史の好きな人間にはたまらなく面白い番組である。
以前から各地を旅する時にはできるだけ城を訪れるようにしていたが、この番組を見るようになってから一層興味がわいてきた。番組では各地の城にまつわる歴史、当時のありさま、現在の城下町の様子、食べものなどを現在そこに住んでいる人たちを交えて紹介している。以前訪れた城でも知らないことがたくさんあることがわかり、もう一度訪ねてみたくなった。最近では松山城に行ったが、歴史を調べて行けばより面白いだろう。以前に訪れた小倉城・熊本城・彦根城・松江城なども、もう一度行ってみたい城である。姫路城(白鷺城)は今改修中であるが、完成の暁にはあの優美な姿を見たいものだ。とりあえず次は鹿児島城(鶴丸城)を訪れようか。もっとも現在は焼失して城跡のみだそうであるが。
作家「団鬼六」と大崎善生著「赦す人」
平成25年2月6日(水)
NHKに「ファミリーヒストリー」という番組がある。著名人のルーツを調べ、映像にまとめて本人に見せて感想を聞くという趣向であるが、本人も知らなかった事実が発掘されたりして本人も驚くことがあり面白い番組である。
平成23年に亡くなった団鬼六氏は知る人ぞ知るSM作家であるが、将棋に精通しておりプロアマを問わず棋士たちとの交流を描いた秀逸なエッセイを数多く残している。氏のSM小説「花と蛇」は代表作と言われ映画化されてもいるが、私が興味を持ったのは氏のさまざまなジャンルの人たちとの交流を描いたエッセイ群である。ハチャメチャな父親とのさまざまなエピソード、大学時代のフランス語の教授との交流をはじめ、芸能人から裏社会の人まで相手を問わず面白く付き合っていく姿勢に、人間の大きさや懐の深さが感じられる。
氏が亡くなった翌年に、その生涯を描いた大崎善生著「赦す人」という優れたノンフィクション作品が出版された。著者の大崎氏は、広島出身の夭折した棋士村山聖氏の評伝、「聖の青春」で作家デビューした人である。大崎氏自身の作家になるまでの紆余曲折も興味深いが、なにより将棋を通じての団鬼六氏との交流があっての作品で、読んでいるとまさに「ファミリーヒストリー」を連想させる部分もあり実に面白い。大きな人間というものはまだまだ奥が深く、書かれていないこともたくさんあると思われるが、人の生きた軌跡は興味深いものだと思ったことである。
平松教授の講演
平成25年1月31日(木)
わが母校、岡大の平松教授の講演「たかが子宮筋腫、されど子宮筋腫」が行われた。子宮筋腫の手術は産婦人科医にとっては基本中の基本で、だれでも習熟しているはずの手術である。しかしながら、どの手術もそうだと思うが、難しいものはいくらでもありだれも引き受けられないような症例もある。わが平松教授はこれらの困難な手術に挑み、その卓越した理論と技術で成功させていることを示してくれた。
子宮筋腫の手術といってもさまざまなヴァリエーションがあり、筋腫ごと子宮を取ってしまう手術から妊娠できるように筋腫のみを取る手術、肥厚した筋層を均等に切除する手術まであり、妊娠できる可能性を残す手術の方が難しい。これらにも果敢に挑み成功させておられる。また、巨大筋腫があって妊娠した症例の帝王切開、筋腫核出術も提示されたがこんな難しい、一つ間違えれば母児ともに命にかかわるような手術をいったいだれが引き受けてくれるだろう。それでも医療の最後の砦としての責任感から、自分が受けなければと他県の機関病院から紹介されたこの患者さんを受け入れ、きちんと成功させている姿勢に頭が下がる思いであった。
この時ほど我が母校の産婦人科教室を誇りに思ったことはなく、これからもこの姿勢で頑張ってもらいたいと心から思ったことである。
1万時間
平成25年1月24日(木)
どんなことでも1万時間かけて努力すると一人前になるという。特別な能力を必要としない分野ではそうだと思う。でもスポーツや音楽、芸能の分野では、1万時間かければある程度はできるようになるだろうが、プロにはなれないと思う。
尺八を始めて10年になるが、上手い人の音を聞くたびに自分には才能がないのだろうかと思う。師匠は「いい音を出すための努力はずっと続けないといけない。指使いは訓練であり、筋肉が覚えるまで反復練習あるのみ。音楽性は持って生まれたもので変わらない」とおっしゃる。音楽性が生まれつきのもので変わらないのなら、音を出す能力も筋肉を上手く動かす能力も生まれつきのものではないかとつい、思ってしまう。ある人は「プロになっているような人は一時期、血を吐くような努力をしています」というが、確かにそうだとは思うがそのような心境になるのは、すでに高いレベルに達しているからではないか。そうでなければそのような心境になるはずがない。
いずれにせよこんなことを考えている間はレベルが上がるはずがない。1万時間かけてから考えよう。
曽野綾子著「この世に恋して」
平成25年1月17日(木)
作家・曽野綾子氏は本人はきっとそう思っていないだろうが、わが国で最も著名なオピニオンリーダーである。氏は産経新聞に執筆枠を持っていて、エッセイ風にさまざまな意見を述べておられ、その地に足のついた的確な内容に共感することが多い。夫君の作家、三浦朱門氏は曽野氏と結婚した頃いつも「妻をめとらば曽野綾子」と言っていたそうだが、なるほど氏ほど「才たけて、見目麗しく情けある」という言葉が当てはまる人はいないように思われる。日頃から氏のファンゆえ色々な著書を読んでいたので、だいたいは知っているつもりでいたが、今回、表題の著書を読んでみて一層その人となりが感じられファン度が上昇した。
