令和7年10月2日
連日の猛暑が去って、朝夕は過ごしやすくなった。昼間はまだ暑い日もあるが、しのぎやすくなったのはありがたいことである。それにしても今年の暑さは異常だった。クーラーがなかったら熱中症になる人が後を絶たなかっただろう。昼間は屋外に出るとそれだけで汗が噴き出すので屋内にいるしかなかった。やっと昼間野外活動ができる。運動不足を解消したいし散歩・山歩きなどもしたい。
最近アルコールが増えて、カミさんからレッドカードが出ていたので今週から控えるようにした。なんと翌日から空腹感がよみがえり、ごはんがおいしいこと。そのうえ体重の増加も止まったようなのだ。恥ずかしいことだが「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を実感している。ちょっと意味が違うかな。でもこれでいいのだ。
カテゴリー 日誌
やっと秋になった
久闊を叙する
令和7年9月26日
猛暑の日々が続いていたが、やっと秋の兆しが感じられるようになった。最近、大学時代の友人と一夕を共にし、大いに語り合えたのは実にうれしいことだった。また、予備校時代の友人とも酒席を共にできたことも感慨深いことであった。どちらの友も人生を全うしている姿を見ると本当に良かったと思うし、友人であったことを誇らしく思ったことであった。まさに「久闊を叙する」である。考えてみれば若い日々のことは、恥ずかしいことや未熟だったことばかり思い出されてしまうが、いろんなことに真摯に向き合ってきたことも確かなことである。旧友に会うとその頃のことが思い出されて、自分の原点はここなんだと知らされる。そして人生の終焉になって自分を肯定できるのは幸せなことである。願わくば自分がかかわってきた人たちもそうあってほしいと心から思う。
感傷的になったのは秋になったからなのかな。
「日中外交秘録」
令和7年9月19日
表題は在中国大使として活躍していた垂秀夫(たるみひでお)氏の回顧録で、「中国が最も恐れる男」との帯がついた文芸春秋読者賞を受賞した著書である。垂氏は京都大学法学部を卒業後外務省に入り、チャイナスクールで一貫して中国・台湾にかかわってきた。2,023年退官後は立命館大学教授で活躍している。
これを読むまではチャイナスクールの人たちは中国に何を言われても言い返せない、弱腰ばかりだったり手なずけられたりなのかと思っていた。政治家も中国詣でをする人が多く、現在の中国は日本を不当に貶めてばかりしていることが大いに不満だった。垂氏の一貫した強い志と、中国の要人や裏要人などとの人脈をつくり、日本と中国が今後どのように付き合っていくかを歴史的に俯瞰して見据えながらの回顧録はじつに面白かった。目からうろこが何枚も落ちた。。
文章が滑らかで読みやすいのは聞き手・構成の城山英巳(しろやまひでみ)氏のおかげだろう。日本と中国は歴史的には日本にとって切っても切れない間柄である。今はいい関係ではないが、先のことはわからない。つねに先を見据えて戦略を立てて行かないと日本のためにならない。政治家には特に読んで欲しいと思った。
開院28周年
令和7年9月12日
平成9年9月10日に開院してから28年経ち29年目に入った。早いもので四半世紀以上この場所で診療をしてきたことになる。その間、最大のピンチはコロナに感染し、重症化したため県病院に入院したことである。挿管まで行われたが幸い回復して3週間の入院で済んだ。他にも市民病院に入院したり、静脈瘤の手術で逓信病院の杉山先生にお世話になったりなどがあったが、おおむね元気で仕事ができたのはありがたいことであった。
今まで続いたのは患者さんが来院してくれることが第一であるが、支えてくれる家族・スタッフのおかげである。深く深く感謝している。医会などの手伝いもさせてもらったおかげで、美味しい店もいっぱい教えてもらった。この頃は美味しい店を新たに見つけようという情熱が衰えてきたように思うが、アンテナはいつも張っている。
いずれにしても現在元気で診療できていることはありがたいことだと思っている。さあ今日も頑張ろう!