読んでいて思ったことは、氏のバックボーンはカトリック教への信仰と母親からの深い愛情としつけではないだろうかということである。それに加えて氏の聡明さとまじめさ、他に頼らない自立心などが核となり、世に出た後さまざまな経験を経て、もちろん夫君の大きな愛情に恵まれて今があるのだろう。私などが言うのもおこがましいが、世の中には多くの優れた人がおられるが、なかでも氏は最右翼のおひとりであろう。
ウイスキーの水割り
平成25年1月10日(木)
いつも夕食が比較的早いので、寝る前の風呂上りにウイスキーの水割りを飲むのがいつものことだった。その時に乾きものを少しつまむけれど結構飲んでいたのだろう、1~2年前から朝、場合によれば昼ごろまで腹が減ったという感覚がなくなってきた。昔から朝はコーヒー1杯で充分、昼においしくご飯を食べるのが無上の楽しみだったのに。そこでウイスキーをやめてみたら夜は一度も目覚めずぐっすり眠れるし、朝から空腹感があり昼御飯が待ち遠しくなった。やはり歳のせいなのだろうか、鉄の胃とも言うべき頑丈な?我が胃腸もアルコールには勝てなくなってしまったのだ。それでもどうしてもウイスキーを飲みたくなることがあり、その場合は我慢せず飲むことにしている。頻度は週1ぐらいか。当分はこのペースで行こうと思っている。
謹賀新年(平成25年)
平成25年1月4日(金)
あけましておめでとうございます。
今年は娘たちはそれぞれの婚家で正月を過ごすので、大学生の長男と3人で元旦のお屠蘇と雑煮。31日に届いた古串屋のおせちをおいしく頂き、朝から日本酒。一年に一回のことだからいいだろう。おせちを注文したのは今度が初めてだが、思いの外よかった。丁寧に作ってあり、味もよく、つまみにちょうどよいので酒がすすむ。さすが古串屋である。来年も頼もう。昨年の初詣の時に買った次女の無事出産祈願破魔矢を持って護国神社へ初詣。さすがに人があふれていて、神様も皆の願いを聞き届けるのは至難の業だと思われた。だから今年は昨年のお礼だけにしておいた。
今日から診療開始。気を引き締めて一期一会の気持ちでやっていく所存です。今年もよろしくお願いします。
一年をふり返って
平成24年12月28日(金)
今年の診察日もあますところ今日と明日29日(土)の2日だけになった。早いものである。いまさらながら「光陰矢の如し」を実感している。この機会に一年をふり返ってみよう。
クリニックについては例年と同じペースであるが新患が増えているように感じる。以前からの患者さんも変わらず必要に応じて来院していただいているのはありがたいことである。スタッフが充実・安定してきたことが特に心強い。来年もこのままでいくことができればと思う。
健康に関しては特に問題はないが、腰痛には苦労した。そもそもゴルフを再開しようとしたのが間違いで、結局テニスも中止しているありさまである。もっとも軽いラリーぐらいならできるが、もっぱら散歩に集中している。毎日の晩酌は欠かさず、飲み会も今までと同じペースで行っているのも健康のおかげである。国内小旅行にも何回か行くことができたし新たな発見もあった。子や孫たちも元気でいるようでありがたいことである。尺八は自分の求めているところには全然達していないが、やる気十分でさらに研鑽を重ねるつもりである。
こうしてふり返ってみると、とりたてて変わったこともなく平穏な一年だったようだ。ありがたいことである。大いなるものに感謝。
ゲーマー
平成24年12月20日(木)
男の子は総じてゲーム類が好きである。恥ずかしながら自分も小さい頃から大好きであった。昔は今みたいにコンピューターゲームがなかったので、手作りも含めた対戦ゲームをしていた。将棋を使った遊びでは、はさみ将棋・(本)将棋・山崩し・歩から王将になる、すごろくみたいなものを工夫して遊んでいた。ダイヤモンドゲーム、釘立て、そのほかなにか遊べるものを見つけてゲームにしていた。エポック社の野球盤を友達の家で見た時の衝撃は大きく、買ってもらった友人が羨ましくてたまらなかった。当時は高価なもので買ってくれとも言えず、段ボール箱を利用して自分で作ったりしたものだ。
学生時代はマージャンにはまり、パチンコ・雀球・スマートボール・ドボン・花札などもやったが、30代の初めごろから爆発的に普及したのがファミコンゲームで、これには大いに時間を費やした。そのころ囲碁にも目覚め、ヘボ碁を打ちスター棋士の棋譜を並べて喜んでいたものである。ゴルフもいわばゲームであるから面白かったが、体を使うので向き不向きがあり腰痛のため止めざるを得なかった。現在はさすがにソリティアぐらいしかやっていないが、時にNHKの囲碁・将棋の対戦を見たり、名人戦の棋譜などを見て楽しむことはある。
こうしてふり返ってみれば、山上憶良の「遊びをせんとや生まれけむ…」は真実であり、特に男の子は一生ゲーム類を含め遊びが好きなように生まれついているのではなかろうか。