「散歩のとき何か食べたくなって」
令和7年9月5日
表題は池波正太郎氏の著作で、昭和52年発刊された。その後文庫化されて現在64刷になっている超ロングセラーである。池波氏の著作は鬼平犯科帳をはじめ、いまだに本屋の棚にはそろっていて、氏の死後35年経っているのに売れ続けているのはすごいことである。ベストセラー作家でも死後売れ続けるのはほんの一握りである。
内容は、氏の日常よく訪れる食べ物屋を記したものであるが、どれも食べてみたいと思わせる筆力で、店のあるじとのかかわりもさりげなく書いていて、心地よく読める。さらにコロナブックスからグラビアにしてそれらの食べ物屋を紹介した本も出ている。神田、浅草、銀座、渋谷、目黒などの店と写真、氏のエッセイを載せている。現在も残っている店もあればなくなった店もある。氏の「生きることは食べることだ」を感じさせるエッセイと共にこれらを見れば、自分がそれらの店に行っているように思える。
氏のファンの中には、本当に店をすべて回った人もいるという。そのような思いをさせる力のある作品である。
「たった一人の30年戦争」
令和7年8月28日
表題は昭和20年の終戦を知らず、フィリピンのルバング島で諜報活動と遊撃戦を続け、昭和49年に元上官の命令により武装解除し、フィリピン軍に投降しマルコス大統領を表敬した後帰国することになった陸軍少尉・小野田寛朗氏(平成26年死去)の著書である。文庫本化されたので読んでみたが非常に面白く、戦前までは軍人は文字通り命がけで戦っていたんだと思った。戦況が悪くなっても「特攻隊」など日本を守るために爆弾を抱えて敵の戦艦に突っ込んでいったのは、我々の親世代のことである。わずか80年前のことで今となっては遠い昔の話になっているが、この本を読むと小野田さんは軍の命令を受け、命令を忠実に守り、たった一人になっても最後まで戦うつもりでいたことがうかがえる。
小野田さんは51歳でジャングルを出て投降し帰国したが、上官の命令がなければ60歳までは戦いを続け、60歳を機に現地のレーダー基地に突入して最後の弾まで打ち尽くして果てるつもりでいた。それが日本から24歳の鈴木紀夫さんが小野田さんを探しに行き、単独で島の中にテントを張って何日も過ごして小野田さんに会え、その後上官であった谷口さんが命令書を伝え武装解除したのである。
小野田さんの著書を読むと文章の底に流れているのは「覚悟」である。命令を遂行するために常に命がけである。戦後の我々に最も欠けているのは「覚悟」ではないだろうか。今、我が国が衰えていくのはそれが原因ではないだろうか。心に響く著書であった。
盆休み
令和7年8月22日
今年の夏の暑さは異常で、今年の盆休みはどこかに出かけようという意欲もなくゴロゴロしていた。以前は「休みしか行けないところを」と考えて、ミシュランなどを参考にして食事の店を予約し、そのうえで宿を予約して行ったものだ(予約の順序が逆のようだがこれでいいのだ)。
2,017年は仙台から東北に出かけ、松島・瑞巌寺・平泉・中尊寺などを訪れた。もちろん鮨屋の予約も忘れずにした。2,018年は鎌倉・箱根に行き、鶴岡八幡宮、箱根の森美術館などを楽しんだ。2,020年は四国から高知に行き、祖谷のかずら橋や仁淀ブルーを見ることができた。2,023年は大分県立美術館で行われていた養老孟司氏の「虫展」を見て湯布院に行き、翌日は佐賀県の武雄温泉に泊まり県立熊本美術館の「ホキ美術館」を鑑賞してきた。
もう少し涼しくなれば出かけてもいいかと思うのだが、この猛暑だとおっくうになる。年のせいもあるのだろうが、旅にも美食にも意欲的だったころが懐かしい。
「頼る力」
令和7年8月13日
表題はダチョウ倶楽部のリーダー肥後克広氏の新刊である。ダチョウ倶楽部といえば上島竜兵の「クルリンパッ」とか「熱湯風呂」「聞いてねーよ」とかのギャグを思い出すが、残念ながら上島氏が亡くなってしまったのでどうしているのかと思っていたが、しっかりと活動していることがわかった。
芸能界で40年生き続けることがどんなに難しいことかを想像すると、たいしたものだと思わざるを得ない。肥後氏の母親は奄美大島生まれで「キマい」人だったそうだ。「キマい」とは方言で「お転婆」のことで、口より早く手が出る、負けず嫌いでケンカっ早く、何でも1番にならなければ気が済まないひとだったそうだ。沖縄に渡って食堂をしながら子供たち3人を育てた母の影響が大きいことがわかる。
肥後氏の森本レオ氏の物まねは絶品で、本人が満点をつけて以来の親交があるそうだが、雰囲気もしゃべり方もそっくりだった。ともあれ、人生の総括ともいうべき著作は面白かったし、飾らない語り口は快く感じた。
「作家の酒」
令和7年8月8日
表題は2009年11月発刊の作家と酒を扱った写真集で、エピソードを含めそれぞれの作家の人となりが偲ばれる作りになっている。書庫を整理していたらたまたま見つけたので久しぶりに見たが、面白かったので一気に読んで(見て)しまった。
昭和の時代、作家は尊敬もされていたし、人目を引く魅力があり、オピニオンリーダーの一面もあった。本書に登場する作家は、井伏鱒二、山口瞳から始まり当時のそうそうたるメンバーが26人、それぞれの行きつけだっや店や仲間、好んだ料理などを紹介している。いずれもアルコールを多飲していて、様々なエピソードがあって面白い。やはり人類とアルコールは切っても切れない関係だと納得する。
流川周辺でも裏袋あたりでも、夕方になると居酒屋や料理屋が繁盛していて、若者から老人まで酒と料理を求めての人だらけである。アルコールが飲めるのは元気な証拠である。いつも飲みすぎないようにしているつもりだが、知らぬ間に飲んでしまっている。反省しながら「作家の酒」を読んだわけである。
道後温泉
令和7年7月25日
去年の8月に九州の温泉に行って以来どこにも行ってなかったので、土曜日の午前の診察を終えた後、カーフェリーで宇品港から松山に行った。いつも旅する時はまず、美味しい店を見つけて予約してその後で宿をとるのが通例だったが、最近は面倒なので食事付きの宿をとるようになっていた。今回は食べログの上位に載っていた温泉宿が目に留まったので行ってみたわけである。
温泉宿の食事は見た目は派手だがそれほど美味しくないことがあるが、「道後温泉御湯(みゆ)」は部屋も居心地よく、なによりさりげない距離感の対応で、気に入った。部屋についている露天風呂も適温で何度でも入りたくなる。そのかわり大浴場はあまりいいとは思わなかった。食事はさすがに美味しく接客も丁寧で充分満足できた。開業7年目だそうだが、また行ってみたい宿だった。
翌日は愛媛県内をあちこち巡り、しまなみ海道を通って帰宅、その翌日(祝日)は当番医として診療したが、久しぶりの温泉でリラックスできた。